5-4 ルチアは成長中だった
もちろん最高に美味しい米を作るための適した気候というものはあるだろう。それでも豊富な水量は必須の条件だ。この地で試みる価値はあるはずだ。
俺の米発言に侯爵は一旦驚きを見せたが、すぐにその顔をやや曇らせた。
「米……というと、エルフや獣人が作っているあれか」
「エルフがですか? 獣人の方々が作っているのは知っていましたが」
今まで俺たちが買い漁ってきた米は、北方の国とも呼べない地域や大樹海から流れてきたものだ。
だが北にはほとんどエルフはいない。エルフがいるのは正反対。
遥か南方、樹国イグドシルトである。
「知らぬのも無理はない。私も聞いた話に過ぎぬ。近年少しづつ開かれてきてはいるようだが、物品など僅かしか流れてこぬし、まだまだ樹国の実態は知られておらぬからな」
樹国は聖樹のもたらす結界があったりエルフの性質もあったりで、とにかく閉ざされているのだ。
それに俺の情報など聖国で得たものがほとんどだ。
あの国には「亜人? 獣人? 下劣で醜悪で下等であり、人間が管理するか駆逐しなければならない生物です」という脳死的思考しかないので、その生態などについてはほとんど知ろうとする人がいない。必然的にあまり情報が得られなかったのだ。
「しかし私は米を食したことがほとんどないが、パンなどに代わり得るものなのか?」
「適した調理さえすれば、美味しいと僕は思いますよ」
こちらに来て思ったが、やはり日本の米は美味い。
こっちでわずかながらに流通している米は、ジャポニカ米とインディカ米の中間くらいの形状をしている。見たことはないが、地球のジャバニカ米? とかいうのと近いのではないだろうか。
味の系統としてはジャポニカ米が近いとは思うが、甘みが少なく粒もしっかりしていない。
日本では伊達に変態的なまでに、日本人の舌に合わせた味の追求がなされているわけではないのだと思い知った。
でも幾度かの失敗を経たが、適切な水量や火力による調理を行えば十分に美味しく食べられるということがわかったのだ。
「たとえ文明が進歩しても、食というのは文化において中心的役割を担い続けると思います。米はその多様化に、大きな一石を投じる存在だと僕は確信しています」
「ふむ……しかしなにぶん勝手のわからぬ作物だ。そう簡単に栽培できるものではなかろう」
もちろん日本での改良は味だけでなく、栽培のしやすさにも及んでいる。
そんな日本の米と同じように、水さえあれば大丈夫と考えるべきではないのかもしれないとは思う。
だがこっちには魔力とかあるし、もしかしたら地球の米より強かったりする可能性もなくはない。
あまりこういうことを無責任に言うのは好きではないが、こればかりはやってみなければわからないだろう。
……本当はこの世界をジャパンナイズというか地球ナイズするようなことはやりたくない。
だが背に腹は代えられぬ。今回ばかりは致し方ない。
あまり乗り気ではない侯爵を説得するため、俺は言葉を尽くした。
「水稲という栽培方法がありまして、それならば連作が可能です。小麦と不作がかち合うことも少ないでしょうし──」
「白米であれば消化吸収が良く、玄米であれば栄養価が高いので──」
「小麦ではないので、国王陛下との摩擦も最小限で抑えられるでしょう。それに小麦ならば、余っても使いみちはいくらでも──」
「実るほど頭を垂れる稲穂かな、などという言葉もありまして──」
「今ご契約で、なんと! 更にもう二つアダマントをおつけして──」
「もういいからこれ食えよ! 食えばわかるって! 口開けろオラァ!」
このように、とにかく言葉を尽くしたのだ。
しかし……
「無理だ。今は新たに開拓することはできぬ」
ヒゲにお弁当つけた侯爵は、首を縦に振ることがなかった。
ぐぎぎぎ、なぜだ……途中から話への食いつきは良かったし、米とお新香セットも気に入っていたのに。
「なぜでしょうか? 金銭面が理由であれば、こちらも援助する用意がありますが」
侯爵は返答することもなく、首を振るのみだ。
理由はわからないが、こうなってしまっては仕方がない。
「どうあっても無理と……実に残念です」
そう、これしかないから仕方がない。
俺は侯爵一派をビシッと指差す。
「最早実力行使あるのみ」
「うむ、私も実に残念ではあるのだが、今は実力行使で……なに!?」
いけずな侯爵のノリツッコミなど構ってあげない!
君がっ、頷くまで、殴るのをやめないっ! その覚悟を持って二人に指令を下す。
「二人とも……やぁっておしまい!」
「わかりました」
ニケがファイティングポーズをとり、軽いジャブの素振りで侯爵の前髪が揺れる。
ギョッとしている侯爵側の面々。
だが彼らが武器を取り出す前に、俺はルチアにかなり強めに脳天チョップされた。
「痛い! なにすんの!?」
なんでうちの子たちはマスターとか主をペチペチ叩くんだろう。
「なにするじゃない。駄目に決まっているだろう。侯爵閣下、誠に申し訳ありません。主は悪ふざけが過ぎることがありまして……全く、ニケ殿まで乗ってどうするのだ」
たしなめようとするルチアだったが、ニケは構えを解かない。
「ニケ殿?」
「ルクレツィア、これは悪ふざけなどではないのです。そうなのでしょう、マスター」
ニケに言ったことはないが、気づかれていたか。
俺が答えないことで答え合わせしたのか、ニケが声を沈ませた。
「やはりそうでしたか……」
「どっ、どういうことだ?」
「貴女は最近、食料の保管場所を見ましたか?」
ニケはぼかして言っているが、保存が利く食料は《研究所》の余った部屋を丸々使って保管している。昔ケーンをニケにするとき困ったし、今も治療でニケが動けなかったりすることもある。毎回ニケに出してもらうのも悪いし。
買い溜めてきた米は、その部屋の一角にある冷蔵室に置いているのだ。
「いや、見ていないな。というか汚れないようにということで、最近は閉じられているから入れないが…………まさかっ」
「ええ。恐らく米が尽きかけていることを、私たちに悟られないためでしょう。違いますか?」
やはりバレていた……。
観念して俺は頷いた。
「すぐにでもなくなるってわけじゃないが、今のペースだと二ヶ月、運良く買い足していけても半年もつかどうかだ」
米は流通量が少ないのだ……。
「そんなっ!」
今まで聞いた中で最大限の悲痛な叫びとともに、ルチアはよろめいた体を長椅子の背もたれで支えた。
「この頃パンや麺類の頻度が高い気はしていたんだ…………なぜだ……なぜそんなことに」
「どの口が言うのですか、ルクレツィア」
「よせ、ニケ」
俺の言葉も虚しく、ルチアに厳しい目を向けるニケは止まらない。
「貴女のせいでしょう」
「わ、私の?」
「ニケ、やめるんだ。ルチアのせいでは」
「いいえ、言わせてもらいます。ルクレツィアはその罪を知らねばなりません。米が想定以上に減っているのは、ルクレツィア……貴女が食べ過ぎるせいです!」
ニケにしてはかなり声を張り、ババーンと言い放った。
でもねぇ。
「そうじゃなくてさ、ルチアを十としたらニケも八くらいは食ってるよね……おい、こっちを見ろ」
ニケはそっぽを向いたが、ルチアは今にも膝から崩れ落ちそうになっている。
「なんということだ、私のせいで……近頃服がきつくなってきているのもそれが原因か」
それはおっぱいが成長しているという俺の努力と俺への忠誠心の賜物であって、他のサイズは変わってないから大丈夫。
そもそも俺としては、美味しそうに二人がたくさん食べてくれるのは責めるべきことではない。
特にルチアなんて、実は初めの頃は食に全く興味がなかったから。それが今では立派な食いしん坊になってくれたというのは、喜びでしかないのだ。
責められるべき者がいるのであれば、それは俺。
「ルチアのせいじゃない。二人が米を好きになってくれたのが嬉しくて、俺が米の消費ペース配分を失念してしまっていたせいだ。すまない、俺が不甲斐ないばかりに」
「主殿のせいでは……」
「いや、俺のせいだ。厨房は俺が仕切っているんだからな。すまない……これからお前たちには辛い思いをさせることになるだろう。恐らく二食に一食は米以外の主食にせねばならない。そうすれば、なんとか米が尽きずに買い足していけるはずだ」
死刑宣告に等しい通告に、ルチアとニケは揃って唇を噛んだ。
二人を悲しませてしまっている己を心の中で叱咤しつつ、俺は誓いを口にする。
「だがいつの日か……いつの日か必ず、一日四食でも五食でも自由に米を食えるようにしてみせる! 絶対にだ!」
ソファーに立ち上がった俺は後ろを向いた。
「だから頼む、俺を信じてついてきてくれ!」
「もちろんだっ、もちろんだとも主殿!」
「言われずとも当然のことです」
二人の間に出した小さな右手に、戦士であるにも関わらずしなやかで美しい手が二つ重ねられる。
何者にも負けぬ俺たちの絆。
それは危機を眼前にして微塵も損なわれることなく、より一層輝きを強めるのであった。
「…………我々はなにを見せられているのでしょうか」
「私に聞くな……というかソファーの上に立つな」
「タチャーナ君が食事を作っているのかぁ。料理できるなんて凄いんだね」
「……食べたい」
俺たちの絆に恐れおののいているのだろう、なにやら四者四様の反応を見せている侯爵一派に向き直った。
「ということで米の入手、なにより将来のために米の流通量の増加は必ず成さねばならないのですよ。わかりましたね? では改めて、やぁっておしまい!」
「はい」
「……やむを得ん」
今度はニケとともにルチアも構えたのを見て、クリーグさんが慌てふためく。
「ルクレツィア殿、どうか正気に!」
「悪く思わないでほしい、クリーグ殿。これは主のため……なによりも米のためなのだ!」
絆…………米に負けてないかな!?
愕然とする俺の前で、侯爵が極大のため息を吐いた。
「ハ〜〜〜……仕方ないな」
「ようやくわかってもらえましたか」
「いや、今開拓することは無理だ」
無駄に期待させるなこの野郎……。
「落ち着け。それにはどうにもならない理由があるのだ。本来であれば外部に話すべきことではないが……収まりそうもないし、お前たちならば問題ないだろう。ただくれぐれも、くれぐれも他言無用で頼むぞ」
何度も念を押し、侯爵はその理由を話し始めた。




