4-3 人の夢は儚かった
うめき声を聞き、俺たちは誰かがケージバードに食われてたことを思い出した。
ケージバードの胸をこじ開け引っ張り出したのは、三十過ぎくらいの男だった。
装備はボロボロで皮膚はただれてたりもしたが、命に別状はないようだ。服とかを引っかけられて食われたのだろう。大きな傷もなかった。
一番ひどい傷はどれかといえば、火傷だ。ニケがなにも言わずに中級ポーションをかけていた。
そして消化液のせいで臭かったので水をぶっかけたら、意識もはっきりとした。
初めはニケとルチアを見て、あの世から美女がお迎えにきたと思ったようだが。
「本当にお前らが助けてくれたのか……」
今は地面に座り込み、首だけ動かしてケージバードを眺めている。
「子供一人と美女二人……どっかで聞いたような……いや、それより礼が先だな。まさかあそこから命を拾うことができるなんてな。ありがとよ」
俺たちに向き直った男は、座ったまま頭を下げた。
「どういたしまして。で、お兄さん、パーティーは?」
俺が尋ねると、男は照れ臭そうに笑う。
「お兄さんはやめてくれ、柄じゃねえ。オレの名前は━━」
「パーティーはどうしたんですか? お兄さん。助けにきますか?」
なかなか気の良さそうな男だが、生憎こいつの名前になど興味はない。ただでさえ女ダイバーじゃなくてがっかりしてるのだから。
「お? あー、パーティーは四十九に行ったはずだ。もう少しで四十九ってところで、他の魔物とケージバードに襲われてな……俺たちはかなり消耗していたし、俺を助けにくるようなことはねえはずだ。あいつなら判断を誤るような━━」
「マジックバッグはどうしたんですか、お兄さん。持ってないですよね?」
「あ? ああ、マジックバッグなら捕まったときに咄嗟に仲間に投げてきた。どうせ俺はもう助からねえと━━」
マジックバッグの所有者登録を解除する方法はあるのだ。手続きがめんどくさいけど。
こいつが機転を利かせた話なんてどうでもいいから、俺はまた話をぶったぎる。
「装備ボロボロですね。それは修理するんですか?」
「ん? いや、これはもう駄目だ。新調するしか━━」
「そうですか、それはよかった」
「え?」
それならなにも問題ない。
ニケから降りた俺は、男の後ろに回った。
ボロボロの服の襟首を掴む。
「おい? なにを━━」
掴んだまま男を振り回し、回転を始める。俺だってそれなりのステータスなのだ。これくらい余裕である。
「ちょっ!? うおっ、なにうおぉぉおぉ!」
初めは回転半径も大きかったが、安定したので俺を軸としてぶん回す。男は弱っているせいもあって、手足は伸びきりなされるがままだ。
そして勢いが最高潮になったところで手を……放すっ!
もちろんムロフシ張りの雄叫びも忘れない!
「うあああ゛あ゛あ゛あ゛! んだっ! んにゃっ! なあああ゛あ゛あ゛!」
「うおおおぉぉごへっ! おおおぉぉぁぁぁ…………」
ライナーで飛んでいった男はワンバウンドしたのち、地面に空いた穴にスポーンとホールインワン。俺の雄叫びが終わる前に闇に飲まれていった。
渾身の投擲を決め、爽やかな汗を拭う。
「ふう、世界記録まであと一歩というところか。ちょっと角度が甘かったかな?」
「マスター……」
「主殿……」
「とにかくこれにて一件落着。いやー、いいことしたあとは気分がいいな」
「いいことか!?」
「ええ!? 他にどう言えばいいんだ!?」
穴に落ちれば入り口まで跳ばされるのだ。そうすればすぐに地上に戻れる。
あんな状態で俺たちについてくるより、よっぽど安全だと思うんだけど。知らんやつを《研究所》に入れる気はないし。
例えあの男の中身だけ別人になっていようが知ったこっちゃない。どうせ俺たちがほっといたら死んでたわけだし、そこまで責任は取れん。
「相変わらずの独断専行ですが、マスターにしてはよくやった方かもしれません」
「まあ……確かにそうか」
「さあ二人とも、なにをぶつぶつ言っている。オマケが片付いたのだから、本題に移ろうではないか」
「本題、ですか?」
首を傾げる二人を置いて、俺はケージバードに近づき羽根に触れた。
「こういうことだ」
途端にケージバードは翼をばたつかせながら起き上がった。そう、俺のスキル《人形繰り》だ。
折れてる首はぐらぐらしてるが、体を動かすことに支障はない。多少手間取ったが、二本足で立ち上がる。
「そんなものを操ってどうするのだ?」
「ふふ、決まっていよう。俺たちはこれから、重力という枷を取り外すのだ!」
つまり、こいつに乗って空を飛んで無重力体験しちゃおうぜ、ってことだ。
ケージバードがさっきの男を捕まえて飛んでいるのを見て、ピンときたのだ。ケージバードは強いから、こいつの腹の中に入っていれば他の魔物に襲われることはないのだ。
「正気の沙汰とは思えません」
「主殿が言っていた無重力というやつか。あの男を助けたのは、そのついでだったのだな……しかし、興味はあるな」
「ルクレツィア!?」
愕然とした表情で、ニケは造反したルチアを見つめる。だが、続くルチアの言葉で表情をゆるめた。
「けれどこんな大きなものをちゃんと飛ばすことができるのか? あまり危険なようであれば賛同はしかねるぞ」
「そうですそうです」
必死にコクコクと頷くニケ。冷静じゃないニケも珍しくて面白い。理由はわかりきっているが。
「小さいのはいけたし、大丈夫じゃないか? ちょっとやってみるか」
前にちっちゃい鳥型魔物は操ってみたことがある。上手に操ることはできずフラフラとしたが、飛ばすことはできた。
そう思ってやってみたのだが……。
「なぜ飛ばない……」
ピョンピョンしながらばっさばっさと必死に羽ばたかせてみても、一向に飛ぶ気配がない。
「ほらごらんなさい。これでは到底不可能ですね。そもそも人が空を飛ぼうなど無謀であり、摂理に反しているのです。当然の帰結としか言いようがありません」
ニケが鬼の首を取ったかのように捲し立ててくる。おのれ……。
こうなったら意地でも飛ばしちゃるわい。
しかし、なぜ飛べないのか……というか、逆になぜ飛べてるんだ?
ケージバードは見た目よりは軽いが、それでもかなり重い。翼の生み出す推力では、物理法則的に飛べるとは思えない。
…………それはつまり物理法則外の力が働いているということか。
ということは━━
もう一度羽ばたかせてみる。今度はひっくり返って倒れてしまった。
それを見てニケは「ふふっ」と笑っているが、その笑みがいつまで続くかな?
なにせ手応えはあったのだ。問題は出力不足とバランス調整だ。さてどうするか…………やはりこんなときは無線より有線だろうか。
そう考えて、立ち上がらせたケージバードの背中に飛びつく。
ニケとルチアが驚きと心配の声を上げているが、今は無視だ。
目を閉じ、広げた翼に意識を集中させる。
《人形繰り》を強く念じ、物理法則外の力━━魔力を左右均等に流しながら再び羽ばたかせる。
慎重に少しずつ流す魔力の量を増やしていくと━━
「お!? おおぉ!」
浮いた! 浮いてる! 俺空飛んでるよ!
「と、飛んだ」
「そんな、まさか……」
驚く二人の顔を見下ろしながらしばらく低空で練習した俺は、穴が近くにない場所にケージバードを着陸させた。
「どや、文句あるまい」
もちろん自在に飛べたりはしないが、ただ上昇するなら問題ないだろう。
「凄いぞ主殿! これなら本当に行けそうだ!」
興奮するルチアに対し、ニケは顔が硬直している。透き通る肌は、白を越えて青白い。この世の者とは思えない美しさが、あの世の者の美しさになってしまった。これはこれで色気があってイイね。
「きっ、危険です」
「多少の危険は承知の上だ。こんなまたとない機会を逃すわけにはいかん。四十九階層の入り口までの間だけだし、ほんの少しだって」
「ですが」
「まさかニケ殿、怖いのか?」
ローパーのときの仕返しか、ルチアはちょっとニヤついている。いいぞ、もっと煽ってあげたまえ。
「こ、怖くなどありません」
「やはり乗り物が苦手なのか」
「苦手などではないと言っているでしょう!? それにこんなもの乗り物とすら呼べません。私はただマスターの安全のために」
「主殿の望みを叶えるのも我々の役目だろう。これほど主殿が望んでいるのだから、ここは従うべきだと思うが」
「それは……くっ」
ルチアの説得に、ニケはがっくりと項垂れた。
そして、物凄く嫌そうながらも折れたニケに水を出してもらって、ケージバードの腹を洗い流した。
ケージバードに《憑依眼》を張り付け、腹の中に乗り込む。
「マスター、狭いです……」
「我慢だ」
「マスター、臭いです……」
「我慢だ」
「マスターが臭いです……」
「悪口まで言い出した!?」
必死の抵抗を試みるニケをなだめつつ、夢の無重力体験の準備が整った。
「ワクワクするな、主殿!」
ルチアはケージバードの胸部をぶち抜いて作った窓から外を眺めながら、顔を輝かせている。
「こんなことのなにが楽しいのですか……」
ニケは震える手で俺の首にしがみついている。翼を羽ばたかせ始めると、「ひぅっ」と悲鳴が上がる。
まあニケには悪いと思うが、いよいよ出発だ。
「よし、では行くぞ!」
ニケはあれなのでルチアと顔を見合わせ、力強く頷き合う。
流す魔力を強め、俺たちは遂に大空(土管内)へと羽ばたく!
「テイクッ、オーーーーふぐぶっ、ニゲ、ぐるじっ」
浮いた!
そう思った瞬間、ニケが思い切り締め上げてきた。
あっ、意識が……遠のいて…………。
気づいたとき、俺はルチアに膝枕されていた。
「起きたか、主殿」
「ルチア……そうか、俺はニケに落とされて」
「ああ。わざとではなかったようだが……」
俺はどうやらニケの乗り物嫌いを甘く見ていたようだ。エロいことしてるときでも締め落とすまではいかなかったあのニケが……。
くそう、まさか乗り物に負けるなんて。
「それでニケは?」
「あー、えっと」
ルチアの視線の先を追いかけると、ニケが鬱憤を晴らすかのように笑顔でケージバードを解体していた。
俺たちの夢は儚く散った。
「なあルチア……」
「ああ……」
「凄く無駄な時間を過ごしたな……」
「そうだな……」
清々しい顔をしているニケを見ながら、俺たちはしみじみと呟いた。
「人生って、むなしいものですね」
「帰ってきた早々なんですの?」
あのあと普通に徒歩で四十九階層に到着した俺たちは、地上に一旦帰還した。ルチアのお祝いはセレーラさんへの報告のあとでやることにした。
夜更けにも関わらずまだ仕事をしていたセレーラさんは、ギルド前にいる俺たちを見てすっ飛んできて今に至る。
「どれだけ努力しても、どれだけ時間をかけても、水泡に帰すときは一瞬なんだなと思いまして」
「しつこいですマスター」
「よくわかりませんけれど、人生なんてそんなものですわ。無駄に思えるようなことを積み重ねて、いつの間にかなにかが変わっていて……。目覚ましい成果も、劇的な変化も滅多にあるものでは……」
さすが年の功というべきか、含蓄ある言葉を伝えていたセレーラさんが、突然黙って見つめてきた。
「どうしました?」
「いえ、貴方はきっと劇薬なのだろうなと思っただけですわ」
「それはつまり、二人で恋という名の化学反応を起こそうという意味でいいですか?」
「全然よくありませんわ」
なんだ残念。
「本当に貴方たちは心配するのが馬鹿らしく思えてきますわね」
俺たちを何度も見渡し、セレーラさんがため息をつく。
「どうやったら長い間潜り続けて、そんなに元気でいられますの。寝泊まりは大変でしょうし、食材も普通の物は長持ちしないでしょうに」
探っているような、いじけているような……セレーラさんにも複雑な思いがあるのだろう。
「ふふ、秘密です。知りたければ我が軍門に降るといいですよ」
「結構ですわ。それでどこまで行きましたの?」
「四十九です」
階層を報告すると、しばらく目をつむっていたセレーラさんは、またしてもため息をついた。
そして開かれた目には、なにかの決意がこもっていた。
「わかりました……私も覚悟を決めましたわ。王都のギルド本部に、貴方たちのことを報告します」
セレーラさんはびしっと、そう言い切った。
むむむ、それはつまり全面戦争やむなしということか?
などと考えていると、セレーラさんが縦ロールをみよんみよんさせながら首を振った。
「勘違いなさらないで。貴方たちがS級になる権利を得た暁には、ステータスの開示を免除するよう取り計らっておく、ということですわ。どうせそれまでここから出る気はないのでしょう?」
なんと……まさかセレーラさんがこんな簡単に折れてくれるとは。
ニケとルチアも、意外な展開に小さく声を上げた。
まあS級になったら、俺たちがめっちゃごねることが予想できたのだろうな。
「ありがとうございます! でも大丈夫ですか? 例外を認めるよう働きかけたりしたら、セレーラさんの立場が悪くなるのでは? 僕たちが本部に直接訴えに行っても構いませんが」
「それはやめていただきたいですわ……怖すぎますもの。私の心配なら無用ですわ。今は都合がいいですし、それに多分領主様経由でギルドには報告が行くことになると思いますし」
先に国の方に話をつけてから動いてもらうということか? 都合がいいというのもよくわからんし、なんとなく釈然としないが……まあきっと大丈夫なんだろう。
「私の立場を心配してくださるのなら、今すぐそこから出ていただくのが一番ありがたいですわね」
「それはちょっと……」
「それなら、必ず無事に帰ってきてくださいまし。そうでないと私の立場は非常に悪くなりますので」
そう言って、セレーラさんは柔らかく微笑む。やべー、本当にこの人いい女だわ……。
「約束します」
「信じますわ。で、それはそうとして……」
セレーラさんの微笑みで細められていた目が、じっとりとした半目に変わった。
「なにやら今日、またやらかしたそうですわね」
「そうです。ニケが俺の夢を打ち砕くというとんでもないことをやらかしました」
「しつこいです」
「違いますわ……他のダイバーを穴に放り投げたことですわよ」
そういえばそんなこともあった。
無重力ショックがあまりにもでかすぎて忘れてた。
「人として当然のことをしたまでです。褒められるほどのことではありませんよ」
「ええ褒めてませんもの……人を穴に投げるのが人として当然ってどういうことですの……むしろ人の所業ではありませんわよ。もう貴方に聞くのはやめます。説明していただけますかしら、ニケさん、ルクレツィアさん」
なんで!? 俺とお喋りしてよぉ!




