6-14 十人前くらい消えた
すっかり日も沈み、明かりが灯された獣人たちの臨時キャンプ。
少し外れれば、広がるのは不気味な闇ばかり。
「うーん、遅いな……」
ニケに抱っこされてウロウロしながら、俺はその闇に目を凝らしていた。
ここにいないセラの姿を探して。
「マスター、心配することはありません。セレーラの力はわかっているでしょう?」
「そりゃわかってるけど、一人で行かなくてもいいのに……迷子になったりしてないかな?」
操によると、セラは聖国でのことやリンコのことを操たちに聞いていた最中に、雑誌をリンコに渡したままだったことを思い出したそうだ。
そして止める間もなく、そのことを俺たちに伝えておいて欲しいと言い残してリンコを追跡しに行ってしまった。
俺は放っておいていいと思うんだが……あんな女。
「確かに夜の森は迷いやすいが、足跡は多いのだしそこまで心配は……ん?」
なにかに気づいたルチアに釣られて首を向けると、獣人キャンプのほうから日本人たちがやってきていた。
気づいた俺たちに、声がでかくてよく喋る吉田が手を振る。元ラグビー部でガタイはいいが、あれでも魔術師である。
「おーい、橘。お前たちは飯どうすんだ?」
「飯ですか。僕たちはまだ……いや、先に食べるか?」
結局昼飯を食い損ねてしまったし、腹は減っている。それでも俺としてはセラを待ちたいところだが、二人は体も動かしたし限界かもしれない。
そう思って聞いてみるとルチアが微笑み、
「いや、私はセレーラ殿を待つべきだと──」
きゅるるーんと可愛くお腹を鳴らした。
「……待てるか?」
「もっ、もちろんだ」
恥ずかしそうにお腹を抑えるルチアを見るニケも笑って頷いているし、セラを待つことにしよう。
そう伝えると、今度はカヨが聞いてくる。
「じゃあセレーラさんが戻ってからご飯作るの?」
「今日はもうモヌバーガーの口になっちゃってるんで作らないですけど……なんでそんな興味津々なんですかね」
モヌバーガーという響きにゴクリと喉を鳴らしているし、理由はわかるが。
「あの、さ……お願い橘くん! 私たちにもちょうだい! お金なら払うから!」
案の定、苦笑いの操とひっついているティル以外の三人が、タイミングを合わせて拝むように手を合わせて懇願してきた。
ちなみに吉田とカヨともう一人は全然喋らない男、福本である。
「やっぱりそういうことですか」
「橘、こうほら、怪我したり疲れたりしてる仲間も多いし、獣人のみんなを助けると思ってここは一つモヌかなんかをさ、な? 頼むよ」
「貴方たちが食べたいだけでしょ」
そうツッコんでも、拝み続けている。
どうしようかと思ったが……まあいいだろう。
「ハァ、仕方ありませんね」
「いいのか!? ぃやったぁ!」
しばらくして、さっきまでドンヨリとしていた獣人キャンプには笑顔があふれていた。夕飯として出された料理に、皆が舌鼓を打っている──数人以外。
器の中に漂う黄色い物体を覗き込み、日本人たちがボヤく。
「なんで袋麺んん……」
「モヌは……」
俺が渡してやったのは、なにかあったときのために大量に買い込んでおいた袋麺である。
モヌもニケがストックしているが、この人数ではほとんど尽きてしまうのでくれてなどやらん。
「嫌なら食べなくてもいいんですけど?」
「食うよ、食うけど、ううっ……いただきます」
「喜んでもらえたようでなによりです。あ、お代は全部で金貨五枚でいいですから」
「高ぇ!?」
くれてやったのは百袋。金貨一枚十万円くらいなので、一袋あたり五千円という計算になる。
「悪いんですけど、送料が高いので」
現地で買っているからそんなものはないのだが、なんでもかんでも頼めば買ってもらえると思われても迷惑だ。そういう意味ではいい機会だった。
「だいたい二酸化炭素排出量減らそうとか、運送業は過酷で人手不足だから改善すべきとか言いながら、乾電池一つ自分で買いにも行かずに配送させて、あっちのお取り寄せが美味しい、今度はこっちから取り寄せようなんてやってるのはおかしいと思いません?」
「なんの話だよ……」
「地産地消が一番だという話ですよ」
要するにもう頼んでくるなという話をしていると──
「あら、いい匂いですわね」
──なにごともなかったかのように、木々の合間からセラが姿を現した。
「セラ! おかえりー!」
抱っこされていたルチアに降ろしてもらい、正面からセラに飛びついた。バフンと顔を挟まれてから、セラの顔を見上げる。
「ただいま戻りましたわ」
「大丈夫だったか? 怪我してないか?」
「心配かけてしまったかしら。でもこの通りなにも問題ありませんわよ」
優しく俺を抱き止め、セラが笑みを浮かべる……一分の隙もない、綺麗な笑みを。
だから俺は足で腰にしがみつき、手をセラの頬に伸ばした。
そしてスベスベホッペを……セラによくやられるように、摘んでグニっと伸ばす。
「ふふっ、なんでひゅの?」
セラは穏やかに微笑んだままだ。
ならばグニグニだ。
「もう、なんなんでひゅの?」
そうかまだかグニグニグニグニ。
「うふふ……ふふ……しつこいですわっ!? 痛いし! いい加減おやめなさい!」
怒ったセラにベチンと手を払われ、俺以上の強さでホッペグニグニをやり返される──ようやく。
これは……やっぱりあれだな。
そこで俺はセラから降りようと、しがみついていた足を離した……ら、グニグニされているホッペだけで浮いた。
……どんだけ強く引っ張ってるの!? 痛いと思ったよ! ステータス高くなかったらホッペ千切れてるよ!
ともかく、さすがにやりすぎていたことに驚いて離したセラの手を引いて、ラボに連れ込んだ。
有無を言わさずにソファーに横たわらせ、俺の太ももにその頭を乗せる。
頼りなく細い太ももだ。
それでも、セラの頭を乗せることくらいはできる。
「ちょっと、なんなんですの本当に」
俺にだけでなく、ついてきたニケとルチアにもセラは視線で説明を求めるが、二人はただ笑って他のソファーに座った。
わけがわからないとすぐに体を起こそうとするセラの肩を、俺は押さえ込む。
日本で買い物から帰って家で膝枕したとき、セラはむず痒がって少ししかさせてくれなかった。
でも今日は逃さない。
「シンイチさん、これはどういう……」
「俺たちみんな、まだ始まったばかりだ。焦らずいこうぜ」
「えっ?」
キョトンとしてこちらを見上げるセラの頬を撫でる。
どこか強張っているその頬を温め、ほぐすように。
そうしていると、セラはなんどか目をしばたかせてから、ゆっくりと閉じた。
そして深く長く息を吐いた。
「そう、なのかしら……いえ、そうなのでしょうね」
実際のところ、俺は怪我などはそれほど心配していなかったが、精神的な面で無理していないかを心配していた。
セラはまだ仲間になって日が浅い。
当然の話だがニケとルチアほど密接に時を過ごしてきたわけではないし、水晶ダンジョン攻略にも自分はなにもしていないと気後れしているようだった。
聖国に行ったときに派手に魔術を使ったのも、気負いの現れだったのかもしれない。
功を焦った、というのとは少し違うだろうか。早く俺たちと同じ土俵の上に立ちたいというか……そういった思いが、今回の単独行動に結びついたように思う。報告連絡相談は大切にしてね。
俺の手のひらの熱を堪能するように、セラはゆるく動かして頬を擦り寄せていた。
やがて静かに口を開く。
「……リンコさんに下した判断が間違っていたとは思いませんわ」
「そうか」
やはりセラは、リンコを狙ってあとを追ったようだ。もしかしたら雑誌を渡したままにしていたのも、その予定だったからかもしれない。
「でも貴方たちに直接告げずに一人で行ったのは、貴方の言った通り、焦りがあったからなのでしょうね。これくらい私一人でもできると……一人でやらなければ追いつけないと」
そう言って薄く笑う。
自分自身を情けなく思っているような笑みだったが、俺はそれを見てもう心配いらないと思えた。
焦りに気づかないままであればどこかで暴走したかもしれないが、気づいたのであれば大丈夫。千冬のお守りではないが、セラは俺なんかよりよっぽど立派な、己に克つことができる大人の女性だ。
「俺としては、焦るくらい俺に狂わせていると思えば誇らしいけどな」
「それは自惚れ……と言い切れないのが悔しいですわ」
見つめ合って笑っていると、ンッンンと咳払いが響いた。
「我々もいることを忘れないで欲しいのだが」
セラならてっきり恥ずかしがって取り繕うかと思ったが、今回は穏やかに笑った。
「あら、少しくらい目をつむっていてくれてもいいじゃありませんの。私は出遅れているんですもの」
今まで二人に張り合うような台詞を聞くことはあったが、これは少しニュアンスが違う。意外な台詞に、ニケとルチアも面食らっている。
「開き直りましたか……これはうかうかしていられないようですね」
「ハハッ、そのようだな。しかしセレーラ殿、どうだ? 案外外れていないのではないか?」
ルチアの問いに対し首を傾けるセラに、ニケがからかうように微笑んだ。
「異性の好みの話ですよ。思いのほか見ているところは見ているでしょう?」
「べっ、別にあれはそこまで本気で言っていたわけではありませんわよ。でも、まあ……」
ゴロンと寝返りを打ったセラの鼻先が、ヘソの辺りに埋もれてくすぐったい。
なんでいきなりそんな話になったのかわからない。ただ、隠すように俺の腹に顔をくっつけたセラの、隠しようのないピンと立った耳は赤く染まっていた。
「悪くありませんわ」
夕食のモヌを食べながら三人の食いっぷりにもっと買い込んでおくべきだったと後悔しつつ、ホウレンソウの大切さを改めて三人に説き、なぜか刺すような目で見返され、そしてセラからリンコ追跡のあらましを聞いた。
そのあとお茶を飲んで一息ついていると、俺を膝に乗せて頭を撫でるセラが口を開いた。
「彼女は……リンコさんは少し、ほんの少しですけれど、シンイチさんに似ていたような気がしますわ……この人を小物にして、全周囲への悪意を足したような人というか。ええ、決して私に似てなどいませんわ」
なぜいきなり自分を比較対象に入れたのかわからないが、セラの意見にニケまで賛同してしまった。
「それはわからなくもないですね」
「いやいや、あんな風に人を振り回したり、悪いことしても悪びれないような性悪女と俺が似てるわけないだろ」
「……なるほど、セレーラ殿の言う通りなのだろうな」
なんでや。
「だから少し考えてしまいましたの。なにか掛け違えていれば、この人も彼女のようになっていたのではないかと」
戻ってきたとき表情が硬かったのは、そういう理由もあったのかもしれない。
「セレーラ殿……そうならないためにも、我々がしっかりしないとな。シンイチにそのような道を歩ませてはならない」
だからねキミたち、あんな女と俺は似てないから。そんな真面目な顔で頷き合わないでもらえます?
「本当にその通りですわね。いずれにせよ、彼女の妬みや憎しみもいつか昇華される日がくるかもしれないとは思いましたけれど、見過ごすことはできませんでした。それまでに多くの人が傷ついたでしょうし、私たちやミサオさんにとっても危険でしたから」
俺はそこまであの女を不安視していなかったが……数多の人を見てきたセラだからこそ、見えるものがあったのだろう。
「確かに私たちはともかく、ミサオのことを考えれば仕留めたほうがよかったですね。よくやってくれましたセレーラ」
ニケは本気でやれば、戦ってたときに殺れたのかもしれないな。でもあのときは無理するような状況でもなかったし、責めるようなことでもないだろう。
リンコの話が一区切りしたところで、ルチアがソファーに背中を沈ませてアゴに手を当てた。
「それにしても、細剣持ちの女とその仲間は何者だったのだろうな。自ら命を断つほど徹底しているとは」
剣聖ハーレムの中で一番いい動きをしていた細剣持ちの女は、どこかの組織の回し者だったようだ。
その仲間の騎士は女を逃したあと、魔導具かなにかで頭を爆散させて自害したらしい。
「そういえば最期に確か……『我ら清浄なる大地を築かん。人よ、栄光あれ』と言っていましたけれど、組織の標語かしら? なにか心当たりはありません?」
「いえ。その言葉だけを聞けば対魔族強硬派の組織などのように思えますが、それだけではなんとも」
「私もさっぱりだ。あの女の強さといい、聖国の重要人物である剣聖の懐に入り込んでいたことといい、なかなか油断ならない組織のようだが……」
ニケもルチアも皆目見当がつかないようだ。もちろん俺も。
「ま、今後関わることもないだろうし、気にしなくていいんじゃないか」
「だといいのですけれど。さて、と」
俺を抱えたまま、セラが立ち上がる。
「早めにお風呂に入らせてもらいますわ。臭いがまだ取れませんし」
言われてみればほのかに感じる鉄の臭い。
クンクンしていると、セラが俺の耳に口を寄せた。
「……洗ってくださる?」
「おお!? セラから言ってくるなんて初めてじゃ」
「ふふ、私も少しは素直になりませんとね」
なんだかわからないが、断る理由はどこにもない。
「喜んで!」
そしてその日からの夜のセラは、なぜか一段階進化してしまった。
激しさはそのままに、多少自我を保っているというか、自らの意思で俺を貪ろうとしているところが見えるというか、少しずつチャレンジするようになってきたのだ。
きっとお風呂で全身を使って隅から隅までピカピカにした甲斐があったのだろう。自分の洗浄テクが怖い。それかもしかしたら、千冬の克己お守りが効いたのかもしれない。
ともかく更に手強い相手になったが、負けないように俺も頑張らねば……。
ムフフ。
この世界、サイッコー!