6-1 お披露目した
2022/10/26
セレーラの杖に名前がつきました。それだけです。
暗い部屋の中に俺たちは立っていた。
小さなランタンのような魔道具だけが、石造りの広い部屋を頼りなく照らしている。
足の下には、石の床一面に刻まれた複雑な模様。
しゃがみ込んで模様に触れたセラが、小さく抑えて感嘆の声を漏らす。
「これが異世界召喚陣……さすがに大掛かりですわね」
ここはリグリス聖国。
その聖庁の敷地内にある、召喚の間である。
乾いた血を思わせる赤黒い模様は、魔力が通れば明るく輝く召喚陣なのだ。
地球をあとにした俺たちは、まずはリースに戻った。侯爵に水田稲作のやり方をまとめた資料をくれてやるためにだ。
リースを旅立ってからのあまりに早い帰還に侯爵はしらけていたが、渡した資料には喜んでいた。
貸しということにはしておいたが、俺がいつかやるかもしれない稲作の実験台だし、不測の事態が起こって日本で米が買えなくなることも考えられる。こちらの米の流通量を増やしておくのは、俺たちにとっても悪いことではないだろう。
それとどうしても水は大量に必要となるし、治水に関してもまとめてきたので教えてきた。完全に制御するのは難しいだろうが、こちらの世界のノウハウと合わせて、少しでも災害が起きないようにすべきだろう……水は怖いからな。
まだ全てが始まったばかりだが事業への応募者はあとを絶たず、人手はだいぶ集まりそうだ。
ダンドンや坊っちゃんたちは、意外に文句も言わず真面目に働いているらしい。
ただ、弱い魔物を追い払ってばかりで腕がなまりそうだと、連絡係として侯爵のところに来たギネビアさんが言っていた。
頑張っているギネビアさんにご褒美として、膝に飛び乗って抱っこさせてあげた。最初はデリケートなショタボディに触れるのに緊張していたのか、ちょっと震えていた。でも最後にはすっかり慣れて喜んでいて、ニケが俺を無理矢理奪い取ることになった。
そしてリースでの仕事を終え、今度こそ旅立った先がここ、聖国である。
「こんな中枢にもひとっ飛びで来れるのだな……警備の者はたまったものではないな」
自分が守る側だったことを想像して、ルチアは顔をしかめている。
「召喚されたときの光景は目に焼きついていたからな」
この場所は魔法などからの防護もされているのだが、俺の《新世界への扉》は異世界との行き来もできる優れ物である。なにも問題なく転移することができた。
本当に《研究所》の外では使えないことだけが残念である。ふっ、それは残像だ、みたいなのやってみたかった。
ただ、それも悪いことばかりではない。
本来転移系のスキルは、イメージよりは比較的追跡が簡単なのだ。
しかし俺のラボは扉を消してしまうと、外界からは魔力一つ見ることができない(セラに魔眼で見てもらった)ほど情報が遮断される。なので恐らく、追跡は不可能ではないかと思われる。
「一体なにが目に焼きついていたのか知りませんが」
俺を抱っこするニケは、呆れたように言っている。
仕方なくない? 童貞少年が家族以外の女の裸を初めて、しかもあれだけの人数まとめて目にしてしまったのだから。
「でも大丈夫だ。三人の裸を初めて見たときの衝撃ほどではないから」
「なにが大丈夫ですの。貴女もなにを喜んでいますの」
しばらくニケは俺の頭頂部に、ほっぺをスリスリしていた。
そして翌日。
丸一日という《新世界への扉》のクールダウンも終わったところで行動開始である。俺たちは当然ここに、物見遊山で来たわけではない。
「では、いきます」
壁際に立つ俺たちを背に、ニケが一歩前に踏み出した。
なにを始めるのかといえば、破壊である──召喚陣の。
俺たちはそのためにここに来たのだ。
以前、水晶さんだった頃のリリスはこの召喚陣の召喚方法では、二つの世界の境界への損傷が大きいと話していた。その傷で世界が崩壊するとかそこまで深刻なものではないが、小さな問題がいくつか発生する可能性はあるようだ。
そしてどうやら、もし傷が治りきらない内にまた召喚が行われるようなことがあれば、その場所が再度破られる確率が高いようなのだ。
それはつまり俺が転校した学校のあの教室とこの世界が、再び繋がるということである。そんな場所に千冬が通おうとしてたなんて、考えただけでゾッとしてしまう。
もっとも、聖国がすぐにまた召喚を試みるようなことはないとは思う。召喚にはとてつもない量のMPが必要なので、質の良い魔石をかなり必要とする。簡単に都合できるものではない。しかも、俺たちを召喚した結果もかんばしくなかったわけだし。
それでも万が一ということもある。なにか問題が起きる前に破壊した方がいいのは間違いない。
なによりこれは、ニケのたっての願いなのだ。
『これがただの八つ当たりであることはわかっています。今更そんなことをしても、私の愚かさはなかったことにはなりません。それでも、ケジメはつけなければなりません』
召喚陣を壊そうという話を出してきたとき、ニケはそう言っていた。
多分俺がこっちに召喚されて苦労してたのを少しは知ってるから、そのあたりのことなんだろうけど……別にニケが気にするようなことじゃないのに。
そういえば昔、聖国相手なら戦争してもいいみたいなこと言ってたのもそういうことなのかな。
まあそれはともかくとして、ルチアやセラも賛同したし、俺もその方がいいと思ったので召喚陣を破壊することにしたのである。
もちろん壊したところで新しく作り直されてしまえば元も子もない。リリスは転移術スキルを極めた者なら作れると言ってたし。でもそんな者は滅多に現れはしないと思う。
それに昔聖国にいる頃に調べたが、召喚陣は聖国が立国される遥か以前から存在している。この部屋などは、リグリス教がここにあった国を乗っ取ったときに手に入れたままである。
聖国は召喚陣を神が作ったなどと言っているが、実際にはその成り立ちを理解していないのだ。
異世界召喚陣など他には存在していないようだし、ここで破壊すれば二度と異世界召喚が行われない可能性も高いだろう。
しかしこの召喚陣は幾重にも魔法的な防御が施され、傷ついたときには修復されるようにもなっている。
それに今も部屋の扉の外には警備の者が立っているはずだ。なにかあればすぐに兵が飛んでくるだろう。
そういうわけで、通常の方法で完全に破壊するのは容易なことではない。
だが今の俺たちには、対物における最強カードがある。
その持ち主であるニケが、召喚陣に向けて左手を突き出した。
集中しているのか、大きく長く息を吸い、静かに吐き出す。
そして━━
「王剣・拭」
━━召喚陣の中央部が、跡形もなく消え去った。
陣の三分の一ほどの広い範囲が、さほど深くはないが床ごと綺麗に四角くくり抜かれたのだ。まるで初めから存在していなかったかのように。
さすがにこうなってしまえば、召喚陣は完全に機能を停止したはずだ。それをセラも保証してくれた。
「上手くいったようですわね。わずかに流れていた魔力の流れも、断ち切られて霧散していきますわ」
恐らく防御や修復用の魔法効果を維持するための魔力か。魔石でも使っていたに違いない。
それら魔法効果ごとあっけなく召喚陣を破壊した《王剣・拭》は、ニケがリリスにもらったご褒美スキルである。
その力は、指定空間内の存在を消失させるというものだ。
……と言うとチート過ぎるように聞こえるが、残念ながら生物やそれが直接触れている装備品などには効かない。微生物まではどうかはわからないが。
それとMP消費やクールタイムなどの代償も大きかったりと、やや使いづらい部分もある。
それでも攻守において切り札となる力を秘めた、超絶的に優秀なスキルだと思う。
ちなみにルチアの新スキルは《王盾・擁》であり、名前は二人で相談して決めていた。両方とも王を冠するに相応しい性能ではあるが、俺は勝手に名前決められたのにズルい。
それにしても……。
「……かなり音が出たな」
倍音多めで心地良い音だったが、部屋には大きな音が響いた。今まで何度か試しに使ったときは、規模のせいか対象物のせいか断然小さな音だったんだけど。
そしてその音は分厚い部屋の扉を越え、外まで伝わってしまった。警備が騒いでいる声が、小さく聞こえてくる。
「なっ、なんだ今の音は! 中から聞こえなかったか!?」
「ああ、報告してくる!」
どうやら彼らは鍵を持ってはいないようで多少時間の猶予はあるが、突入してくるのも時間の問題だろう。
「すみません、マスター」
「いいって、こんなもんしょうがない。よくやったよ」
「ああ、その通りだニケ殿。しかしどうする? 騒ぎにはなってしまったが、予定通りに進めるか?」
「うーん……いや、予定変更。少しこっちで暴れておこう」
俺たちの聖国での目的はあと二つ。
一つは、晴彦さんの娘である操の情報収集、あるいは拉致。
もう一つは、とある高僧の殺害である。
その高僧とは異世界召喚を主導した者であり、俺がこの世界に来ることになった元凶である。
━━主席枢機卿ビチス。
ケジメをつけるというのであれば、やはり奴を生かしておくわけにはいかない。
当初の予定では第一目標である召喚陣をこっそり壊して、そのあと転移で跳んで奴を狙うつもりだった。ただビチスの部屋にはほとんど入ったことがないので、跳ぶのは他の高僧のところにだ。
予定とは異なり騒ぎになってしまったがさほど支障はなく、別に今から跳んでも構わない。
だがどうせなら、騒ぎを有効に使うことにしよう。
「こちらで暴れて、高僧がいる区画の警備を手薄にしますのね」
「うん、あっちには神奉騎士団の待機所もあるしな。少しでも釣れたらいいんだけど」
聖国最強。神に全てを捧げた者たちで構成される精鋭部隊。
それが神奉騎士団だ。
俺たちはステータスは高いが、人数が少ない。奴らともろにぶつかるのは避けたい。
聖庁舎はアホみたいに広いし、こっちに敵を引きつけてスキを見て飛べば、少しは楽になるだろう。セルフ陽動作戦である。
とはいえビチスは遊説などに出ている可能性もあるし、今は取り逃がしてもやむなしのつもりでいるが。
どうせその気になればいつでも転移して来れる。いつ来るかわからない襲撃者に怯えて眠ればいいのだ。
方針が決まり、三人が装備を取り出す。防具は始めから着用しているので、武器や盾だけだ。シータは……いいか、出さなくて。
最近あまり体を動かしていなかったこともあり、ニケとルチアはどことなく嬉しそうである。それを見るセラはやれやれといった感じだったが。
それとせっかくなので侵入者らしく、目から下を隠す面頬を装着することにした。怒り顔を模した顔用の防具だ。
三人はあまり乗り気ではなかったが、可憐な乙女たちがその顔を隠し、いかつくて怖い面頬をつけているのは妙に興奮する。
「ではここは私が」
全員の準備が整ってから、扉の前に立ったルチアが盾を持つ左手を引く。
「バッシュ!」
分厚かった両開きの扉が、衝突音と共に完全にひしゃげて無理矢理押し開かれる。扉の片方は、枠からも外れて転がった。
「こっ、こんなっ、一体なにが……なっ!? お前たち! どうやって──」
この場に残っていた騎士は、問答無用でルチアに斬られて倒れ伏した。
それをまたいで長い地下通路を進む。
召喚の間は聖庁舎と地下で繋がっているが、距離的には少し離れているのだ。
「ついでに操が出てきてくれるとラッキーなんだけどなあ」
剣聖たちは街に住んでた他の勇者と違って、ここにずっと住み着いていた。奴らが出てきてもおかしくはない。
「まだ生きているのであれば、その可能性もありますね。それはそうと兵が来ました。私がいきます」
長い地下通路の先にある階段から、騎士や僧侶が降りてきた。
報告に行った騎士は俺たちを見ていないから、どこぞから現れた俺たちにみんな戸惑っているが、こちらが武装しているのを見て剣を抜いた。とはいえ残念だがそれに意味はなく、走りながら放ったニケの雷撃で一網打尽である。
しかし階段の上にも兵がいたようで、賊だ、出合えーっと叫ぶ声が聞こえてくる。
その長い階段を跳ねるように数歩で登り、聖庁舎の外れにある部屋に出た。
そこで叫んでいた兵士を張り倒して、部屋の外へ。
「それでどちらに行きますの?」
「んーと、あっちかな」
正面の廊下はビチスの執務室がある中央へと伸びているので、今はそっちではない。残る一つの、正門側へ向かう左を指差す。
そうこうしている間にも、廊下には兵士たちが続々と現れていた。
「では次は私の番ですわね」
後続を断つために正面の廊下に向けて、セラが俺を片手で抱え直して杖を構える。
俺が作った新作の杖、その名も『セラの怒りん棒』であるウグググウソですごめんなさい呼吸をさせてください。
竜骨とオリハルコンを組み合わせ、先端には魔力を蓄積するための青い宝玉がつけられている。魔力の通りやすさだけを見れば竜骨だけの方がいいが、セラは棒術も使うので硬さと重量のあるオリハルコンも用いた。
防具はみんなに準じたものだが、魔術師らしく軽装である。それとトップスの立ち襟ノースリーブは丈が大胆に短くなり、お腹丸出しになっている。
これは腰の背部周辺から触手が出ることを考えてのデザインである。
本当はホルターネックにして背中とか横乳とか堪能したかったが、胸当てをつけたりする関係上断念せざるを得なかった。
でも今もセラは恥ずかしがって陣羽織を羽織っているし、これで良かったかもしれない。陣羽織は前が閉じないので、このデザインだと綺麗なおヘソはいつでも見れるのだ。
「アイスブレット・グルーム」
セラが突き出した杖の先に氷塊が生まれる。
見る見るうちに俺より大きくなったところで、発射。
先端は尖っているが、速くはない。こんなんで当たるのかなと思っていたら、少し進んだところで高速回転を始めた。
それと同時に、周囲に小さな複製のような氷塊をいくつも射出する。その姿はずぶ濡れの大型犬がぶるんぶるんしているようだ。
ただし、撒き散らしているのは水滴などより遥かに大きく危険な氷の塊である。
逃げ場のない廊下に、兵士たちの悲鳴が木霊する。
やがて直進した氷塊は、行き当たりの壁を破壊し力を使い果たして消えた。悲鳴はすっかりうめき声になっていた。
その光景を前にして、ニケは少し呆れているようだ。
「アイスブレットの派生ですか……ずいぶんと派手にいきましたね」
氷塊が通過した廊下はそこかしこに氷のトゲが突き刺さって、崩壊寸前なほどになっている。対多かつ対空用といった魔術だろうか。壁や床だけでなく天井もボロボロだ。
これはもう修繕ではなく、一帯の建て替えが必要なレベルである。真っ白な建物と透き通った氷のコラボは、ちょっと綺麗だけど。
もしかして装備や自分のステータスにまだ慣れていないせいで威力を調節しそこなったのかと思ったが、そうではなかった。
セラは何食わぬ顔で言ってのけた。
「この国を好きなエルフなど、いるはずありませんわよ? 私は元エルフですけれど」
さっきの暴れると決めたときのやれやれ感はなんだったのか、そう言って清々しい笑みを浮かべた。
この国は亜人の天敵だし気持ちはわかるが、操が出てきてもうっかり殺しそうで心配。
ともあれ、そうだとは思ってたけどセラはやっぱりやるときは殺る人のようだ。
頼もしい仲間が増えて、心強い限りである。