6-11 閑話 敗者の旅路・聖国行き 〜予定は未定にして決定にあらず〜
ムカつく。
どこまでも続く陰気な森。
なんだかわからない動物の鳴き声。
肩を落として歩く騎士たち。
ため息と苦痛の喘ぎと、鎧が鳴らす耳障りな金属音。
道が悪いせいでできた靴擦れが痛い。
なにもかもがムカつく。
存在が意味わかんない獣人。なんで人間に動物の耳とか尻尾とかつけてんのよ。ぬいぐるみみたいなのがついてればまだ可愛げもあるが、やたらリアルだし。
あんなキモいのに味方するクラスメイト。特に操。
なによりも誰よりも、橘とその女たち。
ムカつくムカつくムカつく。
それを更に煽るように、前を歩くパーティーメンバーである双子姉妹が立ち止まった。
「大丈夫、姉さん」
「うん……ごめん、ミレーヌ」
姉のマリンは、私を殴った白髪女のアーツで足をやられたのだ。肩を貸す妹のミレーヌが、足を止めて担ぎ直す。
そうやってこっちまで足を止めさせられるのが、たまらなくウザい。
「チッ……さっさと行きなさいよ、大した怪我でもないくせに。いつもいつもアンタたちトロいわね」
A級パーティーから引き抜かれた二人は、どちらも盾職だ。
頑丈なのはいいがAGIが低く、敵の攻撃をなんでもかんでも盾で受け止めようとする。後ろのことを守ってるなどと言うが、アンタたちがトロいだけでしょ。ちょっとは躱しなさいよ。
そんな戦い方で傷ついてヘラヘラしている二人を、仕方なくいつも私が治療してやっているのだ。これくらい言う権利はある。
そんな普段通りの叱咤だが、振り返ったミレーヌの目つきは普段より随分反抗的だった。なによ、生意気なんだけど。
「そう思うんだったら姉さんに回復魔術使ってくれない、リンコ」
「使ったじゃない」
「だからもう一度」
「イヤよ、MPだいぶ減ってるし温存するの。私だってまだ肩痛いの我慢してるんだから」
ウソだけど。さっきまた自分に使った回復で、痛みはすっかり取れた。
「大体さぁ、アンタたちがちゃんと守ってれば、アタシが痛い思いしなくてすんだのよ? わかってんの?」
自分たちの無能さを、その痛みで思い知ればいいんだ。
「なっ、アナタはぁ……!」
「ミレーヌ、もういい。所詮はこういう女だ」
マリンにたしなめられ、ミレーヌはフンッと前を向いた。
しかしマリンの言い草がムカつく。返す言葉がないだけのくせに。
それに恨むなら、上級ポーションの一つも支給しない聖国を恨みなさいよ。それとポーション不足にした橘のヤツを。
腹の虫が治まらず、行きよりも随分数が減った騎士たちを見回す。
「ほんっと揃いも揃って使えない……どうすんのよ! アンタたちのせいで健吾死んじゃったじゃない!」
生き残ることに必死で実感がなかったけど……そうだ、健吾は死んだのだ。
……別に健吾のことを本気で好きだったわけじゃない。もともとクラスメイトの中で一番使えそうだから近づいただけ。
だからショックなんて、ない。
頭も女癖も悪かったし、最近太ってきてたし、セックスだって他の男の方がよっぽど上手い。そうよ、神奉騎士団のハロルドとか若手の有望株だし、私にメロメロだし。
それでも、私の中での予定が狂ったのは間違いない。最高の男を捕まえるまでの繋ぎとしてはベストだったのに、なんで死んでるのよあのバカ。
なにが将来は俺が王様でお前が女王よ、死んでちゃ世話ないわよ。そもそもあの国にそんなのいないっての。
もちろん真に受けてなんていなかったけど、ホント……バカなんだから。
「あんなのどうしようもない……あの人たちは異常」
騎士隊長を睨んでいると、後ろでそう呟いたのは魔術師のナナカだ。
健吾がロリ枠とか言って入れたこの皮肉屋のお子ちゃまは、普段は全部誰かに言わされてるのかってくらい言葉に感情が乗らない。それでも今回は妙に実感がこもっていた。
子供の言うことなんて気にしないけど。
「ふん、あんなヤツラがなによ。だらけてた健吾より強い人なんて、聖国にだっているじゃない」
「一番だらけてるから、リンコはなにもわかってない」
「うるっさいわね! とにかくアイツらは絶対に許さないんだから……橘も女たちも、全員殺してやるわ! 操のヤツもっ!」
操が逃げたせいでこんなことになったというだけじゃない。日本にいたときから、ずっとあの女のことが大嫌いだった。
常に自分は正しいみたいな顔で、人のことを見下して……高一のときには彼氏まで盗られた。操は否定してたけど、操のことが好きになったと言って私をフッたアイツと、こっそり付き合ってたに決まってる。
こっちに来てからも、あれだけイジメたのにパーティーからなかなか出てかないし。しかも出ていったら出ていったでこの始末。
色々思い出していたら、たまらなくムカついてきた。あの女はなにがあっても許さない。
もちろん、一番殺さなきゃなのは橘だけど。
「あれほど無様な命乞いしてたくせによく言う」
「はあ? ガキは黙ってなさいよ。あんなのただの演技に決まってるじゃない。生きてれば次があるもの」
死んだらおしまい。
私はこんな陰気臭いところで死にたくない。死んでたまるか。
「次はこんな一般騎士のヤツラじゃなくて、神奉騎士つけてもらうんだから」
上位の神奉騎士を十人も連れてくれば、橘たちなんかひき肉にしてくれるはずだ。
しかし私の言葉を聞き、なぜか双子が揃って鼻で笑った。
「……なんか文句あるの」
やけに反抗的になった二人は、小馬鹿にするようにただ肩をすくめた。
その二人に代わり、珍しく口を開いたのはネイ。先頭を歩いているパーティーメンバーの残る一人である。
「剣聖の仇を討ちたいのだろうが、それは叶わぬ願いだ」
「け、健吾のことなんてどうでもいいし! っていうかなんでよ!」
「剣聖抜きのお前のために、神奉騎士団が動くはずがない。いや、神奉騎士団どころか、お前のような女についてくる者などいない」
「なっ……」
なにこいつ!? 枢機卿の一人が推してきて加入したばかりで、ほとんど口もきかない暗い女だと思ってたけど……毒舌キャラなの!?
あまりのことに怒りより驚きが勝って言葉を継げない私に、マリンが振り返った。
「当然じゃない。そもそも剣聖自体が落ち目だったんだから。あんな程度の低い魔剣を持たされたのがその証拠」
「程度の低い魔剣!? なによそれ……聞いてないわ!」
「剣聖ももう期待なんてされてなかったということよ。当然アンタはそれ以下──きゃっ」
愉快そうに私を嘲笑うマリンの言葉は、そこで途切れた。肩を貸していた妹のミレーヌがその手を離し、マリンは地面に転がったからだ。
いい気味だと思い、姉の言い過ぎを止めたミレーヌに目を向け……私はそれが勘違いだったことを知った。
その光景に声が出せずにいる中、マリンが体を起こす。
「ミレーヌ、なにが…………えっ?」
上を見上げるマリンの整った顔が、赤く汚される。
滴ったのは、血を分けた妹が吐き出した鮮血。
ミレーヌは……その胸を、黒く細い剣に貫かれていた。
信じられないと目を見開き、自分を貫く剣の持ち主──ネイを見、そしてマリンを見た。
「姉、さ…………」
その体がくずおれる前に、引き抜かれた黒い剣は翻る。流れるように淀みなく、低く半円を描いた。
……果たして絶命したのはどちらが先だったのか。
妹か。
それとも、喉を深々と切開された姉か。
双子の血が大地に染み込んでいくのを呆然と見ていた私にわかるのは、姉妹とも二度と動かないということだけだ。
……なにこれ? なんの冗談?
理解が追いつかない私の前で、ネイが呟く。
「すまない」
自分でやっておきながら、それはまるで心の底から発しているような……。
そんなネイに対し、騎士たちは戸惑いながらも剣を抜く。
後ろにいるナナカも杖を向けているのだろう。低く鋭い声が発せられた。
「どういうつもり、ネイ。なんで──」
ナナカの疑問は、突如として悲鳴に転じた。
驚いて振り返ると、地面にナナカが倒れていた。その背中を縦に大きく斬り裂かれて……。
それをやったと思われる騎士がナナカを跨ぎ、血の滴る剣を持ち上げる。
「ちょっやめっ、やめなさい!」
私の制止も届くことはなく……騎士はナナカの背中に剣を突き立てた。
なっ、なんなのよこれ! ムカつクヤツらだったけど、いきなりこんな呆気なく……。
「きっ、貴様っ! くっ、皆の者そやつとネイを捕えろ!」
わけわかんないけど、こんなタイミングで凶行に走ったのだ。騎士はネイとグルとしか考えられない。
二人を捕まえるよう隊長が騎士たちに命じるが、その最中で更に血しぶきが上がる。
騎士の一人が、他の騎士を斬りつけたのだ……つまり、まだ仲間がいたってこと!? どうなってんの!
そして乱戦が始まり──あっという間に決着した。
残ったのは四人。ネイとその仲間の男性騎士二人……そして私。だけ。
他の騎士たちは、三人に為す術もなく殺された。ネイが強いのは知っていたけど、二人の騎士もやたらと強かった……回復なんて使う隙もなく、見ているしかできなかった。
今さら逃げることもできずへたりこんでいた私に、正面からネイ、左右から騎士が近づいてくる。
「なっ、なななんなのよぉ、アンタたち……」
私も……殺されるの?
カチカチと鳴りっぱなしで止められない歯を止めたいけど、自分の意思ではどうにもならない……。
そんな私を見下ろしていた、右にいる騎士がずいっと顔を近づけてくる。
「ひっ!」
縮こまる私を見て目を細め、騎士が顔を引いた。
「ネイ様、本当にこんな女を連れ帰るつもりですか?」
「仕方なかろう。手ぶらで帰ってはあの方に合わす顔がない。せめてこれくらいの収穫は得なければな」
答えたネイに、今度は左の騎士が笑いかける。
「ははは、今回の作戦は散々でしたからね」
「……言うな」
「ネイ様が断腸の思いであんな男に股を開いてまで近づいたのに、まさか簡単に殺されてしまうなんて」
「言うなと言ったゾ!?」
あんな男って……健吾のこと? 作戦ってなによ!?
わけがわからないけど、二人と親しい様子のネイはガックリと肩を落とした。
「私がどんな思いであいつのつまらない伽に耐えたと思っているんだ……それなのに結局得られたのは死体だけ……もう少しだったのに……」
「ネイ様の《侵触縛呪》は強力ですが、通るまで時間がかかりますからねえ」
侵触縛呪というのはスキルだろうか? ネイは聞いたことないスキルを持っているが、そんな名前じゃなかったはずだけど……。
「レフィトもうやめておけ、ネイ様は落ち込みやすいんだから。それにしても、剣聖を殺した奴らは何者だったのでしょう。少年は例の、聖国で悪名高い勇者とのことですが……果たして若返りなど有りうるのでしょうか」
「さあな。真実がどうであれ、剣聖をも寄せつけぬあの力……できれば仲間に引き込みたいところだが」
「接触するのは危険すぎるかと」
右の騎士の言葉に黙って頷き、ネイが私に顔を向ける。
どうやら今すぐ殺されることはなさそうなので少し落ち着いてきて、頭が回ってきた。
要するに──
「──だからアタシで我慢しとこうってこと」
こいつらは健吾を引き抜きにきた、どこかの組織の工作員だったのだ。しかし肝心の健吾が死んでしまったので、代わりに私を連れて行こうということか。
よくできましたと言わんばかりにネイが浮かべる笑みが、バカにされている感じがしてムカつく。
「話が早くて助かる。これはお前にとっても悪い話ではないはずだ」
「……なんでよ」
「先程私とマリンが言っただろう。もう聖国にお前の座る椅子などない。あったとしても、肩身の狭い思いをすることになるぞ」
「そんなの……認めない」
私の言葉に、右の騎士がくっくっと笑う。
「凄いですねえ。あれだけ威張り散らして好き放題やっているのに。アナタのせいで職を失った使用人や、僻地に追いやられた兵を数えるには手足の指では足りないと聞いていますよ。中には命を絶った者もいるとか。戦闘でも自分の手を汚さずに、ただ人から経験値をくすねているだけですし……アナタの取り柄といったら少々お顔が整っているくらいでしょう? それでよく言えるもんですよ」
嫌みったらしくよく回る舌を引きちぎってやりたい。
なによそんなの。こっちは勝手に召喚された被害者なのよ。ちょっとくらい周りに当たってなにが悪いのよ。
それに私にはハロルドがいる。二、三度抱かせてあげた枢機卿も私の味方になるはずだ。
こいつがバカにした私の《経験抽蟲》も、このスキルで周りの人が得る経験値の一部を奪い取れるから、貴重な回復持ちの私が戦場にもついていってあげられるのだ。
戦闘なんて野蛮で汚いことはやらないが、それでもみんな私が欲しいはずだ。
だけどもしこいつらの言う通りだったら……いや、そんなことはないはず……こいつらは大袈裟に言っているだけだ。
でも健吾が死んだ今、私の立場が以前より弱くなってしまうのは間違いがないだろう。
それにそもそも、私に選択権など与えられていないのだ。
「ふん、もういいわ。どうせ断れば殺されるんでしょ。さっさと連れてきなさいよ」
死ぬよりこいつらについて行った方がマシだ。
私がそう言うと、ネイは満足そうに頷いて笑みを見せた。
「ふっ、そうツンツンするな。我らの本拠地は遠い。長い旅路だ、仲良くやろうではないか」
「こんなやり方しといて、なにが仲良くよ」
「我らとしても、これは望むところではなかったのだがな……」
周りに転がる女や騎士に一度目を向け、悼むように眉を寄せるネイを左右の騎士が気づかう。
「仕方がありませんよネイ様。これが最も円滑に、聖国から離れる方策です」
「ガレ枢機卿にはこれからも働いてもらわねばなりませんし」
ネイたちが勝手に聖国から離脱したことが知られれば、後ろ盾になっていたガレという枢機卿の立場は悪くなるだろう。だから私たちは全滅したということにして、それを避けるということか。
「わかっている。だが我らが与えられた力は、本来は人を討つためのものではないということを忘れてはならない」
「与えられた力?」
言い方に引っかかった私に、ネイが向き直る。
「教えておいてやる。我らに協力すれば、お前は力を得ることができるだろう。我らと同じようにな」
つまりこいつらは、なにか特別な方法で強くなったってこと? やたら強かったのはそういうことなのか。
「いや、それどころか異世界から来たお前なら、我らより強い力を得ることができるやもしれん。本当なら剣聖でそれを立証するはずだったが……」
そうか、そのために健吾を連れてくつもりだったんだ。
なんのためにそんなことをしようとしているのかわからない。協力って、ろくでもないことをやらされるのかもしれない。
だけど──
「──本当に強くなれるの。どれくらい……アイツらより、橘より強くなれるの」
「さあな。だがお前に覚悟があれば、不可能ではないかもしれんぞ」
覚悟……。
「…………いいわ、やってやろうじゃない。私の手でアイツら皆殺しにしてやるんだから」
別に健吾の仇討ちとかじゃない。
だけど、この胸のモヤモヤは……きっと自分の手で殺した方がスッキリ晴れるに決まってる。
「人を討つための力ではないと言ったばかりなのだがな」
呆れたような顔で、私を起こそうとネイが手を差し出す。
私はそれを掴んで──コントみたいに急に離されて、また地面に尻もちをついた。
「なにして、ひぃっ」
悲鳴を上げてしまったのは、ネイが離した手を腰に回して黒塗りのナイフを取り出したからだ。
やっぱり殺されるの!? ……と思ったが、そうではなかった。ネイが振るった腕の向かった先は、私の後ろ。
それは、とても奇妙だった。
ネイの投げたナイフは、確かに大木の脇を抉った。
だが……訪れたのは静寂。
相手の反応がなかった、という比喩ではない。実際に無音だったのだ。響くはずの音が響かなかったのだ。
気づかないうちに、テレビのミュートボタンを押してしまっていたような感覚。それがリアルで起こるのは、スゴイ気持ち悪かった。
「ぬかったか……」
ネイの呟きに応じるように、無音のまま大木の後ろから何者かが姿を現す。
その手に握る見たこともないような美しい杖を軽く振るうと、その一帯のミュートが解除された。
「あらら、気づかれてしまいましたわね」
……きっと錯覚だ。
暗い林の中でわずかな光にすら浮かび上がる、たなびくブロンドの巻き髪──それが、死神の手招きに見えたのは。