6-5 虚仮威しだった
飛び込んだ剣聖は、様子見の小技などを出す気などないようだ。初撃にも関わらず大胆に振りかぶる。
しかし大地を踏みしめ、剛剣を振り下ろした位置は、どう見ても浅い。
知らない者が見ていれば、誰しもが届くはずがないと判断しただろう。だからルチアが大きく引いたのも、奇異に映っただろう。
剣はまるで届いてなどいなかったにも関わらず、その髪が数本断たれて宙を舞うまでは。
「なるほど……これが虚剣威伸か。思った以上に伸びるな」
虚剣威伸━━剣聖がこの世界に召喚されたときに与えられていたスキルだ。
俺とニケから聞いていたルチアも、その力に少し目を見開いている。
その能力は剣で攻撃したときに、一瞬遅れて不可視の刃が発生し、斬撃を与えるというものだ。その不可視の刃の攻撃力は実体の剣と同等だが、刃渡りが実体の剣の二倍近くになる。
それだけでもとてつもなく強力なのだが、更に厄介な特性も持っている。
「俺のスキルのことまで知ってやがんのか。ま、知られてたところで関係ねえがな」
続けざまに二度三度と振られる剣。その太刀筋の延長線上に立たないように半身でかわしてから、ルチアは大きく距離を取る。
追いすがった剣聖は、ルチアが大木を背にしていることに構いもせず剣を横薙ぎに振るった。
しゃがんで避けたルチアに代わり、大木が不可視の刃に断ち切られて傾いていく。しかし剣聖はまるでなにごともなかったかのように、すでに切り返して剣を振るっている。
それこそが虚剣威伸の厄介な特性である。
不可視の刃は実体の剣を防ぐことが可能な防御力のものに当たれば破壊されて霧散するが、また攻撃したときには発生する。そしてなにかを斬りつけたり破壊されるようなことがあっても、実体の剣の振りには全く響かない。
要するに上手く距離を保って不可視の刃だけを当てることで、素振り同然に攻撃し続けることができるのである。
それが剣聖職の脳筋ステータスと相乗効果を生み、通常攻撃だけでも相手を圧倒できる非常に凶悪なものとなるのだ。
少しヒヤッとしたが、逆からの横薙ぎを今度は飛び上がってルチアは避けた。低いしゃがみ姿勢からのジャンプは軸が傾いていたものの、一回ひねりを入れて整えていた。普段はどっしり構えているルチアの、黒豹を思わせるようなしなやかさと躍動感に魅入られてしまう。
大木の倒れる音が響く中、剣聖は追い、ルチアは避ける。何度も繰り返す。
木々は断たれ、地面には深い切り傷がいくつもつけられていく。
そうやって中央で暴れ回るせいで、獣人と騎士も引いて、二人の戦いを見守る形になってきた。剣聖はなにも考えずに剣を振り回しているし、巻き込まれちゃたまらないというのもわかる。
でもあとは戦ってるのがニケのところだけというこの構図もどうなんだろう。すっかり俺たちがメインになってしまった。
「どうしたぁ! でけぇ口叩いたくせに逃げ回ってばっかか?」
両手持ちの長大な剣を、ときには片手で棒切れかのように軽々と振るう剣聖の姿は、さすがに迫力がある。
しかし小馬鹿にして軽口を叩いているが……俺にすらわかるし、気づいてないわけじゃないよな?
ルチアは左手に持った盾も使わず、ただ避けている。それが可能であるなら、泰秀のように距離を詰めて実剣を受け止めるのが、一番対処としては楽にも関わらず。
しかも徐々に避け方も大袈裟なものではなくなっている。初めは太刀筋自体から避けるか、かなり距離を取っていたのに、実剣に近づいてきているのだ。《直感》の効果とかもあるのだろうが、見てて怖いくらい。
早くも剣聖の攻撃はほとんど見切られていると思うのだ。
「チッ、チョロチョロしやがって」
更に当たらない攻撃を繰り返したあと、痺れを切らした剣聖が立ち止まって腰を落とした。
「瞬歩ぉ!」
剣術アーツの爆発的な加速でルチアの懐に飛び込むと、そこから……ただ斬り上げた。
咄嗟に出した盾が、鈍い音を響かせる。同時に響いた薄氷を叩き割ったような儚い音は、不可視の刃が砕けた音か。
あれ? 瞬歩からの派生技は、出しておいて損はないみたいなことを前にニケから聞いたんだけど。
蟷螂の払いと啄木鳥の突きという二択を相手に押しつけられるし、威力もそれなりにある。瞬歩自体の足のクールダウンは長いが、派生技で腕に生じるクールダウンは短い。
したがって攻撃に使うときは、瞬歩だけで終わることはあまりないのだそうだ。
ニケとルチアでたまに稽古しているが、そのときもニケは派生技を使ってルチアに対処法を覚え込ませていた。
だからこそ想定外の剣聖の通常攻撃を、ルチアは慌てて盾で防ぐことになったのだろう。
意表を突いてきた……のか?
「今のは驚かされたぞ」
ルチアの言葉に、剣聖が犬歯を剥き出す。
「ぁんだその上から目線……生意気なんだよ、原人のくせによぉ!」
そういやアイツ、こっちの人たちをそうやって呼んでたな。どう考えても侮蔑の意味がこもっている。
軽蔑すべき者はこの世界に限った話ではなく、当然いるだろう。でも無条件でこっちの人全員を見下せる思考は、ほんとに理解できない。
「なるほど……ニケ殿が忌避した理由がよくわかるな」
ウンザリとした表情を浮かべているルチアも、この短い時間でわかったようだ。
剣聖は関わればどうあっても不愉快にしかならない、関わったら負け系の人間なのだ。
少し気配の変わったルチアに気づかず、また剣聖が飛び込む。
しかし今度は迎え撃つように前に出てきたルチアに、盾で突き飛ばされた。
「もういい加減出し惜しみはやめてもらいたい。お前の本当の力を見せてくれ」
あまりに余裕があるので、剣聖が本気を出していないと思ったのだろうが……うーん、どうなんだろうか。
強打した鼻を押さえていた剣聖は、その手に血がついているのを見て、怒りに体を震わせていた。
「あーあ……マジでテメェ俺をキレさせちゃったな。知らねぇぞ、マジで。ガチでやってやるからな」
いちいち言葉選びが痛々しいんだよ……知性を感じないというか。一応あの学校は進学校だったんだけどね。
いついかなる時でもエレガントでクレバーな俺の爪の垢を、あのマジガチバカウンコプリプリ脳筋男に煎じて飲ませてあげたいものである。
鼻血を雑に拭った剣聖は、バカの一つ覚えで再び飛びかかった。
ガチでやるとか言ってたが……ちょっとは速くなってるのかな? 大差ないような気がするんだけど。
「なあセラ、これって」
「多分、貴方の考える通りだと思いますわよ」
やっぱり……そういうことなんだろうな。
ガムシャラに振られる剣をルチアはまた避けていたが、じれったくなったのか盾で雑に弾いた。
「まだか? なにを遠慮している、本気で来い」
ルチアは気づいてないようだが、それ煽りになっちゃってるんじゃないかな。
「テメェ……生意気なんだよ、マジでよぉ!」
ますます顔を赤く染める剣聖の攻撃は、溜まっていく怒りほどには苛烈にならない。むしろ大振りになってルチアに余裕が生まれるだけだ。
その体たらくにルチアもいい加減わかってきたようで、剣聖を蹴飛ばして大きく距離を取ると、なんとも言えない表情でニケに顔を向けた。
「ニケ殿……勇者は脅威だと言っていなかったか」
雷をバチンと飛ばして騎士を殺したニケは、愉快そうに手を口に当てた。
「ふふっ、確かに脅威になり得るとはいいました。ですがそれも研鑽を積み続けていれば、の話です。その者の性根では、それは無理だろうと思っていました」
つまり━━大して力が伸びていなかった剣聖は、脅威でもなんでもなかったのだ。激闘の予感? なんのこと?
多分それは、レベルだけの問題ではない。
普段からニケやルチアを見ているせいもあるかもしれないが、俺から見ても剣聖は動きが稚拙に思えた。ステータスとスキル頼みでやってきたというのが、ありありと見えてしまった。確かにスキルは強力なのだが、だからこそ技術を磨く必要がなかったのだろう。
瞬歩からの派生技も、使わなかったのではなく、使えなかったのかもしれない。スキルレベル七で覚えるはずだが、そこまで上がっていないのだ。
アゴが丸いのも運動不足で太ったからじゃなかろうか。
「貴女だって初めに見たときに、剣聖がどの程度のものかわかったでしょうに」
「う……きっと勘違いだと思って」
ニケを信じていたからこそ、ルチアは感じたままを受け入れなかったのだろう。
剣聖は二人の話を理解などしたくないと、もうやめろと、近くにあった木を叩き斬った。
「黙って聞いてりゃ、なんだそりゃ……テメェらは俺が弱いとでも言いてぇのか!」
そして激昂して襲いかかる……が、簡単に足を払われ、つんのめって倒れた。
その背中に投げかけられるのは、失望をてんこ盛りにしたルチアの言葉だ。
「その通りだ。はっきり言って期待外れだった」
「なっ…………」
更にセラも追い打ち。
「本気の殺し合いであれば、あちらの槍使いの方でもそれには勝てそうですわね」
「俺が泰秀より弱い、だと?」
己の強さを拠り所として優越感に浸ってきた剣聖は、もちろんそれを認めることなどない。
「……ありえねぇ! んなことありえねぇんだよ! 俺は剣聖だぞ!」
起き上がった剣聖はなおも斬りかかったが、それに合わせてルチアも踏み込んだ。
「バッシュ」
かわしながら放ったルチアのアーツが、剣を横から叩き砕く。
舞い散る金属片を目にして呆然と動きを止めた剣聖に、ルチアが剣を振るう。しかし鎧に大きな傷を刻んだものの、ギリギリかわされ本体には届かなかった。
その衝撃によろめきながらも、剣聖は必死で距離を取った。
「剣聖、か……お前はそんなものでしか、強さでしか自尊心を保てないのだろうな。哀れなものだ」
投げかけられたルチアの言葉に、剣聖が唇を噛む。
「うるせぇ……偉そうな口きくんじゃねぇよ! この世界じゃ強ぇ奴が偉いんだろうが!」
あいつの考えるこの世界は、きっと脳筋ピラミッドの形をしているのだろう。
確かに物理的な強さが地球より重要視されはするが、当然それが全てではない。そんなことを言ってもあいつには無駄だろうけど。
「フフッ、偉そう? お前の理論でいけば、お前より強い私の方が実際に偉いのではないのか?」
ルチアの返しに顔を真っ赤にした剣聖は、折れた剣を投げ捨てた。
「ちっ、違うっ。まだだ……まだだぁ! まだ終わりなんかじゃねえ! まだ俺は負けてねえ!」
そう吠えて腰のマジックバッグに触れ━━取り出したのは濃紺の直剣。
剣を落としたときは出さなかったが、予備を持っていたのか……しかしあの剣、装飾や形状にどこか禍々しいものを感じる。
それを裏づけるように、ニケが驚きとともに呟いた。
「あれは……まさか魔剣ですか」
「そうだ! これは使いたくなかったがしょうがねえ!」
俺には魔剣というのがどういうものかよくわからないが、剣聖は勝ちを確信したような笑みを浮かべている。
そして魔剣を握る右手は高々と掲げられ━━
「起きやがれ! 魔剣グラン━━」
「熱線眼んんん!」
━━俺のビームで、ジュワッと焦げた。