5話 魔石とミーシャ
ブラックドラゴン――支配者を驕る龍の魔物。吾輩が、貴様の傲慢を正してやろう。
その巨大な体躯へと、吾輩は接近する。
近づくと、身体が小さな黒い鱗で覆われているのが目に見えた。
鱗は体表をほとんど覆っており、並の攻撃なら物理・魔法問わず容易く弾き返してしまうだろう。随分と立派な鱗であることだ。
今の吾輩の身体よりも数段頑丈であろうことは想像に難くない。
「……だが、それだけだな」
すでに魔力をほとんど使いつくしてしまった吾輩は、拳一つで龍と対峙する。
貴様の自慢のその鱗と吾輩の拳……どちらが硬いか、勝負といこうではないか。
ブラックドラゴンは真正面に立ちはだかった吾輩を敵と認めたのだろうか。
ギョロリと眼球を動かし、吾輩を見下ろした。
「グルルルラァァァッッッ!」
空気が震えるほどの咆哮。
耳をつんざくその轟音に、吾輩は笑う。
「創造主たる吾輩に牙を向けるか。気概は買うぞ、黒き龍よ」
ブラックドラゴンは鋭い歯の見え隠れする口を大きく開け放ち、炎を吐き出す。
それを吾輩は真正面から受け止める。
視界が赤に染まった。
マグマにも匹敵しかねない熱量の炎だ。普通の人間であれば、苦しむ間もなく逝っていたところであろう。
だが、この炎を生み出した貴様を創造したのはまさしく吾輩であるからな。
いくら吾輩が弱体化したといってもこの程度、稚児の駄々となんら変わらぬ。
炎を受け切った吾輩は、黒の龍へと拳を振るった。
堅牢を誇る漆黒の鱗が衝撃でひび割れ、我が拳が鱗の奥、柔肉へと達する。
「ガッ……アッ……ッ!」
ブラックドラゴンは声にならない声を上げ、その意識を手放した。
ふん、他愛ないな。
「ふむ……」
ブラックドラゴンの亡骸を前に、吾輩は先程の戦闘を顧みる。
思ったよりも力が発揮できたな。残滓の力とはいえ、あまり悲観することはないのかもしれん。まあ、元々悲観などはしておらぬが。
自分が弱くなったというのは少々腹に据えかねるところもあるが、それはあの洞窟を力技で抜けた時点でわかっていたことだ。折り合いをつけていくしかあるまいな。
ブラックドラゴンの横たわる身体を見る。
今の吾輩の数十倍はある、巨大な身体だ
「さて、では貴様の血肉を啜る……わけにもいかんからな。とりあえず、村に持って帰るとするか」
尻尾を掴み、引きずりながら吾輩は村へと帰った。
村へと帰ると、村の衆が総出で吾輩の帰りを待っていた。
吾輩がブラックドラゴンを引きずっていることがわかると、村の衆は驚き、そして吾輩の元に詰め寄って来る。
そのような熱烈な出迎えをされると、吾輩嬉しくなってしまうぞ。
「帰ったぞ、皆の衆。吾輩の活躍により、この村の平和は守られた。そう、吾輩の活躍により!」
吾輩は胸を張る。
褒め称えよ! 既に神の座を捨てた吾輩ではあるが、神として崇め奉ってもなんらかまわぬぞ?
「ありがたや、ありがたや……」
やはり村長は自らの役割をよくわかっているな。
其方が吾輩を拝むように手を合わせたおかげで、また吾輩の気分は上昇した。
やるな村長、褒めて遣わす。
「あ、あの、ジョナスさん。少しよろしいでしょうか」
群衆の中からミーシャが前に出てきた。
「いいぞ。なんでも言うが良い、ミーシャ」
そう答えると、ミーシャは頭を下げてくる。
「この度は本当にありがとうございました! それで、その、うちの村には今お金はほとんどありませんが、代わりに好きなものを持って行ってください。食料なら備蓄分がありますし……なんなら私でも構いません……」
最後のあたりは消え入りそうな声であった。
私……? 村のために自分を差し出すとは、見上げた女だ。
吾輩には考えられんな。ちなみに吾輩にとって一番大切なものは吾輩だ。ついでに二番目も吾輩である。
「いや、吾輩はそんなものはいらん」
ミーシャに拒否の意思を伝える。其方の言うものに、欲しいものはないからな。
強いて言えばミーシャには少々気が惹かれるところはあるが、元神の吾輩は簡単に一人の人間を好くわけにもいかない。
すると、なぜか震えはじめる村の衆。
……ああ、なるほど。どうやらもっと凄い要求をするのだと誤解されているようだな。
そういうわけではないのだが……ええい、口に出した方が早いか。
吾輩は村の衆の前で一メートルほど飛びあがり、全員から吾輩の姿を肉眼で視認できるよう振舞う。
そして言った。
「金銭も、食料も、女も、全ていらん! 吾輩が欲するは歓声である! さあ人間たちよ、吾輩に感謝しているのであれば、あらん限りの称賛を送ってくれ!」
称賛! 称賛! 称賛!
吾輩が欲しいのは称賛だ! 歓声だ! そして、吾輩への尊敬の眼差しだ!
「……おお。おおおおおっ! ジョナス様、ばんざーい! ばんざーい!」
「フッフッフッ……ハーッハッハッ!」
思わず高笑いが漏れる。
耐えず贈られる吾輩への賛辞、その全てを全身で受け止めていく。
気持ちが良い……この上ない快感だ。
これに比べれば、全ての娯楽は路端の石と等価。
そう思えるほどの充実感が吾輩の身体を巡っていた。
しかもその後、村の衆全員で作った料理までご馳走になってしまった。
これほど感謝されるとは……助けにきてよかったな。吾輩満足である。
翌日。
村で一日を過ごした吾輩は、元の街へと帰ることにした。
その前に、ミーシャと言葉を交わす。
すると、知らなかったことを教えてくれた。
ブラックドラゴンの頭がギルドでは討伐の証になるというのだ。
「よくそんなことを知っているな。常識なのか?」
「知らない人もいますけど、私は村の出張ギルドの受付嬢をやっているので、ある程度の知識はあるんです」
なるほどな。謙虚で賢しいとは、見上げた女よ。
見つめる先で、ミーシャは吾輩の運んできたブラックドラゴンの死体に腕を伸ばす。
「それより、他の部位は本当にいらないんですか? かなり高値で売れますけど……」
「いらぬ。吾輩、余分な金に執着するようなさもしい存在ではないのでな」
生きるのに必要な分があればよかろう。
この討伐の証の頭だけで平民の一年分の給与に値するというし、それだけあれば吾輩は充分生活してゆける。
「残りの部位は村の運営費にでも回すのだな。スクロールとやらを使ってしまって金銭が心もとないのであろう? ミーシャには様々教えてもらったからな、そのささやかな礼である」
昨日の夜、スクロールについても軽く学ばせてもらった。
なんでもスクロールとは、魔法の効果を封じ込めた巻物らしい。
正確には、貴重な魔法を保存しておく魔道具の名称のようだ。
ミーシャのおかげでまた一つ、吾輩は人間界を知ることができた。
その感謝であるのだが、ミーシャはブンブンと手を横に振る。
「た、対価が大きすぎますよ! そんな、こんなに貰ったら……」
其方は何を言っている? 吾輩という存在に物を教えたのだぞ。
もっと誇ってしかるべきだというに……本当に謙虚な人間だ。
と、そこで、吾輩はあることを思いだした。
おお、危ない危ない。危うく忘れたままのところであった。
「ああ、あとこれだ」
ミーシャの掌に、ポケットから取り出したものをポンッと置く。
「へ? なんですかこれ?」
「この龍の魔石である。これは其方個人への贈り物だ。受け取ってくれ」
魔石とは、魔物の体内の魔力が結晶化した石の総称である。
なかなか採れるものではないが、今回のドラゴンは運よくそれを持っていた。
殴った拍子に体内から魔石を取り出したという訳である。
このような芸当、人間にはなかなかできぬであろう。できるのは吾輩だけかもしれぬな。ハッハッハッ。
「へ、ひ、ふぇぇ……」
ミーシャが謎の言葉を発し始めてしまった。
「ま、魔石って、そんな貴重なもの……しかもブラックドラゴンのなんて、下手したらこの村丸ごと買い取れちゃうレベルですよ……?」
「知らん、興味もない」
金勘定は苦手なのだ。
あのようなものは煩わしいものは吾輩には不必要である。
というわけで、ミーシャに告げる。
「そのようなシンプルな服も良いが、今度会うことがあれば、次は煌びやかな服を着た其方を見てみたいと思うぞ。そのためにこの魔石を使うと良い」
「ひょおお……? ひゅうう……」
……大丈夫か、ミーシャ。
其方、人間の言葉を捨てたのではあるまいな。
それから数十分。
村を発つ吾輩のために、村の衆のほとんどが集まってくれた。
「ミーシャ、ありがとう。世話になったぞ」
「い、いえっ、そんな……こちらこそ、ありがとうございました!」
「それから村長。ブラックドラゴンの魔石はあくまで吾輩が、個人的に、ミーシャに譲ったものだ。それはわかっているな?」
「もちろんでございます、ジョナス様」
うむ。吾輩は頷く。
吾輩があげた魔石のせいでミーシャがトラブルに巻き込まれたら、吾輩は悲しくなってしまうからな。
「もしミーシャの身に何か起きれば吾輩が直々に事情を聴きに来るゆえ、そのつもりでな」
最後にもう一度念を押しておいた。
そして、吾輩は空へと舞いあがる。
「ミーシャ、そして村の衆。さらばである!」
地平線には再び太陽が昇り始めていた。
しかし、ミーシャをはじめとする村の面々は、太陽などには目もくれず吾輩を見ている。
「フハハハハ、吾輩はついに太陽にまで勝利してしまったか! 己の求心力が末恐ろしいわ!」
吾輩は上機嫌で、ギルドのある元の街へと空路を進むのだった。
これにて一章『黒き龍と元邪神』編完結です。次話から新章に入ります!
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