03・餌と素材
「特級!? 逃げましょうシュウさん! 今すぐ、直ちに、即刻!」
ガクガクとシュウの体を揺さぶって逃げるよう促す。シュウが実力者だというのは聞いているが、この世界の人間としてでさえペーペーで、自衛手段は本当に自衛としてしか使えない自分がいては足を引っ張るだけだ。
シュウが戦闘に入っている間、総悟が隠れていればいいのだろうがこの雪道。雪になれていない身としては、豪雪地帯を生息域としている他の魔獣から隠れきれる自信はない。はっきり言える。
けれどそんな総悟のことなどお構いなしといった感じに、シュウは左腿のホルスターから魔導銃を引き抜いた。ニコリと笑うと照準を合わせる。
「ジーン様がこっちに来てるんで、魔力に当てられて逃げてきたって所かな? うーん。傷付けずに倒して、是非ともジーン様に高く売りつけたい所だけど……」
「こんな非常時に皮算用して――」
弾けるような発砲音に総悟の言葉は遮られた。同時に体が引っ張られるような、強烈な遠心力に振り落とされないよう、慌ててシュウの体にしがみつく。急旋回した車体は、もと来た道を勢い良く戻り始めた。
「やっぱり防御は硬い、牽制くらいにしかならないか。総悟、三輪の魔力補充してくれるかい?」
「は、はいっ!」
しがみ付きながら右手をシートにあてて、自分の魔力に意識を向ける。車体の中にある動力源たる魔晶石に、魔力をゆっくりと流し込む。
背後からはこちらの後を追う、スノウハウンドの足音が続く。二人乗りのこの状況、追いつかれやしないだろうかと冷や汗が出てくる。
「うん、素直に逃げるとしますかね。ブースト使うから、しっかり掴まってるように」
「置いていかれたくないんで意地でも掴まってます!」
魔晶石に魔力を流す作業は止めずに怒鳴るように総悟は答えた。以前だったら思わず作業の手を止めてしまうような内容だ。それが止まらずに出来るようになったのは、それだけこの世界に順応してきた証拠か? そこに思い至って、総悟は苦笑した。
シュウは視線を向けずに魔導銃を道の横へと数発撃つ。程なくして道を塞ぐように数本の木が、雪を撒き散らしながら倒れた。尖った葉を持つ、倒れた木々の間から、鈍い銀の毛並みを靡かせ後ろを走るスノウハウンドの姿が確認できた。
「これで諦めてくれれば嬉しいんだけどなー……」
その呟きが消えるか否か、甲高い咆哮と爆発音が聞こえてくる。
「諦めてくれなかったみたいですね」
「だね。しつこい魔獣は嫌われるって知らないのかな?」
魔獣でなくてもしつこい性格の人は好かれ難いと思います。事、男女の機微に関しては。いや、偉そうに言ってみても、総悟はそれ程恋愛経験がない。はい。初恋は存在しました、好きな女性はいました。全て玉砕しましたがそれが何か?
全ていい人止まりでしたがそれが何か問題でも? 童顔か? この童顔がいけなかったのか!? それとも低身長か!?
思わず出てきた過去の苦い思い出に、総悟は顔を引き攣らせつつ頭を振る。
シュウの髪の毛先が僅かに浮き上がる。呟くような小さな声で紡ぐ言葉は詠唱呪文。総悟にも聞き覚えがある呪文だ。スパルタ式勉強で頭に叩き込まれた、火に関わる魔法の一種類。
シュウがちらりと後ろを振り向いて、自分の間合いに入るタイミングを見計らう。詠唱が止まった。詠唱の途中停止。本来ならば放たなければならない魔力を強制的に止め、その場に留める高度な技術。
それを何でもない事のように、それこそ後ろに人を一人乗せた三輪の運転をしながら行なうシュウの実力。
自由兵士と呼ばれる傭兵――別名、冒険者たち。彼らが名簿と席を置いている自由兵士組合に登録をして、配達の仕事の合間に旅の経験を積むために受けた依頼。その時パーティーを組んだ人の中に、そんな芸当が出来る魔法使いはいなかった。
「凄い……」
無意識に、言葉がこぼれた。
異世界に突如飛ばされて来て、一年も経っていない自分でも分かる。間違いなくシュウは魔術師、もしくはその上位の魔導師に近い魔族のはずだ。
不意に、あれだけ煩かった風の音が止んだ。それでも三輪は動いている。事実、総悟は魔力の供給を続けているそばからその魔力は消費しているのだから。
車体の下から淡い紅の光が灯った。――詠唱の展開か! 視線を下へ落とせば複雑な陣が現れていた。
「掴まってろ!」
「は、はいっ!」
再びの急旋回。道を遮るように車体を横向きにかえ、視線だけを魔獣へ向けるとシュウは叫んだ。
「我が命じる! 炎よ滅せ!」
熱い。総悟がそう感じることなく、放たれた魔力は業火となって魔獣を襲った。業火に巻かれながらも魔獣は甲高く吼え、その歩みを止めることをしない。むしろ吼えることによって、少しずつ業火を抑えている。証拠にあの目に悪い極彩色の紅が薄くなっていた。
すっとシュウが目を細めた、口が僅かに動くが総悟には聞き取れない。だが分かる。それが高速で紡がれている詠唱呪文だと。中空に展開するいくつもの術式陣。
複数の術の行使はどれも、早くて速い――。
「い――」
行け。きっと彼はそう言うはずだったのだろう。けれどその言葉を発するために開いた口を、シュウは閉じた。
かわりに総悟の耳に入ったのは、いくつもの何かが肉に突き刺さるような嫌な音だった。それに続く、うめくように吼える魔獣の声と、水が炎にあぶられ蒸発したかのような音。
総悟の視線の先には、悪趣味な彫像のようにも見える魔獣の姿。魔獣は複数の巨大な氷の矢に貫かれ、動く事すら出来なくなっていた。最も太い氷の矢は確実に、魔獣の身体を地面へと縫いつけていた。それでも口元から出る白い息は、まだ魔獣が生きていることを教えている。
炎の熱で表面が溶け始めている氷の矢。総悟とシュウの周りにあった、小さな術式陣が次々に消滅して行く。トドメとばかりにシュウが指を鳴らすと、魔獣を包む業火も消えた。
「シュウさん」
「あー、うん。大丈夫」
目の前の、まだ息のある魔獣に不安になって、総悟は思わずシュウの服を掴んだ。シュウは目元を和らげると、総悟の頭を軽く叩く。
術式陣と思しき光が視界の隅に入った。一瞬、目を開けられないほどの強い風が、雪と、掻っ切られた魔獣の首を舞い上げた。血飛沫を上げる魔獣の首を目で追いながら、総悟はヒクリと頬を引き攣らせる。
地面に雪がなければ、ゴトンと重たいものが落ちる音が響いていただろう。幸い、耳を塞ぎたくなるような音は雪によって防がれた。
かわりに目を覆いたくなる光景は、ばっちりと目撃してしまった。シュウの服を掴んだまま硬直した総悟だが、驚きに叫ばなかったことは褒めてほしいぐらいだと思う。
首のなくなった身体が、一瞬で燃え盛る炎に包まれた。ぎょっとして総悟はシュウを見たが、彼が呪文を発動した様子はない。
「あー。貴重な素材が……」
呪文のかわりのそんな呟きを聞かなかったことにする。そうだ、きっと今のは空耳だ。
熱により溶け、折れた氷の矢と共に魔獣の身体が地面に倒れた。それでも炎は勢いを止めず、その身体を焼き尽くす。一体誰が呪文を?
「お。二人共生きてたか」
きょろきょろと辺りを見回した総悟の頭上から、声は聞こえた。首を真上へと向ければ、ニヤリと笑う自分の同居人兼、保護者兼、後見人の一人がいた。時々その三つの言葉が非常に怪しく感じる素行の持ち主だ。
総悟から見ればただの女好きのぐーたら魔法使いでしかない。しかしこれでもパルヴィナ同盟関係国では、最高峰の魔導師なのだからたちが悪い。いっそ性格が悪ければ、総悟もいろいろと諦めがついたのに……とがっくりしたのは一度や二度ではない。
「ウィルさん!」
「よお! 助けにきてやったぞ。童顔チビす――ぐはっ!」
「童顔チビ助って言うな! 童顔チビ助って!」
会ったそうそうやっぱりか!! 杖にまたがり上空を飛んでいたウィルに、総悟は全力で雪を投げつけ叫んだ。頭にかかった雪が、ウィルの濃い茶の髪に見事なコントラストを生み出している。いっそ禿てしまえ! そうすればお姉さんがたも遊びに来ないだろ!! 顔の作りがいいんだから、そのくらいでバランスがちょうどいいだろ!
「結局自分で言ってるじゃん。しかも二回も」
コッソリ笑っていたシュウに関して、総悟は黙認した。いろいろ秘密の多い魔族ではあるが、頼もしく、また頼れる人生(?)の先輩でもある。異世界人であるが故の悩み事や相談にも乗ってくれるのだ。
そこの上空にいる、顔面に雪を着けた性格の捻じ曲がった魔導師とは違うのだ。夜中にナイスバディなお姉さんをお持ち帰りする、ふしだらな魔導師とはまったく違う。羨ましいと思ったことはある。健全男子なら当然だ。
だが――あはんな格好のお姉さんと夜中に廊下で鉢合わせした気まずさを思い知れ!
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