13話 兄、バルハルド
ネズフィラが玄関の門を開けに行くと、カリファは口元に手を当てながら憔悴した様子でうろうろと部屋の中を歩き回り始めた。
「大丈夫か、カリファ」
「う、うん、大丈夫。そうだよね、ごめんなさい。落ち着かなきゃ……」
ふぅ、と一つ深呼吸をして、カリファは吾輩の方を向く。
「ジョナス、私に約束してほしいの。絶対にお兄様に手を上げないって」
「カリファの兄に? うむ、それはまあよいが……」
わざわざそのようなことを言わなくとも、吾輩誰彼かまわず手を出すような矜持は持ち合わせていないのだが。
吾輩はそんな暴政を強いているように見られておるのか……?
……いや、可能性はもう一つあるな。
そのカリファの兄のバルハルドとやらが、この温厚を絵に描いたような吾輩でも思わず手を出してしまいそうになるほどに性根の腐った男だという可能性が。
カリファの兄に限ってそれはないとは思うが、しかし先ほどの雰囲気の変わりようからしてその可能性も捨てきれん。
と、そんなことを考えている間に、バルハルドが現れた。
カリファと同じく金髪金目で、スラリとした長身の男だ。
ただしその実、肌が露出した部分から勘案すると筋肉はしっかりと付いているようで、なかなかの偉丈夫であることが窺える。
甘いマスクにこのプロポーションか。
吾輩にはもちろん及ばないが、少しは女受けしそうな男だ。
「この屋敷も久しぶりだなぁ」
そう言ってバルハルドは部屋の中を見渡す。
その後ろには、護衛らしき男が一人ついていた。
赤黒い肌に黒い髪の男だ。
こちらはバルハルドとは対照的に、人相の悪い顔をしている。
しかしコヤツは強いであろうな、と、吾輩は一瞬で男の力量を感じ取った。
ネズフィラにも勝るかもしれぬほどの気配……腕利きである。
従者の強さはすなわち主の強大さだ。
バルハルドという男は警戒に値する人間だ、と吾輩は思った。
「やあカリファ。会いたくなって、来てしまったよ」
「はい、お兄様」
応えるカリファの声は固い。
肉親のいない吾輩にはよくわからないが、普通家族というのはもっと温かいものなのではないのか?
しかし、カリファを責める気にはならない。
なぜならバルハルドがカリファを見るその目が、まるでこれから戦いでもするかのように鋭いものだからだ。
しばらくその目で見つめた後、バルハルドはニヤリと目と口を歪ませた。
「あれ? 変だなぁ。兄である僕がわざわざ会いに来てあげたのに、妹の君はそんな眼帯なんてしているのかい? 怪我をしているのならともかく、そうでないならそんなものは外すのが常識的なマナーだよねぇ」
「そ、それは……そうですが……」
カリファが露骨に狼狽える。それも当然だ。
カリファの隠している左目は赤く、金と赤のオッドアイは『忌人』として忌避されているのだから。
兄だというのならそれも知っているのではないのか、と思う俺を余所に、バルハルドは続ける。
「ああ、ごめんごめん。もしかして、本当は怪我したりしちゃってるの? ならいいんだよ、僕のはやとちりだ」
「いえ、怪我は……していません」
「なんだ、じゃあ外せるよね? お兄ちゃんのお願いだもん。外して、カリファ?」
「……」
カリファは答えない。
するとバルハルドは舌打ちをして、顔色を変えた。
ニコニコとした笑みを止め、怒気を顔に漲らせる。
「なあ、外せよ」
「……わかり、ました」
その言葉に屈し、カリファは眼帯を外す。
隠されていた左の赤い目が外気に晒される。
よほどの羞恥と屈辱なのだろう、カリファの息は荒い。
それを見て、バルハルドは腹を抱えて笑い出した。
「ぷくく、相変わらず気持ちの悪い顔! 僕、お前のその顔見るの好きなんだよねぇ! あー、忌人なんかに生まれなくてよかったー!」
と、それを言った瞬間に、ネズフィラがバルハルドとカリファの間に立った。
ネズフィラは怒りを抑えきれないといった様子で、普段のポーカーフェイスは影も形もなくなっている。
「バルハルド様」
「……なにかな?」
そんな怒りに震えるネズフィラさえも、バルハルドは愉快な見世物でも見るように微笑を浮かべている。
「私の主人に対してそのような無礼な言動は慎んでいただけませんか。カリファ様が怯えています」
「無礼な言動? おいおい、無礼なのはどっちだよメイド。僕は愛すべき妹とスキンシップを図っているだけじゃないか」
そして愉悦の篭った瞳と声色を、今度はカリファに向けた。
「それにしても、そっかぁ。僕はカリファに怯えられちゃってるのかぁー。あー、傷ついたなぁー」
「い、いえお兄様、そんなことは!」
「あ、そうなの? え、じゃあそのメイドが嘘ついたってことだよね?」
「い、いえ、それは……その……」
口ごもったカリファを無視し、バルハルドはネズフィラに首を傾ける。
「そっか、君は四大貴族であるスペード家長兄の僕に虚言を吐いたわけだ。なあ女?」
「……申し訳、ありません」
悔しそうに唇を噛みながら謝罪するネズフィラをジッと見ながら、バルハルドはしばし沈黙した。
そして再び笑みを顔に張り付け、言う。
「……うん、許すよ! ほら、僕って優しいからさぁ。それどころか、ちゃんと謝れた君にご褒美あげちゃう!」
そしてバルハルドは腰の剣を抜いた。
「天国行きのチケットプレゼントー! わぁー、ぱちぱちぱちー!」
「お、お兄様、おやめください! ネズフィラは私の大事な従者なんです!」
カリファが制止を頼み込むが、バルハルドは聞く耳を持つ様子もない。
「そんな大事な従者ならちゃんと教育しとかなきゃあ。一従者風情が貴族に口答えするなんて身の程知らずにも限度があるよ? それに、そもそもカリファが僕と自然と会話できていれば、このメイドも口を挟むことはなかったんじゃないかなぁ」
そこまで言って、縋るカリファをチラリと見る。
「つまりはまあ……カリファ、お前が悪いよね」
バルハルドは剣を振り下ろす。
「いいや、貴様が悪い」
吾輩は一瞬でネズフィラの前に立ち、それを身体で受け止めた。
可能な限り静観していようとは思っていたのだが……さすがに度が過ぎているにも程がある。
吾輩が止めに入らなければ、ネズフィラの首は飛んでいたぞ。
身体に触れた剣が消滅し、バルハルドは得物を失った。
しかしそれでも焦ったそぶりは見せず、バルハルドは吾輩に初めて気が付いたとでもいう様に片眉を上げる。
「……誰、君?」
「ジョナス。カリファの騎士である」
「ああ、あの一般市民から騎士を選ぶとかふざけてたやつか。君も大変だねぇ、一般市民に騎士は荷が重いでしょ?」
「問題ない。吾輩は元邪神ゆえ」
「はぁ?」
貼り付けた笑みを止め、怪訝そうな顔を浮かべるバルハルド。
だが、吾輩には関係のない話だ。
なにせ吾輩、怒っている。
「それよりも今は、即刻出て行け。これ以上長居するなら、吾輩容赦はせん」
「……あのさぁ。お前、素人の中でちょっと強いからってあんまり調子に乗らない方がいいと思うよ? ……おい、ピュケル」
「はい」
バルハルドの言葉で、先ほどまでずっと後ろに仕えていた従者が一歩前へと進み出た。
そんな従者を、バルハルドは自慢げに紹介する。
「強いってのはさぁ、コイツみたいなヤツのことを言うんだよね。ピュケルは六歳で初めて人を殺めてから、もう十二年間絶えず人を殺し続けてるんだ。もうざっと五百人は消してるよ。罪に問わないことを条件に僕に仕えてるんだけどね、常に人を殺したくてウズウズしてるんだ。人を殺すことになんの躊躇も感じない……コイツはきっと殺人狂ってヤツなんだろうね」
「ほぅ、それで?」
五百人なぞと言われても、吾輩には特に響かない。
一万年前に魔王軍の総大将だった吾輩は、人間と億単位の命を懸けた戦争をしておったのだから。
「ビビってるくせにポーカーフェイスだけは一人前か。……イラつくなぁ。ピュケル、やれ」
「はい」
ピュケルと呼ばれた男がどこからかナイフを取り出し、走りながら構える。
狙いは喉か。
速度もある、狙いも正確。まこと、見事な技術だ。――人間にしては、な。
吾輩はナイフを避け、ピュケルの腹を蹴りつけた。
突如として訪れた腹部への凄まじい衝撃。それに逆らえずピュケルの身体は宙に浮き、そのまま壁に激突する。
「なっ……!?」
この屋敷を訪れて初めて、バルハルドの顔に驚きの色が浮かんだ。
「手を上げるなとは言われたが、足を上げるなとは言われてないからな。さすが吾輩、聡明である」
吾輩はそう言ってカリファに弁明をする。
言葉遊びの類だが、きっとカリファは許してくれるだろう。
根から優しい気性の女であるからな、カリファは。
そこまで考えて、吾輩は従者を失くしたバルハルドを見る。
「ああ、そうだ。先ほどのピュケルとやらの説明に対して一つ言っておきたいのだが――別に吾輩も、人を殺すことに躊躇などないぞ?」
多くの人間が魔物を殺すことに心を痛めないのと同じ道理だ。
元は邪神である吾輩も、人間を殺すことに心を痛めるわけもない。
「まだ帰らないのならば、次は其方の身を持ってそれを証明して見せようと思うのだが」
「ぐっ……わ、わかった、帰るよ」
そう言うと、バルハルドはぐったりと倒れ込んだピュケルを肩に担いだ。
そして去り際にこちらを振り返る。
「覚えてろよ……!」
「無理だ、吾輩は人間の名前を覚えるのは苦手ゆえ」
「……チッ、クソが!」
その言葉を最後に、バルハルドとピュケルは屋敷を去っていった。




