5-8 読唇術は難しかった
「そんな……こんなことって」
ダイバーズギルド三階にあるギルドマスターの部屋で、その主が絶望の沼に沈む。
沈めているのは誰あろう、この俺だ。
「残念ですが終わりです」
悉くを討ち果たし、もはや彼を守る者はいない。
決着の時だ。
「ま、待って」
「『待った』は無しですよ」
縋りつくゼキル君を突き放し、冷徹に止めの一手を繰り出す。
「はいこれで必至」
「うわあぁぁ……参りました……こんなのヒドイよ……」
パチリと駒を指すと、ゼキル君は背もたれにもたれて天を仰いだ。
以前ここで将棋盤を作ったとき、実は初めに作ったのが気に入らなかったから二つ作ったのだ。将棋盤は元々ここの机だったので、気に入らなかった一つ目は駒とセットにしてゼキル君にあげた。
そしたら今日、用事でここに来たら勝負を挑まれた。どうやら密かに研鑽を積んでいたらしい。お飾り暇ギルマスだしな。
爺ちゃんに鍛えられた俺には余裕……と思いきや、一局目戦法なしでやったら生意気にも手こずらされてしまった。
そこで二局目、棒銀戦法をお見舞いしてやった。
好き放題に食い荒らし、完膚なきまでに叩きのめしたのである。
「本当に大人げないですね」
「僕子供だもん」
「全く、都合の良いときばかり……気にするなゼキル殿。この短期間で随分な腕前になっていると思うぞ」
「そ、そうかな?」
「そうですね。まだこれではニケとルチアにも勝てないですけど」
ルチアに褒められて輝いたゼキル君の顔は、がくりと下を向く。
「コラ、余計なことを言うんじゃない」
「まあ侯爵様と対局でもして腕を磨いてください」
「そうだねえ、閣下も将棋は気に入ってたし」
侯爵の机も結局ヒビが入ってしまっていたので、仕方ないから将棋盤にしたのだ。そっちも二つ作って一つあげた。
「全く、迷惑な話です。僕は将棋盤職人じゃないんですけど」
「……迷惑なのは机壊された閣下だと──」
その時、コンコンと扉がノックされた。
叩き方でわかるようだ。ゼキル君は相手を確認もせず、どうぞと入室を許可した。
「失礼します。急ぎ署名していただきたいものが……」
俺たちを見て、入ってきた美人の口は引き結ばれ、ツカツカと進めた足もピタリと止まる。そのせいで金色の巻き髪が伸び縮みした。
「こんにちは、セレーラさん」
努めて明るく挨拶をした俺に、セレーラさんはなにか言いたげに口をモニョモニョと動かしたあと、「……ええ」とだけ返した。
「ゼキル様、こちらをお願いいたしますわ」
将棋盤の乗る真新しいローテーブルの上に、書類が強めに置かれる。本当はバチーンと叩きつけたかったのかも知れないが、ちゃんとわきまえてるセレーラさんはさすがである。
「う、うん。少し待ってね」
縮こまりながらも、ゼキル君は律儀に目を通していく。
俺はセレーラさんとお喋りでもしてよっと。
「セレーラさんは今日も忙しそうですね」
「……ええ」
……。
…………終了!
と思いきや、どうしても我慢できなかったのだろう。まだ駒の並ぶ将棋盤を見ていたセレーラさんが口を開いた。
「なぜか街に戻ってきたと思えば……国を救った皆さんが帰ってくる日に、貴方はここで遊んでいますのね」
実は今日、アダマンキャスラーのおとりになりにいったギルドの部隊が帰ってくるのだ。その報せは、昨日の内に早馬でもたらされた。
そして彼らが帰ってき次第、大々的な凱旋パレードが執り行われるのである。俺たちはここからそれを見物するために来たのだ。
「はい、ゼキル様をボコボコにしてみました」
「あ、いや、違うんだ。僕がタチャーナ君に対局をお願いしたんだ。その、はいこれ」
無言で書類を受け取ったセレーラさんが、ざっと目を通す。
「……確かに。では失礼します」
ツカーンツカーンとセレーラさんは部屋を出ていく……その前に、
「ゼキル様も遊んでばかりいないで、少しはご自分で仕事を見つけてくださいませ」
「は、はい」
少し強めに扉が閉められ、泣きそうなゼキル君が大きなため息をついた。
「ハァー…………ねえなんで!? なんで本当のこと伝えちゃダメなんだい!」
セレーラさんの態度でわかるように、侯爵のところで最後にした買収……お願いは守られているようだ。
俺たちがアダマンキャスラーを撃退したことを、セレーラさんにはふせておいて欲しいというお願いは。
「だってセレーラさんと交わした契約は、『ギルドの撃退計画に協力する』でしたから。なにをしたところで、契約を破ってしまったことは事実。それをゼキル様や侯爵様にとりなしてもらうなど、僕の自尊心が耐えられません」
「えっと……」
ゼキル君は俺の左右を目で窺っている。
その左右は、見なくても空気の流れでわかるくらい思い切り首を振っている。
別にいいのだ。こんな建前が看破されようが。
大切なのは今セレーラさんに真実を知られないこと。いずれセレーラさんも知るだろうが、それまでの時間を稼げればそれでいいのだ。
理由は簡単。
俺たちを見損ない、冷たく当たってしまった原因が全くの思い違いだったとき、セレーラさんはなにを感じるのか。
それまでマイナスだった感情が、一気にプラスに転じるのだ。更にそこに罪悪感も加われば、一体どうなってしまうのか。
ごめんなさい、好き、抱きしめて、銀河のはちぇまれぇ! となるに決まっているのだ……ククク。まあキャラ的にはどう考えても妖精様の方だけど。
「卑劣なことを考えているのだろうな」
「惚れ惚れするほど悪い顔をしていますね」
卑劣なことなどなにもない。これは恋の駆け引きなのだ。そうなのだ。
もし、もし万が一多少卑劣であったとしても仕方がないのである。
時間がないのだから。急ぎセレーラさんの心を奪わなければならないのだ。
多分、俺たちがこの地を離れるのは、そう遠い未来ではない。
眼下には、リースの南門まで真っ直ぐ伸びる大通り。
その大通りには押し寄せた人々の熱狂が渦巻いている。
しかし、馬上で歓声と花びらを浴びる救国の英雄たちが、なぜ誰も笑っていないのかを彼らは知らない。
「侯爵様も酷いことしますねえ」
ギルドマスター部屋の窓から、俺たちは凱旋パレードを眺めていた。
当然のことだが、ギルドの面々はアダマンキャスラーと戦ってなどいない。何も知らない民衆にもてはやされる居心地の悪さは半端ないだろう。
一番人が集まる南門から入場させるとは、侯爵も意地が悪いものだ。
「それは閣下はギルドとよく衝突してるから、鬱憤も溜まってるだろうけど……君だよね!? 閣下にパレード出てくれって言われたとき、自分たちじゃなくて彼らを盛大に迎え入れてあげてって言ったの」
「僕たちは散歩に行ってたまたまヤツと出くわしただけですから。彼らは皆のために命懸けの戦いに赴いたのでしょう? その気高い精神に報いてあげるべきだと、あのときは思ったんです」
「えっと……」
またゼキル君は二人を見て、二人はふるふるしている。
まあ今回の道化役に免じて、以前ギルドで俺たちへの攻撃を黙認したことは許してあげることにしよう。俺の寛大さに感謝して欲しいものである。
パレードは進み、ダイバーズギルド前に特設された壇上に、眩く光るダンドン統括が上らされた。そこで待ち構えていた侯爵を、射殺しそうな視線で睨む。
まるで意に介さずニヤニヤしていた侯爵だったが、表情を正して民衆に手を広げた。
「皆も知っているだろう。この度、アダマンキャスラーという未曾有の危機がこの国に近づいていたことを。そして、見事撃退されたことを。皆も同じ気持ちだろうが、まずはその危機に立ち向かおうとした勇気ある者たちに、心からの賛辞を呈したい。特に冒険者ギルドをまとめるべき立場でありながら、自ら前線へと赴いたダンドン統括に大きな拍手を──」
ダンドンを暗になじる賛辞が周囲に大きく響く。
風魔術の中に、拡声に使える魔術があるのでそれを使っているのだろうが……。
「もしかして、セレーラさんって風魔術も使えたりするんです?」
演説が始まる前に、壇の下にいるセレーラさんが魔術を使う仕草を見せていたのだ。
「うん、氷魔術ほど得意ではないみたいだけどね」
「凄いですねー」
「エルフとはいえ、上位魔術を含む二種の魔術使いですか……」
「本当に優秀なのだな」
感心する俺たちに、ゼキル君はなにか言いたげだ。
「どうしました?」
「あ、いや……やっぱり君たちはセレーラを仲間にしたいのかい?」
「もちろんです。そちらとしては困るでしょうけど」
「それはね、困っちゃうけど……でも彼女は、ずっとここで働いて終わらせてしまうにはもったいない人だとも思うんだ。あ、いや、副ギルドマスターが凄い仕事だとはわかってるけど。でも、彼女ならもっと……」
そこでゼキル君は、イタズラっぽく笑った。
「まあ君たちと行くのが正解だとは限らないけど」
「む、言いますね」
「あはは。とにかく僕は、もしセレーラが他の道を選ぶというのであれば、その意志を尊重したいと思うよ」
「じゃあゼキル様は、それまでに立派なギルドマスターになってくださいね」
「ふふ、任せてよ」
「ならば将棋も取り上げた方がよいのではないか?」
「セレーラにも叱られていましたしね」
「待って、それはちょっと待って」
そんな話をしていれば、結構すぐに催しは終わってしまった。大通りやダイバーズギルド周囲の道の封鎖は長いことできないしな。
ダンドンは終始仏頂面だったが、真実を暴露するようなことはなかった。面子もあるだろうし、これほど大勢の前では言えないか。
侯爵たちは壇上から降りようとしているし、俺たちもそろそろ行こう。そう思っていると、下にいるセレーラさんと目が合った。思い切り手を振ったら、思い切りプイッとされた。
その代わり、ダンドンがこちらに熱烈な視線を送ってきている。見る見るうちに、眩い頭部が赤黒く染まっていく。
壇上から飛び降りたダンドンは周囲に立たされていた冒険者を押しのけ、大股でダイバーズギルドのアーチをくぐった。
アダマンキャスラーについて問い詰めるために、ここへ来る気だろう。
「おっ、やべ。さっさと行くとするか。ではゼキル様、僕たちはこれで」
「ちょっ、僕一人で今の統括の相手しろってこと!?」
「僕たちを守るのも立派なギルドマスターの仕事でしょう」
「うう、いきなりは無理だよ……」
荷が重すぎると、まだお飾りのギルマスは顔を青くしている。仕方がないな。
「僕たちはこのままダンジョン潜るんで、僕たちが戻ってきたら連絡をさせるって言って追い返せばいいんですよ」
「そっ、それでいけるかな? でもいいのかい? そんなこと言ったら、連絡しないわけにはいかなくなるけど」
「ええ、構いませんよ」
快く返事する俺の後ろで、ルチアとニケが呟いている。
「戻ってきたら、か。いつになるのやら」
「本当に悪い人ですね」
聞こえなーい。
「ではゼキル様、これで失礼します」
「うん、気をつけて。君たちに水晶の輝きがあらんことを……ってそっちから!?」
ダンドンと出くわしたくないので、俺を抱えたニケに指示して窓から飛び降りた。
少し離れた周囲に人は多いが、まだギルドには街人や一般のダイバーは近寄れない。
すぐにギルド内に飛び込んで、暇そうにしてたピージに即行で手続きしてもらう。このところセレーラさんはやってくれないんだもの。
「セレーラさん、行ってきまーす!」
奥にいるセレーラさんに挨拶したが、これまたプイッと無視されてしまった。
しかし、そのあといつものようになんか呟いている。
読唇術を試みるに、『木をステテ』か『火ヲつけて』だと思うんだが……どういう意味なのだろうか。
「だからもう副ギルマスは諦めなってば。でもほら、アタシは逃げたこととか気にしてないしー……ねえちょっと、聞いてる? ねえってば!」
まあいいだろう。どうせ戻ってくるころには、セレーラさんも改心していることだろうし。
なんか言ってるピージを無視して、ギルドを越えた先に入った。
「もう! 皆さんに水晶の輝きがあらんことを! 気をつけてね!」
「はーい、どうも」
天を衝く屹立を見上げながら、小さな手を背中越しに振った。
そしてその手はそのまま、俺たちの姿を写す水晶に当てられた。
その外観ほど冷たくはない水晶だが、今日はやけに冷たく感じる。俺の手が孕んでいる熱のせいだろうか。
今の俺たちは、果たしてどこまで行けるのか。
「いよいよだな」
「ようやくですね」
二人の短い言葉にも、隠しきれない熱が籠もっている。
「今からそんな気を張ってたら、すぐバテちゃうぞ」
自分のことを棚上げしているのはバレているようで、ハイハイと流された。
ま、今はこのテンションで行けるとこまで行っちゃいますかね。
「エントリー、六十五階層!」
さあ、攻略再開だ!




