5-25 わんぱくでもいい、大きく育って欲しいと思った
水晶ダンジョンが跡地に大穴だけを残して消えてから、五日が経過した。
フェルティス侯爵は住人の動揺を鎮めるために奔走しつつ水晶ダンジョンの経過を見ていたようだが、遂に俺たちを召喚した。
「事実無根です。水晶ダンジョンがなくなったのは僕たちのせいではありません」
「まだなにも言っておらぬ……」
面会した侯爵の顔色はすこぶる悪い。
この街の核であり、この国を大国たらしめている一因である水晶ダンジョンが突然消えたのだから当然だろう。
「一体どういうことなのだ。水晶ダンジョンがなくなるのはずっと先ではなかったのか」
「一体どういうことなのでしょうね。確かにそう聞いたのですが」
「まるで他人事だな……」
やっぱり侯爵は俺たちのせいだと思っているようで、恨みがましい視線を隠そうともしない。
もし俺たちが原因であるなら、心当たりとしてはリリスを錬成人にしたことくらいだ。しかしそこに不都合があったのなら、人にした時点で問題が生じていたはずだ。よって俺たちのせいではないのである。ないのである。
ちなみに講演の場では水晶ダンジョンがなくなる理由はウヤムヤにしたが、そのあと侯爵などにはちゃんと話した。神本体がもういないということに、それぞれ少なからずショックを受けていた。
熱心に神を崇めているわけではない侯爵たちでそれなので、そのことは広めるべきではないと決定している。
「兄さんを同席させなかったのは正解でしたね」
そう言って力無く笑ったのは、ギルド側からただ一人参加のゼキル君である。セレーラさんは現場指揮で忙しいのだ。
一応侯爵はダンドン統括とも連絡は取っているようだが、そっち側の関係者はこの場にいない。よほど反りが合わないのだろう。
ゼキル君のお兄さんのシグルさんとは一度会った。
直情的な感じの人で、なぜか俺たち……というか俺はちょっと敵視されているようだった。今回いたら突っかかってこられただろうから助かる。
「分かたれし神は、意図して水晶ダンジョンを消したのでしょうか」
クリーグさんは俺たちを責める気はないようだが、そんなことを聞かれても困ってしまう。
「僕に神のお考えはわかりませんが……状況から考えればその可能性が高そうですね」
異変の最初は消えた前日の夜半。
突如としてダンジョンに潜ることができなくなったそうだ。それを皮切りに、下の階層に潜っていた者たちから順次強制的にダンジョン外に吐き出されていった。
そして早朝、全ての冒険者を吐き出した水晶の塔は、光の粒となって消えた。朝露のようにはかなく。
消えるまでに段階を踏んでいることから、突発的なアクシデントなどによるものではないと推測できる。
なのでリリスになにかが起こったわけではないとは思うのだが……《新世界への扉》でリリスがいた空間に転移を試みても、飛ぶことができない。いくら元々神様的存在だったとはいえ、今は人なわけだし少し心配だ。
「本当になにも知らぬのだな? 実は神を打ち倒したなどということはないのだな?」
「ははは、まさか。神に剣を向けるような恐れ多いことをするはずがないじゃないですか」
「……本当か?」
なぜか俺を飛び越えて、侯爵はニケとルチアに確認を取る。
なぜか俺の後頭部にじっとりとした視線を突き刺していた二人だったが、ルチアが代表して答えた。
「はい、倒すようなことは誓ってしていません」
「そうか……わかった」
よほど弱っているようで、これまで常に芯が通っていた侯爵の背筋から力が抜けて曲がる。そして体を背もたれに預けた。
このままシナシナに萎れてポックリ逝ったりしないだろうな。
「もう水晶ダンジョンが元に戻るとは、考えない方がいいのかな?」
だからねゼキル君、俺に聞かれても困るんだよ。まあリリスに会ったことあるのは俺たちだけだから仕方ないけど。
「そうですね。今回のことはきっと深いお考えがあってのことでしょう。神がいたずらに水晶ダンジョンを消したり戻したりといったことをするとは僕には思えません」
「みんな困ってしまうね……」
「それ以上に喜ぶ人も多いかもしれませんが」
「我が国は帝国などとは比べ物にならんほど、各国と手を携えてやってはいるがな……」
侯爵の言葉にキレがないのはわかっているからだ。それでも周りの国は王国の顔色を伺ってきたはずだということを。
大きな力の源である水晶ダンジョン。
消えたのはここだけではなく、五晶国が抱える全ての水晶ダンジョンではないかと思われる。
このことが伝われば、五晶国に大きな顔をされてきた周辺国はさぞ喜ぶだろう。勢いづいてしまえば、喜ぶだけでは済まない可能性もある。
対して水晶ダンジョンを失ってしまった五晶国は、その補填をどこに求めるのか。
なんというか──
「荒れそうですねー」
「本当にそなたは他人事だな!?」
半ばキレ気味に声を張った侯爵は、大きく息を吐いた。ちょっと元気が出たようだ。
「とにかく、今は各国の動向を推測なぞしている場合ではない。リースは位置的に重要な流通拠点ゆえ早々と寂れることはないであろうが、このままでは衰退は免れぬ。なにより今この街に住む者のためにも、速やかに手を打たねばならぬ」
確かに街はこれから一気に失業者であふれかえる。いずれ各々で道を見つけるとしても、それまで大混乱するのは間違いない。
だが行政側が迅速に今後の指針だけでも示せれば、混乱の度合いも変わるだろう。
「そこで、だ」
なんとか己を奮い立たせて背筋を伸ばした侯爵は、咳払いを一つついた。
「まずはもう少し農業に力を入れてみようと思うのだ。今までは商人の行き来が盛んであったゆえに問題にならなかったが、リース周辺は食物の自給率が低過ぎるからな」
「なるほど。ひとまず開墾で職を捻出して、ゆくゆくは多種多様な作物を生産して目指せ食の都というわけですね」
「食の都……か、良い響きではないか。そこまでは考えていなかったが……いや、本当に良いかもしれんな。余力が十分にある今のうちに、より大々的に挑戦してみるべきか……」
顎ひげを撫でつつ、侯爵は真剣に考え込んでしまった。
まさか真に受けるとは思わなかったが、侯爵もどこかに希望や展望を見出したいのだろう。
しかし、それには騎士団長のヴォードフさんが首を振る。凄く残念そうなところを見るに、なんとなくこの人はルチアと同類な気がする。
「戦力、足りない」
「そうであったな……街の拡張を取りやめ兵を開墾に回すとしても、冒険者には相当数逃げられるであろうからな。やはり一歩づつ進んでいくしかないということか」
ダイバーはもちろんだが、マーセナリーもだいぶ減ってしまうだろう。護衛などの仕事も少なくなってしまうのだから。
再び憂鬱に支配されそうな己を振り切るように、侯爵は軽く頭を振ってにこやかな笑みを浮かべた。かなり無理してる感はあるが。
「それでだな、最初の一歩として、そなたが言っていたことを試してみるつもりでおるのだ。無論、他にも手をつけるつもりではあるが」
「僕が言っていたことというと……米ですか?」
「うむ。どうだ、嬉しかろう」
「え? あー……そうですね」
そう返事したら侯爵はなんだかフリーズしてしまったので、そのあいだに紅茶をズズズ。
執事紅茶の美味しさを味わっていると再起動した。
「おい…………なんだその反応は! あれほど望んでいた米作りだぞ!?」
「いやぁそれが、僕たちの問題はもう解決してしまったので」
もう日本に帰れるので、金さえ工面できれば米は好きなだけ買えるのである。
「なので無理して米作りに挑戦しなくても構いませんよ。やるなら止めませんけど。まあ失敗して傷口がさらに広がらないことを神に祈ってますね。あ、神本体はもういないので意味ないですかね。あはははは」
朗らかに笑ったら、侯爵が突然勢いよく立ち上がる。そこをクリーグさんが羽交い締めにした。
「離せクリーグ!」
「閣下、落ち着いてください」
「離すのだ! 一度でいい、一度でいいから殴らせろ!」
視線からすると、突然乱心した侯爵が殴りたいのはどうやら俺らしい。和ませようと思って冗談言っただけなのに……。
「この状況であんな冗談で和むはずないだろう、主殿……」
「マスターは一度しっかり殴られたほうがいいかもしれませんね」
「ちゃんと俺を守ろう? というか俺を殴っても侯爵様が怪我するだけだと思うけど」
「それでもいい! とにかく殴らせろぉ!」
結局しばらくジタバタしたあと、侯爵は今日はもう寝ると言い放って寝室に行ってしまったのでお開きとなった。
執事さんによると、どうやらここのところ侯爵はほとんど眠れていなかったようだ。ふて寝でも眠ってくれるならありがたいと、なんだか感謝されてしまった。
そして侯爵邸からの帰り道──
「──だからお前らのせいで商売上がったりだ! 結婚したばっかなのに……どうしてくれるんだよ!」
「知るか! 俺らのせいじゃねえって言ってんだろーが! まだ言いがかりつけてくんならミンチにすんぞ! ニケが!」
「しませんよ……ですがこれ以上しつこくするようであれば痛い目は見ますよ。もう去りなさい」
ニケの眼光に気圧された男は、「くそっ、狂子が」と悪態をついて立ち去った。
「ていうかほらぁ! 俺の二つ名、悪口になってんじゃん! 誰だよこんなのつけたの……しかし今回のはしつこかったな。まったく、どいつもこいつも。まあ誰かのせいにしたい気持ちはわかるが」
このところの街の雰囲気はさすがによくない。俺たちへの風当たりも強い。
俺たちを見て眉をひそめたり後ろ指を指したりする人も多いし、少数だが今みたいに直接文句を言ってくるヤツもいる。
中には理解を示してくれたり、気にするなと声をかけてくれる人もいるのだが。
「気持ちがわかるのであれば売り言葉に買い言葉を返すのではなく、もう少し大人の対応をしたらどうですか」
「知らんもーん」
水晶ダンジョンが消えたタイミングを考えれば、確かに俺たちの攻略はリリスが消すことを決断した契機にはなったのかもしれない。
しかしそれを、俺たちのせいだと悪者のように言われても困る。そしてたとえ誰になにを言われようと、俺たちのせいだと認める気はない。俺だけは認めてはならない。
水晶ダンジョンの攻略は、二人が俺のために成し遂げてくれたことなのだから。
右後方を歩くニケは、呆れたように軽くため息をついた。
ただ、それは俺だけに向けられたものではないようだ。
「もう……ルクレツィア、貴女もしゃきっとなさい。そんなことだからマスターが頑なになっているのですよ」
「う、すまない。そこまで気にしているつもりはないのだが……やはり少しはな」
「ルチアのせいじゃないから、謝んなくていいってば」
コートの前を開けて俺を抱っこするルチアは、人々への負い目で肩がすぼまっているのだろう。俺の後頭部がいつもより強めにムニムニに挟まれている。ルチアは真面目だしなあ。
これはこれで幸せなのだが、ルチアの気持ちを思えばそうも言ってはいられない。なにか声をかけてやりたいが、なんと言ってやったらいいか……まずは励ますためにもちょっと聞いてみようか。
「でもルチア、もし水晶ダンジョンが消えることを最初から知ってたらどうしてた? 攻略するために進んだか?」
「っ……それは……」
俺一人を取るのか、大多数の人を取るのか。
考えたことがなかったのか考えないようにしていたのか、ルチアはギクリと言葉を詰まらせて歩みを止めてしまった。
「なかなか酷なことを聞きますね。私は当然、迷わず進みましたが」
ニケの真っ直ぐに慕ってくれる言葉は、いつでも俺を幸せにする。
でも、
「酷? そうか?」
俺は別に意地悪でルチアに聞いてるわけじゃない。俺のために進んだ、という答えが欲しくて聞いてるわけでもない。
人と人の関わり合いにおいて、相手に大切に思われればこそこちらも大切に思うという面はあるだろう。でもそれが全てではない。
俺が二人のことを好きなのは、二人の美点によるものだ。その上さらに、今まで関係を積み上げてきたのだ。
ルチアの答えがどうであれ、俺のルチアへの想いも信頼も揺らぐことはない。
俺は単に、ルチアが自分自身の正直な思いと向き合ってみたらどうかと考えただけだ。正直な思いを俺も知りたいと考えただけだ。
それをわかってくれたのか、ルチアの足はホテルに向けてまた動き出した。
そして少しして、意外とあっさり答えを出した。
「進んだ……だろうな。ニケ殿ほど言い切れはしないが」
「ほんとか? 俺のことは気にしなくていいんだぞ」
「いや、本当にそう思うのだ」
そこでふふっと軽く笑った息が、俺の頭頂部に吹きかけられた。
「昔の私が聞いても信じないだろうな。できれば、いつでも多数の幸福のために行動したいものだと考えていたからな。軍人としては甘かったのかもしれないが」
帝国は覇道路線だし、意に沿わない命令を受けたこともあっただろう。きっとそれらを忠誠心で無理に飲み込んできたのだ。
「その考えが間違っていたとは思わない。だが、なににも執着することができず、頭の中だけで考えた正しさしか知らなかった私はきっと……どこか空虚だったのだろうな」
帝国でのルチアを取り巻く環境は複雑で難しいものだったから、それも仕方のないことだと思う。それでも自分を律することができていたことが凄いのだ。
当時のことを思い返しているのか、少し間が空いた。そしてふと気づいたように呟いた。
「ああそうか、あの人ももしかしたら……」
「どうした?」
「ああいや、知り合いになぜか少し共感を抱く人がいてな、その人もそうだったのだろうかと思っただけだ。それはともかく、今はなにより貴方のために行動したいと思える自分を誇りに……というのは少し違うか。そうだな……そんな自分が昔より好きになった、といった感じか」
俺からは見えないが、ルチアのはにかんだ笑顔が用意に想像できた。
「ならば胸を張ってもいいのではありませんか。望んでこのようなことになったわけではないのですし」
「そうそう。二人が攻略してくれたお陰で、俺は曇り一つないほどハッピーだしな」
「お前は少しは気にしろ、ふふっ」
「えー。まあ……気にはしないが、ちょっとくらい侯爵に協力する気はあるさ」
別に俺は、敵でもない無関係な人が困ってるのを眺めて楽しむような趣味は持ってない。
それにリースには顔なじみになった商店の人たちもいるし、できればその人たちを困らせたくはない。食料品関係の店ばかりだが。
他の国のことにまで気にかけるつもりはないが、この街に少しくらいなにかしてやりたいと思ってはいるのだ。
「そうか。ならば私も胸を張って進まなければな」
吹っ切れたようで、俺の後頭部の挟み込みが弱まってしまう。残念だが一度切り替わればルチアはもう大丈夫だ。
しかし、それは名残惜しむ間もなく起こった。
プチン──後頭部の後ろから、微かな音が。
そしてさっきまでよりも強く挟み込まれた。
「……飛んだ?」
「うん……」
恥ずかしそうに返事をしたルチアは成長中なのである。反抗期のワガママ娘は、シャツのボタン程度の拘束などものともしないのだ。
「くっ、またそんな卑怯なやり方でマスターの気を引いて」
「ニケ殿が胸を張れと……」
「いいでしょう、見てくださいマスター。私でもそれくらいのことは…………帰ってからにしましょう」
人前で胸をさらけ出すほど分別がないわけじゃなくてよかったです。
結局ルチアは俺を強く抱きしめ、そそくさと早歩きでホテルに帰った。
早めではあるが、今日はもう夕飯を食べてしまおう。そして昨日と比べてどれくらい二人が成長したか調べるためにじっくり身体測定をしよう。
そう心に決め、《研究所》に入ると──
「おかえり」
──ショートヘアの銀髪美人が、リビングでくつろいでいた。




