4-21 閑話 漢の花道 ──陰征く者の聖戦──
拙者は影。
闇に潜み、闇に生きる者。
敬愛するあの御方のため、今日も闇から闇へとこの身を走らせる。
拙者がねぐらとしているのは、元々は使用人が寝泊まりするための朽ちかけた建物だ。あの御方とここで過ごした蜜月の日々は、拙者の中で今も色づいている。
そのねぐらから出て、不愉快なほど白い建物へと向かう。
巡回する兵はいるが、その目を盗んで悠々と中に入った。拙者にとってその程度は造作もないことだ。
さて、今日の標的は決まっているが……まずは軽く情報を集めるとしよう。
柱の陰に身を隠していると、広い廊下の向こうから二人の人間の女が歩いてくるのが見えた。ここで働く女中であろう。二人は拙者の向かいにある、扉のない部屋に入っていく。
ふむ、手始めとしてはちょうどいいか。
素早く廊下を渡り部屋に忍び入る。この部屋には初めて入ったが、どうやら使用人の休憩所のようだ。二人は椅子に座って話をしている。
拙者は物陰に隠れて聞き耳を立てることにした。
二人はた他愛もない噂話に花を咲かせていたが、しばらくして興味深い話を始めた。
「そういえば、また魔石の値段が上がったわね」
「困るわよねえ……他の魔物の素材も、勇者が召喚される前より高くなっちゃってるもの。これじゃあなんのために喚んだのかわからないわ」
「本当よ。また一人いなくなったらしいし……リグリス様のために働ける尊さが、なぜわからないのかしら」
ほう、勇者はまたどごぞへと逃げたか。
この国━━リグリス聖国は数年前に異世界から若者たちを喚びよせた。だが、死亡や逃亡でもう三分の一も残っていまい。
「リグリス様がきっと罰を与えてくださるわ。せいぜい酷い死に方すればいいのよ。特にあの魔に堕ちた錬金術師は!」
「もしかして弟はまだ怪我が治ってないの?」
「ええ、回復魔術の施術料が高すぎるのよ。何度もかけてもらわなきゃいけないのに……全部あの錬金術師のせいだわ!」
なんと愚かな。己たちの成した非道を棚に上げ、好き放題に言いおって……。
天誅を食らわせてやりたいところだが、今日の目的はこんな下働きの者ではないのだ。ここで力を使うわけにもいかぬ。
口惜しいが、この者たちからこれ以上有益な情報は得られぬと判断してここから離れることにする。
「キャッ」
「どうしたの?」
「あ、ううん。気のせいみたい。でも……なんだか最近アレが多くない?」
「あー、そうねえ……なんでかしらねえ」
あちらこちらと寄り道しながら、建物の深部に向かう。そしてついに目的の部屋の近くにまでたどり着いた。
途中で潜入していた一族の者から、とあるモノを受け取った拙者は、無意味に高い廊下の天井に張りついて機をうかがっている。目的の部屋は蟻一匹ですら通さぬような重厚な扉で閉ざされ、その横では豪華な鎧をまとう騎士が目を光らせているからだ。
息を殺し、どれほどの時が経ったか。ようやく好機が到来する。
一人の男が廊下の向こうから、部屋の前までやってきたのだ。
騎士は男の顔を確認すると扉を叩いた。
「猊下、ゴルトゥス殿がお見えです」
「そうか、入れ」
騎士によって、扉が音を立てて開かれる。
無論この機を逃す手はない。だが、いかにこのまま壁づたいに素早く向かっても、見つかる公算が大きい。
故に拙者は力を発動する。
《不可視の悪魔》
この力により、拙者の姿は他者より視認されなくなるのだ。今まで幾度もの窮地を、この力のお陰で乗り越えることができた。
この驚異の技能……これこそがあの御方から頂戴した力である。
惜しむらくは、力に気づくのが遅れたがため、あの御方に披露できなかったことだ……いや、今はそれを考えても詮無きこと。この力を持ってして、あの御方のために忠義を尽くすのが報いであるはずだ。
おっと、物思いにふけっている場合ではない。この力は長くは続かぬのであった。
当然気づかれようもなく、開かれている扉から部屋に侵入する。
広い部屋の中にはきらびやかな家具や置き物が多く配置されていて、身を隠す場所に困るようなことはなかった。
部屋の奥には、朱色を基調とした衣をまとった老人が執務椅子に座っている。
この肥え太った老人こそが拙者の標的──リグリス聖国の政を取り仕切る、首席枢機卿であろう。
「ビチス枢機卿猊下におかれましては、本日もご機嫌麗しゅう」
ゴルトゥスと呼ばれた金歯の男は、部屋に入り形式通りの挨拶を述べた。
それに対しビチスは顔をしかめ、鼻で笑った。
「どこをどう見たら機嫌が良いように見える? たまには機嫌の良くなるような報告を聞きたいものだがな」
返答に窮するゴルトゥスを見て楽しむかのように時間を置いたのち、ビチスが「それで?」と促す。
「そなたが来たということは、勇者たちに関する報告だろう。早く申せ」
ゴルトゥスは勇者たちの動向を調査する役目でも担っているのだろう。
まあ顔にかいた汗を拭っているところを見れば、その報告は決してビチスの機嫌が良くなるようなものではないことが予想できる。
「で、ではまず先日逃亡した勇者についてですが、どうやら西の国ユージルから南に向かった模様です。懲罰隊を向かわせております」
それを聞いたビチスの眉間に、幾筋もの深い溝が生まれる。
「確かあの錬金術師のときも、そのようなことを言っておったな」
錬金術師……あの御方のことであろう。
「い、いえ、今回は間違いなく」
「ふん、どうかのう。あのときも間違いなく南へ向かったと言って多勢を向かわせたにもかかわらず、手掛かり一つ見つけられず……結局それらしき者の存在は、遥か西のマリアルシア。そうであったな?」
「はい……」
ひたすら縮こまるゴルトゥスを前に、ビチスは苛立たしげに指で机を叩き始めた。部屋にカツカツと小さな音を響かせることしばし、指を止めぬままに口を開く。
「もうよい、先日の者など。それよりも、あの忌まわしき盗人はどうなったのだ」
「それが、その、ようとして消息が知れず……」
「なにゆえだ。まさかマリアルシアに始末でもされたのか?」
「間者によれば、マリアルシアが神剣を確保したという噂一つもないようで……それは考えづらいとのことです」
「では一体どういうことだ。更に他所へと逃げたのか?」
「わかりません……」
流石あの御方。見事に煙に巻いたようだ。
遥か西か……すぐにでもあの御方のもとに馳せ参じたいが、それも叶わぬ。なればこそ、拙者はここで成すべきことを成さねばならぬ。
拙者が決意を新たにしている一方、速まっていくビチスの指の動きに耐えきれなくなったか、ゴルトゥスは声を裏返らせた。
「そっ、そもそも、情報ではあの男と思わしき者が神剣の力を使ったとのことですが、錬金術師などを神剣が選ぶなどということは有り得るのでしょうか? にわかには信じ難いのですが……」
「神剣がなにを考えているかなど知るはずがなかろう。神剣と意思を交わした者など、今のこの国にはおらんのだからな。その真偽を確かめるのがそなたの仕事であろうが」
「も、申し訳ありません」
いかにも『使えぬ』とばかりに、ビチスは大きなため息をついた。
「話は終わりか? 終わったのであれば去れ」
「いえ、まだ終わりでは……」
こちらも面白い話ではないのだろう。ゴルトゥスは言い淀んだが、やがて口を開いた。
「大樹海に向かわせている征伐隊から報告が届きました」
大樹海……この国の北に存在するという、獣人亜人が縄張りにしている広大な森のことだ。
征伐隊などと言えば聞こえはいいが、実質獣人たちを捕らえるための奴隷狩りに等しい。
「獣どもに肩入れしている離反した勇者たちは、十名ほどに上るようです。その中には、行方のわからなかった剣聖の元パーティーの者もいたとのことです」
「ちっ、剣聖め……己の女をきちんと手懐けておらんから面倒臭いことになる。奴を向かわせろ。己の不始末は、己で片づけてもらわねばな」
「大丈夫でしょうか……剣聖まで裏切るようなことになってしまっては」
「ふん、案ずる必要などない。奴はこの国での暮らしを捨てられるような者ではなかろう?」
「確かに……ではそのように差配いたします。それと報告がもう一つ……大樹海を探索中に、帝国の一軍と遭遇したそうです」
それは予想だにしていない報告だったのだろう。不機嫌そうに半ば閉じられていたビチスの目は大きく見開かれ、指の動きも止まった。
「なに!? 軍だと……哨戒の兵などではなくか?」
「はい。かなりの兵数で、木々を伐採しながら奥へと進軍していると」
「どういうことだ……なぜ今更になって帝国が北に手を伸ばす。しかも奥地へと」
少しの間黙ってビチスは考え込んでいたが、やがて頭を振った。
「読めぬ。ここにきて、唐突に帝国が動く理由が見当たらぬ…………だが伐採しているということは、獣どもと手を結ぼうというわけではないのだな?」
「恐らくは。獣どもは森を自分たちの物だと勘違いしていますから、帝国とは衝突していると考えられます」
「そうだな……ともかく、帝国軍の動きから目を離すでない。帝都の間者も増やして動きを探らせよ」
「はい、あっ、いえ、それは……」
ゴルトゥスの煮え切らない返答に、ビチスはまた眉間にシワを寄せた。
「なんだ。申したいことがあるなら申せ」
「その……間者衆を仕切っているマルク枢機卿が増員をお認めになるかどうか……」
マルク枢機卿というのは、首席枢機卿であるビチスの政敵なのだろう。苦々しくビチスは口元を歪めた。
「帝国の動きは国防に関する重要案件だ。奴とてそれくらいはわかろう」
深く息を吐き出したビチスの政治的状況は芳しくないと思われる。拙者がここに潜り込んだことも、その理由に関わっている。
ビチスが追い詰められている理由。それは──
「まったく……なにが勇者召喚で希少な魔石を多数無駄に失っただ。なにが勇者によってこの国は大打撃を受けただ。確かに勇者召喚を主導したのは儂だ。だが、マルクとて諸手を挙げて賛同していたろうに。それを儂ばかりに責任をなすりつけおって」
そうか……情報は得ていたが、やはりそうなのだな。
貴様か。
貴様があの方をこの地へ喚んだ首謀者か。貴様だけは絶対に許さぬ。
全ての元凶であるこの男に天誅を下す。
それこそが、拙者の成すべきことだ。
それがあの御方に報いることであるはずなのだから。
しばらく話を続けたのち、ゴルトゥスは退出した。
それから夜まで、ビチスは部屋を出ることなく書類仕事をこなした。
そして夜も更けて、持ってこさせた湯で体を清めたビチスは併設されている部屋に向かった。
ビチスに気づかれぬよう、拙者もあとに続く。
どうやらその部屋は寝所となっているようだ。天蓋つきの寝台に重い体を投げ出すと、ビチスはすぐに耳障りなイビキをかき始めた。
枕元に忍び寄っても、よく眠っているビチスは目を覚まさない。
よし、では開始するとしよう。
とはいえ拙者がやることなど、ほとんどないのだが。
柔らかな枕に半分埋もれているビチスの耳。
その耳の中に、背負っていたモノを放り込む。
それだけだ。
ここに来る前に一族の者から受け取ったモノは、上手いこと耳の奥へと入った。ビチスは一度唸って耳をほじったが、すぐにまたイビキをかく。
さあビチスよ。
あの御方を苦しませた大罪人よ。
貴様らの言う神の加護とやらが貴様にあるのかどうか、とくと見せてもらうぞ。
翌朝──鳥のさえずりをかき消し、窓のガラスを震わすほどの悲鳴が響く。
異変に気づき駆けつけた騎士が見たのは、寝台から転げ落ち、のたうち回るビチスの姿だ。
拙者は天井に張りついてその様子を眺めている。
すぐに騎士の一人が回復魔術師を二人連れてくる。その頃にはビチスは意味のない言葉を発し、統制を失った体を奇妙にくねらせていた。
その奇怪な動きに面食らいながらも、魔術師たちが回復魔術を施す。
しかしそれは一つ手前の、のたうち回る状況に戻るだけだった。しばらくすればまた奇怪な声と動きが始まる。
それを何度か繰り返している間に、高僧と思われる者が部屋に入ってきた。
高僧はしばらくビチスの様子を見ていたが、急ぎ退出する。そして戻ってきたその手には、金色に輝く液体の入った美しいガラス瓶が握られていた。
「やむを得ません。エリクシルを使います」
エリクシル──あらゆる病も傷もたちどころに治すという霊薬だったか。
いかに大国であるリグリス聖国とはいえ、数少ない貴重な品であるのは疑いようがない。
それをここで使うか……。
落胆? とんでもない。願ってもないことだ。
最早呼吸もままならなく、痙攣するだけとなっているビチスの口にエリクシルが注がれる。
その効果はてきめんだった。瞬く間に、表情と呼吸が落ち着く。
部屋にいる拙者以外の全員が胸を撫で下ろした──次の瞬間のことだ。
ビチスの顔が、苦悶に染まったのは。
またしても悶え苦しみ始めたのを見て、高僧が開いた口を戦慄かせる。
「馬鹿な……なぜだ!? エリクシルは確かに効いたはずだ!」
くくく……やはりこうなったか。貴重なエリクシルを無駄にしたものだ。
さすがに治らない理由がわからないまま、二本目のエリクシルを使いはしないようだ。「なぜだ」「どうにかしろ」と高僧は魔術師にわめき散らすのみである。
そして回復魔術で散々苦しみを長引かされたのち──諸悪の根源たる男は、永遠の眠りについた。
三日後、ビチスの告別式が盛大に執り行われた。
その場において、なぜビチスが死んだのか人間たちは知ることになる。
それは大勢の信徒が見守る中で起こった。
皆に見えるように傾けられたビチスの棺。高僧の一人がその中に花を捧げようとしたとき、異変に気づき叫んだ。
「う、動いている……まぶたが動いている!」
確かに閉じられたそのまぶたは、まるで懸命に開こうとするかのように震えていた。
数名が駆け寄って、その様子を確認している。
その彼らの驚きの声は伝播し、信徒が聖者の復活という奇跡を口にし始める。
誰しもが固唾を飲んで見守る中、その時が訪れる。
まぶたが内側から食い破られ、黒い物体──卵から孵った拙者の血族が這い出てくるというその時が。
希望は絶望へ。
歓喜の声は悲鳴へ。
だがまだ足りぬ。
貴様らを恐怖の沼へと沈めてみせよう。
拙者の戦はここから始まるのだ!
紅い。
紅い。
全てが紅く染まる。
視界を埋め尽くすは、踊り狂う真紅の炎。
開戦当初、拙者らは優勢であった。
ビチスと同じやり方で、立て続けに名のある僧三名に天誅を下した。
政庁舎は拙者らの手に落ちた……かに思えた。
だが、拙者らはことを急ぎ過ぎたのだろう。
四人目を誅殺したところで、聖国の反撃にあってしまう。政庁舎に配備される兵が大増員されたのだ。
正面から戦えば、拙者らに勝ち目などない。それでも隙を突いて一人を誅殺したが……それが限界だった。
騎士と魔術師さえも投入されたことにより、政庁舎からの撤退を余儀なくされた。
そうして逃げ戻ったねぐらに、あろうことか聖国は火を放ったのだ。まさか建物ごと拙者らを葬ろうとするとは……。
ひたすらに紅く。
あの御方との思い出が詰まった部屋が、炎に埋め尽くされていく。
火に炙られながらそれを眺める拙者の周りには、一族の者たちが集まっている。拙者が戦に巻き込まねば、皆には生き延びる道もあっただろうが……。
そう思い見渡すが──そうか、悔いはないか。
代を重ねるごとにあの御方から授かった知性は薄れていったが、皆の目からははっきりとした意志が伝わってきた。
ならば拙者も思い残すことはない。
壁が崩れ、柱が倒れる中、脳裏に浮かぶのはこの部屋で共に過ごしたあの御方の姿。
いつの日か知ることがあれば、拙者の働きを喜んで頂けると良いのだが。
笑みをたたえたあの御方の顔を幻視したが、降り落ちる天井にかき消された。
この建物が完全に崩れるのも時間の問題だろう。
佳く生きた。
愉しかった。
どうか、どうか貴方様も愉しまれますよう。
拙者は最早これまで。
いざ、さらば!
この醜く愉快な現し世よ!
我が名はブラック三郎丸!
橘真一第一の家臣なり!
ご無沙汰過ぎることを、深くお詫び申し上げます。
その久々の投稿が奴らの話というのはあれですが。
それと勘違いされないように、これだけは伝えねばなりません。
作者は奴らのことが震えるほど嫌いです。




