4話 真の支配者
夜の空を彩るは天の星。そして眼下に光る街の明かり。
それらの間を切り裂くように、吾輩は目的の街まで飛んでいた。
「と、飛んでます! あの、私、飛んでます!」
「当然だ。吾輩は邪神ぞ?」
背に乗る女が興奮した声を上げる。
しかし、飛翔一つでここまで驚いてくれるというのは気分が良い。
吾輩はその褒美として、反転して見せることにする。
「女、しっかり捕まっているのだぞ?」
「へ? は、はい――ひゃああっ!?」
ぐるりと景色が反転し、上下逆さまの世界が訪れる。
吾輩この景色がそこそこに好みであった。
上下逆というのがまた、悪の総統っぽくて実に吾輩っぽいであろう。
きっと満足してもらえたはずだ、と背に乗る女を見る。
――女は顔面を蒼白にし、身体をぶるぶると震わせていた。
「お、落ち、落ちちゃいます! お願いします、元の飛び方に戻ってください……!」
「なに!?」
吾輩はすぐにもう一度反転し、普通の飛び方に戻してやる。
すると女は心底ほっとしたというように息を一つ吐いた。
それほどまでの心労を抱えていたとは……人間の腕力を高く見積もり過ぎていたか?
「すまんな。加減がわからず、迷惑をかけた」
「い、いえ……滅相もないです」
息も絶え絶えな女は吾輩の機嫌を損ねないためか、吾輩を責めてはこない。
健気だな……そういう女は嫌いではないぞ。
いや、頼む側という立場というものがあるし、きっとこの女にとって吾輩は最後の頼りであろうから、好意を寄せているという訳ではないのだろう。
それはわかっているが、それを差し置いても良い女だということだ。
吾輩としても、人間の女と交わる気にはならぬ。吾輩腐っても元神であるがゆえ。
妥協に妥協を重ねても、交わるのは一国の王相手がせいぜいであろうな。
空を駆けながら、そんなことを思う。
そういえば、もうあと数時間で日が替わるな。
このままいけば丁度日の変わり目に村に着くくらいの進歩であろうか。
今日はおそろしく色々なことがあった一日だった。
今日と比すれば、昨日までの幽閉されていた吾輩はただ存在していただけといっても過言ではないくらいには。
今は呼吸が必要だが、神であった昨日まではそれも要らなかったからな。ただひたすらに純粋に、『存在』していただけであった。
「……そういえば女。吾輩はジョナスというのだが、其方の名は何と言う?」
今日の出来事を思い出していた吾輩は、ブライトに教わったことを思いだす。
人間は全てが名前を持つ種族なのであった。
ならば、その名で呼ばないのは失礼にあたる。
「わ、私ですか? 私はミーシャです」
女はおどおどとしながら吾輩の問いに答える。
ミーシャか。なんとなく、顔に似合う名という感じがするな。
吾輩はミーシャの顔を見る。
地味で一見目立たないようだが、その実いないと組織が瓦解する。
この人間は、そういう掛け替えのない存在であると吾輩は思うのだ。まあ、顔だけの印象であるが。
「ミーシャだな? ……その名、しかと覚えておこう。なにせミーシャ、其方は初めて吾輩の背に乗った記念すべき人間であるからな」
「え……あ! あ、ありがとうございます!」
礼まで言えるとは、ますます良い人間ではないか。
このような良い人間の故郷は滅ぼすわけにはいくまい。
「少し急ぐぞ。腕は疲れていないか?」
「ちょっと疲れてますけど……でも、大丈夫です。それよりも一秒でも早く村の皆のところに行きたいですからっ」
……なんという、なんという!
ミーシャの言葉に感銘を受けた吾輩は、周囲に魔力で防護壁を貼り、ミーシャの負担を減らす。
最初はここまで肩入れするつもりはなかったのだが、こうなっては仕方ない。
吾輩の全霊を持って、村を助けるしかなかろう。
「本気で行く故、気を付けるのだぞ」
吾輩はそう言い、魔力をフルスロットルで推進力へと変換する。
神であった時分よりも大幅に萎んだ魔力ではあるが、それでも並の人間とは比べられないほどのものはある。
その全てを懸けて、吾輩は村へと駆けた。
村へ着いたのは、十一時を僅かに回ったところだった。
当初の予定よりも一時間早く着いたのは、ミーシャの健気さに吾輩が心打たれた故だ。
「ここが其方の村か。悪くはないな」
空から村の全景を見渡した吾輩は言う。
まばらにある建物からは、火ではない人工的な明かりが漏れ出している。
あれはきっと明かりの魔道具か何かなのだろう。
このような辺境の村にもそんな設備が充実しているのは意外だが、それは悪いことではない。
一万年前に何度か接した村々とも違うところはあるが、のどかそうという一点は変わらない。
世間の流れから隔絶されているような村が、なんとなく自分に重なって思えた。
シンパシーを感じながら、吾輩は村へと降り立つ、
「ミーシャ! お前、空を飛んで……!?」
村の衆は吾輩とミーシャの登場の仕方に大層度肝を抜かれたようだ。
そうであろう、吾輩はすごいであろう!
褒め称えても良いのだぞ?
そのうちに、村の番をしていたらしい人間の一人が、腰の曲がった老人を連れてくる。
「ミーシャや、お主一体どうやってこんなに早く帰ってきたのだ……?」
「村長様、それは後でお話します! 村を救ってくれる方をお連れしました!」
そう言って吾輩を紹介するミーシャ。
吾輩はふふんと胸を張り村長の前に立った。
自恃の念を持つ吾輩は、何人の前でもへりくだらない。
それは吾輩が元神だからではなく、吾輩が吾輩であるからだ。
「おお、あなたが……! お願いします、私たちの村をお救いくだされ……!」
「吾輩に任せておけ、村長よ。其方らは今宵より、再び安息の地を取り戻す。約束しようではないか」
吾輩の言葉に目を輝かせて喜ぶ村の衆。
うむ、喜色の感情をそこまで表に出されると、吾輩もより一層やる気が湧いてくるというものだ。
「ジョナスさん、ブラックドラゴンはあそこですっ!」
「ああ、わかっている」
吾輩はミーシャの指差す方角を見る。
そこでは巨大な黒い塊が、この村を上から見下ろしていた。
ブラックドラゴン。
体長十五メートルを超える龍。
地上から見ても、その巨体の居所は一目瞭然であった。
轟々と赤い焔を吐き出し、強大な四肢で木々をへし折り。
龍は己の思うが儘にこの地を蹂躙していた。
それはまさに支配者と呼ぶべき振る舞いで、吾輩はそれを冷めた目で見つめる。
――傲慢だな。
たかが龍風情が支配者を気取る……傲慢だ。
真の支配者が誰であるか、吾輩がその身に教えてやるしかあるまい。