6-12 閑話 敗者の旅路・謎の組織行き 〜予定は未定にして決定にあらず〜
確かセレーラとかいう、一目見たときから妙に気に入らなかった橘の女。
あの橘のどこがいいのよ。前は顔はちょっと良かったけど、今はガキじゃない。キモイ。ほんとキモイ。
大体なんなのその胸。エルフなんてほとんど見たことないけど、みんなぺったんこってイメージがあったのに……ムカつく。
林の中から歩み出てくるそのエルフに、ネイが新たに取り出したナイフを向けた。
「フェアリープランクか……盗み聞きとは、他者に関心の薄いエルフらしからぬ趣味の悪さだな」
《フェアリープランク》って、音に影響を与えることができる風魔術だったはず。
さっきあの女の周りから音が聞こえなかったのは、それを使っていたからなのだろうけど……あそこまで遮音できるものなの?
「そんなつもりはありませんでしたのよ。用があって追いかけてきただけですの」
いけ好かない女エルフの口元には笑みが浮かんでいるが、その目はまるで笑っていない。凍えるような流し目が、私を捉える。
「そうしたら面白い話をしているじゃありません? なので少しだけ聞いていたら仲間割れが始まってしまって……見ているしかありませんでしたの」
そんな前から!? それって神奉騎士を連れてきて橘たちを殺すって言ったのとか、全部聞かれてたってことじゃない!
ヤバ……とっ、とにかくネイの後ろに隠れとこ。
「……用というのは?」
私が這って移動するのを横目に、ネイが女に尋ねた。
「お貸しした書物を返してもらうのを忘れていたもので」
書物って……JonJomのこと?
ネイ、そんなに振り返って睨まないでよ。確かにネコババしようと思って、気づいてたけど返さなかったのは私だけど。
「ケチくさ! っていうか雑誌なんかのことで、わざわざ追いかけてこないでよ!」
あ…………違う。
私の言葉に女がフッと笑ったのを見てわかった。
「ではその書物を返したら帰ってもらえるのかな?」
ネイも気づいているのか、投げかけた問いは空々しい。
そして帰ってきた返事は、輪をかけて空々しかった。
「ええ、そのつもり……でしたわ。もうそういうわけにはいかなくなりましたけれど」
はっ、ウソばっかり。
雑誌のことはただの口実。盗み聞きしていたのはただの理由づけ。
この女は──もともと私たちを始末するためにきたのだ。
もしかしたら……最初から? 健吾を救うように橘に言ってたのも、健吾もまとめて後で殺す気だったからなんじゃ……。
「できれば投降していただけませんかしら。貴女方がどちらに所属している方なのかも気になりますし」
「それはできない相談だ」
首を振るネイを見て、女エルフはやれやれといった様子で、巻き髪を手で後ろに流した。
「では仕方ありませんわね。終わってから聞かせていただきますわ」
「ふっ、随分と自信があるようだが……状況が見えていないのではないのか、なっ!」
言い終わるや否や、ネイが左足を大きく踏み込む。
渾身の一投。プレイボールの掛け声もなく戦いが始まった。
横投げで放たれたナイフの速さはさっきの比ではなく、後ろから見ていても見失いかけた。
当然それは女エルフを貫く──そう思ったのに、女が信じられない反応速度で横に跳んで躱す。
だがネイたちは、それを予測していた。騎士二人はネイがナイフを投げると同時に、前に飛び出している。
そしてさっき私の左にいた騎士が、自分の前方に着地した女にそのまま突っ込む。
「魔術の使えない魔術師などっ」
そうか、あの女エルフは使っていたフェアリープランクを切ったばかり。いくらステータスが高くても、さすがにまだクールタイムは終わっていない。
なら今のうちに一気に……えっ?
その瞬間、背筋が凍りついたのは私だけではないはずだ。
突っ込んでいった騎士に向けて、女が杖を突き出していた──左手に持ち替えて。
「アイスブレット・バーン」
「なっ……」
虚を突かれた騎士に逃れる術はなかった。
巨大な氷塊に胸元を貫かれ、そのままこっちにまで飛んできて地面に串刺しに。これでは回復を使う選択肢も出てこない。
あの発動の速さでこの威力って、インチキすぎでしょ!?
「レフィト! ちぃっ!」
騎士の名前を叫んだネイだったが、駆け寄るどころか跳んで離れた。
助けようがないのはわかるけど、なんで離れて……って、騎士が音を立てて氷漬けになってく!?
しかもそれは騎士だけに留まらず、地面を伝って広がってきて……ヤバっ!
「やだっ、ちょっと、なによこれぇ!」
逃げようと立ち上がったところで、右足が捕まってしまった。
幸いにもそこで氷の浸食は止まったが、ブーツの足首から下が硬い氷に捕らわれて動かない。
もがく私を見て、女エルフがムカつくほど優雅に笑う。
「あまり暴れない方がよろしくてよ。ポキリと足が折れてしまいたくなければ」
「ひぃっ、ウソでしょ……」
「騙されるなリンコ。そのアイスブレットの派生は、深部まで凍らせるような魔術ではない」
「ホントでしょうね!」
女エルフに顔を向けたまま、ネイが頷く。スゴイ怖いけど信じるしかない。このまま動けないのはヤバすぎる。
氷に包まれたブーツから、足を思い切って持ち上げる。なんとか脱げて自由の身になった。
ただ……それに擬音をつけるとすれば、スポッというよりベリッだった。
「ぎゃぁ、いだいぃ! あっ、足の皮がぁ! ネイのウソつき!」
冷たすぎて気づかなかったが、特に足裏とか凍って張りついてたみたい……ベリベリに破けて、絶望的に痛い目にあった。
「言った通り表面だけだったろう、文句を言うな」
赤く染まる足に回復魔術を使っていると、軽く斬りかかってあしらわれたもう一人の騎士が、ネイの横に戻った。
そしてちらりと氷漬けの騎士に目を向ける。
「レフィト……」
「すまない」
「ネイ様が謝ることではありません。ダブルキャスターなどとは思いもよりませんでした。しかも氷魔術まで」
「ああ、まさかこれほどとはな。完全にあなどった」
もうっバカ、のん気に話してる場合じゃないわよ!
「なにやってんのよネイ! 今しかないでしょ!」
「一々うるさい、わかっている」
あの女、間違いなくステータスがバカ高い上に、更に両手で魔術が使えるダブルキャスターだなんて卑怯すぎる。だけど今はどちらの手もクールタイムに入っている。今度こそ攻める絶好の機会なのだ。
クールタイムが終わるまで問題なく凌げると思っているのか、笑みまで浮かべて待ち構えている女エルフ。余裕しゃくしゃくなのがムカつく。
その鼻っ柱をへし折るために、ネイが左の手のひらを向ける。
「ダークネスクレイドル」
ネイの放った不可視の魔力が、女エルフの手前で実を結ぶ。
ゆらり──揺れて生まれる、小さな漆黒の球体。
それを見た女の顔色が変わった。
「これはっ……」
陰影のないその球体は、物体ではない。
光の届かぬ闇だ。
その闇は瞬く間に広がり、女を含めた広範囲が飲み込まれる。もっと驚いた間抜け面を見ていたかったけど、残念ね。
ネイが使ったダークネスクレイドルは、一定範囲の空間を対象として光を消し去る闇魔術の一つ。
中が見通せないので味方も手出しできなくなるのが難点だが、術者には中の様子がおおよそは感知できるらしい。
今まで何度かその魔術を使ったときと同じように、ネイがナイフを取り出した。闇に惑い動けない獲物を投擲で仕留めるつもりだ。
ネイは目を閉じて集中し──
「──────」
──これは……笛?
なぜか突然、笛の音のような細く高い旋律が響く。
耳を澄ませば、それは闇の中から聞こえてきていた。
「な、なんなの?」
「なにかマズいっ」
慌ててネイがナイフを投げたその瞬間──闇が爆ぜた。
「きゃあっ!」
「くっ、馬鹿なっ」
闇を内から散らす爆風。
後ろに押され、たまらず尻もちをついてしまった。その片方裸足の足のあいだに刺さったのは、跳ね返されたネイのナイフ……危なっ。
ナイフから顔を上げると、闇は散り散りになって消え失せていた。
そしてその中心には、なにごともなかったかのように女エルフが立っている。ただ風で乱れたのか、衣服を正していた。
「驚きましたわ。闇魔術だなんて希少なスキルを持っているとは思いませんでした」
「それはこちらの台詞だ。今のはなんだ? まさか魔術ではなく魔法持ちなのか?」
風魔術にシルフズクラップとかいう風爆弾みたいのがあってそれかと思ったけど、言われてみればこの女は魔術名の詠唱をしていなかった。
そもそもクールタイムはどこいったのよ! なんなのこのインチキ女!
「お教えすると思いますの?」
一度クルリと回した杖を、女が両手で握る。
魔術師のくせに、自分から接近戦しようっての!?
「ネイ様、お退きくださいっ!」
飛び込んでくる女の前に、騎士が立ちふさがった。
「ミゲル、なにをっ」
「この者の力は未知数すぎます!」
かたや重い鎧を着込んだ屈強な男騎士。
かたやカジュアルな服を着た女魔術師。
真っ向から剣と杖を打ち合わせ──打ち負け、体勢を崩したのは……騎士。
「くそっ、化け物め!」
追撃をなんとか受け止めて押し合いになっても、女エルフの優位は変わることがない。
「ミゲル!」
「貴女を失えば、あの方が悲しまれます! 《ブルーム》!」
えっ……なんで? なんであの騎士がそのスキルを持ってるの? ネイが持ってる、聞いたことないスキルと同じやつじゃない。
ステータスを一時的に増幅できるスキルだとネイは言っていたが、恐らく騎士も同じだ。その証拠に、騎士が少し女エルフを押し戻す。
だが──それでも追いつけはしなかった。
女は騎士の力が増したことに怪訝な表情を浮かべたが、余力はたっぷりのようだ……圧を上げて踏み込む。
「くっ、やはりこの力……どうかお退きを!」
再び押し込まれた騎士の背中越しの懇願に、ネイは拳を握りしめた。
「……すまない」
そして大きく後ろに跳躍して私を越え、木の枝に飛び乗った。
って──
「ちょっと! アタシは!?」
「悪いが連れて行く話はなかったことにしてもらおう。さらばだ」
あっさりと。
もう一度跳ねて、ネイは森の中に消えていった。
え…………ウソでしょ? 置いてかれた?
どうすんのよ、こんなところに残されて……いや、どうするもなにもない。騎士が時間稼いでるうちに私も逃げないと! あっ、裸足だった。
まだ氷漬けになっているお気に入りのブーツを引き抜こうとしていると、
「貴女は逃しませんわ。ウィンドブレット」
「ガふっ」
腰っ、折れた!? 折れてない!?
魔術? 腰を後ろからとてつもない力で突き飛ばされ、肺の中の空気が全部出た。痛いには痛かったけど、それよりカカトが後頭部に当たったことに驚きつつ宙を舞う。
もう魔術使えるとかふざけっ、あ、前、木──
──あれ、私……痛っ、腰いたぁ、鼻いったぁ!
腰や顔面の痛みで目が覚めて体を起こすと、
「ようやくお目覚めですの」
目の前には悪夢の続きが立っていた。
そのそばで地面に横たわるのは多分、戦ってた騎士。
なぜ多分かというと……騎士には頭がついていなかったから。
「これは私がやったわけじゃありませんのよ。追い詰められてご自分でなされて……敵ながら天晴な最期でしたわ」
なにが起こったかよくわからない。
でもハッキリしていることが一つだけある。
詰んだ。