6-15 こんな先生がいたら不登校になどならなかった
翌日、臨時キャンプを畳んだ獣人たちとともに、俺たちは樹海の中を西へと向かった。
獣人とは距離を開けて最後尾を進む道すがら、俺を抱っこするルチアが呟く。
「やはり帝国の動きは解せないな」
グレイグブルク帝国による大樹海への侵攻が始まったのは、四ヶ月ほど前。
俺たちが今いる外樹海とはググルニ山脈によって隔てられている内樹海が、二千ほどの兵数で切り拓かれていった。
突然のことでありその目的は不明。
それに対し、一応獣人も傍観していたわけではない。
当初は帝国側の内樹海に暮らす獣人の種族が妨害していたが、彼らだけでは帝国の侵攻を止めることは適わず。仕方なく外樹海に住む種族からも援軍を派遣して、帝国を押し止めていた。
状況が変わったのは二ヶ月前の帝国軍の大増員。それにより帝国は破竹の勢いで進軍し、内樹海をほぼ突破してしまった。
そのままググルニ山脈を越えて外樹海にまで攻め込んでくる姿勢の帝国に対抗するため、獣人は各種族に招集をかけた。
ティオたちヒツジ系の種族などが暮らす集落にも招集がかかったが、もともと戦いが不得意な者たちの集まりだ。なけなしの戦力がそちらに行ってしまうと、集落の守りが手薄になってしまう。さらには一度撃退した剣聖が、再び襲撃してくることも予想されていた。
そこでやむなく全住民で、招集場所である外樹海にある集会所に避難することを選択。
しかしその途中で剣聖たちに追跡されていることを、後方に張っていた警戒の得意な獣人部隊が発見した。ミーアキャット獣人てなんやねん。
逃げ切ることは難しいと判断した操たちは先に住民を逃がし、剣聖を待ち受けることにした。
だが住民の護衛に人員を割かれていたことと、予想していたより聖国兵が多かったことで操たちは追い詰められ……そんな場面で俺たちが現れた──ということだったらしい。
そして現在は先に逃がした住民を追う形で、俺たちは集会所に向かっているのである。
その発端となった帝国の侵攻について、ルチアは内情を知るからこそ腑に落ちていないようだ。
「今になって帝国が北進する理由が、まるで思い当たらない」
「帝国って領土拡大路線だろ? 普通に領土編入の線は?」
「そうだとすれば一番不可解だ。こう言ってしまってはなんだが、急ぎ平定するほどの価値が大樹海にあると思えない。数の少ない獣人を無理に従わせる益も薄い。今の段階で、わざわざ内憂となるであろうこの場所を抱え込む意味がないのだ」
出身国ゆえか、やるせなさそうにルチアは続けた。
「帝国は東西も南も、それどころか最近新たに拡げた領土内すらも安定しているとはとても言えない。むしろ北の大樹海が、一番警戒する必要がないほどだったはずなのだが……」
確かに獣人って、自分たちの縄張りの外の世界には興味を持っていない印象を受ける。自分たちから他の国へ攻め込むようなことをするようには思えない。帝国は多くの敵を抱えているし、普通に考えれば放っておくのがベストか。
元の仕事柄、事情に詳しいセラもルチアの意見におおむね賛成のようだ。
「獣人に対してなんの勧告もしていないようですし、全面的な制圧が目的とは思えませんわ」
領土編入が目的なら、普通に考えれば降伏勧告くらいするか。戦いを避けられれば消耗も抑えられるし。
「やはりなにかしら局所的な目的があると考えるのが自然ですわね。わざわざ森を切り拓いて道を作っていることを踏まえれば、それも自ずと絞られますわ」
「ええ。ミスリル鉱床か、生命の泉ということになるでしょう」
ニケが出した結論にセラもルチアも異議なしと頷いたが、俺はよくわかっていない。
「ミスリル鉱床はいいとして、生命の泉ってなんだ?」
「ふふっ、マスターの職であれば誰しもが訪れたがるでしょうが、マスターには無用の場所ですよ」
「それって……まんま生命水が湧く泉ってことか」
ポーションの錬金などに使う生命水は、通常であれば回復魔術師が作るが、天然で湧き出す場所も稀に存在しているのだ。
「はい。その湧水量は世界でも最大級ですし、ミスリル鉱床の方も埋蔵量はかなりのものだと言われています。大樹海で帝国が狙いをつけるようなものが、その二つ以外に思い浮かびません」
「なるほどね。でも帝国なら大勢回復魔術師いるだろうし、ミスリルだって採掘できる場所はあるだろ?」
「ああ、だからこそ今回の動きが理解できないのだ。もちろん生命の泉もミスリル鉱床も、手中に収めるに越したことはないのだが……」
「単純に本格的な戦争準備のためではありませんの? こちらに本腰を入れ始めたのは、二ヶ月前ということですし」
セラが半目を俺たちに浴びせてくる。
……決して俺たちのせいではないが、二ヶ月前というと水晶ダンジョンが消えた頃だもんな。失った水晶ダンジョンの利益を補填するために、他国への攻勢を強めるつもりなのだろうか。
「いずれにせよ獣人たちも大慌てでしょう。なにせ生命の泉は外樹海の西、ミスリル鉱床は東ですから」
「あー、そうなのか。そりゃ外樹海入りされる前に止めたいところだな」
帝国に外樹海まで入られてしまうと、狙いがわからない以上どちらに進軍するかもわからないので、待ち受けることもできなくなる。いくら地の利があっても、後手に回ってしまう。帝国がなんの勧告も出していないのは、それを狙ってのものなのかもしれない。
「だからティル殿たちにまで緊急招集がかかったのだろうな」
「そういうことですわね」
帝国軍は現在、俺たちが通った聖国側ではなく、帝国側にあるググルニ山脈越えルートを進んでいるようだ。
獣人としては帝国がそこを抜けている間に急いで兵を集めきり、戦いに挑みたいのだろう。
だいぶ事情が見えてきたが……位置関係とか多少ややこしいので一度整理したいところだ。しかしこっちの世界はちゃんとした地図とかないし、なかなか想像するのも難しいな。
こういうときまずはなんでも知ってる存在を空想して、その存在にナビゲートしてもらえばいいかもしれない。
ということで樹海周辺の位置関係を教えてください、脳内のセレーラ先生!
『あらシンイチくん、なんザマスですの』
セレーラ先生、この問題を教えていただきたいのですが……あの、先生? なぜ扉の鍵を閉めるのでしょうか?
『誰にも邪魔されず、貴方に教鞭を振るうためザマスですわ』
あの……先生が今舐め上げたそれは教鞭ではなくて調教鞭だと思うのですが、なぜそんなものを?
『ふふ、こんな問題もわからない子にはお仕置きするためザマスですわっ』
そ、そんなっ、アヒイイン! やめてへぇ! 僕の卵のように綺麗なお尻が真っ赤に腫れ上がっちゃうう!
……ふむ、ダメだったか。
セレーラ先生の響きが強すぎて、地図が全く頭に入らなかった。
自他ともに認めるSな俺にこんな妄想をさせるなんて……セレーラ先生恐るべし。
ということで普通に地図だけ想像しよう。
縮尺とかは違うかもしれないが、大体こんなもんだろうか。
俺が周辺地図の出来に納得していると、セレーラ先生……セラが声を上げた。
「それで、私たちはどう動きますの? 個人的にはあまり帝国の好きにさせたくありませんけれど……」
そう言って元王国民のセラが様子を窺うように目を向けたのは、苦笑いしている元帝国民のルチアだ。
「私としては、できれば帝国と事を構えるのは避けたいところなのだが」
最近気づいたが、ルチアは復讐のために帝国潰しまではやる気がないようなのだ。残念である。
生まれ育った国であり、思い入れがあるのは仕方ないか。師匠のことなどを話すときは穏やかな顔してるし、数は少ないかもしれないが良いい思い出もあるのだろう。
とまあ、敵対関係と言っていい王国と帝国の出身者を抱えており、なにかあったときバランスを取るのは大変だが、今回は悩むこともない。
「セラには悪いが、今回は傍観だな。俺たちがわざわざ首を突っ込むべき戦いでもないし、操の周辺だけ生かしておければそれでいい」
俺たちは強くなったが、無敵ではない。俺たちにとって意義の薄い戦いに三人を放り込みたくなどない。いずれかの形で決着がつき、操が日本に帰れるようになるまでは帯同しているつもりだけど。
俺の言葉に、ニケも鞭を振って肯定を示した。
「それが賢明ザマス。セレーラも是が非でも妨害したいというわけではないザマス?」
「その喋り方は流すとして、もちろんですわ。この帝国の動きで王国にどれほどの影響があるかも定かではありませんし、異存ありません」
「そっか、ならいいんだけど」
王国に攻め込む準備中というのであれば話は違っただろうが、まだなにもわかっていないしな。
「そういえばルチア、お前の仇の元同僚とかがきてたりすることはないのか?」
可能性がなくはないのではないかと思って聞いてみたが、ルチアはすぐさま首を振った。
「それはまずないな。私が所属していた騎士団は、基本的に国を離れて遠方まで打って出るようなことはないんだ」
「……貴女、もしかして黒鉄でしたの?」
「その通りだ」
なんということもなく返事したルチアに、セラが呆れたように大きく息を吐いていたので聞いてみることにした。
「黒鉄ってなに?」
「ご存知ありませんのね。帝国が国として有している騎士団は、紅焔と青嵐、そして黒鉄という三つがありますの。その中でも守りに重きを置いた黒鉄こそが、帝国の中核を担っていると言っていいですわね」
海に面している王国とは違い、帝国は内陸地にあり周りを国などに囲まれている。
そんな中であちこちに仕掛けることができるのは、防衛能力が高いからこそか。というか、周囲に仕掛けるために守りに力を入れているのだろう。
「もちろん騎士というだけでもエリートですけれど、その中核にこの若さで所属していたというのがどういうことか、わかりますわよね」
騎士の定義は各国でまちまちだが、帝国だと国直轄の正規の騎士でも世襲権はなく、騎士というだけでは貴族の括りに入らないと以前ルチアから聞いた。だからそれなりに数は多いのだと。
それでも能力、血統ともに確かな者しか騎士になることはできないはずだ。多くの国で平民上がりはどれだけ頑張っても準騎士止まりだし、帝国も同様だろう。
その狭き門を突破した騎士の中から、さらに中核に選別されたということはつまり──
「エリート中のエリートだった、ってことか」
「うーん、そう言われると少々居心地が悪いというか……私の場合は守りに秀でた職を持っていて、黒鉄の目指すものと合致していたことが入れた要因として大きかっただろうからな。もちろんそれなりに鍛錬は積んでいたつもりだが」
少し恥ずかしそうな、でも誇らしげなルチアを見て、ニケが微笑んでいる。
「なにも驚くことではありません。奴隷として売られていたときから、ルクレツィアが優秀なことはわかっていましたから」
「貴女たちはルクレツィアさんの元のステータスを知っていたんでしたわね。それにしても……やはり違和感がありますわ。エリート街道まっしぐらの貴族の子女が、身代金を支払われることもなく奴隷堕ちするなんて」
不思議がるセラの言葉で、俺を抱くルチアの手に少し力が籠もった。
「……私の存在は、あの家からは望まれていなかったからな」
「ごめんなさい、気分の良い話ではありませんでしたわね」
気を使って今までもあまり突っ込んだ話をしてこなかったセラに、ルチアは首を振った。
「いや、構わない。むしろ少し興味があるのだが、王国側から見た私の実家というのはどのような印象なのだ?」
本当は興味というより、あまり気を使わないでいいという意思表示なのだろう。
それを受け取ったセラは、少し考える素振りを見せた。
「わかりましたわ……とはいえ貴女のご実家はオイデンラルドですわよね。領地が王国側ではないのでそこまでのことは知りませんけれど……南東諸国との外交で名を馳せている伯爵家ということくらいは」
帝国の伯爵位ともなれば、近隣の国に住む者は認知しているのだろう。しかしルチアの実家は、その中でも結構有名なようだ。
俺としてはそんなことよりも、聞き捨てならない単語があったのだが。
「えっ、外交ってつまり、ルチアの実家なのに文官系なのか!? 意外すぎる……もっとゴリゴリゴリラな武官系かと思ってたわ」
国にもよるが、まだこの世界では武官と文官の仕事がそこまできっちり分けられていないことは多い。それでも槍働きを主として求められる貴族と、それ以外を求められる貴族はある程度区別されている。
外交なんて役目を武官にやらせるとは到底思えなかったのだが、頬を膨らませたルチアによるとどうやら間違っていたようだ。
「お前が私をどう見ているかについて、一度じっくり話し合う必要があるな……まあ実際のところ武官でありながら、他国と友誼を結ぶ役を代々任ぜられているという認識でいいと思うが。家としての方向性も完全に武官寄りだし、父もステータス上の職は戦闘職だ」
「ほへー、それで外交なんて大役をずっと任されてるなんて、優秀な家系なんだな」
それを難しい表情のセラが裏づけた。
「敵の多い帝国にあって、曲がりなりにも南東諸国との関係が保たれているのは、オイデンラルドの働きによるところが大きいと言われていますわね。今代の伯爵──貴女のお父様も悪い話は聞いたことがありませんし、人格者かと思っていましたけれど……」
それを聞いたルチアも、負けず劣らず難しい表情をしている。
「父は帝国には尽くしていると思うが、人格者であるかどうかは……私には判断できない。実は私の母などは、南東にある小国の公爵家から嫁いできているしな」
「そうだったのですか。では貴女の母親は人質か、服従の証といったところでしょうか」
この世界で公爵というと王家に縁のある、貴族の最上位のことだ。そこから他国の伯爵家に降嫁、しかも側室……ニケの言う通りだろうな。
「それは親父さんの方から要求したのか?」
「そこまではわからん。私は父とあまり深い話をしたことなどないのだ。関係が良いとは言えなかったのもあるが、なによりとにかく寡黙で忙しい人だったからな。母も早くに亡くなってしまったし、周りに聞くのもはばかられたしな」
ルチアの母親なら絶対美人だし、親父さんがスケベ心で要求した可能性も高いんじゃないだろうか。
いずれにせよ母親は、肩身の狭い思いをしていただろうな。ルチアが不貞の子だという、疑いの眼差しで周囲からは見られていたというのもあるし……ルチアの親父許すまじ。
親父さんをどのように修正してやるか考えていると、セラが混乱した様子で縦ロールを伸び縮みさせていた。
「シンイチさんもニケさんも、なんでそんなに薄い反応ですの……公爵家ですわよ? 王族ですわよ? ルクレツィアさんは貴族のお嬢さまどころか、まかり間違えばお姫さまですわよ⁉」
「うん、千冬が喜びそうだな」
「それだけ!? もっとなにかありませんのっ」
「そう言われても、貴族のお嬢さまとお姫さまじゃ大差ないというか、どうリアクションの差をつければいいかわからん」
それにこれだけ精神的にも物理的にも裸のつき合いを重ねてしまえば、アイコンが少々変わろうが特別なにか思うこともない。こちらの階級社会で生きてきたセラにとって、王族というのが特別な存在だということは理解できるが。
「ハハッ、主殿は私が貴族だったことも、初めから気にしていなかったしな。私も今さらお姫様扱いされても困る」
「もう……なんだか私一人で興奮していて馬鹿みたいですわ」
ガクリと肩を落として歩くセラに、ニケの声がかかる。
「いえ、私もそれなりに驚いていますよ」
あまりそのようには見えないが、意外な返事で視線を集めたニケはルチアを見、そして続けてセラを見た。
なにか含みのある視線にセラが首を傾げるが、ニケはなにも言わずに俺に顔を向けた。
「きっと珍妙な者には、珍妙な者が引き寄せられるのでしょうね」
そう言って、呆れたように笑う。
どうやら俺たちのことらしいが──
「そうな、元神剣の人とかダントツぶっちぎりで珍妙だもんな」
「ああ、我々には後ろ姿も見えないほど独走でな」
「ニケさんにも己の姿はよく見えていないようですけれど」
──お前が言うなと猛反撃した結果、ニケがちょっとイジケてしまった。元神剣ちゃんは、今までずっと崇められてきたから打たれ弱いのだ。
そしてそれを慰めてたら、なぜかニケを人にした俺が一番の変人という結論になった。
おのれ……どこにでもいるショタを変人に仕立て上げるだなんて、なんと横暴な。こんなときだけ女三人で結託しやがって。
これがハーレム税ということなのだろうか……この程度の税金ならいくらでも払うけど。
そんな感じでセラもだいぶ馴染んできて、ハーレムが増えてさらに倍増した幸せを味わいつつ、森の中を進むこと十日。
俺たちは、ようやく獣人の集合場所に辿り着いた。
セレーラ先生の妄想図は作者の活動報告にあるようですが、見ない方がいいかもしれません。