5-32 触手は有りだった
ルチアとニケの懇願により、夕飯は俺が作った。
セレーラさんも毎回悔しがりながらも美味しいと言ってくれるので嬉しい限りだ。
夕食後まったりしてから、セレーラさんが先にお風呂に入った。
そして俺たちの番となり、体を洗って湯船に浸かる。
たぽんたぽん浮かぶ四つの浮島を眺めつつ、俺は決意を伝えるためにニケとルチアに切り出した。
「二人とも、このあとなんだが──」
しかし二人は、それを遮って立ち上がった。浮島が離水して浮遊島になるときの躍動感は、着水時の衝撃に負けず劣らずいつ見ても胸が高鳴る。選ばれし者しか到達できない、まさに秘境。世界の神秘が全てここに詰まっていると言っても過言ではない。
「マスター、私たちはやらなければいけないことがあるので先に上がります」
「ちゃんと千数えてから出るんだぞ」
神々が与えたもうこの世の楽園。それを意のままに支配する俺は、全能の支配者。ひれ伏すがいい、我が名は……って、あれ?
優越感に浸っているあいだに、二人はさっさと出ていってしまった。
ちゃんとこのあとのことを伝えておこうと思ったのに……いや、これで良かったのか。反対されたら決心が鈍るかもしれないし。
それにしても、千は長くないかな……。
「ふ~、緊張する」
ちゃんと数えて風呂を出てから、とある部屋の前で深呼吸。
そしていざノックをしようとしたら、カチャリと扉が開いた。
「……貴方はここでなにをしているのですか」
出てきたニケに驚く。
だってここは、セレーラさんが使っている部屋だから。
更にニケの横からルチアまで顔を出した。
「なぜこの部屋に来たのだ、主殿」
「ここでなにしてんだ二人とも」
「私たちが聞いているのですが」
「俺はほらあれだよ……ラボの空調設備の点検とか、不審者がいないかとか」
「いるはずないだろう、お前以外」
二人のジト目が刺さるので、諦めてゲロることにした。今はセレーラさんいないみたいだし。トイレでも行ってるのかな?
俺がこんな夜更けにセレーラさんの部屋を訪ねた理由だが、それは──
「セレーラさんを夜這いしにきました」
二人のジト目が刺さりすぎる。
「いや、違うんだよ。別に一つ屋根の下にいることに我慢できなくなったとか、そういうんじゃないのよ。錬成人にしてしまった以上、セレーラさんをこの街に残しておくのは難しいだろ? だから改めて俺の気持ちをちゃんと伝えて、それでついてきてもらうために形から入ろうというか、うん土下座したらいいかな?」
説得を諦めて俺が膝をつくと、見下ろす二人がクスクスと笑いだした。
「さすがの貴方でも、今回は気が引けて自分からは動けないのかと思いましたが」
「心配する必要はなかったな」
心配ってなに?
首を傾げる俺を追い払うように、ニケに手でシッシッとされた。
「貴方はいつもの寝室に行きなさい」
「えっ、でもセレーラさんとせめて話だけでも」
「いいからいいから。じゃあおやすみ」
一方的に言われて、バタンと扉を閉められてしまった。
わけがわからん……おやすみって、今日は一人で寝ろってことか?
途方に暮れつつ、とりあえず寝室に向かった。
すると──
「────────────」
──部屋の中から、ラララとメロディーだけを追った歌声が聞こえてきた。
もうここにいるのは一人しかいない。まあリリスという可能性もあるが、まだ戻っては来ないだろう。
……あの二人め。
意地悪な二人に感謝して扉を開けると、やはりそこにはベッドの上に座るセレーラさんの姿があった。
セレーラさんは俺に気づいたが、歌は途切れなかった。
部屋に入った俺は静かに扉を閉めて、耳を傾けることにした。
昼に鼻歌で歌っていた明るい曲とはまるで違い、スローテンポでしっとりとした曲だ。
やがて歌は終わり、小さな手で鳴らす拍手が響いた。
「前向きな気分になれるような、素敵な曲ですね」
なぜかセレーラさんは、目をパチクリさせて驚きを表現している。
「なにか?」
「いえ、私もそういうふうに思いますけれど……そう言った人は初めてだったので。今まで聞いた人は皆、物悲しい曲だと」
「なるほど。それもわからなくはないですね」
確かに全体的には哀愁漂うメロディーだった。でも俺としてはその中に、前を向く力強さも感じたのだ。
例えて言うなら……卒業ソングみたいな感じか。
別れと出合いの歌詞でも乗せたら、大ヒットしそうな気がする。
「なんて曲なんです?」
セレーラさんが、ゆるゆると首を振る。
「わかりませんわ。私が本当に幼い頃聞いて、耳に残っていた曲で……多分、母が歌っていたのだと。不思議なものですわね。母はおろか、父の顔すらもう朧気にしか浮かびませんのに」
セレーラさんは、エルフである母親のことはほぼ記憶にないそうだ。
子供の頃に人間である父親に連れられて旅をしてきたのは覚えているらしいが、リースの街の近くで父親は亡くなってしまった。
記憶はあやふやなようだが、恐らく魔物にでもやられたのだろう。隠れているように言われ、時間が経ってから出ていったら、父親は虫の息で倒れていたらしい。
そこを通りがかったどこかの冒険者かなにかが、リースまで連れてきてくれたとのことだ。
「でもこの曲を歌うと、心が落ち着きますの。つらいときも悲しいときも……緊張しているときも」
「そうなんですね」
緊張か……ここにいるということは、そういうことなのだろう。
意を決し、スリッパを脱いでベッドに乗る。
向かい合って座ると、セレーラさんも姿勢を正した。
「セレーラさん、これが不本意な道筋だったことはわかっています。僕が貴女の道を捻じ曲げてしまった。でも、それでもどうか僕と──」
「私──」
共に歩んで欲しいと改めて伝えようとした俺を、また前みたいにセレーラさんが遮る。
風呂に入ってほとんど縦ロールが解けたウェービーな髪を、クルクルと指先で弄んでいた。
「私……貴方に謝らなければいけませんの」
「もしかしてまたフラれるんですか!?」
「そうじゃなくて!」
ビビった……ここまできてフラれたらどうしようかと。
「その、実は、このあいだお断りしたとき、嘘をつきましたの」
「というと?」
「あのときこの街が心配だと、そう言ってお断りしましたけど……いえ、心配なのは本当ですわ。でも、私などがいなくてもこの街は大丈夫ですし、それよりは貴方と共に行きたい気持ちの方がずっと強かったんですの」
そう言ってもらえるのは嬉しいのだが、この街におけるセレーラさんの重要度というのは決して低くないと思う。
役職的にも重要なポジションだが、それだけではない。ダイバーズギルドと侯爵、それとその他の冒険者ギルドの関わり合いの中で、セレーラさんは軸に近い役割を果たしている気がする。
だからといって、セレーラさんに来てくれる気があるなら遠慮などしないが。
「そうだったんですか……ではなぜ断ったのでしょうか?」
気まずそうに笑ってから、セレーラさんはキッパリと言い切った。
「意地ですわ」
なるほど、意地か。
「…………わかりません!」
「だ、だって悔しいじゃありませんの! 出会ってからずっと振り回されて、貴方の手の平で転がされて、最後まで思うようにされるなんて! ちょっとくらい貴方が悔しがる顔を見たいと思ってもいいじゃありませんか!」
「わかりました、わかりましたから触手は引っ込めましょうか」
恥ずかしさで顔が真っ赤になるほど興奮していて、触手も四本ほど伸び出てしまっていた。
ややあって、ようやく全部引っ込んだ。
「ええと……ではそんな理由で何年も棒に振ろうと?」
「エルフでしたもの」
「確かに寿命は長いですけど……」
「だから言ったじゃありませんの。私は意地っ張りで馬鹿な女だって。絶対にあとで後悔すると、自分でもわかっていたのに。というか断りながら後悔してましたもの。面倒臭い女でしょう?」
なんかもうセレーラさんは吹っ切れたというか、むしろ怒ってるくらいのテンションで捲し立ててくる。
「でも言っておきますけれど、今更いらないなどとは言わせませんわ。是が非でももらっていただきますから!」
いや、あのね、こっちとしてはそんなこと言われても、
「望むところですよ!」
という答えしかもっていないんだけど。
そしたらぶちゅーっと。
顔を両手でガシッと掴まれて思い切り。
……断った理由が本当に話した通りなのかどうか、俺にはわからない。
俺が気に病まないように、そう言ってくれているだけなのかもしれない。
きっと永遠にわからない。
それでもいい。
呼吸もままならないほどの、気持ちごとぶつかってくるようなこの口づけは、間違いなく本物なのだから。
出てきた触手に絡みつかれながらの、長い口づけが終わった。
あふれる思いが言葉にならず、瞳を潤ませたセレーラさんと至近距離で見つめ合う。
二連の泣きボクロがとてもセクシーだ。
やはり泣きボクロは、ヨダレボクロ(口元のホクロを俺はそう呼んでいる)と甲乙つけがたい無敵さを誇っている。
そういえば、ヨダレボクロのあの人はどうしているのかな……。
昔のことが頭に浮かんだら、セレーラさんにホッペを挟んで潰された。
「もうっ。二人のことでも考えていたのでしょう」
「いへ、違うんでひゅ。初恋の人のことを思い出していまひた」
「なお悪いですわ!」
そう言って、罰のように唇を奪われる。
「んっ……今は私だけを見てくださいませ」
「……はい」
確かに失礼なことをしてしまった。素直に反省だ。
それにしても、感無量である。
ついに……ついにセレーラさんと結ばれるときがきた。
「セレーラさん……」
望み通りセレーラさんだけを見て、その全てをこの目に焼きつけるのだ。
そう思って押し倒す寸前、俺の胸に手を当て、セレーラさんが押しとどめた。
「セラですわ」
「セラ?」
「さっき父の話が出たときに、思い出が蘇りましたの。父は私をそう呼んでいましたわ……いつも優しく、とても大切そうに」
「そうなんですか……ではセレーラさん、そろそろ」
「だ・か・ら!」
今度はショタホッペが両手でびろ~んと引っ張られる。いきなりどしたのぉ?
「なんでそういうところは鈍いんですの! そう呼べと言ってますのにっ」
「えー、わかりませんよ……」
「わかりなさい。あとそれも禁止ですわ。ニケさんやルクレツィアさんと同じように話してくださいませ」
「そうやってはっきり言ってくれればわかります。じゃなくてわかった、セラ……なんかむず痒いですね」
セレーラさんもそうなのか、俺と額を合わせてくすぐったそうに笑う。
ずっと敬語だったからな……じきに慣れるのだろうけど。
「それじゃあセラ──」
「それともう一つ」
「まだあるの……」
「その、あれが気になりますの」
「あれとは?」
「ですから、あの…………声がですわ」
ああ、なるほど。
ラボ(わがや)の中は、防音機能を完全に切っているからな。今も内容まではわからないが、時折ニケとルチアが話している声が聞こえてくるくらいだ。
ニケ曰く、安全のために俺がどこにいるか常に把握しておきたいとのことでそうなっている。でも俺用のトイレすら全く防音させてもらえないのはどうなんだろうか。
でもセレーラさんが気になるというなら、今晩くらいはいいだろう。
むむんと念じて、防音設定を変えた。
「これで大丈夫、聞こえない」
「もうですか? 便利なものですわね」
「それじゃあセラ──」
「あと、最後に」
………………さっきもう一つって言ったじゃない! どこまで焦らすのぉ!
「私はその、こういうことに関して、あの……」
声のことを言うより、更にセレーラさんがモゴモゴと口ごもる。
そうか……そういう心配はしても仕方ないか。
「大丈夫だ、セラ。わかってるから」
「そ、そうですか」
「うん。セラは俺よりずっと年上なんだから、色んなことを経験してて当然だよ」
「え……」
「むしろ経験豊富じゃなかったらおかしいっていうか」
「おかしい…………」
「だから俺が引く心配なんてしなくていいんだ。というか磨き上げてきたテクニックをどうか披露してください」
俺の切なる訴えに感激したのか、セレーラさんはうつむいてプルプル震えている。
少ししてガバっと顔を上げた。
「わっ、わかりましたわ。ええ、いいですわよ。私のてくにっくを見せて差し上げます。年上ですもの、当然ですわ。さあかかっておいでなさい」
なんか目がグルグルしてるような気がするけど……気のせいか。
そして俺は、恋い焦がれたセレーラさんに……両手を広げて待つセラに、ついに飛びつくことができた。
「セラ、素敵だった……」
二回戦が終わり、シーツにくるまって背中を向けているセラに語りかけた。
正直頭がどうかなるくらい興奮してしまった。反応がとても初心なように見えて。見ろと言ってたのに、見すぎだと何度も怒られたし。
超絶耳年増なニケどころか、貴族として知識だけは教えられていたルチアよりなにも知らなかったのではないかと、勘違いさせられそうだった。そんなはずないのにな。
想像とは違ったが、これが本物のテクニックというものなのだ。セラ恐るべし。
今は収まっている触手も、ちょくちょく出てきて最高のスパイスとなっていた。
触手は斬られた腰に近い、背中の下部から出てくるが、収まっているときは全くわからない。
二回戦目はだいぶ乱れたので汗がにじむ、その白い背中に口づける。
セラの匂いに包まれると、森林浴でもしているような気分になる。何度も胸一杯に吸い込みたくなってしまう。
ほら、こんなに爽やかな癒やしを与えてくれ…………あれ? なんだろう、森の中にクチナシが咲いた?
漂ってきた甘い香りが、瞬く間に濃厚に立ち込める。
満開の花畑……いや、そんなぬるいものではない。ねっとりとしたツタのように絡みついてくる。
急速な変化に戸惑っていると、振り向いたセラがガバっと体を起こした。
俺の手首を押さえつけて、のしかかってくる。
「……セラ?」
「うふ、うふふふふ」
妖しく笑うと、セラは俺の頬を舐め上げた。そしてベロリと舌なめずり。
薄明かりの中で、碧眼が閃く。
この目……知ってるぞ。
たまにニケがなったり、ルチアが酔うとよくそうなる目。
────捕食者の目だ。
そうだったのか……ここからが本領発揮ということか。まさか胸部ロケットだけでなく、二段ロケットまで持っていたなんて。
ここで引いてしまえば、追い詰められ食いつかれ骨までしゃぶられる。
今後、俺は三人を相手にしていかなければならない。一人相手に負けては失望されてしまう。
ゆえにこちらが打つ手は一つ。
全力で迎撃だ!
負けてなるものかぁ!




