5-31 ニョロった
お届け物に喜んでもらえた冒険者ギルドから、ホテルの部屋に帰ってきた。
そのまま《研究所》に入る。
「ただいま帰りました」
返事はない……。
まだ自分の中で咀嚼できていないこの現実に締めつけられ、胸が苦しい。
ルチアから降りた俺はそれを押し殺してリビングを抜け、物音がする隣の部屋に向かった。
一度深呼吸をしてから部屋に入ると、そこには──
「ふーん、ふふふふんふ〜ん」
──楽しそうに鼻歌を歌いながら料理にいそしむ、セレーラさんの後ろ姿があった。
「セレーラさん、ただいま帰りました」
声をかけるとセレーラさんは縦ロールを揺らして振り向き、微笑んだ。
「あら、お帰りなさいませ。ごめんなさい、全然気がつきませんでしたわ」
「いえいえ、お気になさらず」
はぁん、セレーラさんがいる……。
なんかあれだ。セレーラさんがラボにいるということに身悶えしてしまう。
もちろん悪い意味ではない。まだ慣れていないのでとても新鮮で、締めつけられたように胸がキュンキュンにドキドキしてしまうのだ。
「セレーラ殿、問題はなかったか?」
ルチアの気遣う言葉に、セレーラさんが頷く。
「ええ、だいぶ慣れましたもの。心配しすぎですわよ」
至って普通に見えるセレーラさんだが、実は大きな問題を抱えてしまっている。
そのため、セレーラさんをここに匿っているのである。
だから冒険者ギルドに行ったときもある意味すぐそばにいたのだが、話は聞いていなかったようだ。特別面白い話をしたわけでもないし、それで正解だろう。
「それならよいのだが。しかしあまり気を抜かないようにな」
もっともルチアがここまで心配するのは、少し違う理由もプラスされてるんだけども。
「セレーラ……まさかとは思うのですが、昼食を作っているのですか」
もう昼は過ぎたが、まだみんな昼飯を食っていない。だから全くおかしくないはずなのだが、ニケは眉をひそめていた。
「ええ、ただ待っているのも暇でしたので」
それを聞いたルチアの顔も、絶望に染まる。
「それは我々の分もあるのだろうか……」
「そんな悲壮な顔しないでいただけませんかしら!?」
あんまりな二人の態度に、セレーラさんが声を張る。
その拍子に──飛び出てしまった。
セレーラさんの抱えている問題が、ニョロッと。
「ひゃあ!」
ソレを見たルチアから、らしくない……ある意味、らしい悲鳴が上がる。
セレーラさんは理由に気づいていないようだが。
「仕方ないじゃありませんのっ。初めは調理場の使い方がよくわからなかったんですもの。でも二回目からはちゃんと使えていたでしょう?」
「セレーラ」
「はいはい、ニケさんが言いたいことはわかっていますわ。でも言っておきますけど、私の料理は普通です。薄味などではありませんわ。貴女がたが贅沢過ぎるんです。普通はタチャーナさんのようにふんだんに調味料は使えませんもの。でも今回は濃い目に味を」
「そうではなく、出ています」
「出てる? ……ひえっ!」
ニケの指差しに従って振り返り、セレーラさんも悲鳴を上げた。
セレーラさんの背後で蠢いていた、初々しいピンク色のツルッとしたソレ────『触手』────を見て。
その触手は、セレーラさんの着る俺が作ったTシャツと短パンのあいだから伸びている。
なにを隠そう、今のセレーラさんは感情が昂ると、触手が出てしまう体なのである。
しかしさっき言ってたようにだいぶ慣れたもので、セレーラさんはすぐに我を取り戻していた。
「ああもうっ、戻りなさい!」
犬に待てをさせるように手で壁を作ると、触手はハーイと素直に戻っていく。セレーラさんの体内に。
初めの頃に比べれば、段違いにコントロールできてはいるが……。
「やっぱまだ外に出るのはやめた方がよさそうですね」
「……ですわね」
セレーラさんは、ため息とともに肩をすくめた。
「早く完全に制御できるようになってくれるとありがたい」
ニケ盾の後ろから顔を出すルチアは、普段からあまりセレーラさんに近寄ろうとしない。触手苦手だからな。
「わかっていますわ」
「頼む……で、それはそれとして」
「その食事を食べなければいけませんか」
「貴女たちぃ! あぁまた!」
今度はニョロニョロっと二本飛び出てしまい、頑張って抑え込もうとしている。
「ははは。でもいいもんですね。帰ってきたらご飯作って笑顔で迎えてもらえるとか。新婚さん気分になりました」
「しっ、新婚ってそんな……ああっ」
なんか更に一本追加されてしまった。
セレーラさんの社会復帰にはまだ時間がかかりそうだ。
「しかしあのときはビックリしたな……」
食後、リビングでテンション低めのルチアが呟く。
味を濃くしたというセレーラさんの料理は、まだ余裕で薄味だった。
俺の作る料理も日本基準では薄味のはずだが、セレーラさんの料理は輪をかけて薄味なのである。
こっちでは調味料全般が高価だ。孤児院でやり繰りが大変なこともあっただろうから、仕方ないとは思うが。
というかね、
「またその話か」
セレーラさんがトゥバイにやられてしまったときの話だろう。
もう三度ほどは話しているのに。
「だって本当に驚いたんだ」
「そうですね、私も驚きました」
ルチアの話に乗っかったニケがパチリと駒を打つと、向かい合うセレーラさんから声が漏れた。そして顔を出した触手を慌てて引っ込める。
触手制御の訓練も兼ねて、将棋で対局中なのである。
実はセレーラさんは、たまにゼキル君の対局相手になっていたそうだ。遊んでいるなと、ゼキル君に怒ってたのに。
たまにだけなのにゼキル君には勝てていたようだが、俺が直々に仕込んでいるニケにはまだまだ及ばない。盤面は圧倒的にニケの優位で推移している。
ルチアがニケに代わっても、結果は同じだろう。触手が嫌でやれないけど。
「私が治療しようとしたのに、いきなりセレーラ殿の下半身を蹴り飛ばしたのだからな。こいつは」
そう言いつつも、俺を膝に乗せるルチアは、偉い偉いと俺の頭を撫でる。もちろんセレーラさんからは十分な距離を取っている。
「だから蹴り飛ばしたって言うなってば。最速で止めるために、滑り込んだだけだ」
「私は、遂にそこまでマスターの頭がおかしくなってしまったかと」
「もともとちょっと頭がおかしかったみたいな言い方はやめようか」
……なんでみんなして、頭のおかしい人を見る目で見るん?
あのときのことは、俺も驚いているけどね。
体が上下で真っ二つに分かれてしまったセレーラさんの命を、救うことができたなんて。
「正直に言うと、セレーラには悪いのですがあのとき私は諦めました。もうどうやっても助けられるわけがないと。心の内で私がエリクシルを使ってしまったことを、マスターと貴女にわびていました」
そうだったのか。それは初めて聞いたな。
でもエリクシルのことは話が違う。あのとき使ったのは必然であって、ニケのせいなどではない。
「仕方がありませんわ。私だってあの瞬間、死んだと思いましたもの。目が覚めたとき、生きていることが信じられませんでした」
「本当に申し訳なかった、セレーラ殿……」
「ですからそんなに何度も謝らないでくださいませ。悪いのはトゥバイですわ」
《追跡》で俺たちの居場所を突き止め、《隠密》がニケの《危機察知》やルチアの《直感》を鈍らせた。S級ハンターとしての実力を、最悪な形で発揮しやがったのだ。
しかもその場にいただけの、無関係なセレーラさんを殺しかけた。さすがにセレーラさんも擁護はしない。
これ以上謝ってもセレーラさんの負担になるだろう。それをわきまえてか、ニケはセレーラさんの言葉にただ頷いた。
そして俺に顔を向けた。
「てっきりマスターもあのとき諦めたのだと思いました」
「私もそう思った。主殿に声をかけても、すぐには動かなかったからな。だから独断で治療しようとしたのだが」
「あれは考えてたんだよ。どうやったら助けられるか」
それに動かなかったのもわずかな時間だ。自分でも驚くくらい、考えが一瞬でまとまった。そうでなければ間に合わなかっただろう。
間違いなくそれは、ルチアやニケを失いそうな危機を経験したからだ。ルチアのときなんて特に気が動転してたし。
そして思考の結果、セレーラさんの下半身を蹴ったのだ。
ルチアが上半身と下半身を繋げようとしていたから。
いつも思うが、この世界で起こる魔法的な現象ってとてもファジーというか、適当なのだ。
例えば現界する《研究所》の扉の形は、周囲の地形によって変化したりする。それは事故が起こらないよう、良い具合に適当さが作用した結果だろう。
しかし、それが悪い具合に適当に作用することもある。
そうそうあるわけではないが、ポーションで治しきれない傷が後遺症になったりするのがそれに当たるのではないかと思う。回復力が足りないのに、全体的に治療しようとするせいだと俺は思っている。
今回も体を繋げてポーションや回復魔術を使えば、全体的に治療しようとしただろう。つまり体を元に戻そうとしたはずだ。
上級ポーションと回復魔術を併せても、真っ二つになった体を戻しきるなんて絶対に無理なのに。
そんなのほとんど無意味だと感じたのだ。
だから下半身を蹴って、上半身だけにルチアに魔術を使ってもらってポーションをかけた。
俺は、完全に延命だけに絞っていたから。延命のためだけに傷をふさぐよう、回復の効果を発揮させたかったから。
もちろんそれが上手くいっても、長くは保たないことはわかっていた。
でも昔、心臓が止まっても五分程度は脳が動いているというのを聞いたこともある。完全な死というのがどこで決まるのかわからないが、とにかくそれまでの時間を稼ぎたかった。
その前であれば、助けられると思ったのだ。
セレーラさんを、錬金してしまえば。
しかし──
「結局こんなことになっちゃったけど……」
──実際には、そう簡単にことは運ばなかった。
ポーションなどをかけてから、ラボにセレーラさんを運んだ。
培養槽に水をためつつ、人工呼吸の逆をやって空気を吸い出してからセレーラさんの口にホースを突っ込んだ。肺を生命水などで満たすためだ。
そうして呼吸すらいらない培養槽の中に沈め、わずかな猶予は得た。
でも……錬金できなかった。
巨人やアダマンキャスラーやドラゴンなどの高ランク魔物の素材を突っ込んでも、俺の脳内で錬金が成功しなかったのだ。
しかもただの失敗とは違う。
錬金後の形は鮮明に浮かぶのに、色がついていないような感覚。
上手く言えないが……命の息吹を感じなかった。廃人化とか、なにかそんな嫌な予感しかしなかった。
そこでランクに関係なく、生命力の強い魔物からの素材を使うことを模索して……見つけた。
見つけてしまったのだ。
ローパーという存在を。
魔法生物であるローパーは、種類によってはケーンが持っていた《再生》スキルを持っていることもある生命力の権化なのだ。
俺たちが確保したフロートローパーは、《再生》までは持っていなかった。そのため本体が修復されるタイプではないが、触手はいくらでも生えてくる。
その高い生命力が、セレーラさんの錬金に適合した。
かくして、セレーラさんは一命を取り留めた。
……その代償として、触手持つ錬成人となって。
「もう、そんな顔なさらないで」
思い返していた俺に、セレーラさんの微笑みが向けられる。
「命があるだけでもありがたいことですもの。貴方が私を救ってくださったのよ。これだってすぐに制御できるようになりますわ」
「……はい」
強くて優しい人だ。
錬成人として目が覚めてからも、セレーラさんは恨み言一つ口にしていない。
……怒りはするけど。
やはり俺はセレーラさんが好きだ。
今後のことについて今はなし崩しに一緒にいる感じになっているが、はっきりとさせなければならない。
セレーラさんの意思を捻じ曲げてしまう結果になったことも含め、きちんと誠意を見せるべきだろう。
その決意を胸に刻んでいると、ルチアが俺のオデコをさすった。
「お前の方は大丈夫なのか?」
実は、巨人との戦いでニケが死にそうになったとき見えた謎の光が、また見えたのだ。セレーラさんがやられたときに、その光が急速に弱くなってくのが見えた。それも救うための参考になったのだ。
いつの間にか《第三の目》が発動していたから、多分魔眼なのだろう。
「ああ、全く問題ないよ」
そのときはまた頭が痛くなったが、すぐに治まっている。
そのことは話してあるので、みんなも心配のようだ。
「マスター。どんな魔眼なのかわかりませんが、あれはあまり使わないようにしてください」
「そう言われても、使おうとして使ってるわけじゃないからな……セレーラさん、《源血の眼》ってどんな風に見えるようになるんですか?」
《源血の眼》というのは、セレーラさんが錬成人になって得た魔眼のことだ。
名前からはわかりづらいが、魔力を見ることができるらしい。魔力は源であり血のようなものであるということなのだろうか。
「そうですわね……見えるというのとは少し違うかしら。頭の中の違う部分で感じるというか、視覚的には変化がありませんの」
「そうなんですか。じゃあ僕のは違いますね」
もしかしたらと思ったが、俺のはバリバリに見えるもんなあ。人は特にそうだが、そればかりか世界全体まで光って見えるし。
一体なんなのか悩む俺を見て、なぜかセレーラさんが眉をしかめる。
「やっぱり貴方の魔力はとんでもないですわね……」
《源血の眼》を発動させたようだ。
触手まで出てるし……俺を使って一人で訓練とかしないでほしいんだけど。
今度はそのセレーラさんを見て、ニケの表情が険しくなった。
「セレーラ、本当にその魔眼は今まで持っていなかったのですか」
「嘘などつきませんわ。こんな魔眼、聞いたことすらありませんでしたし」
俺もルチアも聞いたことがなかった。
ニケだけは知っていたが。
というか、どうしてセレーラさんにその魔眼がついたのかもわからないのだ。
錬金するとき、魔眼を選んで素材に使う余裕なんてなかった。
可能性としてあるのは、セレーラさんに使った巨人とか高ランクの魔物が偶然持っていたくらいか。俺たちはステータスが上がるかはチェックしたが、魔眼のことなんて調べてなかったから。
「そうですか……すみませんでした」
「その魔眼、なんかあるのか?」
「ええ。ですが私の考え通りだったとしてもどうしようもありませんし、なにが変わるわけでもありません。知る必要はないかと」
よくわからないが、それを知るニケも全く気にするつもりはないのだろう。
「そっか、じゃあいいや」
「いいのかそれで」
どうやらルチアは気になってしまっているようだ。
だが当の本人であるセレーラさんは、俺に賛成した。
「ニケさんが吐き出したいというならともかく、そうでないなら聞かなくても私は構いませんわ。ニケさんのことは信頼しますし。それに大抵の場合、本当に知らなくていいことは、知らない方がいいことですもの」
その通りだと思う。
俺はこちらの世界に来て、今までどれだけ無駄に情報に囲まれていたか痛感した。
この世界では知るべき情報をも知れなかったりもするので不便だし、良いことばかりではないのはもちろんだ。
でもなんというか……楽なのである。
本来世界なんて、その大きさを考えればほぼ全ての部分が自分に無関係だ。
にも関わらず、自分に無関係な世界の情報でも、知れば感情を動かされることは多々ある。そして俺の場合プラスよりマイナスの感情が生まれることの方が多い。
例えば違う世界の誰かが、いい女何人もに囲まれてエロエロな生活を送っているなんて知ったら腹立つじゃないか。
無関係でどうしようもないことに、そうやって不快になったり自分の常識と照らし合わせて非常識だと憤慨するならば、知らない方がよほどいい。
そのぶんのエネルギーで自分の大切な人に料理の一品でも作ってあげた方が、自分も相手も世界も幸せになれる。
もちろん無関係じゃない情報ばかりを知って、それに対して正しくアクションできれば越したことはない。非道に対して声を上げたり。
だが下手にアンテナ立てまくって無駄に情報を仕入れるのは、俺にとってはしんどいだけだと気づいたのだ。
「ふうむ、そういうものか……」
ルチアは半分納得、半分疑問という感じだ。別に正解があるわけでもないし、ルチアなりの考えを見つければいいことだろう。
手を後ろに回し、首を傾げるルチアの頭をポンポンしてあげた。
「まあ本人もいいって言ってるし、今回は年配者二人に素直にしたがオベァ!」
ペチーンと触手ビンタ食らったぁ!
痛くはなかったけど、屈辱感が凄い。一周回って興奮する。
「せめて年長者と言っていただけますかしら」
女王様っぽく髪をファサーってするセレーラさんの言葉に、ニケもウンウン頷いていた。
っていうか、もう相当触手使いこなしてませんかね。
「うう、あんなに伸びるのか……知りたくなかった。ほとんど部屋に逃げ場がないぞ……」
知ることの恐ろしさを知り、ルチアは少し大人になった。




