20話 不穏
「くらええぇっ!」
斧を持った人間の突撃を魔力で止める。
吾輩ほどの保有魔力になると、魔力濃度が限界を超え、もはや魔力を宙に漏らすだけでそれは立派な盾となる。そこらの人間の一撃程度では決して壊れ得ぬ強固な盾とな。
「馬鹿な……斧が溶けた……!?」
驚く男に風の最下級魔法を当てて気絶させる。
この程度の相手にこれ以上の魔法は勿体ない。
「せやあぁぁぁっ!」
違う人間が中距離からブーメランで攻撃してきたが、それも吾輩の魔力に触れた瞬間に塵となり消えた。
「はああぁぁぁっ!」
また別の人間が、今度は魔法を放ってくる。
複数の人間から放たれた各種魔法も、吾輩の身まで届くこともなく塵となった。
「終わりか?」
「つ、強すぎる……」
すでに戦闘の意思のある者はいなかった。一人を除いて。
「戦う気がないのならば眠っているが良い。まだ吾輩と戦いたそうな人間がいるのでな」
吾輩は睡眠魔法を唱える。
人間のみでは抗うことのできないほどに昇華された魔法により、コロシアムの戦闘フィールドにいた人間たちは吾輩と一人を残して即座に眠りについた。
「さて……。ここからが本番、といったところであるな」
吾輩は残った一人を見据える。
全身を真っ黒な衣服で包んだ男、ピュケル。
吾輩に対し未だ衰えぬ戦意を保ち続けるただ一人。
「殺す」
ピュケルは眼光鋭い顔でそれだけを告げる。
吾輩はニィと口を歪めた。
吾輩の実力を目の当たりにして、まだかような口が利けるとは……。
まこと、面白いではないか。
「殺したいのならば、やってみるが良い。吾輩を殺せば其方は『神殺し』であるぞ?」
「……」
ピュケルは無言でその場から立ち消えた。
否、立ち消えたように見えた。吾輩以外には。
「速いな」
吾輩は目の前に刃を向けられていた。
殺気溢れる刃はただ吾輩の命を奪うことのみに心血を注ぐかのように鈍く光る。
その輝きに、しかし吾輩は動じない。
戦いに絶対はない。格下が格上に勝つこともあり得る。
それは何故か。
戦いは技術のみにあらず、心の戦いでもあるからだ。
なればこそ、吾輩は動じない。
明鏡止水のような心で、己に向けられた刃を凝視する。
ピュケルがさらに吾輩に刃を近づけるが、魔力によって立ち消えていく。
見開いた眼球まであの数ミリのところで、刃は霧となった。
「惜しいではないか、人間」
「……」
吾輩は目前に迫ったピュケルに平坦な声色で告げる。
あと一歩踏み出せば、ピュケルは吾輩の魔力の範囲に入る。
それだけでピュケルの身体は塵となり消えるだろう。
しかし、ピュケルにもまた動揺は見られない。
「大した精神力だな。褒めて遣わす」
「……」
ピュケルは吾輩の褒め言葉にもなんら反応を示さぬまま、ただただ吾輩を睨みつけている。
そして次の瞬間。
ピュケルが吾輩に向け、右腕を振りかぶった。
ふむ、まさかそのまま殴るつもりであろうか。
己の腕を犠牲にし、一撃を入れる……なるほど、素晴らしい作戦だ。
「それが実現可能であるならな」
ノータイムでピュケルに爆炎を浴びせる。
火魔法の上、炎魔法――の、さらに上。
爆炎魔法と呼ばれるこれは、疑似太陽すら作成可能な魔法であった。
これを受けて継戦可能な人間などいるはずもない。
「終わったか……っ!?」
一瞬。
ほんのわずかに気を緩めた、その刹那。
吾輩の背後に、凄まじい殺気を感じた。
振り向いた吾輩の顔面に、右の拳が直撃する。
誰の? 決まっている、ピュケルのだ。
「あれを避けたのか……?」
即座に距離をとった吾輩は、ジンジンと熱くなる頬を無視して思考を巡らせる。
あの至近距離からの魔法を避けたとは考えにくい。
そんなことができるのは魔族でもほんの一握りだ。
それを、あの人間が?
そして疑問はもう一つ。
吾輩にまで拳が届いたことだ。
戦闘中の吾輩は常に全身を魔力で覆っており、触ろうとすれば即塵となって消える……はず。
例外があるとすれば、異常なレベルの魔力濃度にも耐えきれる魔力の持ち主か、身体の持ち主か、だが……。
「……後者であるようだな」
「……」
ピュケルは言葉を発さない。
しかしその身体を見て、吾輩は確信した。
ピュケルの肌はいつのまにかどす黒く染まっており、およそ人間とは思えぬ頑健さを手に入れていたのだ。
元邪神の吾輩から見ても、もはやその様子は人間の範疇を逸脱しているように見受けられた。
「……殺す」
ピュケルは再び吾輩に接近する。
ならば仕方ない、と吾輩は思う。
相手が人間を超えてしまったならば、それ相応の対応をしなければ仕方ない。
「覚悟せよ」
吾輩は接近してきたピュケルの腹部に潜り込む。
そして一発、拳を握って腹を殴りつけた。
ピュケルは目にもとまらぬ速さで吹き飛び、コロシアムの壁に人型の穴を開けて埋まりこむ。
その身体は動いておらず、命はあるが意識はない状態であることが容易に見て取れた。
「吾輩、肉弾戦ができぬとは言っておらぬゆえ」
こうして、コロシアムの戦いは吾輩の勝利で幕を閉じた。
「すごかったねジョナス!」
戦闘が終わり屋敷に帰った後。
カリファは開口一番吾輩を称えてくれた。
吾輩はにんまりと口を三日月形に曲げ、その賛辞を全身で受け止める。
うむ、くるしゅうない! くるしゅうないぞカリファ!
しばらくそうしたのちに、カリファはふう、と一つ息を零した。
「でも私、途中からは怖くて見てられなかったよ」
「ああ、それも仕方ない。女子供には刺激が強い戦いであったからな」
といっても、ネズフィラ程の強者であれば話は別だろうが、と吾輩はネズフィラを見る。
ネズフィラは相も変わらずカリファの二歩後ろに影のように仕えていたが、その顔はいつもより随分真剣味が混ざっていた。
「にしても、あのピュケルという男……あれほどまでに強いとは思いませんでした。あれはおそらく私よりも……」
「ああ、強いであろうな」
吾輩は首肯する。
一度目に戦ったときのピュケルがネズフィラと同程度だったのだから、今回のピュケルはどう考えてもネズフィラよりも強かった。
ネズフィラもそれは認めているのか、珍しく吾輩の言葉に言い返すこともなくコクンと頷いた。
「私ももう少し鍛え直した方がいいかもしれません……。ジョナス、訓練をお願いできますか?」
「殊勝な心がけであるな。だが、其方はすでに人間としてはかなりの位置にいると思うのだが?」
ピュケルよりは下だとはいえ、ネズフィラは人間としては一握りに残るほどの強さは充分に手に入れているように見受けられる。
人間の身で今以上の強さを追い求めるのは苦難が多く、吾輩はあまり勧めたくはない。
しかし、ネズフィラの意思は固いようだった。
「私が欲しいのは、カリファ様を守る強さです。それができないのならばどれだけ強くてもなんの意味もありません。私の中での優先順位の揺るがぬ一番は、カリファ様の命ですので」
「ネズフィラ……」
思わずごくりと喉を鳴らしたカリファに、ネズフィラはニコリと微笑む。
まったく……そんな姿を見せられては、止めることなどできぬではないか。
「其方の忠誠心には頭が上がらぬな。その意気や良し。吾輩と共に鍛え直そうではないか」
「はい。よろしくお願いいたします」
そういうわけで、吾輩はネズフィラと共に鍛錬に励むことと相成った。
「二人とも、熱くなり過ぎちゃ駄目だからね? 私のために鍛えてくれるのはとってもありがたいけど、だったら同時に、二人が怪我したら私が悲しむってこともよーく覚えておいてほしいの」
カリファが吾輩たちを嗜めるようにそう言う。
「だそうだぞ、ネズフィラ」
「私は平気です。ジョナスと違っていつも冷静なので」
ネズフィラは平然とそう言ってのける。
吾輩はそれに少し引っかかった。
「なんだと? ……吾輩の方が冷静であろうが!」
「いいえ。誰が何と言おうと私の方が冷静です」
「吾輩だ!」
「私です!」
「なんだとぉ……!」
「なんですか……!」
「ふ、た、り、と、も?」
その声にカリファの方を見ると、カリファはニコニコと笑いながら吾輩たちを見ていた。
……おかしいな、笑っているはずなのになぜ寒気がするのだ?
「絶対気を付けてね? 絶対だからね!」
そう念を押され、吾輩とネズフィラは頷く事しかできないのだった。
それにしても……今日の一戦。
勝ったはいいが、しこりが残るな。
ピュケルの一連の動き……あれはどう考えても人間業ではなかった。
たしかに人外じみた動きをする人間というのもいなくはない……が、先日戦った限りでは、アヤツは強くはあったがそれでも充分に人間の範疇に収まる強さであり、動きであった。
それが一か月もたたずにこの変貌。
「……あまり、良い予感はせぬな」
「? どうかした、ジョナス?」
「いや……何でもない」
まあ、不安に思ったところで意味もない。
吾輩にやれることは限られている。
ならばそれをこなすのみだ。
「さっそく鍛錬とゆくか、ネズフィラ」
「もちろんです、ジョナス」
「あ、じゃあ私は二人の訓練を見守ってるね」
そういうわけで、吾輩たちは屋敷の庭で早速鍛錬を始めるのだった。
これにて二章『貴族の姫と元邪神』編完結です。次話から新章に入ります!
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