26話 エピローグ
翌日。
「ん、んん……」
「起きたか」
ベッドの上のネズフィラが瞳を開ける。
ぱちくりと瞼を何度か開閉し、ゆっくりと上体を持ち上げた。
「ジョナス、ですか。……ここは?」
「病院だ。身体に大事は無かったが、念のためな」
幸いなことに、ネズフィラの傷は深くはなかった。
後遺症のようなものも全く残らないで済むという。僥倖だ。
ネズフィラは数瞬で自らの置かれた状況を呑みこみ、理解し――そして身を乗り出した。
「そうだ、カリファ様! カリファ様はどこに――」
「シーッ」
ネズフィラの言葉を遮るように、吾輩は自らの口に人指し指を当てる。
「傍らを見ろ」
ネズフィラのベッドの傍らには、カリファがくかーと貴族らしさゼロの顔で眠りについていた。
「昨日から寝ずに見守っていてな。今さっきようやく眠りについたばかりだ。其方のことを大層心配していたぞ」
「カリファ様……!」
目を潤ませ、布団の上に置かれたカリファの手を愛おしそうに握るネズフィラ。
しばしそうしてから、ネズフィラはこちたへと向き直った。
「ジョナス。バルハルド……あの男はどうなりましたか」
「死んだ。吾輩が殺した」
「……そう、ですか」
「昨晩のことは色々と騒ぎになっているようでな。だが、あの貴族の人間……シーズとかいったか? アヤツがエトラスに命じて情報統制とかそういったことはしてくれているらしい。先ほど病室に来て『日頃の借りはこういう時に返さな!』と言っておった」
「シーズ様が……なら安心ですね。あの方なら信用できます」
ネズフィラがホッと安堵の息を吐く。
新参者の吾輩はよく知らぬが、カリファとシーズの間柄は相当昔からのもののようだし、ネズフィラがここまで信じているのなら吾輩もその手腕を信じてもいいのかもしれない。
「……ジョナス。客観的に見ても、今回の件ではあなたに頼るところが大きかったです。……私の力不足です」
ぎりり、と握りしめられた拳は白くなっている。
「そう卑下するな、其方は充分働いているではないか。それに、吾輩はカリファの騎士。カリファのために働くのは当然であろう?」
「……随分と立派なことを言う様になりましたね」
ふふ、と、固くなっていた顔が柔らんだ。
そんなネズフィラに、吾輩は詰め寄る。
「褒めても良いぞ? むしろ褒めろ。さあ、さあ!」
ネズフィラは一瞬呆れたように半目をしたが、しかしすぐにニコリと笑みに戻る。
そして、真正面から吾輩を見つめて言う。
「……よく頑張ってくれました。あなたのおかげで、カリファ様は無事でした。ありがとう、ジョナス。本当に」
「おお……! くるしゅうない、くるしゅうない……!」
ネズフィラが吾輩を称えて食えることなど、滅多になかった。
しかも、今までとは違って微笑を浮かべての心からの賛辞。
これを喜ばずして、何を喜ぶ!
「よ、喜び方が大げさでは……?」
「もう一度! もう一度頼む!」
頼む、吾輩に尊敬の念を! 感謝の念を! もう一度!
さらに詰め寄る吾輩に、ネズフィラはぷいっと顔を背ける。
「い、嫌です。一度だけです」
「そんな殺生な!」
「大声を出さないでください、カリファ様が起きてしまうじゃないですか!」
「其方のその声の方が何倍も大きいのだが」
「あっ! つ、ついうっかり……!」
慌てて口を押さえるが、時すでに遅し。
「うぅん……」
眠っていたカリファは、瞼を擦りながら意識を取り戻した。
「……あれ、ネズフィラが起きてる!? おはようネズフィラ!」
「すみませんカリファ様、私のミスでカリファ様の眠りを妨げてしまいました……!」
「そんなの全然いいよぅ。それよりネズフィラ、早く良くなるようにいっぱい寝て、いっぱい食べてね?」
「はい、かしこまりました。一日二十時間は寝て、一日六食は食べます」
「寝過ぎだし食べすぎだ」
真面目な顔でボケるのはやめろ。
……いや、コヤツの場合ボケていないのだろうな。そこがなお性質が悪いというか、なんというか。
「あはは、ネズフィラは極端なんだから」
ネズフィラの発言をそんな風に笑い流せるのはカリファだけであろうよ。
そして、それから数週間後。
荘厳な装いの儀式の間で、王の声が響いていた。
「カリファ・スペードをスペード家の正式な家督として認める」
白髪の老人――王がカリファにそう告げる。
これを持って、カリファは正式にスペード家の後継者となった。
シーズを介して語られた事件の全貌を聞いた国民たちは、忌人と知って尚カリファを後押しし……こうして今日、カリファは認められたのである。
カリファは王に恭しく頭を下げ、そして踵を返して歩き出す。
騎士として傍らに仕えた吾輩は、一歩遅れてそれに続いた。
ふと参列者を見ると、シーズがニコニコしながらこちらを見ている。
その後ろではエトラスが手を忍術の形に組んでいた。
あの二人はどこでも変わらぬな。まあ、吾輩が言うのもなんだが。
「ありがとうね、ジョナス。あなたのおかげで、私もネズフィラも、生きていられてる」
「当然だ。吾輩カリファの騎士ゆえに」
ネズフィラにしたのと同じような答えを返す。
カリファはふふふ、と華の様に笑った。それはもう、美しい笑みだった。
式典から帰ってきて、吾輩たちは屋敷でくつろぐ。
正式にスペード家を継ぐこともできたわけだし、しばらくは安泰であるな。
「ねえジョナス、話があるの」
「ん? なんだ?」
ふと顔を向けると、カリファが真面目な顔をしていた。
その様子から何か大事な話であろうことが窺えて、吾輩は自然と背筋が伸びる。
「ジョナスは強いよね。すごく」
「うむ? まあ、そうであるな。吾輩、元邪神ゆえ」
なんだ? 褒めてくれるのか?
どうもそういう雰囲気では何のだが……。
戸惑う吾輩に、カリファは告げる。
「ジョナスは、こんな一つの国に収まっていい器じゃないと思うの。だから、他の場所にも行ってみた方がいいと思う。……私、あなたの重荷になってるんじゃないかな」
「カリファ、吾輩は其方の騎士となると誓った。約束は違わんのが信条でな」
全く、何を言うか。
騎士になると誓った以上、吾輩はカリファの騎士であり続ける。
約束というのは破るためにあるのではないぞ、守るためにあるのだ。
わかったか、カリファ?
「なら……ジョナス、あなたの騎士という称号を剥奪します」
「なっ……!?」
思わず口が開く。
まさかそのようなことを言われるなどとは、露ほども想像していなかった。
大体、吾輩がいなくなったら騎士はどうするのだ。
ネズフィラ一人だけでは其方を守りきるのは至難の技であろう。
吾輩がそんな類の言葉を口にする前に、先んじてカリファは両腕を広げる。
そして、屋敷の一番大きな窓を開け放った。
風が屋敷に吹きこむ。頬を撫でる。
「さあジョナス、これであなたを縛り付けるものは何もありません。だから、安心して外の世界を楽しんできてください」
金の艶髪を揺らしながら、カリファは微笑んだ。
その顔を見て、吾輩はやっと己の気持ちに気が付いた。
「其方は誠に……凄まじく魅力的な女であるな」
「……ふぇ?」
「吾輩がまさかこんな矮小な感情に心を囚われるとは思わなんだが……どうやら吾輩、其方に恋をしたらしい」
しん、と、一瞬屋敷が静まり返る。
吾輩の目と、カリファの目が、見つめあう。
ぱち、ぱち、と二回瞬きをしてから、カリファは大きく目を見開いた。
「え、え? ……え?」
なるほど、まだ上手く伝わっていなかったか。
ならばもう一度伝えよう。
「カリファ、好きだ。婚姻を結ばせろ」
「~っ!? な、なに言ってるかわかってるの、ジョナス……!?」
カリファの白雪のような頬に桜が咲く。
ああ、愛おしい。狂おしいほどに。
それと同時に身体中がぽかぽかと温かい。
なるほど、これが恋という感情なのか。
「なに、心配はいらん。必ずや其方を幸せにしてやる」
そして、吾輩はカリファに近づき、手を伸ばす。
「受けるのならば、この手をとれ。とらぬば、吾輩は発つ。……ネズフィラ、邪魔はするでないぞ?」
チラリとネズフィラを見ると、ネズフィラは無表情のまま顎を引いた。
「殿方の告白を邪魔するほど野暮ではないつもりです」
「良い女だな、カリファ程ではないが」
「当然です。私はカリファ様のメイドですから」
そう言いながら、ネズフィラはハンカチをキィーッと噛みだす。
発言と行動が一致しておらぬぞ。
「あの、ええと……」
カリファが遠慮がちに言葉を発した。
さて、カリファはどんな決断を下すのだろうか。
もし振られたら……そうだな、傷心旅行としゃれ込もう。
そんなことをする人間いると聞いて少し前の吾輩は心底不思議に思ったものだが、今ならその気持ちが痛いほどわかる。
恋とやらという名前の病には、吾輩でさえ勝てそうにない。
そんなことを思う吾輩。
その手を、柔らかな感触の両手が包んだ。
「……よ、よろしくお願いします、ジョナス」
恥ずかしそうに。照れくさそうに。
そう告げられれば、吾輩の心には歓喜の情しか巻き起こらず。
「うむ。よろしくな、カリファ」
「は、はい……あっ」
吾輩はカリファを抱きしめた。
うむ。こういう幸せも、悪くない。
これにて三章『カリファとジョナス』編完結です。次話から新章に入ります!
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