5-26 ニケは俺に見せつけるために二つ飛ばしたが、直すのは俺なのでいい迷惑だった。でもやっぱり興奮した
「リリス殿!?」
「なぜ居る……」
当然の疑問を投げかけると、ソファーに座るリリスはキョトンとしている。
「あれ? 言ったじゃないか、旅に出る前に顔を出すって」
「そういうことじゃねえよ!」
「リリス、一体どうやって入ったのですか」
由々しき事態である。
少なくともドアを消していれば、《研究所》は完全無欠の防衛能力を有していると信じていた。
それがまさか、侵入者を許すなんて。
「そういえば言ってなかったっけ。実はボクのスキル《虹色水晶》が持つ能力の中に、転移能力があったんだ」
「そんな力まであるのですか」
「事前準備が必須だから、本当の転移系スキルほど便利ではないけど」
それでも能力の一つとして転移が使えるなんて、破格の性能だ。
さすが元神様のスキルということか…………って事前準備?
「待て、じゃあここに転移できるように、なにか仕込んであったのか!?」
「旅の前に顔を出すためにね」
「言っとけ……」
「ごめんね、すっかり忘れていたよ。多分、この前は浮かれてたんだと思う」
そう言われると悪い気はしないが……意外とリリスはマイペースなんだよなあ。
ただ以前は人になって、やれることとか刺激とかが一気に増えたばかりだった。そういったものに押し流されて忘れても仕方なかったかもしれない。
抱っこから降ろされた俺が頭を搔いていると、難しい顔をして話を聞いていた安全保障担当ルチアが口を開いた。
「まずは無事なようでよかった。しかしリリス殿、転移スキルなどであれば、ここに直接入ることができるのか? そうであれば大問題なのだが」
「いや、本来であれば勝手に入るなんて不可能なはずだよ。でも今のこの空間には、穴があるからね」
「穴ぁ? なんだそれ? そんなの空いてるのかよ」
「うん。だけどそれは外から探して見つけるのはまず無理だし、中からでも普通は見つけられないかな。それにたとえ見つけられても使えないと思うよ、ボクぐらいしか。だから安心していいよ」
「お前が勝手に入れるのが、一番安心できないんだけど!?」
現在俺が知る中では、リリスこそが最大の脅威と成り得る存在なのだから。
そのリリスは、不服そうに形の良い唇を軽く尖らせた。さほど感情表現が大きくないリリスだが、ニケよりはわかりやすい。
「だからボクはキミたちや他の誰に対しても、敵対するつもりなんてないって」
「今は、だろ? ハァ…………まあいいか。もうどうせなら、定期的に帰ってこいよ」
ニケとルチアも賛同のようで頷いている。
「その方がいいかも知れませんね。都度近況を聞いた方が、変化もわかりやすいですし」
「そうだな。それになにより心配だしな」
軽く戸惑いを見せたリリスだったが、少しして歯を見せた。
「ふふっ、帰る、か……わかったよ。じゃあそうさせてもらおうかな。ボクのステータスなら、かなり遠くにいても飛べるだろうから」
「おう、そんときは卵料理作ってやる」
「それは嬉しいね」
「今日も出発するには遅いし泊まってくだろ? 出立祝いとしてパーッと豪勢にいくかー」
リリスだけでなく、ニケとルチアも嬉しそうに笑っている。これは俺も腕によりをかけて作らなければ。
「じゃあ飯できるまで飲んで待ってていいぞ」
「ではお言葉に甘えて、また良いワインでも開けましょうか」
ニケが無限収納からワインを取り出す。
それを見て小さな拍手をして喜んでいたルチアだが、突如として真顔になった。そして手を突き出して開けるのを止めた。
「ちょっと待った! あまり酔うわけにはいかないし、今開けるのはやめておこう。大事なことをまだ聞いていないからな」
「大事なことって?」
「水晶ダンジョンのことだ……私も危うく忘れるところだったが」
「あー……そういえば」
「そうでしたね……」
無断侵入のショックで、すっかり忘れてた。
「では今日はやめておきましょうか」
そう言ってニケがワインを仕舞おうとしたが、ルチアの突き出された手はまだ引っ込まなかった。
「……食事のときに少し飲むだけなら問題ないのではないだろうか」
ちなみに《研究所》の穴については、リリスに詳しく教えてもらえなかった。
絶対大丈夫だから心配するなとのことだが……ふさがれたら帰ってこれなくなって、卵料理食べられなくなるからではないかと思っている。
もうリリスの変化を待つんじゃなくて、餌付け作戦に切り消えようかな……。
「それでリリス殿、なにか差し支えがあったのか? 水晶ダンジョンを消さなければ、リリス殿が外に出られなかったとか」
「いや、そんなことはないよ。多分たまに戻りさえすれば、なにも問題なく稼働させていられたと思うし」
「ではなぜ……」
「昔からずっと考えていたんだ。キミたちが水晶ダンジョンと呼ぶあの迷宮は……ボクは、存在しているべきなのだろうかって」
夕飯を食べ終わり、リビングで話を聞くことになった。
テーブルに置かれた俺以外のコップには、濃い紅茶と合わせたホットワインがつがれている。食事のときの一杯だけというのも寂しいだろうし、作ってあげてみた。
そして俺は、ニケの膝の上で後ろから抱きしめられている。後頭部を挟むムニムニは、シャツのボタンが二つないせいで直肌である。
「元来ボクは人のために存在していて、あの迷宮も人がその生存圏を広げられるようにと作られたものだ。魔物などの脅威に立ち向かっていけるように。そして確かに、目論見通りになっていた……当初はね」
しかし、そうではなくなったと。
もちろん水晶ダンジョンを原動力としての発展に限界があることは、わかりきっていたはずだ。それでも想定以上の変化が起こっていったのだろう。
「ボクの主たる存在がいなくなり、魔族との争いが一度落ち着いた頃からだろうか。それとももっと後になってからなのか……はっきりとはわからないけど、いつのまにか人の流れが逆になっていた」
「水晶ダンジョンを経て外を開拓していった人々が、ただ水晶ダンジョンを目的として集まるようになっていったということですね」
「うん。ある者は富と名誉を求めて、ある者はただ日々の糧を得るために。あの迷宮はそんな者たちであふれるようになった、あまりに顕著に」
今でも水晶ダンジョンの恩恵が、巡り巡って開拓に繋がるという一面は当然ある。しかし間接的過ぎるか。
度を越して過程が目的になってしまった、という感じだろうか。水晶ダンジョンを作った側としてはやるせないだろう。
確かにこの星はいまだに、人類未踏の地であふれ返ってるからな。もっと外の世界を探検して切り拓こうよ、ってことだな。
ホットワインをふーふーしているルチアは、後ろめたそうに眉尻を下げている。
「私たちとしても耳が痛い話だな……」
「いやでもなあ、仕方ない気もするぞ。だって水晶ダンジョンって──」
「お膳立てしすぎている、便利すぎる、かい?」
……そう言ってクスリと笑うリリスは、水晶さんのとき念話持ってたよね。やっぱり念話って、人の心を自在に読めるんじゃないだろうか。
よーしいいだろう、人の心を勝手に盗み見るというなら俺にも考えがある。お前にイヤらしいことをする妄想を、全力で繰り広げてやるよ! 唸れ俺のリビドー! 脳細胞をサーモンピンクに染め上げるのだ!
「キミはきっとそう言うだろうと思っただけなんだけど……なんだか凄く目が気持ち悪いよ?」
「主殿、馬鹿な妄想はやめて今は話を聞こうか」
「ええ、妄想するくらいなら全て私にぶつければいいのです」
……やはり脅威度としてはルチアやニケの方が上のようだ。しかしリリスも今後、恐ろしいテレパスになっていく可能性は十分にある。その動向を注視していくべきだろう。
「えっと、話を戻すけど、結局はただボクが人というものをわかっていなかったというか……理想を求めすぎていただけなんだろうね。人々が、種としての発展に力を尽くしてくれるって思い込んでいたんだ」
それは昔のリリスが、神という超常的な存在として導いていたころは上手くいっていたのだろう。
しかし、いなくなってしまえば志を失ってしまうのも無理からんことだ。
「まあそのこと自体は、仕方がないことだと今はボクも思っているからいいんだ。特に個々人が幸福を追い求めることは仕方がないって。でもね……それでいて人同士の戦にはあの迷宮を使うというのはね、やっぱり飲み込めないところが大きい」
戦に使う、か……いまいちピンと来なかったが、続く二人の言葉で理解することができた。
「……私は参加したことがないが、戦争前に水晶ダンジョンで物資補給というのは、五晶国の常套手段だな」
「それどころか、水晶ダンジョンを奪取目標として戦を起こすことすら……私は幾度か参加しています」
軍人であったルチアだけでなく、数多の戦を体験してきたニケの言葉にも苦みが含まれていた。
「別にボクはね、争うこと自体を根本から否定しようという気はないよ。でもあの迷宮は、安易に同族からなにかを奪うためにではなく、自らの手で新しいものを築き上げるために使って欲しかったんだ」
もはや未開の地を切り拓くどころか、人を切り捨てるために使う方が目についてしまうのだろう。
中性的な声で少し寂しげな余韻を残したリリスは、ホットワインで喉を潤した。
「そういう思いが積もっていって、もうやめる気になったのか」
「いや、それらだけならやめるなんて思い切ることはなかったよ。先送りにして、ズルズルと最後まで続けていたと思う。キミがいなかったらね」
リリスのアメジストの瞳は、まっすぐ俺を捉えている。
俺たちではなく、俺単体を名指し。つまりきっかけは水晶ダンジョンを攻略したことではないのだ。
だとすると──
「錬成人にしたことか」
でもさっき外に出るのに差し支えなかったって言ってたし、どういうことだろう。
そう考えていたら、ニケがサラッと口にしてしまった。
「つまりマスターのせいで水晶ダンジョンは消えたのですね」
「そういうこと言っちゃいけないんじゃないかな!? ていうかそれを言うなら俺はやめようとしたのに錬成人にするように言ってきた、ニケとルチアのせいだと思います!」
「やはり私たちのせいなのか……」
「違うんだルチアちゃん、今のは単なる言葉のあやだから落ち込まないでぇん」
ギャアギャア言い合っていると、リリスが首を振って見せた。
「違うよ。確かに決断したのは人にしてもらうときだけど、それは本当に最後のひと押し。人にならなくても、遅かれ早かれボクはやめていたよ」
「んん? 人にしたことじゃないなら一体なんだ? まるで心当たりがないんだが」
「えっとね…………ねえ、キミにはあの迷宮の七十階層台にあった街は、今と比べてどう見えたかな? 違う世界から来たキミには」
七十階層台の街って、あの亡者だらけのとこだよな。
質問に質問で返されてしまったが、答えてあげることによう。
「あれってずっと昔の街の再現みたいな感じか?」
「うん、規模はずっと大きくしているけどね」
「なるほど、ダンジョンなのにあんまり狭かったらまずいもんな。しかし、どう見えたと言われても……今とあんま変わんねえなとしか」
「そうですか? 私にはかなり違うように見えましたが」
ルチアもニケに賛同のようで、不思議そうな顔を俺に向けている。
そりゃあ今の建物の方が全体的に高いし、彫刻などの細工も多いし精巧な造りだろう。建築技術が進歩しているのは確かだ。
でもそれはただ素直に二、三歩進んだというだけの印象でしかない。革新的な素材が登場したわけでもなく、劇的に変わっているなどとは言えない。
なにより、人の暮らし自体がそれほど変わっていないことが簡単に想像できるのだ。
今は明かりは魔道具のものがだいぶ普及したが、まだ一般家庭では料理は薪を燃やして作っている。水は水晶ダンジョンの街にもあったようなつるべ井戸で汲んでるし、ほぼ全ての街には下水道もない。当時と生活は似たようなもんだろう。
「うーん……あの街は何千年も前のものだろ? 俺には大して進歩してないとしか思えないな」
もちろん地球人のこの百年と比べるのは間違いだし、現状から先へ進むのが難しいというのもわかる。
でも文明って進歩すればするほど進歩が早まるような気がする。それを考えると、遥かな昔にかなり形になっときながら、今この程度というのはどうかという気がするのだ。
「やっぱりキミはそう思うんだね……ボクもなんとなく、この世界の人々は停滞しているように感じていたんだ。そしてその原因の一つを、キミが教えてくれた」
「俺が教えた? なんの話だ?」
俺の問いに、リリスはどこか吹っ切れたような笑みを浮かべている。
「あの迷宮だよ。お膳立てが過ぎたあの迷宮は、人を甘やかして歩みを鈍らせる『足かせ』、だろう?」
……それどっかで聞きましたね。
「それは……米騒動のときに、主殿が侯爵にそのような内容のことを言っていたな」
「リリスはあれを聞いていたのですか」
「うん、キミたちのことは注目していたから」
そういえばリリスは、水晶さんだったときに言ってたな。自分にできるのはここから人の暮らしを盗み見るくらい、って。
なんのことはない。さっきも俺の心を盗み見たのではなく、前に俺の話を盗み聞きしていただけだったのだ。なんというプライバシーの侵害。
「きっとキミの言った通りなんだ。人の背中を押すために多くのものを与えていたあの迷宮は、今はもう甘やかして足を引っ張るものになってしまっていたんだろうね」
深く潜ろうとしなければ、水晶ダンジョンは外界よりよっぽど稼ぎやすかったからな……。
ペットが可愛いからといって、飯を与え過ぎれば太って不健康にもなるということだろう。
でも経験や知識がなければ、適正な量を与えるというのは難しいことだと思う。本当に甘やかすことになってたとしても、簡単にリリスを責めることはできない。
それにしてもなんというか、昔のリリスは神と崇められていても、凄く不完全だったように思える。ただ使命のままにやたらと人類の進路に介入してたみたいだし。
果たしてどういう存在だったのか……今は憂い顔すら絵になる美人さんだし、どうでもいいか。
「そしてその甘やかしが人々の目を外に向けさせず、国の格差を生み、人同士の争いを助長して……人のあの迷宮の使い方だけが悪かったわけじゃない。どのみち消えてしまうものではあったけど、そう気づいてしまった以上もう続けられなかったんだ」
目を閉じたリリスは、持っていたコップを傾けた。
長きに渡り続けてきたことをやめるというのは勇気がいるし、寂しくもあるだろう。
でも幾度かに分けてホットワインを飲み干したリリスの瞳は下ではなく、しっかりと前を向いていた。
「もちろんあの迷宮が悪いことばかりではなかったのはわかってる。それに消してしまったことで苦しむ人が多くいるだろうし、混乱もするだろう。でもその先にはより良い世界が待っているんじゃないかって……そうであって欲しいなって思うよ」
あくる朝、リリスは旅立った。
定期的に帰ってくることになってるというのもあるが、よほど旅が楽しみだったのだろう。
門の外まで見送りに行った俺たちに別れを告げると、足取り軽く、振り返ることもなく去っていった。
小さくなっていく後ろ姿をぼんやり眺めていると、俺を抱えるニケがなにか言いたそうに呼んだ。
「マスター」
「言うな」
「水晶ダンジョンが消えたのは主殿のせいだったか」
「言うなってばぁ! しかもお前が!」
まさか自分のせいだと思ってしょげていたルチアに言われるとは。
「認めん……認めんぞ。あんな大袈裟に言ったのを盗み聞きされて参考にされて消しちゃうなんて思うはずないじゃん! 俺のせいだなんて、絶対に認めん!」
「はいはい、わかりましたよ」
「ははっ、すまない。ただの冗談だからそんなに荒れるな」
本当に冗談だったようで、二人して笑っている。まったく、ひどい奴らだ。
そもそも水晶ダンジョンなんてリリスが作って置いてただけの物だし、どうしようと彼女の勝手だったのだ。
そして今回リリスが人々のためを思って消したのであり、むしろ俺はそうさせたということで褒められるべきだと思うのだ。
……そう思うのだが。
「でもまああれだ…………あくまでも俺のせいではないが…………ちょっとだけじゃなくて、それなりに侯爵に協力してあげてもいいかなと思わなくもないけど、どう?」
笑ったままの二人は顔を見合わせたあと、揃って頷いた。




