6-9 もう少し諦めずに頑張らせようと思った
裏切りのニケに信長イン本能寺くらいのショックを受けていると、ルチアに持ち上げられた。
「ほら、勝手に裏切られてないでもうやめておくんだ」
抱っこされる俺に浴びせられるのは、地球人や獣人からの責める視線と言葉。
違うのに……これはみんながハッピーになるための通過儀礼なのに。
「いいの、みんな。私はそうされるだけのことをしたの」
だよねだよね? 俺がされたことを考えればこれくらいいいよね?
なんだ操……お前結構いいヤツじゃないか。ちょっ、チョロくねぇし。
「シンイチさん、当事者ではない私が口出しするのは気が進みませんけれど、もう許してさしあげてもいいのではありません? ニケさんも」
実の所は俺が憎くてやったわけではないことがわかっているのだろう。セラは困った子を見ているかのように、眉を寄せた半笑いしている。
「私は別に許すもなにもありません。全てはマスター次第です」
意訳すれば許してもいいよということだ。まるでもとから自分の意志はないようなことを言っているが、どうしても嫌なら絶対そうは言わないからな。
ニケも許したことだし、ルチアも頷いているし……ま、これがベストな結果か。
「仕方ないですね。操さん、今は貴女の言葉を信じておきます」
「許して……くれるの?」
見上げてくる操に頷くと、瞳を潤ませ、顔をクシャッとさせてまた頭を下げた。
「ありがとう……ありがとう」
これでイジメられたことについては一区切り。
そして──
「──これならあっちの方も取りあえず合格ということでいいよな?」
俺が確認すると、三人は揃って頷いた。
家族審査の方もひとまず合格、ということだ。
「合格って一体どういう……」
顔を上げた操が不思議そうにしているが、それについてここで話す気はない。
「すぐにわかる──《研究所》」
「えっ?」
土下座する操の尻のすぐ後ろ、地球人たちとの間に現れた玄関ドアを見て驚く操を、俺は指差した。
「連行せよ」
「はい」
「えっ? えっ?」
すかさずドアを開き、ニケが操の襟首を掴んで中に引きずっていった。
操の仲間たちは裏側にいて玄関ドアが見えていないこともあり、咄嗟のことに動けずにいるようだ。
「……こんなやり方しなくてもいいのではありませんかしら?」
「もうめんどくさくなっちゃった。早く入ってー」
やれやれという感じでセラとルチアも入ったので、すぐに玄関ドアを消した。
ニケと操に続いてリビングに入って振り返ると、操の仲間がドアの前に来たのが見えた。しかしもう彼らに手は出せない。
「みっ、ミサオ!? ミサオ! ミサオを返してっ、ミサオ!」
ただ、騒いでいる獣人の男が特にミサオミサオうるさいので音を遮断すると、リビングからその獣人を眺める操が呟いた。
「……許してくれるんじゃないの?」
やたら悲しげなのは、殺されるとでも思ってるからだろうか。
「勘違いすんな、ウソついたわけじゃない。お前とは別の話をしなきゃならないから連れ込んだだけだ」
腹を割って話をしなきゃならないし、もう丁寧語もやめておく。
「別の話? なんで私だけ……それはみんなには聞かせられないことなの?」
「結果誰かが死ぬことになっていいなら聞かせてもいいぞ」
「……わかった」
一人で聞く気になったようで、操は大人しく立ち上がった。
「そこのソファーにでも座ってくれ。色々ややこしいから、落ち着いて話をしよう」
「音楽でも流しますわ」
音楽鑑賞にハマっているセラが、レコードプレーヤーの針を円盤に乗せた。レコードならこちらでも問題なく使えるのだ。
流れ出すのは繊細なタッチで奏でられるピアノの音色。
「こんな素晴らしい音楽を好きなときに聴けるだなんて、あちらの世界は贅沢ですわよね」
「ラ・カンパネラ!? ……そっか、お取り寄せで」
レコードに面食らいつつ、操が腰を下ろす。
その目の前に、お茶を淹れたニケがおしぼりと湯呑みを置いた。
「どうぞ」
「ありがとう……今度は緑茶? ここ大樹海だよね……まるで現実感が」
逆に落ち着かなさそうに、玄関ドアの方を何度も振り返っている。ここに操が入ったことはあるが、当時とはだいぶ様変わりしているからな。
富士山から変わった無数の仏像の絵をバックに、俺もニケの膝の上に腰を下ろす。
「それで、話ってなに」
手やおでこの泥を拭き、お茶を一口飲んだ操は懐かしさに感動していたが、それでも急かすように身を乗り出した。仲間になるべく心配をかけたくないのだろう。
こちらも意味なく時間をかける気はないので、重要な部分だけをかい摘んで手早く済まそう。
「簡潔に説明するから、一度で理解できるようにちゃんと聞いとけよ」
「わかった」
前に母さんに俺の失踪について説明したときは抽象的にまとめすぎたせいで伝わらなかったようだが、同じ失敗をする俺ではない。わかりやすい表現を心がけるのだ。
……しかし操は気もそぞろのようだし、冒頭にインパクトのある話を持ってくるべきだろう。
「実はな……この前日本に帰ったらお前の親父の晴彦さんが家にいて、殴り殺しそうになったんだ」
「わからない。もうわからない」
「あー、そうだな。家って言っても俺の家じゃなくて、それはお前が住んでたマンションの部屋だったんだけど。でも俺も前は同じマンション住んでて、今は俺の家族もお前の部屋に住んでるから俺の家なんだけど」
「聞けば聞くほどわからないけど、聞きたいのはそんな細かいところじゃない」
「わかるわかる、混乱するのは。俺だって知らない男が家にいて驚いたしな。それで殴り殺しそうになったんだ。ぐっとこらえたが」
「……主殿、本当にこらえたか」
「全然わからないけど、人の親を殴り殺そうとしないで欲しい」
しょうがないだろう、てっきり千冬の恋人かと思ってしまったのだから。その前に千冬が結婚してるかも、などという話をしたルチアも悪いと思うのだ。
あっ、そうそう。
「千冬といえば、あいつ俺をモデルに小説書いて投稿してるんだけど、伸び悩んでるみたいなんだ。俺としては書いて欲しい気持ちもあるが、千冬のためを思えばやっぱり諦めて新しい物語でも始めさせた方がいいんだろうか?」
「誰なの……突然出てきた新しい登場人物についての相談を、ごく普通に始めないで欲しい」
千冬の小説について悩んでいると、セラとニケが操をバカにしていた。
「この人はたまに凄く頭が悪く見えますわよね」
「自分の頭の中だけで、色々と完結していってしまいますからね。その思考も、自分の興味関心が優先ですし」
確かに操は話を理解するのが苦手なのかもしれないが、今は混乱しているだけかもしれない。あまり簡単に決めつけて人を馬鹿にしてはいけないぞ。
当の本人は、こめかみを押さえて悩んでいて聞こえてなさそうだからいいんだけど。
「待って、本当に待って。橘くんは…………日本に帰れるの? レコードとかお茶とかもお取り寄せじゃなくて、帰って買ったということ?」
「だからそうだって。で、帰ったら俺の母さんと晴彦さんが再婚してて、千冬が俺の小説を書いてくれてたんだよ」
「ダメ、一番重要な帰れるところが軽すぎてなにも入ってこない。それと多分、千冬さんの話は今いらない……って再婚!? なにそれ……」
重要な部分だけを教えてあげているのだが、これだと操の頭では情報を整理しきれないようだ……かわいそうに。
「仕方ない、初めから詳しく説明するか。そう、あれはお前や剣聖をダンジョンで捨てたあとのことだ。俺は無我夢中で走った。聖国から逃げ出すためにな……だが! 走り続けて疲労困憊の俺の前に、恐ろしい相手が立ちふさがったのだ! なんと! それは!」
「誰か他の人が説明してくださいどうかお願いします」
……なぜだ?
「ハーッ……別れちゃったんだ……お父さんとお母さん」
一通り三人から話を聞き終えると、操は長いあいだ天井を見上げ、千々に乱れた心を鎮めていた。やはり一番ショックだったのは両親の離婚だったようだ。
俺たちの話自体を疑う気はないようで、比較的スムーズに進んだのは助かった。接点の薄い俺が、わざわざ操に会いにここまで来たことが裏づけになっているという面もあるだろう。
「ミサオ殿、つらいとは思うが、その別れがあったからこそハルヒコ殿とキョウコ殿が結ばれ、我々がこうして会いに来ることになったのだ」
「そっか……おかげで助けてもらえたし、あっちのことを知れたんだよね」
ルチアの励ましに、操は涙を拭って俺たちに向き直った。無理してはいるが、この早さでポジティブに捉えようとできるところはたくましさを感じるな。
しかしあっちのことを知れたどころか帰れるんだが、こいつもしかして……。
内心で引っかかったが、そのことを尋ねる前に操が笑みを見せた。
「ふふ、橘くんと姉弟か……変な感じ」
「そりゃこっちのセリフだ。イビられてた女と兄妹になった俺の気持ちがわかるか?」
「それは……ごめんなさい」
「シンイチさん、許したのでしょう? そのことを言うのはもうおやめなさいな」
「はーい」
セラに叱られていると、俺も気になっていたことをニケが尋ねた。
「ミサオ、貴女はあちらに帰るつもりはないのですか? そのために剣聖にその身を捧げまでしたのでしょう」
やや間を置いたものの、操ははっきりと頷いた。
「もちろんお父さんたちには会いたいけど……もうあっちで暮らすことはできない」
四年近く行方不明だった高校中途者が突然帰還し、普通にあちらで暮らせるかというと……かなり難しいと言うほかない。しかも行方不明になっていた理由を、周囲に説明するわけにはいかないとなればさらに難しくなる。
ただ操が帰らない理由は、そういった現実的な問題によるものではなさそうだ。なんだか照れくさそうに頬を掻いている。
「その……こっちに心に決めた人がいて」
なにかと思えば男かい、と驚いたのは俺だけだった。三人は勘づいていたようだ。
「先ほどいた獣人の方ですわね」
ああ、あの尻もちついたヤツか。
確かに相手が獣人では、どうあがいても地球では暮らせないが……。
「あれが好きなのか? なんだか頼りなさそうだったけど。初めとかお前の後ろに隠れてたし」
見たまんまを言っただけであり悪く言ったつもりはないのだが、操は少し頬を膨らませた。
「ティルは戦いは苦手だけど、いいところはいっぱいある。というか橘くんも人のこと言えないと思うんだけど」
「それは違うな。俺は合理的思考に基づいて後ろに控えているだけであり、怖がって隠れているわけではないのだよ」
「そうやって臆面もなく言い切れるところは見習いたいですわ」
「まあ実際主殿はたまに勇敢というか、向こう見ずになるからな……それはそれで困るのだが。ちゃんと戦える相手なら補助しようとも思うのだが、明らかに危険な相手に無茶をするのはやめてほしい」
はて、なにかしただろうか?
首を傾げる俺を見て、操が小さく笑った。
「橘くんってこんな感じの人なの……話してみたら全然印象が違う」
「ネコ被ってたからな」
「そうみたいね」
操はまた笑ったが、唐突に神妙な顔つきになった。
「どうかされましたの?」
「あ、ううん……今日……さっき健吾くんが死んだばかりなのに、もう私は笑えるんだなって……橘くん。橘くんは日本に帰って、家族に会って、心から笑えた?」
初めは健吾を殺した俺を責めたいのかと思ったが、そうではないようだ。質問の意図はわからないが、俺を見る操の目はそういった類のものではない。
「笑えたけどそれが?」
「そう……なんていうかあの国って、平和じゃない? 人を直接傷つけたことのない、綺麗な人ばかりで。でも私はこっちに来て人を傷つけたり……殺めたりもした。そんな私が、お父さんたちと一緒に笑えるのかなって、笑っていいのかなって思っちゃって。汚れてしまった私が」
そう言ってうつむく操を見て俺は思った。
もしかしてこいつ、ヤバいやつなのでは──と。
「操……お前今まで、罪のない人々をそんなに殺し回ってきたのか」
「なんでそうなったの!? そんなことするわけない」
「本当か? そんなとんでもないサイコパス女、絶対に母さんや千冬に会わせるわけにはいかないんだが」
「本当だし」
「だったら汚れたってどういう意味だ」
「話をまるで聞いてなかったのかな……」
なんだかガックリしている操に、俺の左サイドが笑いかけた。
「ふふ、ミサオ殿、『敵を屠ることは汚れることじゃない』そうだぞ」
なぜかルチアは俺に視線を寄越しながら、当たり前のことを言っている。
「あ、そういう…………そう、なのかな」
まだなにか悩んでいる操に、セラも優しい声をかける。
「間違ってはいないと思いますわよ。割り切るのは難しいかもしれませんけれど。それにしても、貴女は誰かと違って普通の感性を持っているようで安心しましたわ」
「セラ、よくわかんないけどあんまりニケとルチアの悪口を言うのはやめた方がいいんじゃウググ」
そして、かばってあげた俺をなぜか締めつけてきたニケも。
「たとえ汚れていたとして、それがなんだというのですか。それは貴女が己や誰かを、なにかを守った証でしょう。ならば誇ればいいのです、守ったことを。そして誰かに押しつけることなく、汚れる道を選べた自分自身を」
つっけんどんな口調だが励ましているようだし、ニケも操をちゃんと認めているようだ。
ニケに嫌われていたのは感じていたのだろう。操は少し意外そうに目を開いていたが、嬉しそうにその目を細めた。
「そっか……ありがとう。こういうの、みんなとはなかなか話しづらくて」
なにを悩んでいるのかいまいち理解できないが、肩を並べて戦っている仲間に、戦いに対しての不安や迷いなどは打ち明けづらいかもしれないな。変に気を使われれば戦闘や関係性に支障が出るだろうし。
しかしうちの子たちはしっかりしていてあまり聞いたことがないが……悩みなども当然あるよな。
それらを飲み込ませずに打ち明けてもらうためには、彼女たちの悩みを受け止め共感することが肝要なのだろう。ひょっとしたら俺にはまだ少しばかり、ほんのちょびっとだけその力が足りていないのかもしれない。
甘えさせることができる頼もしい家長になれるよう、これからも邁進せねばなるまい。
そう考えていると、セラにテレパスされた。
「別に貴方に共感してもらおうだとか甘えさせてもらおうだとか、そんな期待はしていませんわよ。ねえ?」
うぐぐ……俺がまだこんな小さな子供の体だから頼りづらいのだろう。そうに決まっている。くそう、セラは包まれたい派、つまり甘えたい派なのに。
しかしセラが同意を求めたルチアとニケは、なぜか顔を見合わせて笑っていた。
「そういえばセレーラ殿はそういった男が好みだったか。しかし甘えられないかと言うと、そうでもないと思うのだが」
「ふふ、そうですね。もちろん共感という面ではアレなのですが」
意味深な態度を見せる二人を、セラが冷ややかな目で見ていた。っていうかアレってなんだ。
「そうでしたわね。貴女たちは服も下着も脱ぎ散らかして、洗濯かごに入れることもしませんものね。シンイチさんが片付けているのを見てビックリしましたわ。注意しても改めませんし、ずいぶん甘えていますわよね」
「い、いやっ、それはだな……確かに初めは、家にいたころの癖が抜けなかったのだが……」
「マスターが喜んでいるので、あえて続けているのです」
そりゃ喜ぶだろ。まだ暖かい下着とかを片すのって興奮するに決まってるじゃない。
なのにセラも操も、偶然見つけてしまったツチノコが凄いグロテスクだった、みたいな顔で俺を見るのやめてもらえません?
本当はセラにも脱ぎ捨ててもらいたいのだが、このまま話を続けているとニケとルチアまで自分で片付けることになりそうな雰囲気なので本題に戻ることにしよう。
「そ、それであっちで暮らさないのはわかったが、晴彦さんに顔見せに戻る気はあるんだな?」
「そんなに自由に行き来できるの?」
「ああ、必要なのはMPだけだ。ただクールタイムはアホなほど長いけどな」
本来はそのMPが莫大な量必要なのだが、その問題も《研究所》のお陰でなんとかなったしな。
「そう……凄いスキルだね。さっきも言ったけど、もちろんお父さんたちには会いたい」
「じゃあいつにする。今日行けるか?」
はっきり言ってしまうと、俺は内心で小躍りしていた。
俺は操を許したが、まだ信頼できる相手だとは思っていない。
サイコパスではなさそうだし母さんや千冬に直接危害を加えるとは思わないが、周囲への対応を間違えてしまうのではないかという不安がある。日本で暮らさせるのは怖い。
なので基本こちらで暮らしてもらって、たまに連れ帰って晴彦さんを喜ばせるというのが一番都合がいいのである。
そんな万々歳の展開に喜んでいたのだが──
「ごめん。今はちょっと無理」
──顔を曇らせた操に水を差された。
「ああ、獣人たちと内樹海に帰るのか」
「そうじゃなくて、今は非常事態中なの。だから少なくともしばらくは無理」
聖国一派を追い返して一件落着……というわけにはいかなかったようだ。
明けましておめでとうございます!
前話で宣言した通り、今年こそ頑張っていこうかと……あれ、2024……?
いや、その…………とにかく、頑張れ石川! 頑張れ日本!