5-18 しちゃった
二人にさすさすされて、ようやく呼吸が落ち着いた。
床に座る俺の前で正座するルチアは気まずそうにしていたが、咳を一つついて再開した。
「その……つい舞い上がった。すまない。主殿の想いをむげにしていたことも。だが別に、大切にされていることがわかっていないわけではないんだ」
だったらなんでだ。
そんな気持ちで口を尖らせていると、それを見てルチアが苦笑する。
「ふふっ、そんな顔をしないでくれ。私の気持ちもわかってほしい。私は主殿に会ってから、ずっともらってばかりだ……色々なものを。でも私には返せるものがなにもない」
「お釣り返さなきゃいけないくらい十分もらってるんだけど」
「そんなことはない。たとえ主殿がよくても、私は納得できない。だからこれからも主殿の盾であり続けるために……胸を張って隣に立ち続けるために、どうしても成し遂げたかったんだ」
そういえばアダマンキャスラー戦のときもそんなことを言ってたな……こういう自分の背骨は自分で決めるようなルチアが大好きなんだけどね。
それにルチアは奴隷として買われたわけだし、仲間になったのもニケと比べたら偶然性が強い。気づいてやれなかったが、引け目に感じていたりしたのだろうか。
そう思っていたら、ルチアが恥ずかしそうに頬をかいていた。
「それに……成し遂げて、私の価値をお前に見せつけたいという思いも、あったりなかったり」
ぐう、なんだそれ……そんな風に言われたら、なにも言えないんだけど。
「いっぱい可愛がってもらうためにですか? いやらしい人ですね」
「べ、別にそういうわけでは! いやらしいなど、ニケ殿に言われたくはない!」
ニケにからかわれ、ルチアは顔を真っ赤にしている。そういえば、ニケはずいぶん静かにしていたが……。
後ろから抱きついて俺の頭を挟んでいるニケをチラリと見上げると、簡単に疑問を見透かされた。
「マスターを帰れるようにしてあげたいと最初に言い出したのは、ルクレツィアですからね。私はマスターにもっと可愛がってもらうためにその話に乗っただけにすぎません」
しれっとそう言うが、決して軽い気持ちではなかったはずだ。あれほど必死だったのだから。
そんな考えをまた見透かしたのか、逆さのニケは俺を見つめた。
「マスター。私たちはこの先も笑いあうため、そのために貴方に目一杯喜んでもらおうとしただけです。貴方だって私たちのために、無理をしてきたでしょう」
「したことないし。したとしても俺はいいんだよ、無理したって」
「本当に勝手な人ですね。とにかくつべこべ言わずに許しなさい。こうしてちゃんと全員生きているのですから」
「二人とも死にかけたけどな」
「もうっ、ああ言えばこう言って!」
ニケは頬を膨らませてしまったが、怒ってるのはこっちなのだ。
でもニケの言う通り、みんな生きてる。それに二人とも、自分を犠牲にしてでも、とまでは思っていなかった……と信じたい。
俺たちの未来のためだったというのであれば、許すべきなのだろう。そして俺のために頑張ってくれたことを感謝すべきなのだろう。
でもなあ……どうにも腹の虫が収まらない。
二度とこんなことをしないように、釘を刺しておかなければならないとも思う。
一体どうすれば──。
そこでふと目に映ったのは、ふわふわ浮いてる水晶さん。すっかり存在を忘れていたが。
「すいませんね、待たせてて」
『良い。存分に語らうがよい』
性別不明の声だが、なんだか優しく聞こえる。慈しみがあるというか。
「あの、水晶さんってなんなの? 神様?」
『それは我のことか。ふむ……そうなるのであろうな。我は汝らが神と呼んでいたものの欠片なり』
よくわからんけど、本当に神様っているんだな。
うーん、神様か……神様…………これだ!
ピンときた俺は、がばっと体を起こして立ち上がった。少し歩いて二人に背を向ける。
「なあ主殿、もう許してくれないか」
「いいよ……許す」
「本当か!」
「その代わり、誓ってもらおうか」
「なにをです?」
俺は水晶を前に振り返った。
いぶかしむ二人に向け、神の威光を借りるべく大きく手を広げる。
そして俺は、誓いの内容を二人に告げた。
命を大事にしろという戒めを込めた誓いだ。
せっかく本物の神がいるのだから、利用しない手はない。いくら無鉄砲なニケとルチアでも、神の目の前で誓えば少しくらいは効果があるだろう。きっとこれからは自重して自分を大切にしてくれるはずだ。
ちょっと自分の欲望も乗せて勢い任せに言ってしまった気がするが、腹立ってたし仕方ない。
これで怒りも晴れてスッキリ。
ってあれ…………ヤバい。
なんか本泣きしてる。目が潤むとかじゃなくて、二人の目からツーっと涙が。
なんでぇ!? まずいこと言っちゃった!? 二人ともがこんな風に泣くなんて、ただごとじゃないぞ!
ど、どうしよう、どうしたらいい? よくわからないけど取り消そう! きっとまだ間に合う!
「あ、いや、やっぱ今のは──」
「ずるいぞ主殿……立て続けにこんな……どれだけ喜ばせる気だ」
んん? 喜ばせる?
鼻をすするルチアは、照れ笑いのような顔で泣いていた。
ニケも胸がいっぱいだとでも言うように押さえ、ハラハラと涙を流している。
「マスター……わかってくれたのですね。これ以上ない褒美をありがとうございます。命を賭してここまで来たのは、間違いではありませんでした」
違う違う間違ってるよ。褒美のつもりなんてこれっぽっちもない。なにを言ってるんだ? やっぱり命賭けるくらいガチだったし。
涙を拭って俺を見つめながら、ニケは両膝をつき、ルチアは片膝をつく。
そしてニケは手を組んで祈るように、ゆっくりと目を閉じた。
ルチアは騎士の叙勲式のように、目を閉じて顔を少し伏せた。
なんだろう、儀式めいたこのノリは。なんでこんなことになってるの? 俺が一体なにを言ったというんだ。
冷静になってよく思い出してみよう。
『生きて、生きて、生き抜いて、いつか命尽きる日までその身を捧げ、俺に添い遂げると! 神の前で誓ってもらおうか!』
凄い偉そうにプロポーズしてるじゃん。
びっくりだよ。
「永遠の愛を──」
「永遠の忠誠を──」
──誓います。
ニケとルチアは声を揃え、己と俺の奥底まで染み入らせるように静かに、はっきりと口にした。
……どうしよう、誓っちゃったよ。そんなつもりじゃなかったんだけど。やはり一生に一度の出来事だし、ちゃんと真実を伝えるべきだろう。
きっとなぜかまた怒られる気がする。そういうことにしておけばよかったのだ、と。
でも俺は、誠実な男でありたいのだ。プロポーズは改めて別の機会に……。
別の機会…………?
ニケちゃんに言われたよね……しかるべき時にしかるべき処で腰砕け……今以上の機会があるかな? なくない!?
…………そうか、俺はそれをわかっていたんだ。俺の表層意識はわかっていなくとも、深層意識でわかっていたのだ。そうに違いない。そうであってほしい。そういうことにしてもいいと思う。決して俺が不誠実な男というわけではない。ずっと悩み続けてきたプロポーズ問題に片がつくと喜んでいるわけではない。沈黙は金なり。幸せな未来のために、ただ口を閉ざすだけなのだ。
『汝らに祝福を』
ほら神様にも祝福されちゃったし、いいよね?
これは間違いなく本心だから。
「ニケ、ルチア……ありがとう。一緒に幸せになろうな」
僕たち、正式に婚約しました!




