6-8 強要罪は懲役三年以下の刑罰だった
剣聖を仕留め、戦いは終わった。
戦意を失った性悪リンコたち聖国残党は、見逃してやることにした。必死で命乞いするリンコを殺してしまえば、操の心象を悪くするのは避けられないだろうから。
獣人側も損耗が激しいし、これ以上戦う気はないようだ。
剣聖の遺体も、せめてちゃんと弔ってやりたいと言う細剣持ちの女に渡してやった。
他の女は自分たちの心配ばかりしていたが、多少は慕ってくれている者が一人はいたようである。きっと剣聖もあの世で喜んでいる。
そして聖国が引き上げるのを見届けていると、獣人や黒髪たちが近づいてきた。この世界にも黒髪はいるが、ここにいるのはみんな日本人だろう。
ちなみにその中には泰秀はおらず、離れたところで膝を抱えてしょぼくれている。
「本当に橘……なんだよな? 橘、それと婚約者の人たちも……ありがとうな、助けてくれて」
こちらの戦力を警戒しているのか、声をかけてきた黒髪の男はおっかなびっくりといった様子だ。
三人ほどいる獣人にいたっては言わずもがなで、ほぼ日本人の後ろに隠れている。俺たちのことをセラ以外は人間だと思ってるだろうし。プルプル、ボク悪い人間じゃないよ。
「同じ日本人ですからね。困っているのであれば、手を差し伸べるのは当然じゃないですか」
「あー、その……あの頃のことは」
「冗談ですよ。それより礼を言われるとは驚きました。剣聖のことを責められるかと思ってましたけど」
剣聖のことを聞いてみると、操が悲しげに顔を歪めた。
操はちょっとニケっぽいというか、あまり感情を表に出す方ではないタイプかと思う。特に以前はいつもつまらなそうにしていたことしか記憶にないが、こんな顔もできるようだ。
「健吾くんのことは……もうどうしようもなかったのはわかってる。あんなことを言われたら、私だって……」
そう言って隣にいる獣人の男を見つめた操に、地球人の男女も続いた。
「アイツは積極的に殺したりはしなかったけど、今までも聖国の獣人狩りに参加したりはしてたしな……説得も通じなかったし、どこかでなんとかしなきゃいけなかったんだ」
「ずっとそういう話はしてたんだけど……私たちの力じゃ難しかったし、踏ん切りもつかなかった。泰秀くんは絶対反対だったし。でも、あのままにしていたらもっと被害が出てたから……だからあまり気に病まないで」
地球人はみんな悲しげだし、もちろん複雑な思いはあるだろう。それでもこの中に剣聖のことを好きなやつはいないようで、それぞれ頷いている。こっちは気に病んでなどいないんだけど。
しかし操の反感をそこまで買っていなさそうなのは、ひとまず良かったか。
「それで、橘がここにきたのは偶然……なんてわけないよな。助けにきてくれたのか?」
「うーん……それはまだなんとも言えませんね」
「それってどういう……」
「これから害を成すかもしれないということです。操さん次第で」
正直に答えてあげたら、地球人たちの顔が強張った。
「まっ、待ってくれ、それは操が健吾と一緒にいたころのことについてか?」
「まあそうなりますかね。ということで操さん、顔貸してもらえません?」
本題は俺がイビられていたことではないのだが、決して無関係ではない。それも含めて存在が不要だと判断されれば、ニケの拳が火を吹く予定である。
もっとも今の様子であれば、そこまではいかないだろうけど。
その操に目を向けると、ほとんど後ろに隠れてた獣人の若い男が庇うように前に出てきた。
……腰は引けててちょっと内股だし、もう泣きそうな顔になっているが。
「わっ!」
「ぴぇぃ!?」
軽く驚かしたら、ひっくり返るように尻もちをついた。
そのお尻についている尻尾は短く、クリクリ髪の頭にはクルッと巻いた角。ヒツジ系の獣人だろうか。
確か地球だと、本当はヒツジの尻尾って長いのを切断して短くしてるはずだが、こっちでも切ってるのかな?
とにかく操がその獣人を引っ張り起こし、お尻や尻尾の土を払った。
「ティル、大丈夫だから」
「でっ、でもミサオ……」
そうしてから操は歩み出てきたが、今度は地球人の女が立ちふさがった。
「違うの、橘くん。操は望んで健吾と一緒にいたわけじゃないの。みんなのためだったのよ」
「カヨちゃん、ありがとう。でもいいの」
仲間からは大事にされているようだが、操はカヨという女も後ろに下げさせた。
そして俺たちの前まできてどうするかと思えば、操は腰を折り深く頭を下げた。
「ごめんなさい。私が貴方にしたことは許されることじゃない。ずっと謝りたいと思ってたけど、謝って済むことじゃないのはわかってる……それでも私には謝ることしかできない。本当にごめんなさい」
ほほう、先手を打って謝ってくるとは思わなかったな……少し揺さぶってみるか。
「ずいぶんと殊勝な心がけですね。てっきりダンジョンに裸で放り出したことについて、恨み言でも言われると思ってましたけど」
「あれは……正直少し頭にもきた。けど、それよりも胸がすく思いだった。こっちが悪いことをしていたのはわかっていたから」
操は頭を深く下げたままだ。
こちらの力にビビってその場しのぎで謝ったり、嘘を言っているという風には見えない。
様子を観察していると、俺を抱っこするルチアがさっきのカヨの言葉を拾った。
「皆のために剣聖と共にいたというのは、なんのことだ?」
その口調は柔らかいが、目つきは鋭い。ルチアもどんな女か判断するために、情報を引き出そうとしているのだ。
尋ねられた操は、顔を上げて首を振った。
「違う。別にみんなのためなんかじゃない。私はただ……日本に帰りたかっただけ」
「どういう意味だろうか」
他の地球人も交えて軽く聞いてみると、どうやら操は聖国で、日本に帰るための方法を探していたようだ。
しかし俺もそうだったが、召喚当初は書庫に足を踏み入れることすら許されなかった。そこでとても悩んだが仕方なく、言い寄られていた剣聖のパーティーに加入したそうだ。聖国の中枢に入り込むために。
そして同じく帰還を目指していたカヨたちと協力して情報を集めた。操は主に聖庁舎で、カヨたちは外で。
だがその方法が見つかることはなく、結局帰還を諦めた操たちは、獣人を助けることにした。
彼らを苦しめてきた聖国に従っていた、罪滅ぼしとして。
「わかってあげて、橘くん。操は健吾くんに逆らうわけにはいかなかったの。橘くんに危害を加えたのは、操の本意じゃなかったんだよ」
「カヨちゃん。こっちの事情なんて、やられた橘くんからすれば関係のないことだよ」
話の途中でもカヨなどは一生懸命かばっていたが、操からは言い訳をする意志は見受けられなかった。
「あまり聞きたくはないかもしれないけど、橘くんにも一応教えておく。聖国に極一部の人しか入れない禁書庫というのがあったのは知ってる? 監視つきだったけど、私はそこでも少し調べることができた。でも日本に帰る方法は……」
俺が残念がるのを見たくないとばかりに目を伏せた操だったが、あいにくそんなことはとうの昔に知っている。
「あそこには召喚された勇者の記録も、大したものなかったですもんね。召喚陣で逆に人を送る実験した資料とかも全然でしたし」
「……なにその実験、知らない」
「そうなんですか。手応えなさすぎて、すぐ打ち切られたみたいです」
そういった資料も見つけられなかったようで、操は目を丸くしている。それらはわずかしかなかったので仕方ないが。
「橘はなんでそんなの知ってんだ!?」
「そりゃあ帰るために調べたからに決まってるじゃないですか」
「どうやって……私は三年以上かかったのに」
「金の力です。伊達に貴方たちに守銭奴と呼ばれていたわけではないんですよ」
操は正面からいったようだが、俺は買収という裏道を通ったからな。
みんな唖然としていたが、しばらくしてカヨが口を開いた。
「橘くんって、聖国の言いなりで良しとしてる人なんだとずっと思ってたんだけど……もしかして違ったの!?」
「違います。だから逃げたんじゃないですか」
「それって神剣に目が眩んだからじゃないの?」
「そんなもののためにリスク背負うわけないじゃないですか。神剣なんかこれっぽっちも興味……なかったのは過去の話であって、今は目に入れても痛くないっていうか、どこに何度入れても飽き足りないっていうか」
セーフセーフっ! フォローが間に合ったのでビリビリは免れた。というか嬉しそうに鞘はクネクネしている。
「何度入れても飽き足りない……? なんなのそれ」
首を傾げるカヨを放置していると、操が力なく笑った。
「そう、だったんだ……なにしてたんだろ、私。早く勇気を出してさえいれば、きっと、もっと……」
心の内では、初めから俺の処遇などについて思うことがあったのかもな。
そしてもし早くから協力できていれば……とでも思っているのかもしれないが、俺は操に首を振った。
「そんな仮定に意味はありませんよ」
「……そうだね。今更どれだけ後悔しても、私がやったことはなにも変わらない」
俺の目を見て頷き、また操は頭を下げた。
「私はどうなってもいい。だけど、どうかお願いします。みんなには手を出さないでください」
一体どう思われているのか知らないが、どういう結論になろうが無関係なやつらまで巻き込む気などない。邪魔さえしなければ。
それにしてもどうしよっかな。
操は今のところ、家族として迎え入れる審査としては非の打ち所がない対応を見せてしまっている。ろくでもない女だったら、話は早かったのだが。
悩んでいると、操反対派のニケが一歩前に出る。
そしてその言葉で周囲を凍りつかせた。
「まだ真剣味を感じませんね。確か貴女の生まれ故郷には、もっと謝罪に適した姿勢があったのではありませんか?」
謝罪に適した姿勢……そんなものはあれしかない。
土下座しろと。そういうことだ。
ニケもなかなか酷なことを言う。土下座というのは、口で言うほど簡単なことではない。
プライドを投げうって手足を地につけて汚し、無防備に頭を垂れて視界を地面で埋め尽くす情けなさ、屈辱感、哀れさ……やったことがない者には、己の非を体全体で表現するあのみじめさはわからないだろう。
日本人でも謝罪のために土下座するなど、死ぬまで一度もやらない人の方が圧倒的に多いのではないだろうか。俺だって月に一度くらいしかしていない。
「そっ、そんなのっ! 一番悪いのは健吾君でっ」
カヨが非難の声を上げようとするのも無理はない。日本では土下座の強要で罪になったりもするし、それほど重たい行為なのだ。
しかし、操の動きはそれよりも早かった。躊躇することなく湿った地面に膝をつき、手をつく。
ニケの求めに応じたのだ。
「本当にすみませんでした」
果断して頭を下げる操に誰もが驚かされる中、ニケだけはなおも厳しい目をいまだ向けている。
だが……その目を見て理解した。ニケは意地悪でやっているわけではなく、操を試しているのだ。操が心から謝っているのかを。
そしてそうであれば許そうと、受け入れようとしているのだ……母さんと千冬のため、ひいては俺のために。
ならば、俺もそれに続くべきなのだろう。
「操さん」
ルチアから降りた俺は優しく操の名を呼び、土下座するその後頭部に優しく乗せた━━右足を。
「そんなヌルい土下座で許すと思ってるんですか? 土下座っていったらこうですよ、こう!」
優しく丁寧にグリグリと踏みにじり、額を地面に擦りつけさせる。ニケが剣聖にやったように痛みや苦しみを与えるのではなく、怒りと屈辱を覚えさせるように。
操、こらえてみせろ。これはお前を許すためなのだ。
あと、やられたぶんのウサを晴らすためなのだ。
そして━━それにも操は抵抗することなく、なされるがままにして謝罪の言葉を重ねた。
細かく何度も頭をバウンドさせてみたり、わざと靴を泥で汚して踏んでみたり、すぐそばにツバを何度も吐きかけたりしたのに。おかげで遺体の周りに警察が引く線みたいに、土下座する操の型取りがツバでできたよ。
やるじゃないか……お前の心意気、確かに見届けた。
どうだろう、ニケちゃん。お前の意志を汲んでやってみたが、これなら許してもいいかな?
そう思ってニケに目を向けると、
「マスター……なにもそこまでやらなくても」
普通に引いてた。
なんという裏切り。
らっ来年こそ頑張る……といいな
良いお年を。