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5-10 廃墟に泣き声とか、馬鹿にすんなと思った




 灼熱の大地を抜け、ついに辿り着いた七十一階層。

 そこは闇に包まれていた。


 俺たちが歩むのは、切り立った壁に囲まれた谷底。わずかな切れ間から覗く空は、星すら見えない曇天の闇夜だ。

 水こそ流れていないが、湿気は高く、不愉快な臭いが漂っている。


「ふう、気が滅入るな。ここに入ってどれほど経ったのか、どれほど進んだのか……」


 俺を抱えるルチアが、我慢できずに愚痴をこぼす。珍しいことだが気持ちはよくわかる。

 暗くて視覚情報が限られているので、必要以上にその他の感覚に敏感になってしまうのだ。

 今までの階層でずっと明るいというのはあったが、ずっと暗いというのは負担の大きさが桁違いだ。


「まだ四、五時間だと思うんだが……ニケ、これずーっと夜なんだよな?」

「はい、少なくとも私が知っている七十三までは」


 前を行くニケは、岩壁の窪みに注意を払いつつ小声で返した。


 その時、奇怪な鳴き声が辺りに響く。


 発生源を見上げれば、谷間を舞う見たこともない鳥が、俺たちの明かりに照らし出されていた。


「ただの鳥か……びびらせやがっ──」


 ホッとした瞬間、ルチアが止めていた足を大きく踏み出す。跳ねるような一歩で、ニケの隣に並んだ。

 振り返れば、立っていた場所には土の地面から手が突き出ていた。続けてその周囲からも手が生えてくる。


「くっ、またか!」


 苛立たしげにルチアは盾を構えたが、ニケは前を向いたままだった。


「こちらからもです」


 前方にも手が生えてきたようで、ボコボコと地面から突き出る音がしている。

 その生えてきた手の下の土が盛り上がり、本体が姿を現す。ゾンビとかスケルトンとかグールとかいった類の不死系の魔物だ。

 七十階層台は、闇にちなんだエリアなのである。


 それにしてもやっぱりこういうホラーって、驚かされるのが腹立つだけで、怖いというのとはちょっと違うなー。二人も苛立ちは見えるが、怖れはしていない。

 元々そういうのが普通に存在している世界の人間だし、当然かもしれないが。


「数が多いですね」

「いちいち相手してらんねーな」


 あまり構っていると、際限なく群がってきて疲弊してしまう。


「いっそのこと走るか?」


 ルチアの提案で行こうとなり、二人はゾンビたちを足場にぴょんぴょんと飛び越えた。

 あとはもうマラソン大会だ。

 これほど深い階層だけあって、いるのは上位の魔物ばかり。杖をついたおじいちゃんといい勝負するようなゾンビはいない。

 あまり飛ばさなかったこともあって、どんどん参加者が増えていった。

 問題なく俺たちで表彰台を独占したけど。


 七十ニ、三階層も様子を見ながら走って抜けることができた。

 ニケすら未知の七十四には、不意を打たれれば怪我を負いそうな魔物も増えてきたので、注意しつつも可能な限り急いだ。


 それにしても七十階層台は今までとは趣が違う。

 ここまでほとんど一本道で、谷間や洞窟を抜け、山に囲まれた荒野を抜けてきた。七十五には街道が続いている。

 それらが全て繋がっているのだ。

 階層を区切る黒いモヤは存在しているが、そこに入ってもすぐ先から出るだけなのである。

 どこに導かれているのかわからないが……とにかく道なりに進むしかない。


 七十五の敵は数ではなく質で勝負のようで、散発的に手強いのが出てくる。

 今も闇の中から襲ってきた魔物との戦闘終盤だ。

 体の何割かは腐った肉が剥き出しで、骨すら見えている箇所もある。そんな巨大な虎型の魔物だった。


 頭を丸呑みにしようという虎の顔を、ルチアが盾で弾く。流れるように放ったルチアの前蹴りが胴にめり込み、虎は横ざまに倒れた。

 その結果を知っていたかのように、すでにニケが飛び上がっている。


「ミーティアキック」


 うーん、やっぱカッコイイ。

 俺が好きなのを知ってから、頻度増し増しのアーツで流れ落ちる。

 頭部を四散させては、虎もこれ以上動くことはなかった。


「お疲れー。怪我はないか?」

「はい、大丈夫です。ルクレツィアも問題ないでしょう?」

「ああニケ殿、まだまだ余裕があるぞ。今七十五……七十八はすぐそこなのにな」


 信じられないように、ルチアは自分の拳を見ている。


 世界に五つある水晶ダンジョン。

 その水晶の塔上部には、これまでの攻略階層を示す炎が揺らめいている。

 七十七──長らく停滞しているその個数。

 七十八を攻略すれば、そこに新たな火が加わるのである。


「もしかして……俺たちって世界最強!?」


 いや、俺はそこまでじゃないんだけど。


「ははは、さすがにそこまでは…………ななななないよなニケ殿!?」


 ルチアは今までそんなの考えたこともなかったようだ。

 パニクったルチアに詰め寄られたニケは、呆れたように首を振った。


「そのような考えは捨ててください。世界にはいくらでも力を持つ者がいます」

「でもニケの主だった英雄とかって、ステータス平均三千とかなんだろ? だったら……」

「私は能力が高いという理由で主を選んだことはありませんし、結果的にことを成した者が多かったというだけです」


 あまり思い出したくないことでもあるのか、ニケは表情を曇らせた。それはわずかなあいだだったが。


「……私の主や主に準じた力を持つ仲間たちと、たった一人で対峙したような者もいます。決して表舞台には出てこない、強い力を持つ集団も知っています。マスターと同じ勇者たちも脅威となりうるでしょう。うぬぼれていては簡単に足元を救われますよ」

「はーい」


 まあ俺は二人と比べればよわよわだから、あんまりうぬぼれられる気がしないけど。


「とはいえ……」

「うん?」

「いえ、なんでもありません」


 そう言ってニケが首を振るのとは反対に、ルチアは一人でウンウン頷いていた。


「そっ、そうだな。うん、そうだ。ニケ殿ならまだしも、私のような若輩者がそこまでの強者など思い上がりでしかないな」

「あ、ルチアがニケの年齢をイジってる」

「い、いやっ、そういうことを言いたいわけでは」


 どうだろう。たまにルチアは天然で毒を吐くからな。


「ルクレツィア……」

「ちち違うのだニケ殿」

「そうではなく、そもそも私たちはそんなことを気にしている場合ではないでしょう」

「……ああ、わかっている」


 なにごとかニケに囁かれたルチアは、あっさりパニック解消していた。

 ……結構前からだが、こういうことがちょこちょこある。アダマンキャスラー戦の前とかにもあったが、なんか二人だけで通じ合っているというか。

 仲がいいのは悪いことではないが、俺も混ぜてちょうだい。


「ですが年齢のことについてはあとでしっかりと話し合いましょう、ルクレツィア」

「は、はい……」





 そしてそれから一週間ほどで、俺たちは七十八に到達した。


 そこはリースと肩を並べることができそうなはどに大きな街だった。

 ただやはりというか、その街並みは見事なまでの廃墟だ。本来いるべき場所に人の姿がないというのは、どうにも虚しく物悲しい。

 魔物はちょこちょこ突然襲ってきて驚かされはするが、今の所手強いのも出てきていない。


「ここに来て静かすぎる……なにかあると考えたほうがいいだろうな」


 夢の新記録へ向けて、前を行くルチアはギュッと盾を握り直して気を引き締めている。


「そうですね。七十七を攻略したパーティーも、ここで全滅したと(もく)されていますし」


 ニケはいつでも動けるよう、俺を片手でお姫様抱っこにしている。

 暗さのせいで《鷹の眼》は役に立たないが、俺も目視で周囲を警戒中だ。

 それにしてもこの街は規模は大きいが、全体的に建物が低い。水晶ダンジョンができた当時の街並みを参考にしているのだろうか。

 それともまさか、()()()()なのか?


「なあ、ゾンビとかってなんなんだ? ほっといたら死体が勝手にそうなるのか?」

「それが通常の生まれ方でしょうね」

「病気のやつはまた別だよな?」


 昔、人がゾンビのようになる病気があると聞いたことがあるのだ。


「屍鬼騒病か? あれは生者がかかる病だな。死者が動き出すようなものではなかったはずだ」


 ルチアは俺より詳しく知っているようで、警戒して進みながらも教えてくれた。


「その通りです。他に不死の魔物が発生する理由としては、何者かが使役するために生成することもあります」

「使役ね……何者かってのは魔族か?」

「魔族にも魔物にもいます。というか特にその辺りの種族については、魔族と魔物の区別が曖昧(あいまい)なので」


 魔族というのは実に多種多様であり、はっきりとした定義が存在しない。知性があって、自分のことを魔族だと言いさえすれば魔族となれるみたいな感じらしい。


「主殿が気になっているのは、以前言っていた水晶ダンジョンの目的についてか?」


 水晶ダンジョンが対魔族を見越した修練場ではないかという説は、二人にも話したことがある。


「うん。もしかしたらここって、昔実際に魔族との戦いでこうなった場所の写しなんじゃないかと思ってさ」


 魔物の配置などは違うだろうが、過去の事象を追体験させようとしているのではないだろうか。

 それならばこれほど現実に即した作りになっている理由になる。


「もしそうであれば、この先で待つのはその元凶、ということですか」


 俺たちは顔を上げ、進む大通りの先を見つめる。

 その先には、全てを飲み込む闇だけが広がっていた。


 その時──


「これは……泣き声?」


 ウサギ耳を立たせたルチアが、辺りを見回す。

 釣られて耳を澄ませば、確かにそれらしい音が腐臭混じりの風に乗って届く。

 少しのあいだそうして立ち止まっていると、ルチアがバッと横を向いた。


「こっちだ!」


 言うやいなや、一人で足早に細い路地に入ってしまう。

 おいおい、らしくないな。どうした?




 あれ……今の本当にルチアか?




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