06・真面目に溶け込む不真面目
「襲われてこいじゃなくて、教われてこいの間違いだ」
「どっちにしたって同じことでしょが! しかも街から出られないように、街ぐるみで軟禁しやがって!」
「なんだお前。まさかただ美味しく喰われてきただけじゃないだろうな?」
「なっ!? んなわけないだろがっ!」
「なる程。しっかり喰ってきたわけだな。それは良かった」
「良いわけあるか!」
鼻で笑うように言われたセリフに、ジゼルが肩を怒らせながら反論する。魔導具の向こうでは、さぞやご立腹な姿になっているのだろう。自分がその場にいなくて良かったとジーンは思った。
まぁ、顔を赤くしたり青くしたり、頭を抱えたりと忙しいジゼルを、庭で素振りをしていたフィデルタはしっかり見ているわけだが、当の本人は気付いていない。
「お前の性癖には興味はないから安心しろ」
「あってたまるか!」
「しかしタレ目がちで、少々押しの強いタイプが好みらしいな」
「……はぁっ!?」
「三番地のリドル邸在籍、リリーホワイトの妹分が中々お気に入りなようだったな」
「なっ、なっ、何でそれをっ!?」
「箱庭街は私の目も同然だぞ」
さも当然、当たり前だと言わんばかりのジーンの言葉に、ジゼルは持っていた魔導具を落とした。雪に半分ほど埋もれたそれを拾う手が、ミシリと音を立てながら魔導具を掴みあげる。
――殴りたい、超殴りてぇ。
今そう思っている相手が魔国きっての変人領主で、自分の上司だ。自分と、自分の家族の恩人でもある。
だがしかし、だがしかし! 自分の色々とアレな情報は、この人の耳にしっかり入っていた訳で……。待て待て待て待て落ち着け自分。どうせこの上司のことだ、人で遊んでいるのは目に見えている。大方こうして楽しんでいるのだ、なんと性格の悪いことか。
落ち着け、落ち着け。この上司は今、貴重な捜索の時間だ。沸騰しかけた頭を冷静に、冷静にとジゼルは必死だ。
「意外だった。大きさより形派だったんだな」
魔導具から聞こえてきた静かな声に、ジゼルの中の何かが音を立てて切れた。
「真面目に仕事しろや! この野郎!」
上司相手にありえない口調で、魔導具に向って怒鳴りつけると勢いに任せて通信を切った。はーはーと荒い息を吐きながら、庭に積もる雪に向かって魔導具を投げ付ける。
その雪原に、ニンマリ顔で笑っている上司の顔を想像して。
「ジゼル殿。何があったか知りませぬが、自分の上司、しかも女性にこの野郎は如何なものかと思います」
蚊帳の外なフィデルタが、雪に埋もれた魔導具を掘り出しながら言った。その表情が憮然としたもので、ジゼルはしまったと苦い顔をする。
フィデルタはあの変わり者と言われているジーンに、好意を直接ぶつけては悦んで踏みにじられに行く言わば変態だ。己の性癖のほかにも、純粋な好意を持っているのは間違いない。面倒なことに。
ジゼルがこう言った発言をすれば、それを快く思わないのは当然で。きっとそれさえも予想していたのだろうジーンの顔が浮かんできて、ジゼルは苦虫を噛み潰す。
バルコニーから飛び降りて、魔導具を受け取る時に謝罪もする。これを放置すると、後でどんな行動を仕出かすか分からないのが恐ろしい。恋は盲目とは、実に迷惑なものなのだ。
びっちり眉間に皺を寄せて、それでも何処から連絡を入れるか算段をする。
何をどう言われようが、結局自分は今の職場を気に入っているのだ。己の能力を高く評価し、また自身を信頼し、あれこれ無茶振りをかます上司も。
――それらを手放すつもりはない。
何処からともなく出てきたため息に、ジゼルは一人自嘲した。
(新年早々関係各所に駆けずり回るのか……)
それから第三書記官を呼ぶよう、この雪の中律儀に外で待機している執事見習いに声をかけた。
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ブツリと強制的に切られた魔導具を見て、ジーンは何度か瞬きをした。
「しまった。少しやりすぎたか。……まあ、仕事は問題なくするだろうし、かまわないか」
本人からしてみればたまったものではないが、それをあっさりかまわないと言い切ったジーン。
実際、この捜索にはかなり神経を疲弊させられるのだ。自分の部下であり側近でもあるジゼルで、少しぐらい遊んでもいいじゃないか。些細なものだ、バチは当たらないだろう。
魔導具をしまい、濃紺の布に包まれた少女を抱えたままジーンは自身の魔力を僅かに放出する。冥府の森の深い所で騒ぎを起したくはない。出して問題ないであろう量に抑え、その魔力を周辺にのみ一気に解放した。
音を掻き消す風圧が、ジーンの周りの雪を吹き飛ばした。ざわざわと重い音を立てて揺れる木々に、そこから落ちる新たな雪。小さな虫が慌てて逃げ出す姿が見えた。
少し、本当に少しの間、周辺の魔素が薄くなった。
冥府の森は必要以上に魔素が濃く、それはすでに瘴気に近い。奥に行けばそれは更に顕著になる。ましてそれを糧にする魔獣や、冥士の相手をしなければならないのだ。騎士団に在籍するものでさえ、この中で長時間の捜索は難しい。単独など、正気の沙汰ではない。
ジーンの視界の一部から雪がなくなり、現れたのは水を吸い濃い色へ変わった地面と、数人の人と思しき姿が現れた。どの姿も、かろうじて人と分かる程の、ひどい有様だった。
間違いなく彼等はここで魔獣か冥士に襲われた。状況的には冥士だろうか? それも下級の。ジーンはそう判断した。
良くも悪くも彼等は、人の欲に反応する。つまるところ生きようとする、生への渇望さえも冥士にとってはご馳走なのだ。
けれど、人を捕食する事で糧を得る訳ではない。感情を餌とする彼等には、身体などどうでもいい。本能の赴くまま行動する下級冥士にとって身体は、恐ろしいことに相手から感情を叩き出させるための道具という認識だ。
だからこそ、死者には興味を示さず、生者に執着する。相手が感情を出さなくなるその時まで、その身体に容赦なく攻撃を加える。
付近にいた者たちがこの有様なのに、この少女が比較的綺麗なのは、ここに来た段階で意識を失っていたか、もしくは――既に息絶えていたか。
「怖かった、だろうな……」
白い煙となって、ため息が出た。微かに頭痛もしてきた。さすがに魔素に当てられてきたらしい。かれこれ四日、この冥府の森に潜っている。捜索に割ける時間は後三日。
魔力を込めた布を飛ばし、人と思う者達を包ませる。いささかぞんざいな扱いになってしまったが、魔力を放出した直後だ。話の出来る中級や上級冥士ならまだしも、下級冥士に囲まれでもしたらたまったものではない。
もともと、発見者達を集めた場所は森の浅い所にある。手早く自分が持ってきたものを片付け、早々にこの場を移ろう。判断をするや否や行動に出たジーンの耳に、ガサリと木々の揺れる音がした。
とっさに魔法を展開する術式を唱えるも、その詠唱は途中で止まる。
視線の先には、濃い緑の針葉樹の間から出る白い一本の腕。上級冥士の、それも高位の証である紋様を見せる片腕が、ぶら下がっていた。
ぷらぷらと挨拶でもするように揺れる見知った左腕が、言葉を発した。
「やあ、ジュン。今年もお世話になりました?」
「……レフト、なんでそこで疑問系だ?」
「いや、だってもうじき今年もおしまいだけど、明けましてにはまだちょっと早い」
「確かにそうだが……」
のほほんとした口調で話し出すレフトに、ジーンは肩の力を抜いた。
そう言えばここにはコイツがいたなと思い出し、相変わらず魔力感知能力の高さに、背中にヒヤリとしたものを感じる。
「騒がせたか?」
「大丈夫。マリーベルがキャンキャン騒いでいただけだよ」
さらりと、さして重要でもないレフトの言い方に、ジーンは脱力しかけた。
マリーベルと言えば、冥府の森での事実上ナンバー2ではないか。冥王の側近。王にかなり心酔していて、自身の感情の赴くままに行動する分かりやすいがゆえに面倒な部類の冥士だ。
どこが大丈夫だ!
「充分大問題になっているな。冥王は?」
「ジュンが来ているのは分かっていたからね。特に喧嘩を売りにきた訳じゃないんだから、放っておけって」
「助かった」
心底そう思う。気軽にほいほい喧嘩を買いに来る相手でないのは分かっているが、好き好んで敵対したい存在でもないのだ。
それに以前、領内に壊滅的ダメージを与えられた挙句、結局森へ追い返すことしか出来なかった相手だ。この状況で相手をするのはご免被る。今度はどれだけの規模になるのか、考えたくもない。
「また探し人かい?」
「ああ。捜索願も、嘆願書も出ているしな」
「そんなもの、ハルツフェルト侯爵に押し付ければいいのに」
「ははは……」
人が居た場所に遺留品がないかを確認しながら、ジーンは乾いた笑いをした。
(今目の前にいるのが、そのハルツフェルト侯爵です)
喉から出かかった言葉を無理やり飲み込む。言えば不要なトラブルを呼ぶのは目に見えている。わざわざ偽名でやり取りをしている苦労を無駄にするつもりはない。
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