5-2 ニケはがっかりしていた
「疲れているところを呼び立ててすまんな。私がリュード・フェルティスだ。そなたは聞いていたのと随分印象が違うが……楽にしてよいぞ。些細なことで目くじらを立てるほど狭量ではないつもりだ」
「へい! ありがとうごぜえやす!」
なぜか三下的敬語になってしまった俺は、フェルティス侯爵にエスコートされて長椅子に座った。ニケとルチアは長椅子の後ろで護衛ポジションである。
部屋の家具はどれもしっかりとした実用的な作りをしているが、それだけではなく嫌味でない程度に優雅さも備えている。ぱっと見て安っぽいものなど一つも見当たらない。
すかさず紅茶を出してくれた白髪の執事なんかもいるし、代々続く由緒正しい高位の貴族だけはある。
部屋にいたクリーグさんより立派な鎧を着た大男は、ヴォードフという名前の騎士団長だと紹介された。
それと俺の向かい側、フェルティス侯爵の左手側の椅子にはゼキル君も座っている。彼は俺が帰ってきたから、大至急で召集されたらしい。俺たちが加入しているダイバーズギルドのギルドマスターだしな。
忙しいところ申し訳ない……いや、半分お飾りだから暇だったかもしれない。ぷぷぷ。
とか思っていたら、突然頭を下げられた。
「すまなかった。君たちの真意も知らず、僕は見損なったなんてことを……」
この街から出発するときの話だろう。俺たちはアダマンキャスラーから逃げる、みたいな言い方して出発したからな。
ちなみに残念ながらセレーラさんはここにはいない。他の冒険者ギルドとの打ち合わせのために出てしまっていたらしい。
「頭を上げてください。誤解されるように仕向けたのはこちらですから」
「……やっぱりそうなんだね。もし帰ってこれなかったとき、僕たちに辛い思いをさせないために」
「え? いえ、単純に──」
「ゴホッゴホッ。失礼」
ルチアの咳で遮られてしまった……が、続ける。
「抜け駆けするのを──」
──ギルド側にバレて、ギルドが支度を急いでしまわないようにするためです。
と言おうとしたら、またルチアの大きな咳で遮られてしまった。
「ゴホンゴホンゴホン! 失礼」
「どうしたルチア、具合悪いのか?」
「いや……大丈夫だ……」
肩を落としたルチアから、あふれんばかりの疲れが見える。やはりアダマンキャスラー戦の影響だろう。無理して護衛なんてしなくても、椅子に座ればいいと思うんだが。
昨日一昨日とやってあげたが、二人には今日もお手製アロマオイルで全身マッサージしてあげることにしよう。でもそうすると血流が良くなってアチラの反応も良くなって、盛り上がり過ぎて疲れ果てるという副作用もあるが気にしてはいけない。
「あ、なんの話でしたっけ」
「えっと……いいんだ、君たちの気持ちはわかっているから」
俺には満足気に頷いてるゼキル君の気持ちはわからないが、まあいいや。
それよりもヒシヒシと感じる強い視線が気になってしょうがない。
「なるほど……どうにも掴めぬな」
なんか呟いている、この部屋の主であるフェルティス侯爵だ。
その第一印象としては……鷹、だろうか。
俺の想像する貴族像とは掛け離れていて、痩せ型をしている。ただ足を組んで椅子に座るその背筋は伸びているし、筋肉はしっかりついていそうだ。
ロマンスグレーの長めの髪を後ろに流し、大きな瞳は眼力が凄い。
フォーマルなシャツとベストを自分流に着崩しているその姿は、ちょいワル系の伊達男?
「それにしてもそちらのお嬢さん方も、聞いていたのと違うな。皆が言うより遥かに美しいではないか」
……っていうか、まんまイタリア人だわ。
「そなたがニケか……まるで夏の夜の稲妻のようだ。脳裏に焼きついて離れそうにない。そしてそなたが……ふむ、花か獣か。野生的なしなやかさと乙女の可憐さを併せ持っているのがルクレツィアだな」
俺の右側、左側と首を向けて妙に鋭い称賛をした侯爵は、スケベそうに崩していた顔を引き締めた。
「かような美しき者たちに対し、余りに無粋であろう」
そう言って、侯爵は手で『どけ』とジェスチャーした。
始めは俺を見て言っていると思ったが、目線は俺の上を通過している。
ああ、そうか。
実は俺も気になっていたのだが、部屋にはヴォードフ騎士団長とクリーグさんの他に四人の騎士がいる。警戒されるのは仕方ないとしても、その内の一人が俺たちの真後ろの壁際に立っているのだ。手を伸ばすだけで届くほど近くはないが、一息で踏み込める距離だ。
そんなところに立たれていては、二人も神経を使うだろう。どかせてくれるのはありがたい気遣いである。
そう思ったのだが、
「私は構いません」
「ええ、問題ありません」
ルチアとニケは気にしてなかったらしい。
というか、力の差があることを言外に示そうとしているのかもしれない。
とにかくどうするのかなと思って騎士を見ていたら、困惑した様子でクリーグさんや侯爵に目を向けていた。
そのクリーグさんはわずかに表情を曇らせていたが、俺の視線に気づいてにこやかな顔に戻った。
結局騎士は場所を移動したが……もしかして仕込みか? こちらの侯爵への好感度を上げようという小細工だったのかもしれない。
でも流石と言うべきか、侯爵には全く揺らぎが見えないし、よくわからん。
聖国にいたころ、お偉いさんともよく関わった。その多くは、相手より立ち位置が上でありたいというだけの薄っぺらい人間にしか見えなかった。
それは俺自身が薄っぺらいせいなのかもしれないが、だが中にはいたのだ。俺にでもわかる、妖怪みたいな人が。
タイプは違うが、侯爵からはそれと同じ臭いがする。
化かし合いで敵う相手ではないだろう。
「さて、早速ではあるが本題に入ろう」
ゆえにこちらは、小細工抜きの正道を歩むべきだ。
そう考えた俺は、侯爵にアダマンキャスラーについて問いかけられるより先に、侯爵に問いかけた。
「侯爵様、マジックバッグを使わさせてもらってもよろしいでしょうか」
「ふむ、構わんが……サバスティアーノ」
この屋敷に入るときに預けたマジックバッグを、侯爵の指示を受けた執事の人に手渡される。
そして俺はある物を取り出し、机のど真ん中にドンと置いた。
勢いよく置きすぎたせいで高そうな机がメキッて鳴ったのは気のせいだろう。侯爵たちは俺が置いた物に気を取られて気づいてないから大丈夫。
「まさか……これは」
侯爵さえもが目を見開いて見つめる、マットな輝きを誇る黒い球体。
これこそアダマンキャスラーと戦った証だ。
「なっ、なんとか鑑定眼が通りました。間違いありません……アダマントです!」
ゼキル君が言った通り、これは超硬質素材アダマントである。甲羅に釘をぶっ刺すときに、俺自らが錬金術で奪ったやつだ。
「これをこの度の戦いで奪取したのか! では本当に、そなたらだけでアダマンキャスラーを撃退したのか?」
「はい、間違いなく。幾度も引きつけることを繰り返し、最後に死力を尽くして押し込んだところ、奴は海を泳いで北西へと去りました」
さすがに倒したとは言えない。信じないだろうし、倒したアダマンキャスラーをどこにやったと聞かれたら困るし。
アダマンキャスラーを追いかけたり追いかけられたりしてるとき海の近くに行ったりもしたし、これでこの場は押し通すことにする。
「アダマンキャスラーって泳げるのかい⁉」
ゼキル君が驚いているが……泳げないの!? いや確かに甲羅であるアダマントって、密度が非常に大きい物質だから泳げない可能性が高いか。
「もしかしたら泳いでなかったかもしれません。浅いところを歩いていただけかも。とにかく去っていきました」
「なるほど。いずれにせよ新しい発見だね、アダマンキャスラーが海に入ることがあるなんて。これは冒険者ギルド本部に報告しないと」
やめとけ! ……まあいっか。本当に入るかもしれないし、ほっとこ。
「どうでしょうか侯爵様。僕たちなどの言葉は信じられないかもしれませんが」
「いや、信じよう。三人とも、よくぞやってくれた!」
侯爵が満面の笑みで喜んでいるのは、演技ではない気がする。
「もしアダマンキャスラーがティンダーの町まで進めば、正面から当たらねばならなかっただろう。そうなれば一体どれほど兵に犠牲が出ていたか……しかもそれで防げる保証もなかったのだからな。救国の英雄として勲章に値するほどの見事な働きだ。この地を治める者として、この国に生きる者として礼を言うぞ」
立場的に頭を下げることはなかったが、組んでいた足を下ろして真っ直ぐにこちらを見る侯爵から、真摯な気持ちは伝わってきた。やはりセレーラさんが褒めるだけのことはある。
にしてもやたらあっさり信じたが……多分俺たちを信じたのではなくクリーグさんを信じたという面が強いのだろう。
クリーグさんは車の中で元気な頃は色々俺たちに聞いてきたし、ルチアが成長したのも感じている。俺たちとの面会前にクリーグさんから報告を受けて、侯爵の腹は決まっていたのだと思う。
撃退したことについて信じてもらえないとなると大変だなと思っていたが、こうなれば話は早い。
あとはもう、正々堂々と正道を突き進むのみ。
「勲章など頂かなくとも、そのお言葉だけで身に余る光栄です。その返礼に、というわけではありませんが……侯爵様、このアダマントをどうぞお納めください」
まずはゴマスリの正道、貢物で先制パンチである。
「なんだと!? これを丸ごとか!?」
侯爵が驚くのも無理はない。貴重なアダマントを、ニケとルチアの両おっぱいを足して三分のニにしたくらいのたっぷりたぷんたぷんな量だからな。
「侯爵様に役立てていただければ、こちらとしても喜ばしいことですから。あ、もちろん僕たちが使う分は残してあるので、どうぞ気兼ねなくお使いください」
ルチアちゃん、「そうだな、確実に使い切れないほど残っているな」ってボソッと言わない。
「救われた上にこれほどの物を献上されては心苦しいが……本当によいのだな?」
侯爵に対し、俺は笑顔で頷いた。
「そうか……ならば遠慮なく貰うことにしよう。これだけの量があれば、騎士たちの装備を強化することもできよう。重ねて礼を言うぞ」
「もったいないお言葉です。ただ、その装備を着た騎士の方たちが、いつの日か僕たちの前に立ちふさがることがないといいのですが」
「それはそなたら次第だな」
フフフと二人で笑い合っていたら、ゼキル君がなぜか怯えていた。
「ですが、騎士様方の装備に使うとなると、少な過ぎはしませんか?」
騎士と呼ばれる者たちがどれほどいるかは知らないが、いくらニケとルチアの両おっぱいを足して三分のニにしたくらいの量とはいえ、全てに行き届くとは思えない。
そう思ったのだが、ここで初めてヴォードフ騎士団長が見た目通りのバリトンボイスを響かせた。
「……重要な部位のみ。力の弱い者には持たせない……危険ゆえ。十分……感謝する」
んーと、使うのは重要な部位にだけで、それも狙われたりすると逆に危ないから強い騎士にしか持たせないし十分だよ、センキュー! ってことか。
……っていうかそれはまずい。計算外だ。
クリーグさんから、侯爵は人格者で自分たち騎士も大切にされていると聞いたから、アダマントを渡せば騎士たちのために使うことは予測できた。
そこで『足りない! もっとちょうだい!』ってなるはずだったのだが、まさかこれで十分とは……こんなことなら、もっと小さいやつを渡せばよかった。三分の二で賄えるなんて、やはりニケとルチアのおっぱいは偉大だったのだ。
しかしこのままでは、今日の夜二人のおっぱいに八つ当たりしてしまいそうだ。それはいかん。いやいかんことないけど、やっぱいかん。
M気質の元神剣の期待に満ちた眼差しを後頭部に感じながらも、俺は侯爵の呟きを聞き逃さなかった。
「しかし実に見事なものだな。ここまで大きく、完璧な球体のアダマントなど見たことがないぞ」
「お気に召しましたか」
「ん? ああ、当然だ。アダマントは加工も難しいと聞く。これほどに大きいアダマントがヒビ一つ、曇り一つなく輝いているとあれば、このまま家宝として置いておきたいほどだ。世辞抜きにな」
侯爵からのいい波が来た!
これに上手く乗れば、夜の八つ当たりは回避できそうだ。
「丈夫なアダマントですから、そのまま残せば子々孫々まで輝きは続くでしょう。それほど気に入ってもらえたのであれば、侯爵様に献上するために三日三晩かけて削り、磨いた甲斐があったというものです」
「そのアダマントを得たのはちょうど三日前でしたか。ギリギリですね」
……あのねニケ、せめてみんなに聞こえないように言ってもらえるかな? ほら、みんなの目が白っぽくなってるよ?
ニケちゃんはそんなにおっぱいに八つ当たりされたいの?
まあ実際、奪ったとき適当に丸めたまんまなんだけどさ。
「ほら、あれです。それくらいの気持ちを込めて作ったということです」
「……いずれにせよ、妙々たる出来栄えであることには違いない。誰に見せても驚かせることができるだろう」
そういう希少な物品を持っているということは、貴族としてのステータスになってたりする。庶民が考える以上に。
少なくとも聖国ではそうだったし、日本でも昔は茶器とか奪い合ったりしてたはずだ。
侯爵も大貴族としての見栄を張ることが必要な場合もあるのだろう。その時のことを想像してか、侯爵は角度を変えてアダマントを何度も検分していた。
けれど、しばらくして諦めたように背もたれに体を預けた。
「だが私のために命を掛ける者たちに使うことには代えられぬな。残念ではあるが」
「その気持ちはよくわかります」
俺だってニケとルチアには常に最高の物を持たせたい。
「結局、味方に勝る宝なぞないということだ」
最後にはさらりとそう言って、侯爵は紅茶を口に含んだ。畜生、貴族のくせに良いこと言いやがるな。
しかし侯爵がこれの仕上がりについて高く評価してくれているのは、予想外の方向からではあるが良い援護射撃になった。これで(宝であるはずの味方から、援護ではない射撃されたりもしたが)リカバリーできるかな?
「そのお考え、感服しました。やはり侯爵様は稀代の為政者でいらっしゃいますね。本当はここまでする気はありませんでしたが──」
そう言いながら、拾い集めた他のアダマントを一つマジックバッグから取り出す。大きくはないが、五つか六つもあれば初めのアダマントと同じくらいの量になるだろう。
「侯爵様がそのアダマントを本当に飾っておきたいというのであれば、こちらとしても更にお分けすることにやぶさかではないのですが……」
それを見て侯爵は目を輝かせた。
「まことか!」
凄く食いつきがいい。相当痩せ我慢してたのかもしれない。そうであれば俺としてもやりやすいのだが。
頷いた俺は、一つ目の小アダマントを机に置く。ただし、机のこちら側の端っこにだ。そうしてから二つ目を取り出す。
それは机に置かず、手で弄ぶ。
「それにしても侯爵様、リースというのは素晴らしい街ですね」
「ほう、どんなところがだ?」
「やはりなんといっても活気がありますね。人も物も多いですし。しかも冒険者の聖地でありながら粗暴な雰囲気ではないというのは、冒険者以外の人にとっても暮らしやすいのではないでしょうか。街の内部としては申し分ないと思います」
侯爵は俺の右手と左手を行き来するアダマントを目で追いかけていたが、俺がすぐに差し出さないことで俺がなにをしたいか気づいたようだ。愉快そうに笑みを浮かべた。
ハァ、やっぱりそう簡単にはいきそうにない。
「そう言ってもらえるのは誇らしいことだな。しかし『内部としては』ということは、外に不満があるということだな?」
「不満というほどのことではありません。ただ、この街は立地も素晴らしいと思うのですが、それゆえに少しもったいないと感じてしまうのです」
二つ目を一つ目の隣に置き、三つ目を取り出す。
「そのことについて少しだけ、僕の話を聞いていただけませんか?」
それを手で遊ばせながら、俺は正々堂々と交渉を始めるのだ。




