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貴男を想う  作者:    
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6

 心地よい風が耳元の後れ毛を揺らした。陸軍基地の入口にあるピンクと白の花はすでに季節を終わらせたようで、今は街路樹の葉が黄色や赤に美しく色づいていた。


 「そろそろ戻るか。」


 「はい。だいぶ上手に歩けるようになりましたね。」


 私が微笑んで褒めると、ビリーさんは嬉しそうにはにかんだ。ビリーさんは来週退院する事になっている。

 全く歩けなかった脚はビリーさんの努力により、今は松葉杖があれば何とか歩けるようになるまで回復した。医師は、元通りまでは行かなくとも松葉杖なしで歩けるようになるだろうと言っていた。退院後も定期的に通院は必要だが、もう病院に留まる必要はない。


 「来週、退院したら仕事復帰だ。ずいぶん長く休んでいたから大丈夫かな。」


 「あら、病室でお仕事してたじゃ無いですか。」


 「そうは言っても不安なんだよ。」


 ビリーさんは色づいた街路樹に目を向けると目を細めた。


 ビリーさんは元々陸軍学校の中でも更にエリートである高等部を修了した頭脳肌で、機械工学を専攻していたらしい。

 通常は陸軍学校を出ても2年間は現場兵士として訓練を積む。ビリーさんも本来ならあと数カ月の期間が残っているが、脚の一件があったので現場兵士には戻らず、陸軍研究所に配属になるそうだ。

 最近、ビリーさんは病室で同僚から差し入れられた何やら難しそうな論文を読んで過ごしていた。


 「忙しくなりますね。」


 「そうだな。」


 病室まで送ると、ビリーさんは自力でベッドまで戻って腰を下ろすと松葉杖をベッドサイドに立てかけた。


 退院の日、ビリーさんは笑顔で手を振って病院を後にした。新人配属されてからのこの数カ月を看てきたビリーさんは良くも悪くも私にとって忘れられない患者となるだろう。


 私はビリーさんの姿が見えなくなるまで病院の入口で彼の姿を見送った。彼の同僚で陸軍学校からの親友という方が退院の手伝いに来ており、荷物を持ってあげている。

 松葉杖を器用に使いながらひょこひょこと歩く彼らの姿は陸軍基地の中にある独身用の隊員宿舎の方向へと消えていった。



***



 色づいていた葉が絨毯のように道を染めて木枯らしが吹く季節になると、たちの悪い病気が流行るようになる。毎年寒くて乾燥するこの季節は、高熱に関節痛、喉の痛みを伴う症状を訴える人々が街に溢れる。

 陸軍隊員の兵士達は屈強な人が多いのだが、それでもやはり人間なのだから体調を崩したりもする。そしてこの病気は本当にたちが悪く、一定の割合で肺炎を引き起こして重症化するのだ。最悪の場合は死に至ることもある。


 今、陸軍病院の入院病棟は私が勤め始めてから1番ベッドが埋まっている。病気が院内感染しないようにこの症状を訴える患者の病室は同一の区画に固められる。私はリタさんと共にこの患者さん達の担当になった。


 「オリヴィエ。手洗いとうがいは基本中の基本よ。どんなに忙しくても絶対に怠らないで。」


 「はい。」


 「喋りにくいからと言ってマスクを顎にかけては絶対に駄目よ。顎についた菌がマスクに移って、それが口から入るから。」


 「はい。」


 「病棟では自分の顔を触れては駄目。手に付いたばい菌がつくから。特に、経験が浅いの子は無意識に目元に触れてしまうことが多いの。気をつけてね。」


 「はい。」


 普段は感染するような病気をもつ患者さんを担当する事が殆ど無いので、リタさんは何度も何度も私に注意を促した。

 きっと、それだけ看病するうちにこの病気を貰ってしまう看護師が多いのだと思う。そして私達看護師がこの病気を貰ってしまうと院内で弱った人に二次感染させてしまう可能性がある。

 私はリタさんから注意された事をメモにまとめ、それを仕事用の小さな手帳に貼り付けた。

 

 この病気の患者さんを担当するようになってから、私は健康診断の書類を基地に届けるのは控えている。リタさんに、感染症患者さんを担当しているときに不必要に健康な人に近づくのは避けるようにと言われたからだ。


 ロンには10日ほど前の食堂でたまたま顔を合わせて少し立ち話して以来会えていない。

 会いたいのは山々だが、ここは病院なのだから彼がここに来るのは病気か怪我をした時と言うことになる。ロンには元気でいて欲しいから今は我慢するしか無い。

 私はハァっとため息をついてから患者さん達の氷嚢を取り替えるために病棟へと向かった。


 肺炎を患う患者さん達は皆、高熱にうなされて激しく咳き込んで苦しそうに表情を歪める。この病気には特効薬が開発されていないので対症療法しかない。私は魘される患者さんの汗を拭き、氷嚢を取り替えて少しでも楽になるようにと願いを込めた。


 全ての作業を終えて看護師の控室に戻ると、外来を担当していた同僚のノアが私を見つけて手招きをしてきた。聞けば、私への面会希望があると言う。


 「だれ?」


 「えっと、何て名前だったかな。外来で来た人で、オリヴィエが入院中に担当してた脚の治療中の。」


 「脚?ウェルターさんかしら?」


 「あ、そうそう!ウェルターさんよ。今日は外来の日だったのよ。ロビーに居るわよ。」


 うんうん唸っていたノアは名前を思い出してホッとしたのかパッと顔を明るくした。ビリーさんが私に面会?何だろうと私は首を傾げながらもロビーへと向かった。

 

 ロビーの椅子に腰をおろしていたビリーさんは相変わらず何やら難しそうな書類を読んでいたが、私が近づくとちょうど顔をあげた。空のようなブルーの瞳と目が合うと、ビリーさんは柔らかく微笑んだ。


 「やあ、オリヴィエ。」


 「こんにちは、ビリーさん。どうされたのですか?」


 「松葉杖が無くなったんだ。オリヴィエに報告したくてさ。忙しかったかな?」


 よくよく見るとビリーさんの横には小さな杖が置いてあるだけで、松葉杖は無い。まだ退院してから2ヶ月も経っていないのにすごい回復だ。


 「本当だわ!すごいじゃないですか!!」


 私が心から感動して褒めると、ビリーさんは嬉しそうに自分の両方の膝を手で撫でた。


 「復帰した職場がな、思ったよりずっとやり甲斐があるところだったんだ。俺でも役に立つと思ったら、急に色々とやる気が出てさ。そしたら、歩くのももっと頑張ろうって気になった。」


 「よかった!」


 ビリーさんが充実した生活を送れていることがわかって私は心底安心した。このままもっと回復してくれたらいいと思う。ビリーさんは喜ぶ私を見つめると目を細めた。


 「きっとオリヴィエなら喜んでくれると思ったんだ。会えてよかったよ。ありがとな。」


 「こちらこそいい知らせをありがとうございました。」


 ビリーさんの後ろ姿を見送りながら、感染症で苦しむ人達の世話で重くなっていた自分の気持ちが少しだけ軽くなったのを感じた。 

 


 


 



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