6-25 見えなかった
「結構登ったなー」
獣人の集会所キャンプから北に数時間。
俺たちは獣人がケルレラ山と呼ぶ、一際高い山に登っている。
もう周囲には背の低い木や草しか生えておらず、視界をさえぎることはない。俺を抱えるルチアが足を止め、眼下に果てなく広がる森を眺めた。
「そうだな。しかし、やはり少し霞んでいるか」
頂上からの眺めが格別だということでこのケルレラ山まで来たのだが、今日は天気はいいが春霞が出てしまっている。
「残念ですわね……でも本当にこんなことをしていていいのかしら」
後ろに続いているセラの悩まし気な呟きを、ニケが拾った。
「いいのではないですか。それが彼らの選択なのですし」
「それはそうですけれど……私たちはこちらに来てから観光ばかりしていて、申し訳なくなってしまいますわ」
三日前に判明した帝国の狙い──ミスリル鉱床奪取。
その進路で待ち構えるために獣人たちが出立したのが昨日だ。だいぶ東にはなるが、絶好の襲撃ポイントがあるらしい。
ただ、その中に勇者はいない。
二大巨頭の長が、揃って助力を拒絶したからだ。
『もう貴様らの手など借りぬ。この度は我々だけで行く。貴様らにこれ以上貸しを作っては獣人の名折れよ』
『そうさね。アタイらのことはアタイらでケジメをつける。アンタらはここで子守でもしときな』
そう言われて、結局ティルの集落の者たちまでもが残されることになった。
トゥーブさんとしては汚名返上しなければならないし、内通者を確保したティルたちに遅れを取るわけにいかないというのはわかる。
しかしシャニィさんまで勇者を排除するとは思わなかった。
言っていたとおり自分たちでケジメをつけたいというのと、ミスリル鉱床を含む外樹海の東はネコ系獣人のテリトリーであることも理由の一つなのだろう。
種族総出でこの戦いに挑むと語ったシャニィさんの瞳には、並々ならぬ決意がみなぎっていた。
さらにはネコ系獣人だけでなく、その派閥に属する獣人のテリトリーも東側であり、それらの種族は集合キャンプから全員去っていった。
それにしたって、子守でもしとけなんてことまで言わなくてもいいのに……このあいだ感じが良かったのはなんだったのか。
とはいえ──
「俺たちとしてはありがたいけどな。ここまできてティルについてって操が戦闘で死んだりしたら、骨折り損もいいところだ」
「ティルさんたちを連れていくと、どうしても勇者の方々までついてきてしまうから置いていったのかしら。なんだか結局、ニケさんが言っていたとおりになりましたわね」
そういえばニケは、獣人が人間の助力を素直に受け入れるとは思わないって言ってたな。
「そうですね。カヨたちなどは戦うこともなく、なにをしに来たという話になってしまいましたが」
「腕を振るえず、無念だっただろうな」
ルチアよ、みんながみんなお前のように戦闘狂なわけではないんだよ?
それにしても、内通者だったイタチ獣人まで連れて行ったのには驚いた。裏切るようなら後ろから引っ掻いてやるとシャニィさんは笑っていたが、大丈夫なのだろうか。
もはや俺たちには手の出しようもないし、どうでもいいか。
それから少し進むと上部が平らな大きい岩があり、その上で休憩することにした。
春とはいえ標高も高く涼しいので、ニケに温かいお茶を出してもらって三角形で向き合った。
「うーん、やっぱ見えないなー」
ルチアの膝の上で正面に当たる北を眺めてみるが、目当てのものは見当たらない。
「ドワーフの山々は、春霞の遥か先のようですね……ププッ」
実はこのケルレラ山に登った一番のお目当ては、亜人であるドワーフが暮らす火山群だったのである。
運が良ければ大樹海を真っ直ぐ北に抜けた先にあるその山々を、ここから見られると前にポーラさんから教えてもらったのだ。
でも自分のダジャレに笑うニケちゃんの言うとおり、今日は無理なようだ。
「あの山々は常にどれかから煙が上がっているような状態で、フジサンとはまた違った壮大さを有している……と思います。それをできれば今の己の目で見たかったのですが」
「私も見たかったですわ……活動している火山が王国の南部にはありますけれど、私はまだ見たことがありませんの。帝国には火山はありませんわよね?」
セラに話を振られたルチアが頷く。
「ああ、あると聞いたことはないな」
意外だ、帝国はあんな広いのに。
でも火山ってあるところにはそこかしこにあるが、ないところには全然ないか。
「だが火山は水晶ダンジョンで見たし、私としては山々よりもドワーフの暮らしに興味があるのだが」
文化人類学的なことを言い出したルチアに、セラがフッと笑う。
「ルクレツィアさんが興味があるのは、彼らが作る武具なのではありません?」
「そ、そんなことは……ないこともないが」
可愛く恥じらっているが、やはり戦闘狂である。ドワーフは高度な金属加工技術を持っていて、いい武器や防具を作るらしいのだ。
そこでふと思い出した。
「そういえば疑問なんだけど、帝国は武具とか技術欲しさでドワーフ狙ったりしないのか? さすがに遠すぎるか?」
今回の帝国の進攻先も、三人や獣人は初めからその可能性を考えていないようだった。それが不思議だったのだ。
「狙いませんね。遠いというのもあるとは思いますが、ドワーフは頑固で連帯感が強いですから。不可能とはいいませんが、無理に従わせようとしても反発は必至でしょう。それに狙わない理由としてはなによりも、良質の武具を作るからです」
「どゆこと? いい武具作れるから狙うんじゃないの?」
首を傾げる俺を見て、ルチアが愉快そうにしている。
「ははは、主殿は武具に興味がないからわからないかもしれないな。武に携わる者にとってドワーフが作る武具はアダマントの防具と一緒で、喉から手が出るほど欲しい品なのだ。入手できる保証もないまま、何ヶ月もかけてドワーフの元に直接赴く者があとを絶たないほどにな」
「冒険者も高ランクになればなるほど高い割合で、どうにかして入手したドワーフの武具を愛用していますわ。恐らく、聖国の冒険者でさえも。もちろん帝国は言うに及びませんわね。自分の命の次に大切なものは仲間ではなくドワーフの武具、というのは笑い話でもなんでもなく、そこらに転がっている話ですのよ」
ブランド信仰極まれり……と言うと少し悪い響きになってしまうが、実際にそれだけ良いものを作るんだろう。
「要するにドワーフを害するような行動を取れば、冒険者からも反発されるってことか」
国外の冒険者はもちろんだが、ドワーフを従わせることに失敗すれば国内の冒険者も反発するかもしれない。軍人なら気持ちは押し殺すかもしれないが、冒険者は気質的に自由だし、国とは一歩離れているからな……。
それでいて戦争や、特に国内の治安や経済に関して冒険者の存在は国にとって欠かせないものだ。
そういったこちらの社会構造では、冒険者の反目というのは致命的な損失になりかねない。
「なるほどねえ、そりゃ狙わないか。聖国で不思議なほどドワーフの話が出なかったのがよくわかった」
聖国の教義としてはドワーフの存在を許せないが、手を出すことはできないのだ。だから黙殺しておくのが一番いいということか。
「それにしても……ルチアはドワーフの武具が欲しいのか? それは俺が作ったケーンのレプリカに不満があるってことか」
「ちっ違うぞ、そういうことでは」
「ルクレツィア、不満があるのはどちらにですか。私ですか、マスターですか」
「その聞き方は悪意を感じるぞ!? だからそもそも違うんだ!」
二人がかりでイジられ慌てるルチアに助け舟を出したのか、クスクス笑いながらセラが俺に尋ねてきた。
「そういえば私も疑問なんですけれど、シンイチさんはドワーフの方を見たことがありませんのよね?」
「ああ、聖国にドワーフは行かないしな」
ドワーフは何年か置きに各国を巡業のようなことをしているが、亜人憎しの聖国には当然のように行かないのだ。
「リースにもいなかったよね?」
火山群を出て、他で暮らすようなドワーフも非常に少ないようなのである。
「ええ、いませんわ。ですがそれでも『花火』は見たことがありますの?」