光とアホ
太郎は早起きだ。
始発電車が線路沿いのアパートの住人の鼓膜を震わせる、その30分前には必ず起きる。
たとえ前日に飲んで終電を逃し、タクシーで帰宅するような事態になったとしても、である。
そう、彼は決めたのだ。必ず4時に起きることを。その決意は、20年来揺るぐことがなかった。
朝目を覚ますと、太郎はまず布団の上で伸びをする。それから洗面所で顔を洗ってから台所に直行し、パジャマのままで簡単な朝食を作る。と言っても、大体はトーストにスクランブルエッグを乗せたり、チーズを乗せて焼いたりするだけのものだけれど。そうしてパンをトースターで焼いている4分間に、彼は寝室に戻ってスーツに着替える。1週間分まとめてクリーニングに出したシャツを1日ずつ取り替えて着る。そして入念にブラシをかけたスーツをその上に着る。ネクタイはかれこれ5年ほどしていない。これと言っては事情があるわけではなく、諸々の都合を考えてもネクタイを着用する必要性が存在しないことに思い当たったからだ。
ところが、今日は少し違うようだ。パジャマを脱ぎ掛けたとき、チャイムが鳴った。太郎は静止したが、やがてまた着替えに取り掛かろうとした。またチャイムが鳴った。太郎はワイシャツのボタンを閉めている途中だったが、その手は今度は止まらなかった。そうしてまたチャイムが鳴った。スーツを着終えた太郎は、やっと玄関のドアを開けに向かった。
花子だった。彼女の着たワンピースはびしょびしょに濡れていた。外には夜が居座っていた。ほんの少しのぼりかけた太陽の光は、分厚い雨雲によって完全に遮られていた。
「わたしを、捨てるの」
雨音にかき消されてしまうかと思われたが、太郎の耳には届いていた。が、彼は黙っている。
「わたしを、捨てるのね」
納得したように、花子はうなずいた。太郎には、なぜ彼女が微笑んだのか理解できていない。
闇の中に鋭い光がよぎった。小さな煌めきだったのが、ものすごい勢いで拡大を続けていく。
太郎はその光を視界に捉えていたが、それが何なのかがわかる前に絶命した。
我に返った花子は、怯えきっていた。とにかく殺人がバレないように、死体を部屋に押し込み、部屋から取ってきたタオルで玄関に広がる血の海を拭きとった。そして誰からも見つからないように、そそくさと去って行った。通報されることはなかった。
そして太郎は目覚めた4時だ。血まみれのシャツを、クリーニングに出さないと。