5-24 なにもなかったからなにもないことなかった
ダイバーズギルド前に組まれた特設会場。
アダマンキャスラー戦のパレードと同様のものだが、人出はあの時よりも更に多い。
俺たちは壇上で自前のソファーベッドに座り、人々の視線を一身に浴びている。椅子にかけるフェルティス侯爵と、八の字で向き合う形で。
「百階層の相手は、滅びたとされる巨人族であったのか! 見たこともない伝説の種族と相対するなど、さぞや恐ろしかったであろう。盾役として前に立つルクレツィアは特にそうだったのではないか?」
「確かに恐れを感じはしましたが、それ以上に闘志を掻き立てられました。それに相手がなんであれ、必ず攻略すると己に誓っていましたから」
「なんと天晴な心意気よ。その強い思いが勝利を引き寄せたのであろうな」
セレーラさんの風魔術で響く俺たちの言葉に、聴衆から感嘆の声が漏れる。しかしそれもすぐに静まる。
当初は押し合いへし合い喧嘩になっては衛兵に連行される者多数だったが、今はこれほど人が集っているとは信じられないくらい騒ぎが少ない。こちらでは恐らく全員見たことのない、対談形式の講演というのも静聴の要因だろう。
俺としては、個別でダンジョンのこととか聞いてこられても面倒だったのでこの形を提案しただけなのだが。さすがに今回は、パレードなりなんなりは避けられそうになかったし。
それと、リグリス教に嫌がらせもしなければならないし。
「──そうして死闘を制した僕たちの前に、神が降臨なされたのです」
「なんと! 神に、リグリス神にお目通りが叶ったのか!」
「はい。そして僕たちの望みを叶えるために助力していただきました。その内容は秘密ですが」
「ははは、それを尋ねるような無恥なことはせぬよ。しかし神の存在を疑ったことはないが、まさか伝承が本当であったとは……リグリス神はどのような御方であられるのであろうか?」
「慈愛に満ちあふれた御方です。その御姿はまさに天上の美。僕の知る語彙では、とても言い表せません」
あのねあのね姉妹で親子のニケちゃんも同じくらい美しいからどうかお尻つねらないでください。あ、それと当然ルチアもセレーラさんもまた違った美しさを持っているので比べられはしないのである。うむうむ。
「ただ……侯爵様、一ついいでしょうか。神をリグリスと呼ぶのはお控えになった方がよろしいかと」
「なぜであろうか?」
「実は……神からお聞きしたのですが、神は己をリグリスなどと名乗ったことはないそうなのです」
聴衆が大きくどよめく。
ここマリアルシア王国とリグリス教の総本山であるリグリス聖国は、広大なグリーグヒルト帝国に隔てられている。それでもこの国にも多くはないがリグリス教の教会はあるし、影響がないわけではない。
信者でなくとも、神の御名はリグリスだと自然に思ってしまうくらいには浸透してしまっているのだ。
「そうなのか!? ではリグリスとは」
「どなたかが勝手に名付けてしまったのでしょうね」
「なんと不敬な……」
「全くです」
俺を膝に乗せるニケが「よくもまあ抜け抜けと」と呟いている。でも俺はお前たちに無理矢理リリスの名前を付けさせられただけの被害者なのである。
「そういえば」
侯爵がさも大変なことに気づいたとばかりに、大げさな動きで自分の膝を叩いた。
「そういえば魔族も神を信奉していたそうだな。人のあいだでは邪神などと呼ばれているが」
「ええ、そういう存在がいたということは神も仰っていましたが…………まさか、リグリスというのは邪神の名ということですか!?」
「まさか……いや、まさかな。もし、もし仮にそうであったら、リグリス教が邪教徒の集まりということになってしまう。無論知らずに信仰している信徒に罪はないが。とはいえさすがにそのようなことは、なあ? はっはっはっ」
冗談めかして笑う侯爵だが、聴衆のどよめきはなかなか静まらない。
もちろん侯爵には事前に大体全部話してある。水晶さんをリリスにしたこと以外は。
今回壇上で話す内容も全て打ち合わせ済みだ。侯爵としても、リグリス教が台頭してきている状況を快く思っていないのだ。
いつの世でも、政治と宗教の距離感は難しいもののようだ。特にリグリス教なんて、完全に他国が主導しているものだしなあ。
これほど注目されている中、ただ「神に会ってお世話になりました」とだけ話をしてしまえば、信者が増えることになったに違いない。だがこれで上手いこと悪い噂が出回れば、むしろ力を削げるのではないだろうか。別に嘘は言ってないし。
どよめきが聴衆の末端まで行き渡るのを待ち、侯爵が口を開く。
嫌がらせも終わったし、そろそろシメだ。
「ともかく、神の存在を知れたというのは実に喜ぶべきことだ。それだけでもそなたらの成し遂げた快挙は並ぶものがない。見事である」
「光栄に思います」
「本当はもっと話を聞きたいところだが……切りがなくなってしまうな」
立ち上がった侯爵は、歩み出て両手を広げた。
「物足りない気持ちは皆も同じだろうが、我慢してくれ。全てを聞いては、彼らの後に続く者たちの楽しみがなくなってしまう……そのような者が生きているあいだに現れればよいのだが」
セルフツッコミで軽い笑いを誘い、静まってから更に続ける。
「このような催しは初めてであったが、どうだ? 大いに楽しめたのではないか? 私も楽しめたし、彼らの話を皆に直接届けることができた有意義なものであったと思う。なにより、これで皆も深く実感できただろう。神は我らをいつも見守っていてくださるのだと。そのことに感謝し、そして水晶の輝きが永久にあらんことを願おうではないか!」
まとめに入っている侯爵の言葉に、聴衆がわっと沸き上がる。
さすがに役者だ。
でもまあ──。
「そう遠くないうちに水晶ダンジョンなくなりますけどねー」
つい呟いたら、優秀すぎるセレーラさんの風魔法がしっかり働いてしまった。響いた俺の声に、一瞬で水を打ったように静まり返る。
ギギギと振り返った侯爵の目ン玉は、後ろから叩けば簡単にポンと飛び出そう。全部話したから知ってるはずなのに演技派だなあ。
「今…………なんと?」
人々の前で漏らしたのはまずかったと思ったが、また聞いてくるくらいだから別にいいか。打ち合わせにはない展開だが、きっとなにか考えがあるのだろう。
「いずれ水晶ダンジョンはなくなると」
「な……………………なん……なん、なんだそれは!? どういうことだそれは!?」
ははっ、凄いな。真に迫る演技だ。
どこからどう見ても、本当に知らなかったようにしか見えない。
「聞いておらん! 本当に聞いておらんぞぉ!?」
上手上手、あはははは。
重大なことを話し漏らすなと、終わってからしこたま怒られた講演から三日経った朝のことだった。
《研究所》内で朝食の支度をしていると、ホテルの部屋のドアが乱暴に叩かれていることに気づいた。
ホテルには泊まっているが、たまに気分転換に二時間ほど御休憩する以外ほとんど部屋は使っていない。高い部屋なのでもったいない気はするが、俺たちは稼いでいるし少しは還元するべきだろう。
それに訪問客をちゃんと追い払ってくれるのが、なによりもありがたいのだ。
今は更に、一階に侯爵の兵も常駐している。
「変に他の貴族などと関わって揉めてもらっては困る」とのことで、俺たちへの面会には侯爵という壁が立ちふさがっているのである。なんか揉めるのが前提になっている気がするんだがどういうことかな。
それでそんな中を正面から突破してきたのはどこのどいつかと思えば、
「タチャーナさん! タチャーナさん、いらっしゃいますか!」
愛しのセレーラさんではないか。
普通の相手だったら蹴り飛ばしてお帰り願うところだが、セレーラさんであれば願ってもない。
ご褒美のちゅーをもらって以来、セレーラさんとまともに話しができていないし。なぜか顔を真っ赤にして逃げてしまうのだ。
「おはようございます、セレーラさん。こんな朝早くにいったい──」
しかし招き入れた今日のセレーラさんは、ここ数日とはまるで逆だった。俺の挨拶を遮り、青い顔をして詰め寄ってくる。
「どういうことですの! なぜこんなことになりましたの!」
どうやらここまで走ってきたようで、呼吸も荒い。
なにかとてつもないことが起きたようだが……俺たちにはとんと心当たりがない。帰ってきてからは疲れを癒やすために、ニケとルチアとゆっくりイチャイチャしてベタベタして盛り上がって疲れ果てていただけだ。
「どうしたのだセレーラ殿、そんな剣幕で」
首を傾げる俺たちのあいだを、セレーラさんの鋭い眼光が行き来する。そうしてから大きく嘆息した。
そこには呆れではなく、安堵の成分を強く感じられた。
「知らなかったのですわね、皆さんも……」
わずかに空気をやわらげたセレーラさんはそう言って、窓際へと歩を進める。
「ごめんなさい、朝早くから不躾に。ですが非常事態ですの。こちらにいらして」
ベランダの戸が開けられ、快晴の空が目に飛び込む。
「僕の心のように澄み渡ったいい天気ですねー」
「本当に笑えないたわごとを言っている場合ではありませんわ。あちらを」
たわごとってひどくないですかね……せめてその『本当に』は、たわごとが本当に笑えないという意味ではなく、本当に状況が差し迫っているという意味だと信じたい。
そう祈りながら、セレーラさんが指で示した方向を見る。ホテルに面した大通りの先、街の中心方向だ。
下では多くの住民も、そっちの空を見てなにか騒いでいる。
空飛ぶ魔物でも襲来して、街が滅茶苦茶になったりしているのかと思いきや……。
「……なにもなくないですか」
特別おかしなものは発見できなかった。
このホテルは五階建てで、周囲にはこの高さの建物はほとんどないので遠くまで見渡せるのだが。
目立つのは三階建てでありながら、特に一階とか天井を高くしてある背の高いダイバーズギルドくらいだ。
「マスター……ありませんね」
「だよな」
妙に声が硬いが、俺を抱えるニケも賛同した。
「ち、違う、主殿…………ないんだ」
「うん? だからないよね?」
ルチアが震える声で否定するのがよくわからない。俺もないと言っているのに。
本当になにもないのだ。
街に異常はない。
雲一つない青空は、遮るもの一つなくどこまでも続いて──?
「あ………………ないな」
なかった。
昨日まで天を衝いていた、輝ける水晶の塔が。




