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27話 一か月後

 あれから一ヶ月が過ぎた。

 どうしてこう、時の流れというものは意識しても意識せずとも同様に速いのだろうな。

 不思議で仕方ない。


「ジョナス、ジョナス~?」

「む?」


 部屋の外から、廊下を駆けてくる音がする。

 リズミカルで軽快な足音は少しずつ吾輩の部屋へと近づいてきて――そして、部屋へと飛び込んできた。

 シルクのような滑らかな白い柔肌と絹のような金髪を携えた、黒いドレスの似合う美女。

 ただそこにいるだけで全ての人間の注目を独り占めするような存在。

 すなわち――


「おはよう、ジョナス!」

「ああ、おはようカリファ」


 ――カリファである。


「朝起きたらジョナスの顔が見たくなったから、走ってきちゃった」


 桃色の舌を出しながらカリファは言う。

 てへっ、と最後に効果音でも付きそうなくらいだ。


 今より一ヶ月前、交際を決めてからカリファはより吾輩に遠慮が無くなった。

 いや、というよりも心の壁が完全に無くなったというべきか。

 もはや吾輩の前のカリファは完全に素の状態である。

 出会った当初のカリファは『忌人』と呼ばれる原因だった天上神の金目と邪神の赤目のオッドアイを隠すため、いつも左目に眼帯をしていた。しかし、それも吾輩の前ではこの一ヶ月一度もしていない。

 吾輩を認めてくれたということだろう。

 そしてそれが吾輩とても嬉しい。

 恋とはなんと美しい病であることか。


「カリファ様、廊下を走るのははしたないですよ」


 そんなことを思っていると、この屋敷に住むもう一人も吾輩の部屋へと立ち入って来る。

 藍色の髪に赤い眼鏡、理知的で冷えた瞳。皺一つないメイド服の上からでもわかる、全ての男を魅了してやまない体形。

 カリファと並んでも見劣りしない人間の女など片手で足りるほどしかおらぬが、目の前にいるネズフィラはそのうちの一人であった。


「あ、ごめんネズフィラ。でもその……ね?」


 開口一番ネズフィラに注意されたカリファは、もごもごと口を曖昧に動かす。

 しかしそんな逃げ方で逃げられるほどネズフィラの追及は甘くない。


「『ね?』ではわかりません。走ったのに何か理由があるのでしたら、きちんと説明をしていただきませんと」

「……じょ、ジョナスに早く会いたくて……」


 ぷしゅぅぅ、と顔から煙を吐き出すカリファ。

 なんと愛しいことか。思わず頬が緩んでしまう。

 そんなカリファにネズフィラは一瞬目を奪われると、すぐに頭をブンブンと振る。そして厳しい眼光で吾輩を見た。


「……ジョナス」

「うむ」

「私はこれほど人を憎いと思ったことはありません。この気持ち、どうしてくれましょう」

「ならばその殺気、全てこちらに向けるがよかろう。なにせ吾輩元邪神。我が心は空より遠大で、海より広大なのだ」


 さあ、来るが良いぞ。

 吾輩がすべて受け入れてやろう。

 ……うむ? 来ないのか?

 両腕を広げた吾輩にネズフィラはハァとため息を一つ吐くと、ゆっくりと首を横に振った。


「いえ、それはしませんけどね。個人的な嫉妬くらいは自制心で押さえる術は心得ています。心の中で押し留めて、決して外には出しません」


 ほう、そうか。さすがはネズフィラであるな。

 ……だが、そう言いながら白くなるほど唇を噛んでいるのはどういう訳だ?

 わなわなと肩を震わせているし……其方、思いっきり外に出しておらぬか?


「それは果たして抑えられていると言えるのか、甚だ疑問であるな」

「うるさいですジョナス、抑えられていると言ったら抑えられているんです。そんなことより、早く庭の手入れに行きますよ」

「ああ、わかった。それではカリファ、また朝食で」


 吾輩が部屋を出ながらそう声をかけると、カリファはニコっと笑って手を振ってくれる。


「うん、頑張ってね。私も頑張るから」


 もちろんその間カリファが何もしていないわけではない。

 正式にスペード家の後継者として認められたカリファは、ここ一ヶ月書類仕事に忙殺されておるのだ。

 それゆえ交際しているというのにまだデートもできぬという悲惨な事態になっているのだが……まあ、詮無きことだ。

 カリファが国民のために働けることに喜びを感じているのだから、それに対して吾輩も喜びを感じるくらいでないとな。

 さすが吾輩、懐が深い。

 吾輩はフハハと笑い、傍らを歩くネズフィラに言う。


「おいネズフィラ、吾輩を褒めてもいいぞ」

「嫌です。カリファ様をとられたのでもうジョナスは褒めません」

「っ!?」


 な、なんだと!? 貴様、正気か!?


「お、おい、考え直せ。吾輩は褒めるに足る人格者であろう、な? な?」

「私だって、私だってカリファ様のことをお慕い申しているのに……!」


 あ、駄目だコヤツ。吾輩の話聞く気ない。


「其方はたしかにカリファのことを強く想っている。だがそれは主従の情であろう? 恋愛感情とはまた別であるからして、吾輩を褒めることを阻害する理由にはなっておらんのではないか?」

「そんな正論は聞きたくありません。よって却下します」


 むちゃくちゃではないか。


 そして庭に到着し、手入れを始めようとした矢先。

 ネズフィラが小声で口に出す。


「……まあ、私も交際は認めています。カリファ様がそれを望んでいますし、ジョナスも悪い人間ではありませんから」

「おお、そうか」


 どうせならもっとストレートに褒めて欲しいが、まあこれはこれで気分が良い。

 何だかんだ言って、ネズフィラも吾輩たちの交際を認めてくれているのだ。でなければ吾輩はとっくにネズフィラによって屋敷から追い出されているはずだしな。

 未だこの屋敷に住めているということは、つまりそういうことである。

 ネズフィラも素直でないヤツだ……などと考えていると、当のネズフィラがクワッとこちらを向く。


「ですが婚姻は! 婚姻はまだ認めていませんからね!」

「其方はどうしてそう先走る?」


 カリファのこととなるとダメダメであるな、其方。




 朝食を食べ終えると、ささやかながら休憩時間となる。

 カリファが仕事以外のことをできるのは、三食の前後十分ほどしかない。

 それゆえ、毎日のこの時間はとても貴重な時間だ。

 なのだが……。


「誰か来たようですね」


 なんとも間が悪いことに、誰かが屋敷を尋ねてきたようだ。


「タイミングが悪いな。せっかくカリファと吾輩が気兼ねなく話せる数少ない自由時間であったのに」

「あはは、まあ仕方ないよ。緊急の用事かもしれないし」


 そんなことを言いながら、玄関に訪問者を出迎えに行ったネズフィラの帰りを待つ。

 吾輩はそっと部屋の外に耳を澄ました。

 ネズフィラがこちらの部屋に帰って来るときの足の運び具合で、だいたいどれくらい緊急を要する用件なのかがわかるからな。

 もしあまりにくだらない用事であったなら、吾輩は訪問者に愚痴の一つでも言いたいぞ……っと、聞こえてきたな。

 ……ん? やけに速い……というか、速すぎないかこれは。


「カリファ、何やらかなり緊急な要件であるようだ。気を引き締めておいた方がいい」

「え? わ、わかった」


 前もって伝えておくことで、いくらか心の準備は出来よう。

 心なしかカリファの顔がこわばる。

 そして、ネズフィラが部屋へと戻ってきた。


「カリファ様、ジョナス、大変です! シーズ様からのご連絡で……カリファ様が貴族位を剥奪、並びに国全域で指名手配されたと!」

「……え?」

「なんだと!?」


 緊急な用件……どころの話ではなくないか!?

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