18話 自己紹介
「あら、初めまして。ネズフィラ、こちらの方は?」
カリファは吾輩に続いてビクビクしながら入って来たミーシャの紹介をお願いする。
「はい。どうもジョナスが救った村の方だそうです」
「ジョナス、あなた村を救ったって……?」
「吾輩はブラックドラゴンと少々戯れていただけだ。大したことではない」
吾輩ここの屋敷に住み始めてから学んだことが一つある。
褒められたときは、謙遜が大事なのだ。
謙遜することによって、「そんなことない、凄いよ!」ともう一度褒めてもらうことが出来るのである。
本来一度の褒め言葉が、二度かけてもらえる。謙遜とはまこと素晴らしき人間の文化だ。
さあカリファよ、言ってくるが良い。もう一度吾輩を褒めてくれ。
「大したことではないらしいので、カリファ様がお褒めになる必要はございません」
な、なんだと……!?
ネズフィラ、其方、それは……それだけはやってはいけないことであろうが!
謙遜をそのまま正直に受け取られる、この可能性を吾輩は失念していた。
これは吾輩の落ち度だ。くそ、こうなれば力押しあるのみ!
「大したことである! 吾輩は大したことをした! カリファ、吾輩は大したことをしたぞ!」
「先ほどと言っていることが真逆ですが?」
ぐぬぬ、うるさいぞネズフィラよ!
「あれは嘘でたらめである。本当は凄いことをしたのだ!」
そんな吾輩の必死の訴えに、カリファは堪えきれなくなったように笑みを浮かべた。
「ふふふ……ジョナス、凄いね。村を救うなんて、私びっくりしちゃった」
「うむ……うむ……っ!」
よかった、褒めてもらうという当初の目標を無事果たすことができた。
満足感と達成感で、吾輩は天を仰ぐ。天と言っても室内故に天井しか見えぬが。
しかし謙遜というのはほとほと役に立たぬな。
おそらくこれは心の機微を理解できぬと使えぬ諸刃の剣なのだろう。吾輩には不要であるな、うむ。
そしてカリファはミーシャの方へと向き直る。
貴族然とした優雅な動作で一礼すると、凛とした声で言った。
「初めまして、私はカリファ・スペードです。あなたのお名前を教えていただけるかしら」
緩んだ空気を一瞬でビシッと締め直すことができるのは、さすがはカリファと言うべきであろう。
おそらく最初の挨拶はきちんと行いたいという思いがゆえの引き締めだったのだろうが……しかし、今までこう言った経験の少ないミーシャにとってそれは全くの逆効果だったようだ。
ミーシャは目に見えてキョロキョロと眼球をせわしなく動かし、ほとんど移動もしていないのに息が上がり始める。
「ふぁいっ! わた、わたしはその……だ、誰でしたっけ!?」
「落ち着け。其方はミーシャであろう」
「そ、そうでした。ミーシャでしゅ、よんりょしくおにゃがいしゅましゅるっ!」
最早わざとやっているとしか思えぬほど噛み倒したな。
ある意味あっぱれ、褒めて遣わす。
「落ち着いて、ミーシャさん。そんなに緊張しなくていいですよ、私は何もしませんから」
「は、はい……すみません、深呼吸してもいいですか?」
「問題ありません。カリファ様はそのくらいの些末事で目くじらを立てるような狭量なお方ではございませんので」
ネズフィラが深呼吸を認め、カリファがコクリと優しげに頷く。
二人を見て、ミーシャは自信の両手を鳥のように広げ、ゆっくりと深呼吸を始めた。
「すぅー……はぁー……すぅー……はぁー……」
室内にミーシャの深呼吸の音だけが響く。
なんとなく異様な光景ではあるが……ミーシャ、其方いま目立っておるぞ。
さような目立ち方もあるとは……吾輩には思いつきもしなかった。
やるではないか、ミーシャよ。其方は顔に似合わず技巧派だな。
「待っていただいてありがとうございます。おかげで少し落ち着きました」
「それは良かったです」
「それでですね、カリファ様」
「はい、なんでしょうミーシャさん」
緊張の解けたミーシャはずいっとカリファに接近すると、カリファの手をとってギュッと握った。
「こちらに来て、色々な話を聞いて……頑張ってください、応援しています!」
その言葉と行動に、カリファは驚きで目を見開く。
睫毛の長い瞼がパチパチと二、三度瞬き、少し抜けた口調で言う。
「……私のことを、応援してくれるんですか……?」
「はい、もちろんです!」
ミーシャはそれに満面の笑みで答えた。
「覚えておられるかはわかりませんが、昔視察で私たちの村に来ていただいたとき、カリファ様はとても優しくしてくださりまして……私たちの村の人は皆、そのことを忘れていません。都市部ではわかりませんが、私たちのような田舎の人間にはカリファ様はとても人気があります!」
「ありがとう……ございます。とても、とても嬉しいです。ミーシャさん、私はあなたに元気をもらいました」
「そ、そんな、滅相もないです!」
ブンブンと手を振るミーシャ。
まあ、ミーシャは吾輩が認めた人間であるからな。
ミーシャもカリファもネズフィラも、皆優れた人間であることは疑いようもない。
落ち着いてきたミーシャと共に、吾輩たちはテーブルを囲んで雑談に花を咲かす。
「それにしても驚きました。ジョナスさんがカリファ様のところで働いていたなんて」
「ふふん、吾輩はカリファの騎士となったのだ」
「騎士! すごいです、さすがジョナスさん!」
「ハッハッハッ、苦しゅうない」
ミーシャに褒められ、吾輩は上機嫌だ。
やはり称賛の声というものは良いな。気分が洗われる。
「あなた、意外と人望あったんですね」
「意外ではない。吾輩の存在感を考えれば当然だな!」
「まあ、そういうことにしておきましょう。おっと、そろそろ夕食の時間ですね」
そう言って椅子から立ち上がったネズフィラは、藍色の髪を揺らしながらくるりとミーシャの方を向く。
「ミーシャさん、是非ご一緒にどうですか?」
「え、い、いいんですか?」
「はい、もちろんでございます」
「ネズフィラの料理は美味しいですよ」
ネズフィラとカリファに誘われ、ミーシャは吾輩の顔を窺うような顔をした。
よくわからないが、コクリと頷いておく。
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて……ごちそうになります」
「承知いたしました。では、今しばらくお待ちください」
そう言って、ネズフィラは厨房へと向かう。
そしてしばらく待つと、いつも通りの豪勢な食事が運ばれてきて、ミーシャは目を丸くする。
勢いのまま一口食べると、感激に頬を緩ませた。
「ネズフィラさん、凄いです! 今まで食べてきた物の中で一番おいしいです!」
「……そうですか、ありがとうございます」
しかし、ネズフィラの反応はそっけないものだ。
そのテンションの低さに、ミーシャの方がかすかに震える。
「あ、あの、ジョナスさん、カリファ様。私ネズフィラさんに何か失礼なことを言ってしまったでしょうか……。こんな豪華な食事なんて初めてで、マナーとか何もわからないから、怒ってしまわれたのでしょうか……?」
心配そうに吾輩たちに問うてくるミーシャ。
しかし、それはどちらかというと真逆であった。
見れば、ネズフィラは下唇を噛んでいるのだ。
「いや、ミーシャ。あれは喜んでいるのだ。なあカリファ」
「うん、そう思うよ。頬が上がりそうになるのを無理やり押さえてるもん」
「か、カリファ様、ジョナス! そ、そんなことはありません!」
焦って否定するネズフィラだが、吾輩たちにはお見通しである。
ネズフィラは普段ポーカフェイスな癖をして、感情が乱れるとすぐにわかるという非常になんとも言い難い性質の人間なのだ。
「嬉しかったなら嬉しかったと言わなきゃ駄目よ、ネズフィラ」
「は、はい、カリファ様……。ミーシャさん、ありがとうございます。褒めていただいて、その……嬉しかったです」
「こちらこそ美味しい料理を作っていただいて、ありがとうございます!」
「……っ!」
さらなるミーシャの追撃に、ネズフィラはもうたじたじだ。
「もう、ネズフィラったら唇を噛んで笑みを押し殺しちゃって」
「ネズフィラは恥ずかしがり屋であるからなぁ」
「ふ、二人とも、怒りますよ!?」
そんなこんなで、いつもより一人多い食卓は和やかな雰囲気で進んでいくのだった。
今日は12時と18時にも投稿します!




