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5-29




 ダンドンに呼び出されたのは午前だったが、正午にはかたがついていた。

 それからルチアが侯爵のところに事情を説明しに行き、大勢の騎士を連れて戻ってきた。

 この街の冒険者ギルド統括が首謀しての、大規模な恐喝未遂である。侯爵が動いたのも必然と言えるだろう。

 良くも悪くも俺たちは注目を集めているし。


 ハンターとマーセナリーのギルドマスターは(本当かどうか定かではないが)今回の件には反対していたらしく、すんなりと裏が取れた。意識を取り戻したダンドンが素直に認めたこともあり、俺たちは拘束されることはなかった。


 トゥバイとか重症の冒険者はギルドの一室でまだ治療中だが、死んだ者はいないらしい。ニケとルチアの見極めは凄いな。

 四十人以上の実力者ということで拘束しておく場所が問題になったが、修練場をそのまま使うことになった。頑丈な作りだし、おあつらえ向きだ。

 とりあえず冒険者ギルドの王都本部から交渉人員が来るまで、修練場が彼らの檻となる。

 そこからどうなるかは、侯爵も交えた交渉次第だろう。

 上手いことやらなければ。


 そして日暮れ近くになって、ようやくギルドから帰れることになった。

 事態を収拾するために来ていたセレーラさんとクリーグさん、おまけでゼキル君も一緒に。


「それではシグル殿、あとのことは頼みます」

「はい、お任せを」


 冒険者の監視を仕切るのは、ゼキル君のお兄さんであるシグルさんになった。

 貴族の部下なんて、クリーグさんも気を使って大変だろうな。


「じゃあ兄さん、また」

「ああ、またな」

「シグル様、ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします」

「なんのこれしき! セレーラ殿が頭を下げる必要など全くありませんよっ」

「お疲れ様でしたー」

「……お前は少しくらい頭を下げたらどうだ」


 俺たちはただの被害者なのになあ。

 てゆーか俺のときだけ、声にやたらトゲが生えてるし。なんか嫌われるようなことしたっけ? ま、いいか。


 ホテルまで送ってくれるとのことで、セレーラさんたちと一緒に馬車に乗り込む。

 道中しばらく今回の件についての話とか世間話とかに興じていたが、頃合いを見て切り出した。


「あの、セレーラさん。大事なお話があるのですが、いつでもいいのでお時間を頂けないでしょうか」


 以前ほど頻繁には会えなくなっているし、この機会に乗じてお願いしてみた。

 セレーラさんは、少しだけ時間を置いてから頷いた。


「……わかりましたわ。いつがよろしいかしら」

「なるべく早めだと嬉しいですけど、いつでも構わないです」

「今日は無理ですが、そうですわね──」


 予定を頭の中で照らし合わせているセレーラさんを見て、ゼキル君が口を挟んだ。


「セレーラ。今日はもうできることはないし、帰っても構わないよ」

「えっ? ですが」


 ゼキル君の言葉に頷き、クリーグさんまで後押し。


「そうですね、あとはもう閣下に詳しい状況を説明するだけです。姉さんがいなくても構わないかと」

「セレーラは今日は休みだったのに出てきてもらったしね」

「それはそうですけれど……」

「セレーラさんは今日は休みだったんですか」

「ええ、また誰かの起こした騒ぎで休日が潰れてしまいましたわ」

「そんなに何度もセレーラさんに迷惑をかけていたんですか……許せませんね、ダンドンのやつ」


 なんでみんな半目で俺を見てくるの?


「……ではお言葉に甘えさせてもらいますわね。ということでタチャーナさん、今からでよろしいかしら」

「もちろんです」


 ありがとう二人とも。

 もらったチャンス、生かしてみせるぜ。




 俺たちの泊まっているホテルのリビングルーム。

 ソファーに座るセレーラさんと向き合っている。

 二人きりの方がいいだろうと気を使ってくれて、ニケとルチアは寝室で待機している。


「それで、お話というのは」


 セレーラさんは少し落ち着かない様子で縦ロールをイジっていたが、その手を膝に置いた。

 あーなんだろ、凄い緊張してきた。

 でもここはズバッといこうではないか。


「セレーラさん、あのですね……素敵なワンピースですねっ」


 わぁい日和(ひよ)ったあ!


「……ありがとうございます。そんなに褒められるような出来ではありませんけれど」

「もしかして自分で作ったんですか?」

「孤児院を出てから子どもたちのために服を作るようになって、その流れで自分の物も作るようになって…………ふふっ」


 急にセレーラさんが口を押さえて笑いだした。


「どうしました?」

「いえ、ごめんなさい。ただ……貴方も緊張することがありますのね」

「そりゃあしますよ。僕なんてカワイイだけが取り柄の、ごく普通の少年ですよ」

「それは認めませんわ」

「ええ!? カワイくないですか!?」

「そっちじゃありませんわ……」

「じゃあどっちでしょうか……ええと、とにかく僕の人生において重要なお話なので、緊張して当然なんです」

「……はい」


 姿勢と表情を正したセレーラさんを前に、大きく深呼吸。

 そして告げた。


「セレーラさん、僕たちはもうじきこの街を出ます」

「はい」

「僕たちと……僕と一緒に来てください」


 どういう話かはわかっていたのだろう。セレーラさんに驚いた様子はうかがえない。


「それはパーティーメンバーとしてかしら?」

「いえ、僕と生涯を共に歩んでくれませんか」

「あんな素敵な女性が二人もいるのに?」

「はい、実は僕って欲張りだったみたいで」


 ほんと、これじゃあ坊っちゃんのことは言えないな。

 でもこれが俺の偽らざる気持ちなのだ。


 しばらくのあいだ、五階のこの部屋まで聞こえてくる大通りの喧騒だけが、部屋を支配した。

 激しく脈打つ心臓の鼓動を数えていると、やがてセレーラさんが静かに口を開いた。


「貴方と共に歩めばどうなるか……簡単に想像がつきますの。絶対、ことあるごとに貴方に振り回されるに決まっていますわ。それはきっと──」


 その自分を想像してか、セレーラさんが目をゆっくりと閉じる。

 その目が開かれたとき、口元には笑みが浮かんでいた。


「──きっと、たまらなく楽しいのでしょうね」


 前向きに聞こえる言葉。

 だけどその笑みは穏やかで……穏やかすぎて。


「私、いつか行ってみたいところがありますの」

「どこに、ですか」

「樹国イグドシルトですわ。私が産まれたのは多分あのエルフの国だと思うのですけれど、ほとんど記憶にありませんの。ですから一度訪れてみたいですわ」

「そうだったんですね。僕もセレーラさんの産まれた国を見てみたいです。他には行ってみたいところはありますか?」

「そうですわね……やっぱり湖上都ヤルヴィラは外せませんわ。あとは有翼種の人々が住む集落も見てみたいですわ」

「行きましょう。絶対、絶対楽しいですから。だから──」


 どうか僕と一緒に──その言葉を繋ぐことをさせてはもらえなかった。


 ゆるゆると首を振り、セレーラさんが立ち上がる。そして俺から見て左方向にあるベランダへと向かい、戸を開け放った。

 冷たく、澄んだ冬の空気が、頬を撫でる。


「この街が大嫌いでしたのよ、私。冒険者として一旗上げたら、すぐに出ていってやるって……昔はそう思っていましたわ」


 夕暮れの街を眺めるその背中が、とても遠く感じてしまう。


「でも長い時を過ごして、色々なことが……良いことも嫌なこともたくさんあって。気づけばこの街が大切なものになっていましたわ。言うなれば……自分の子供のように思っている? なんて言ったら、おかしいかしら」


 慈しみの籠もった声……俺はこの街に負けたようだ。


「こんな意地っ張りで馬鹿な女を誘ってくださって、本当に嬉しく思いますわ。でも…………行けません。今のこの街を放って、貴方と共に行くことはできませんの」


 ……また、フラレてしまった。


 そう思って項垂れた俺だったが、セレーラさんが振り向いたことに気づいて顔を上げた。

 風に乱れた髪を耳にかけるセレーラさんの笑みは、さっきとは少しニュアンスが違っていた。


「だから、時間を頂けませんか。この街が立ち直る、そのときまで」


 それって──


「そのときには一緒に来てくれるってことですか!」


 尖った耳の先を少し赤らめ、恥ずかしそうに、でも確かに頷いてくれた。


「はい……連れて行ってくださいますかしら」

「もちろんです!」


 断る理由なんてなにもない。

 フラレてここで終わるより、断然いいよ!


「どれくらい先でしょうか。一年とか半年とか……」


 自分で言っててそれは早すぎると思ったが、案の定セレーラさんも呆れ気味だ。


「もう、それは気が早すぎですわ」

「わかりました、妥協して三ヶ月くらい頑張って待ちます」

「なんでどんどん短くなってますの!」

「うう……ではどれくらいでしょう」

「そうですわね……」


 少し考えたセレーラさんは、イタズラっぽく笑う。


「貴方の両手が、私を包み込むことができるくらい成長したら……というのはいかがかしら」

「あっ……」


 初めて会った日にフラレた理由を思い出した。


「……セレーラさんは、包容力のある人が好きなんでしたね」

「ふふ、覚えていてくださったのね」

「当たり前じゃないですか。じゃあ……いっぱい食べて、早く大きくなります」

「はい。そのときを楽しみに待っていますから──」


 ──必ず迎えに来てくださいね。


 茜さす空を背景に、金の髪を輝かせたセレーラさんがそう言ってはにかむ。


 薄暗い部屋の中から見る、開かれたベランダの戸枠はまるで額縁。

 その姿は絵画のように美しくて……俺はただ見惚れてしまっていた。


 だから──










「えっ?」


 ベランダから青い影が飛び込み、セレーラさんが振り向いても──


「へ、へ、へぁっはは、は」

「シンイチ!」

「マスター!」


 犬の呼吸のような小さな笑い声を掻き消し、ルチアとニケが壁を突き破って突入してきても──


「おアぁあァ!」


 俺を守るように立ち塞がった二人の向こうで、狂った雄叫びとともに白刃が走っても──


「あ……」


 吐息のような声を漏らしたセレーラさんの身体が…………上下二つに、分かたれても──




 ──俺は見ていることしか、できなかった。




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