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あの騒ぎのあと、私は看護師長に呼び出しを食らった。重い足を引きずりながら看護師長室のドアをノックすると、中から「どうぞ。」と声がしたので恐る恐るドアを開けた。
そっと看護師長室ね中を覗くと、看護師長の机の前にリタさんも立っているのが見える。リタさんは私と目が合うと、隣に来るようにと促した。
「さて、クルーニーさん。何故ここに呼ばれたかはわかるかしら?」
「・・・はい。」
看護師長の落ち着き払った声がかえって怖かった。おずおずと顔を上げて看護師長をみると、その人を見透かすような琥珀色の瞳と目が合った。
「患者さんにとって自分の状態と言うのはとてもデリケートな問題なのよ。なんの根拠もなく治ると言ったりしたら、それが叶わないとわかったときにどれだけショックを受けるか想像出来るかしら?」
私はなにも答えることが出来ず、俯いた。
私はただビリーさんを励ますだけのつもりだったのだ。でも、ビリーさんは看護師である私の『すぐに元通りになる』という言葉を医療関係者の言葉として受け取った。非があるとすれば完全にオリヴィエ側だ。
なにも言わない私に看護師長はハァっと深いため息をついた。
「クルーニーさん。今回のことは反省して、同じ間違いは繰り返さないように気をつけて。ウェルターさんにはきちんと謝罪に行きなさい。わかったわね。ウェルターさんの担当をクルーニーさんにこのまま任せるかは様子を見て考えましょう。」
「はい。申し訳ありませんでした。」
私は唇をぐっと噛み締めた。ウェルターと言うのはビリーさんの苗字だ。ビリーさんには誠意をもって謝罪しなければならない。
脳裏に顔を真っ赤にして怒っているのに、まるで泣いているかのように見えたビリーさんの姿が浮かんだ。許して貰えるだろうか。でも、たとえ許されなくとも私は彼に謝罪しなければならない。
リタさんも監督不行き届きで看護師長からお叱りを受け、私とリタさんは看護師長室を後にした。パタンと閉まる扉の音が無機質に廊下に響き渡る。
「リタさん、ごめんなさい。私が無神経なこと言ったりしたから。」
落ち込んで謝罪する私に、リタさんは「少し話をしないか」と私を看護師控え室のパーティションへと誘った。コップに入ったお茶を手渡されて、リタさんと向かい合って座った。
「私ね、まだ10代の時に婚約者がいたの。」
突然のリタさんからの告白に私は面をくらった。リタさんは確かもう20代も終わる年頃の筈で、世間一般で言ったらそれは行き遅れにあたる。優しく美しいリタさんが独身であることを不思議には思っていたが、もしかしてその婚約者とやらへの未練を引きずっているのだろうか。
リタさんの始めた話は今のビリーさんの一件とは全く関係ないように思えたが、戸惑う私を余所にリタさんは構うことなく話を続けた。
「彼は陸軍の兵士だったわ。5つ年上で、地雷や大砲の処理をする仕事に従事していた。」
リタさんは自分の手を握るようにぎゅっとした。心なしか少し震えているように見えた。
「彼との結婚式が近くなったある日、彼は不発弾処理に当たっていて事故にあったの。彼の至近距離で暴発が起きて・・・」
リタさんのコクンのつばをのむ音が異様に耳に響いた。
「彼は事故で右腕の肘から下と左手の指の1本を失った。でも、命は助かったわ。私はそれが嬉しかった。例え体の一部が無くても彼が生きているだけでいいと思っていたの。」
リタさんの声は聞き間違えでは無く震えていた。
「でも、彼は違った。そのあとから酷くふさぎ込むようになって、あまり飲まなかったお酒を飲んでは荒れるようになった。
病院を退院したあと、彼でも出来る仕事をという当時の上司の配慮で彼は陸軍の兵士の庶務を担う裏方の部署に移動したわ。
彼はそこで淡々と仕事をこなしているように見えて、私はそれが彼が回復してきている兆しだと受け取ったわ。
そして、私は彼を励まそうと思って言ってはいけないことを言った。」
力無く微笑んだリタさんは、昨日のビリーさんのように泣いているように見えた。
「彼に『腕なんて無くたってあなたは大丈夫よ。』って言ったの。それを聞いた彼は酷く腹を立てて、『お前に何がわかる』って激怒した。
だけど、私は何が彼の逆鱗に触れたのかがわからなかった。そして翌日、彼は自ら命を絶った。」
私はひゅっと息をのんだ。信じられない思いで横にいるリタさんを見つめると、リタさんは目元をそっと指で拭った。
「私が彼を殺したの。」
「そんなこと・・・」
それ以上、言葉を続けることは出来なかった。誰かにとっては何でも無い言葉が他の人にとっては重大な意味を持つ。リタさんの言った言葉は私には大したことないように感じた。でも、リタさんの婚約者の男性にとってはきっと違ったのだ。何かが彼の糸を切った。
リタさんはきっとその日からずっと責任を感じて幸せになることを放棄しているのかもしれない。
どういう反応をすればいいのかがわからず、消毒液で少しだけ荒れた自分の指先を見つめた。私はビリーさんに改めて申し訳なく思った。
夕方の巡回の時、ビリーさんの部屋をノックすると中から「どうぞ。」と声がした。私が恐る恐る入室すると、ビリーさんはベッドに腰を下ろして夕焼けに染まる景色を窓から眺めていた。
いつものような軽い口説き文句は無く、私の胃はキリキリと痛んだ。
「ビリーさん、あのっ。」
「ごめんな。」
頭を下げかけた時に言おうと思っていた言葉が先に聞こえてきて私は顔を上げた。ビリーさんはベッドに座ったまま、眉じりを下げてこちらを見つめていた。
「私こそ申し訳ありませんでした。」
慌てて謝罪するとビリーさんは首を横に振った。
「いや、俺が八つ当たりしたんだ。
本当はわかってたんだ。脚を切り落とすかどうかの大怪我だったんだ。歩けるようになれば万々歳だって。
それでも、俺は夢を見たくてオリヴィエの言葉に縋った。医師から現実を聞かされてどうしようもなくて病院の力の弱い看護師達に八つ当たりした。最低だな。」
自嘲気味に吐き捨てたビリーさんに、私は胸を掴まれたかのような切なさを感じた。
「そんなことありません!私が悪かったんです!!ビリーさんの気持ちも考えずに無責任なこと言ったから!」
私は咄嗟に強く言い縋ってビリーさんに謝罪した。
ビリーさんが期待してしまったのは仕方が無いことだ。私はもう一度ごめんなさいとビリーさんに謝罪した。
みんなそれぞれが何かを抱えてる。ただ、それを口に出すかどうかのだけの違いなのだ。