2-6 猶予をもらえた
その日、《研究所》内にルチアの興奮した声が響いていた。
「つまり……私の体を元に戻せるというのだろう?」
「いや、そうなんだけどちゃんと話聞いてた? 元に戻すのはリスクがあるんだって」
色々脳内でラボの支援を受けて検証した結果、ルチアを錬金素材として使うことができるとわかってしまった。
大丈夫か、錬金術。なんか怖くなって……きてないけど。やっちゃダメならできないよね? だから神罰とかは当たらないと思うの。
ただ、思うところがあって、すぐにこのことをルチアに話したりはしなかった。
五日ほど街で買い物したり、二人とベタベタしたりして過ごした。ルチアともだいぶ打ち解けたはずだ。
そしてさっき、錬金術でルチアの左腕を取り戻せるという話をした。それがリスクのある方法であることも。
「もう一回、今度はじっくり話すからよく聞いとけ。エリクシルを作るまで待たずに、手っ取り早くルチアが左腕を得る方法は三つ。まず一つ目は、普通に俺が作る義手を装着する方法。これは着脱できるし、安全面では全く問題がない。でも自分の腕のように器用に動かす、というのは難しい。反応の遅延も出るかな? でも盾を持つだけならそんなに問題はないと思う」
テーブルに身を乗り出し、かなり前のめりな体勢で眼帯姿のルチアは話を聞いている。自分の腕が治るかもしれないとあっては当然だろう。
ニケは澄まし顔で紅茶を飲んでいたが、ルチアをちらりと見て紅茶を置いた。
「先ほどは言いませんでしたが、私は戦闘でルクレツィアが義手を使うことは反対します。無論平時であれば有用だとは思いますが」
「なんで?」
「ルクレツィア、貴女が一番わかっているでしょう?」
ニケに発言を促されて、ルチアは気まずそうに苦笑いして頬をかいた。
「そうだな……戦闘には使えないかもしれない。一番大きな理由は、盾を使うということは受け身であるということだからだ」
「どういう意味だ?」
「盾で攻撃を受けるというのは、簡単に見えるかもしれないが思いのほか難しいことなのだ。相手の攻撃に合わせて力を入れるべきときは入れ、抜くときは抜き、受ける角度を決め……そういったことを瞬時に判断して動かなければならない」
「そうですね。そんな中で思う通りに動かない義手を使えば簡単に崩され、ルクレツィアは危機に陥るでしょう。攻撃や回避を重視する戦い方をするのであればまだしも、盾で受けることを前提とした戦い方の場合は致命的です」
「なるほどなー。素人考えだったわ、すまん」
俺が頭を下げると、やめてくれとルチアは首を振った。
「こちらこそすまない。義手なんて高価だからな……そういった物を与えてくれようという気持ちが嬉しくて、言い出せなかった」
「あのな、金も素材もどうとでもなるが、ルチアに替えは利かないんだから思ったことはちゃんと言ってくれ。マジで」
ルチアが嬉しそうに笑って頷く。
ルチアの笑顔は普段の雰囲気よりも少し幼く見えて、凄く可愛らしい。これまで歯を食いしばって生きてきたルチアには、これからはずっと笑っていて欲しいと思う。
だから変顔してみたのに、可愛そうな目で見られてしまった。悲しい。でも歯を食いしばって頑張る。
「マスター、私は」
「ニケは唯一無二だ」
「ならいいです」
ルチアに替えが利かないのと同様、それもまた間違いのない事実だ。
ハーレムのコツとはダブルスタンダードをいかに自分自身で信じ込めるかなのだ。多分。
「義手が戦闘には使えないことがわかったところで次だ。新しい腕を錬金術でルチアと合成する場合。これは今までの体に新しい腕がくっつくだけだな。新しい目もつけられる」
これは本体をいじることはなく、でも新しい部位はもとの部位のように本人の管理下に置かれる。今はその部位が存在しないからこそ可能な方法だ。
「決して『だけ』などと言っていいものではない気がするが。素材によっては能力も今までより上がるのだろう?」
「まあね。でもあくまでもベースはそのままのルチアだから、左腕だけが硬いとか軽いとか重いとかギミックついてるとか飛ぶとか、その程度。目は魔眼をつけられると思うけど」
「飛ぶのか……腕が」
目線を上げてるルチアは、ぽわんぽわんぽわんって感じで想像してるんだろうが、いまいちイメージできずに首を傾げている。
飛ぶのはデフォルトだと思うんだが。異世界の常識って難しい。
「問題は、将来エリクシルを使ったときどうなるかわからないこと。他には無機物だとメンテナンスが必要にはなるだろうな。有機物だと……カロリー消費が上がったりすることがあるかも? やたら腹減ったりとか。あとは……今までの腕と重さや長さを変えるとバランスが悪くなりそう」
「それは避けたいところだ。できれば以前と同じような使い勝手がいい」
「さっきの話を踏まえると、やっぱりそうなるか。となると俺の作り手としての腕にかかってくるというわけか」
この方法で治す場合、どうにかしてもとのルチアの腕と重さ長さを変えずにロケットパンチできる作りにしなければならない。そしてそこにどうやってドリルを組み込むか。難題ではあるが、やらねばならぬ。
俺がルクレツィアMarkⅡの構想を練っていると、ルクレツィアMarkⅠが待ちきれないといった様子で、さらにテーブルに身を乗り出した。
「それで、最後の方法は本当なのか」
シャツのボタンを二つ外しているルチアの胸元から覗く深い谷間に、俺は無言で指を差し込む。温い。
「ひあっ、な、なにをするんだいきなり」
すぐに体を引いて逃げられてしまった。ニケが忘れてしまった(元からなかった)初心さが新鮮である。
温もりを失った指先が寒い思いをしていると、ニケが胸元を見せつけてきた。そんなニケも大好きです。でもここはスルーしておく。不服そうに頬を膨らますニケもまた可愛い。
「だって三つ目はおすすめじゃないし。それやると━━」
三つ目は、ルチアを丸ごと錬金してしまう方法だ。
不足している体組成を他の素材で補ってルチア本体と混ぜるか、今ある体組成すら取り替えてしまうか……程度の差はあれ、それをやってしまうと──
「私と同じ種族になるのですね」
そう。ニケと同じ『錬成人』になるのだ。
試しに錬成人にできるかシミュレーションしたらできてしまったのでつい話してしまったが、言わなければ良かった。
ルチアはなぜかこの方法にやたら食いついてくるのだ。
「正直にわかには信じられない思いもあるが、ニケ殿という存在がいるのだから可能なのだろうな……それで、錬成人になればニケ殿に近い強さを得られるのだろう? 率直に言って武に全力を傾けてきた身として、強くなることに憧れはある」
「人間やめてでも?」
人間と錬成人では色々と違うのだ。それはちゃんと説明してある。
ルチアは目を閉じ、心の内でなにかを噛み締めているようだったが、少ししてはっきりと頷いた。
「そうだな」
ルチアはそこまで戦闘民族だったか。別にそれは悪いとは思わないんだが……。
「でも言ったろ? 危険性があるって」
ルチアを錬成人にするシミュレーションは、確かに可能という結果を出した。
けれどこんなことは今まで錬金してきて初めてなのだが、『ブレる』のだ。
普段錬金するとき、まずは素材を決める。そしてその素材で作った完成形を想像しながら、「錬金してやんぜ!」と考える。
それが作成可能な場合は、ラボの支援効果を受けて俺の想像がクリアになる。まるで古ぼけた白黒写真が、最新カメラで撮ったカラー写真に変わるように。
スキルレベルが足りなかったり、素材が不適合で作れない場合は白黒写真のままだ。
しかし今回は、脳内に浮かぶ錬成人となったルチアの姿にノイズが走るのだ。カラー写真でありながら。
そんなことはかつてなかったので、理由はわからない。
今になって思い出したが、実は聖国にいた当初、生きたゴキブリを錬金素材にしたことがある。そのときは上手くいってノイズなど走らなかった。元気にしてるかな、ブラック三郎丸。太郎丸と次郎丸と花子丸のことは聞いてはいけない。
そのあとネズミを錬金しようとしたが、どうともできなかったのですっかりそのことを忘れていた。今思えばスキルレベル不足だったのだろう。
ノイズについてルチアという個人に問題があるというわけではないと思う。
人というものを特別視したいわけではないが、錬金素材としては他の生物となにかが違うのかもしれない。ニケのときだってブレたりしなかったし。
いずれにせよ、ルチアの錬金は成功する感触はあるものの、不確定要素が存在しているのは間違いない。
なにが起こるかわからない以上、俺としてはルチアを錬金するのは避けたいのだが……。
「だが成功はするのだろう? 私としては是非お願いしたい。強さへの憧れということ以上に、私が強くなれば主殿の安全性は増すし、私自身二人の荷物になりたくはないのだ」
とにかくルチアがグイグイくるのである。
「その気持ちは嬉しいけど……」
「主殿、私は嬉しかったのだ。こんな私を普通に扱ってくれること、私のためにエリクシルを作ると言ってくれたこと。本当に嬉しく思っている。だからこそ役に立ちたいと思うし、それに━━」
ルチアは一度ニケに目を向けてから、俺に向き直った。
「正直ニケ殿に劣等感も感じている。戦士としてだけではなく、女としても。別に自分を美しいなどとは思わないが、叶うことならば早く貴方に私の元の姿を見てもらいたい」
ルチアは美しさを競いたいというわけではなく、本来の、生まれたままの自分を見せられないことを残念に思っているのだろう。
でも今も片鱗は見えるし、騎士時代は男にかなり声をかけられてたみたいだし、凄い美人なのではないだろうか。
「むろん主殿が私の見た目を気になどしていないことはわかっている。単にこれは私のわがままだ」
うーん……そういう風に言われるとなぁ。
少し話は違うが、ルチアは俺が街中でいちゃつこうとすることを嫌がる。俺が奇特な目で見られるのが嫌らしい。
俺もルチアに肩身の狭い思いはさせたくないのだが……。
「でも錬金したら逆に変な見た目になっちゃうかもしれないぞ? 脳天からキノコ生えたりとか」
「それは困るが……私がそんな姿になったら主殿は私を愛せないか?」
挑戦的に口角を上げるルチアに対し、俺は首を振る以外の選択肢を持たない。
「それなら失敗しても、女としての私のわがままが叶わないだけだ。大きな問題ではない。強さと元の体、両方を得る可能性があるのであれば、私は賭けたい。主殿、私の欲張りを許してはもらえないだろうか」
ルチアの瞳の奥に強い想いを感じる。なぜこれほどに、と疑問に感じるくらい。
これはもう説得は難しいような気がしてしまう。
「むぐぐぐぐ……ニケはどう思う? 反対だろ?」
こういうときはニケに助けを求めるに限る。冷静に判断してくれるはずだ。
「私は賛成です」
まさかの裏切りだと!?
「ヌゥィゲザァン! ルラギッタンディスカー!」
「何を言っているのかわかりませんが、私はマスターのことを第一に考えていますから」
「んー、それってつまり、ルチアが戦力になるから?」
「その通りです。ルクレツィアの錬金は、彼女だけに限らず私の強化にも繋がります。二人で戦った方が、より強い魔物を狩ることができますから。そうなればよりよい素材を得て、一段飛ばしで強化されることになります」
「それはそうなんだけど」
錬成人の強みはそこだろう。
錬成人はレベルがない替わりに、《アップグレード》で強くなっていく種族だ。
レベルがないので格下をいくら倒しても強くはならないが、格上を倒せればその素材で一気に強くなれる。
魔物にはステータス数値が高いものが数多くいる。だから人はパーティーを組んで魔物と戦うわけだが、そのステータスを丸々とはいかないかもしれないが錬成人は自分のものにできる。
ニケは戦術と優秀なスキルで格上と戦うつもりだったろうが、二人で戦った方が効率がいいのは間違いない。
「それに、これはある種の進化なのではないかと思うのです」
「進化?」
「はい。マスター、《アップグレード》ではなく、私を素材としてもう一度錬金することはできないのですよね?」
「うん。もう全然いじれないから見た目も変えられないし、機能の追加みたいなこともできない」
錬成人をもう一度作り直すようなことができるなら、錬金のブレについてここまで心配してはいない。スキルレベルが上がればできる可能性もあるが、不確定な未来任せにするわけにはいかない。
「人間は素材にできるのに、錬成人は素材にできない。それは錬成人というのが、より高位の存在だからではないでしょうか。であれば器と中身を融合させただけの私とは違い、ルクレツィアは人間から錬成人に進化すると言えるのでは?」
「ふむふむ、なかなか面白い考えだな。続けてくれ」
簡単に進化や退化という言葉を使いたくはないが、確かに生物単体としては進化すると言っていいのかもしれない。
「人からの進化。だからこそマスターの言う『ブレ』というのが生まれるのではないでしょうか。進化の先に何を掴み取るのか。それはマスターが決められることではないのかもしれません」
ストンと、ニケの言葉が腹の内に納まった。
俺は驕っていたのだ。
なんでもかんでも思い通りにしようとしたのだ。
だから思い通りにならない錬金を恐れ、拒絶した。本来錬金術なんて、結果が見えないものなのに。
「ですから錬金の結果がはっきりしていなくとも、私は悪い結末にはならないのではないかと思っています。それと最後に……ルクレツィアを錬金するとなれば、奴隷紋は外さなければならないのでしょう? どのような影響があるかわかりませんし」
そして、本当は気づいていた。
不確定だからと言ってルチアの願いを押さえつけ━━
「マスター。貴方が本当に恐れているのは、ルクレツィアが自由になってしまうことなのでは?」
━━ルチア自身を俺の思い通りにしようとしたことを。
だから開き直ることにした。
「だってだって出会って一週間も経ってないじゃないか。ほんとは俺のことがへどが出そうなくらい嫌いで、逃げられちゃったらどうすんだよ。ルチアはそんな人じゃないって思いたいけど、まだそこまで信じ込めてないんだよ。ルチアに逃げられたら俺泣くよ? 街の中心で大泣きするよ? 世界の中心でギャン泣きするよ? どうかお願い、逃げないでください! それにそれに…………隻腕隻眼の硬派で凛々しいルチアを組み敷くのって、なんだか妙に興奮したんだよ! 歴戦の武士を好きにしちゃってる感があってゾクゾクしたんだよ! 下半身にティンときちゃったんだよ! エリクシルを作るって言ったのも錬金のブレが怖いのも嘘じゃないけど、もう少し今のルチアを味わっていたいんだ! それでもルチアが片腕なのはやっぱり大変そうだなと思って今日治す方法を話したけど、本当はもうちょっとあとにしたかったんだ最低でごめんね!」
「「えぇ…………」」
十日間だけ猶予をもらえました。いやっほう!