5-15 ズボンの心配はいらなかった
ニケの魔法で網膜をやられた俺が地面でゴロゴロもだえ苦しんでいるあいだに、二人はとっとと前進していた。なんで平気なの?
慌てて一緒にゴロゴロしていたシータを向かわせる。そして俺は《研究所》へ。
巨人は……まだ生きている。
俺たちの攻撃に飲み込まれる直前、その太い腕で身を守ったところまでは見えた。でもあんだけの攻撃だったし、上手くしたら死んでるんじゃないかと思ったのに。
さすがに無事ではないけど。
ルチアのストーンブレットで左前腕は折れて曲がり、青白かった肌は焼けただれ全身から煙を上げている。
それでも絶命には程遠い。
ハッ! ズボンは……ズボンは無事か!?
…………ぶ、無事だ! 無事です! 健在です! 太ももの半ばから上はちゃんと残っています! 良かった……大惨事になるところだった。
それと骨鎧も表面が焦げた程度に見える。なんの骨かはわからないがかなり頑丈そうだし、急所狙いは得策ではないかもしれない。
原型をとどめていない椅子から、傷ついた巨人が立ち上がる。
そこにまずは、容赦なくルチアが最大火力技で襲いかかった。
「バッシュ!」
ルチアが叩きつける盾を、巨人は折れている左腕で防いだ。
腕が更にひん曲がる。開放された傷口から鮮血が吹き出し、骨まで見える。
その様子と奴の強靭さを鑑みて、ニケは左腕に狙いを定めたようだ。
飛び上がり、限界まで剣を振りかぶって体を反らせた。
「乾坤一刀」
そのまま縦に真っすぐ振り下ろす。
威力に振り切ったアーツが、折れた箇所を断ち切った。皮一枚残してぶら下がったあと、地に落ちる。
このまま一気呵成に──しかし、そうは問屋がおろさなかった。
巨人がオオと短く唸るような声を上げ、右腕を無造作に振った。
大技を出して隙をさらすニケに、巨大な右手が迫る。無論それは承知済みであり、ルチアがあいだに入って止めたが……その威力に俺は目を剥いた。
軽く振られたように見えた張り手が、ランドドラゴンの大振りの一撃と同じくらいの音を響き渡らせたからだ。
飛び退いた二人も、警戒感をあらわにしている。
「気をつけてくれニケ殿、この攻撃力……私ならまだしも」
「私がまともにもらえば、ただでは済みそうにないですね」
そして攻撃能力だけではなく、その治癒能力にも驚きを禁じえなかった。
全身のただれは残っているが、明らかに赤みが薄れている。
左腕の切断面も、わずかだが肉が盛り上がってきている。もう出血が止まってしまいそうだ。さすがに新しい腕が生えてくるようなことはなさそうだが。
「──────!」
今度は大きく吠えた巨人が、ルチアに飛びかかった。
固く握り締められた拳。浮き上がった血管ですら鉄を削りそうだ。それが体の回転に遅れて、大きく振られる。
体を引いて躱したルチアの髪が、暴風に踊り狂う。その風はこちらにまで届いているのではないかと思わせる。
なんつう迫力。
巨人は止まらずそのままルチアを追うが……速いな。対応できない程ではないが、想像を超えた機敏さだ。
痛みなど感じていないのか、切断された左腕も組み合わせて腕を振り回している。
雑な大振りではあるが、当たったときのことを考えるとタマがヒュッとなる。
見た目通り、物理主体のパワー系だろうか。
良かった。左腕を奪えたことは大きなアドバンテージになっただろう。
先読みできる魔眼《先見眼》も使っているとは思うが、実際ルチアは無理なくさばけている。
しばらく経って慣れてきたら、攻撃の切れ目には反撃も入れられるようになってきた。
ニケの方はセオリー通りの足狙いに戻っている。先程のように飛び上がって高い位置を攻撃するのは、リスクが高いのだ。
ちなみにニケは敵の動きを鈍くする《竜の威光》は使っていない。あれはMP消費が激しいし、下手に使うとルチアのリズムが崩れてしまうからだ。
俺もシータのピアッサーアームで足をプスプスしているのだが、なにせ回復が早い。穴がすぐにふさがってしまう。
左腕のインパクターアームを使うほどの隙ははない。知能が高い相手は、挑発アーツの効きも悪いのでたまに蹴りが飛んでくるし。
それでも時間はかかるだろうが、このまま押し込める──というほど甘くはないんだろうなあ。
やはり気になるのは……。
その時、まさに気になっているもう一対の腕が動きを見せた。
顎下で肩を掴むようにして組んでいた右腕が上に伸ばされ、三本のうちニ本の指がピースサインのように天を向く。
入れ墨かと思っていた模様が、根本から赤く染まっていく。まるで魔血留路のようだ。
その赤が頂点まで達した次の瞬間──
「うおおぉおっ、なんだぁ!?」
現界させていた《研究所》の扉が音を立てて震えたのだ。砕け散らないか心配になるほどに。
それだけではなく、脳天側にあったもう一つの視界も消え、シータとの繋がりが消えたのを感じる。
これは……憑依眼と人形繰りが強制的に解除されたのか!? 二人は!?
……良かった、無事だ。シータは床に倒れていたが、警戒して巨人から離れていた二人はしっかり立って…………?
奇妙だ。
それはまるで時が止まったような感覚。二人が、ピクリとも動かないのだ。
なぜか激しく明滅する魔血留路の光だけが、そうではないことを教えてくれる。
同じく動きを止めていた巨人がルチアに向け大きく一歩を踏み出したが、それでも二人は動かない。
その太い右腕が、背中の向こうに隠れても。
「おい!?」
アダマンキャスラーのときの恐怖がよみがえる。
「くぅっ!」
すんでのところで盾が持ち上げられ、体ごとたたきつけてくるようなスケールの大き過ぎる正拳突きを受け止める。
しかし踏ん張りの効いていない足は地面から離れ、大きく弾かれたルチアは後方に何周も転がった。
「ルチア!」
「大丈夫だ! ヒーリングタッチ」
意識などははっきりしているようで、すぐに立ち上がる。盾に打ちつけた額から血を流していたが、回復魔術でそれも止まった。
盾を持つ手も痛めたようだが、ポーションを飲み、心配ないとこちらに合図した。
ニケの方も、そのあいだにもう動き出している。
「二人とも、なにがあった?」
巨人は二人を無闇に追うことはやめたようだ。巨人は悠然と歩いて追い、二人は距離を取って周りを回っている。
「わからん。物理的な衝撃はなかった。魔力が飛んできたと思ったら、突然体が言うことを聞かなくなった。奴は早くなるし……ニケ殿、今のは一体? 魔法なのか?」
巨人が早くなった? こっちからはそうは見えなかったが……近くで戦っていれば感じるものがあったのだろうか。
そして確かに魔術のような詠唱はなかったが、ニケは小さく首を振った。
「いえ、このような魔法は知りません。魔物が使うような、より原始的な技能かと。魔族にもそういった力を持つ者がいますから。飛翔斬」
背後から小さい腕を狙ったニケのアーツは、振り向きざまに巨腕で握りつぶすようにして打ち消されてしまった。
魔物の中には、体系として確立されていない固有の攻撃方法を持つものもいる。それらの効果や原理はシンプルなものが多い。種族に根ざした、本能的な力と言っていいかもしれない。
百戦錬磨のニケの言うことだ、それらと同類と考えてもいいだろう。
やっかいだな……。
《研究所》の扉が振動したことを考えれば、なにかしらの波動が放たれたのは確定だろう。
そして人形繰りと憑依眼が解除された。
これには覚えがある。以前にも似たようなことがあった。
《リースの明け星》を潰したときだ。土属性の魔石爆弾を起動した瞬間、同じようなことが起こった。
暴走した魔石の魔力が形になる前、魔力そのものの奔流で、俺の魔力が人形繰りなどを維持できないほど乱された、と考えていたが……今回もそれと同じようなものなのだろうか。
「ニケ、無限収納は?」
ニケはわずかな間を置いて首を振った。
「……駄目です、使えません」
「一発でか!?」
ルチアが驚くのは当然だが、俺は逆に納得した。いくら強力な魔法などでも、普通は一発で使えなくなったりしない。
やはりこれは奴の放った力が、純粋な魔力か、それに近かったからだろう。
魔力が土や雷に変換されてから放たれるのと、魔力そのものが放たれるのとでは、周囲に残る魔力の残滓の質は当然変わってくるのではないだろうか。
これでなんとなくのイメージはついた。
魔力の波をぶち当てられて、二人の魔力が揺さぶられてびっくりして動けなくなっちゃった、みたいな感じ?
二人が車のヘッドライトにびっくりして固まっちゃう猫みたいに思えてちょっとほっこり。いや、ほっこりしてる場合ではない。このままでは車にひかれてしまうのだ。
「多分あいつは、純粋に近い魔力の波を放ってるんだ」
「そんなことが可能なのか!?」
ルチアは驚いてばかりだが、それもまた当然なのだ。
アダマントのように魔力伝導率が極端に低くなければ、通常触れていればその物体に魔力を通すことはできる。
でも空気ほど密度が低く、物質が自由に動いている中を魔力そのものを通すなんて普通はできない。魔術などで魔力に意思を乗せない限り。
俺たちのステータスに記載される魔術などのスキルというものは、普通はできないことを可能にするため、この世界が補助していますよという証なのかもしれない。
そう考えると、もしかしたら奴が使ったのは、スキルとしてステータスに記載されるものではなかったりするのかもしれない。なんとなくニケが言った原始的というのがしっくりくる。
まあそれがわかったところで、どうすればいいのかという話だが。
どうして動きを止めるようなことが起こるのかはわからない。魔力自体にそういう性質があるのか、奴が放つ魔力がそういう性質を持っているのか。
とにかく、それがなにかしらの物理現象で引き起こされているなら、まだ対策もあったのかもしれない。
でも魔力の波動とか、どうすればいいかわからない。
「固められてから殴られないように、距離を取るくらいしか俺には思いつかん」
「あとはなるべく自分の魔力を張り巡らして、軽減するようにしましょう」
うーん、レジストか……あるいはもしかして俺なら……。
まあとにかく今は、シータを再起動させないと。
カラーガードの一体を、シータ回収に向かわせる。
ちょうどルチアがバッシュで右腕を弾き、巨人が少しだけ体勢を崩した。チャンスと思ってニケと一緒に脚を攻撃しようとしたが、巨体でゴロンと床を転がり大きく逃げられてしまった。
しかも、また小さな右腕──魔導腕と命名──が伸び、模様が根本から赤く染まり始めた。
右の魔導腕にだけ入っている模様は、体内の魔導経路が表皮にまで影響を浮かび上がらせているのだと推測できる。それだけ高出力の魔導経路ということなのかもしれない。
「くるぞ!」
一応声はかけたが、二人ともその前に離れて……あん?
さっきと違う。
魔導腕は上にではなく、前に伸ばされた。こちらに向けて、三本指が大きく開かれている。
なんか危険な香りだ。
俺たちの警戒と緊張が満ちる中、巨人の魔導腕の先になにかが生まれ始めた。
あっという間に増殖したそれは、ピンポン玉より少し小さいくらいの白い球体。それが手の前面に無数に広がっている。
ヤバイ、絶対ヤバイ。
即座にニケが雷撃を放つが、溜めの少なさもあり一部を削っただけだった。その空いた空間もまた、すぐに白い球体が埋め尽くしてしまう。
「ニケ殿!」
離れていたルチアがニケの方へ移動しようとしたが、俺のカラーガードの方がニケに近い。
「ルチアは自分! ニケ!」
「はいっ」
間一髪。
ニケがカラーガードの影に隠れた瞬間、球体が一斉に射出される。
散弾銃よりもはるかに広角に広がり、床や壁でけたたましい音を奏でた。
「二人とも無事か!?」
「助かりました。ありがとうございます」
「私も問題ない。しかし、こんな広範囲攻撃まで……」
範囲だけでなく、威力も脅威だ。盾になったカラーガードは、当たった瞬間細かい破片を飛び散らせていた。今回は二人とも無事だったが、ニケあたりが喰らえば青あざだけでは済まないだろう。
《研究所》の扉にも当たったが、耐えきれたようだ。必要時以外のときは扉を消しておきたいが、無限収納も使えない状況では、消すと現界させられなくなる恐れがあるからな……。
あたりに散らばる球体は、しばらくすると溶けるように消えていった。鎧の素材に似ていたが……まさか骨素材だと思っていた鎧は、巨人の能力で形作られているのだろうか。
とにかく念のためルチアに新しい盾を投げて交換させ、シータの回収も完了した。カラーガードは関節部に破損が出てしまい一体使えなくなったが、あの攻撃に肉盾は必要だ。シータに加えて二体目も投入する。
予備の一体と合わせて残り三体。足りるだろうか……。
そして戦闘が続く中、その不安は現実のものとなってしまう。




