10・報告タイム
「それで、この世界での生活には慣れてきたか? ああ、世界が無理ならこの領でも構わないぞ」
「は、はい。ハルツフェルト領内ならなんとか慣れてきました。あ、でも南地区には驚きました」
「それについてはすまなかった。南地区については雪深い場所、という以外教えていなかったのは、私のミスだ」
体を動かすのはまだ辛いはずなのに、ジーンは軽く頭下げるような仕草をした。
そんな動作にぎょっとしたのは総悟だけらしい、ジゼルはのんびりとお茶を飲んでいた。完全に仕事のスイッチはオフになっている。
「いっ、いえ! 途中でシュウさんに助けてもらったんで、全然大丈夫です!」
助けが来なかったら全然大丈夫じゃなかった可能性も高いが、そこについては触れない。触れたら今度は何が起きるか分からない。最悪、保護者権利で監視や護衛が付きそうだ。
偉い人が頭を下げるの超が付くほど怖い。
「そうか。年末にこちらに来る習慣に助けられたか」
「シュウさんとイブさんは、毎年来ているんですか?」
「ああ。シュウは仕事が入っていない限りはな。イブは特級配達員の特権をフル活用して、毎回居候に来ているだけだ」
「特級配達員の特権?」
「絶対に覆らない有給休暇という奴だ」
「あ、それ凄く欲しいかも」
何が何でも休めるというのは、実に魅力的な特権だ。特に特級の配達員は、重要書類を運ぶ事が多いらしく、危険度も高い。一旦配達になれば、中々所属している局には戻れないのだから、そう言った特権は自然と必要になるのかも知れない。
「やっぱりソーゴくんなら分かってくれると思っていたよ! この上司はそんなもんいらんって一蹴だよ。ありえないよね!」
「お前は働け、馬車馬の如く」
「ひでぇ!」
「さすがにソレはちょっと……」
絶対零度の微笑と共に言われた言葉に、ジゼルは心底嫌そうだ。
「手紙の返事は数日中に渡す、シフォンの所へそのまま配達してくれ」
「はい」
「それと試験場の開始までまだ日がある、それまで屋敷で練習しておくといい。何、一人で練習はさせんよ。シュウとイブに教官を頼んでおいたから安心してかまわない」
「はい。……え?」
流れに乗ったまま返事をしてから、総悟はハタと動きを止めた。誰と誰が教官役だって? そう、確かシュウとイブの二人だ。
耳に入った言葉を脳が理解すると、慌てて口を開いた。
「いやいやいやいや、それは駄目ですよ!」
「何が駄目だ?」
はて、一体なぜ、そんなにも駄目なんだと言いたげな目で、ジーンは総悟を見た。その視線にたじろぎつつも、総悟は頭をフル回転させてもっともらしい理由を探し出す。
「いや、あの! ほら! そう! 手紙、手紙の配達ありますし!」
「それなら急ぎでないから問題ない」
「……配達終わった連絡しないと、局長に怒られます!」
「屋敷の電話から連絡すれば解決だ」
「ええと、ええと……っ! そうだ! シュウさんとイブさんの休暇は大事です!」
そう、それが言いたかった! ただでさえ忙しい二人の貴重な休暇を、自分の都合で消化させる訳には行かない。
この二人、休暇が終われば大量の仕事が待っている可能性が高いのだから。
「……そうか、それは問題だな」
総悟の言葉に納得したように何度か頷くジーンの姿に、ほっと胸を撫で下ろす。
そして数秒後、ジーンはとんでもない発言をした。
「なら、休暇をずらせばいい。シュウは私の部下だから別段問題ないな。ジゼル、グレイス局長に連絡をして、イブの休暇を動かせ。文句があるなら、来年度の予算を減らすと脅しておけ」
絶対に覆らない有給休暇どこ行った!?
「……分かりました。相変わらず素敵なぐらいに横暴ですね。さすが鬼畜」
「もっと駄目です! 侯爵様! それ立派な職権乱用! ジゼルさんも何感心した表情してるんですか! 止めてくださいよ!」
「ジーン様だからね。何を言っても無駄だよ」
「ジゼルさん何悟った表情しちゃってるんですか! 戻ってきてください!」
どんな時でも素早く行動に移るジゼルを、総悟は慌てて止めにかかった。
すぐにでも配達局に連絡を入れそうな二人を止めるのにげっそりした後、教官役の二人に事情を説明したら、あっさり快諾されてしまった。
それから試験場の開始の前日までみっちり練習という、今までの冬休みならありえないくらい濃い年始を過した。ウィルには邪魔をされ、フィデルタには熱が入りすぎた応援を受け、休憩中の騎士や使用人達にやんややんやと囃し立てられ、座学、実技共に、二人からお墨付きを貰ったころにはヘトヘトだ。
正規の休暇でないのに、配達業務をこんなに休んでしまっていいのか。正直恐ろしい。
実際の所、さっさとジーンがグレイスに総悟の休暇を勝手に申請のち即時受理、というスピード手続きが行なわれていたのだが、それは総悟の知らない事実だ。
侯爵家の権力をフル活用するのも慣れているのだから仕方がない。
それに、総悟の本当の後見人であり保護者としては、この世界で必要な技術は得られるうちに習得させた方が良い、といった判断も裏にはある。
この世界は、彼の元の世界と比べ物にならないくらい、命の扱いが軽いのだから――。
「うん。出発前の点検も問題ないね。良く頑張った」
もはや慣れてしまったぐらい自然な動作で、シュウは総悟の頭を撫でた。
総悟は現在、侯爵の屋敷の前で出発に伴った確認作業中だ。カバンの中の受取証に、ジーンからの手紙。教科書の一部写しと、座学や実技のポイントを書いたノート。
出発前に教官役のイブにお礼を言おうとしたが、『現在爆睡中』の札がドアノブにぶら下がっていたため、お礼を書いたメッセージカードを置いてきた。
また暫らく会えなくなるだろうフィデルタにも、挨拶は済んでいる。
荷物は全部カバンに入っているし、お世話になった人にも挨拶は済んだ。よし。大丈夫だ。心の中で総悟は頷く。
保護者兼後見人のジーンにもきちんと働いている姿を見せられた……ハズだ。
そして忙しい中堂々とサボって見送りにきたジーンと、それを止めに来たジゼルに、総悟は頭を下げた。
「それでは、預かりました手紙、しっかりシルフィード様にお届けします」
「ああ。しっかり試験に合格してこいよ」
「いや、今の流れだと明らかに手紙に対するコメントなんじゃ……」
そうだよね。この人(?)こう言う性格だったよねと、こっそり肩を落とす。
不意にジーンに頭を撫でられて、そんな内心が読まれたのかドキリとした。恐るおそるジーンを見れば、珍しく、自然な笑みを浮かべていた。
「まだ慣れんところも多いだろうが、それもじきになくなるだろう。それでもどう足掻いてもどうにもならない時や、逃げ出したくてたまらない時は、私の所へ来ればいい。保護者だからな」
「いや、それはさすがに……」
自然と顔の輪郭を滑るように動いた手が、総悟の頬を軽く抓る。
「安心しろ。お前一人養うくらい何の問題もない。なにしろ私は領地持ちの貴族だ」
「……もっと素直に言ったらどうです? そんな回りくどい言い方するから誤解されるんですよ。つまりね、ソーゴくん。何か困ったことがあったら、ジーン様をこき使ってかまわないってことだよ」
「……そうだな。その時はジゼルを灰になるまでこき使うとしよう」
「げっ!?」
「はいはい。ジーン様もジゼル様もそこまでにしましょう」
見かねたシュウが止めに入る。
「お二人がおっしゃりたいことを要約すると、私、実家に帰らせて頂きます! を言って良いってことだよ」
「何か違くないですか?」
「大体同じこと。ですよね? お二方」
にこりと、これ見よがしにイイ笑顔で、シュウは二人に問いかけた。
「そうだね。シュウくんが言っていることと、差はないよ」
「……シュウ。後で覚えておけ」
「俺、物覚えいいんで、思い出さないようにしておきます。昇給だったら喜んで覚えておきます」
少しだけ周りの温度が下がった気がするのは気のせいか? ニコニコと笑顔全開なシュウと、眉間にびっちり皺を寄せたジーン。しばしの睨み合いの末、先に折れたのはジーンだった。
「……総悟、何かあったら私を頼れ。その時は侯爵領内にて全力で保護する」
「は、はい。そういう自体にならない様に気を付けます」
緊張しながら頷き、言った総悟の言葉にジーンは小さく笑う。
排気口付近の雪を巻き上げなら、三輪のエンジンがかかった。シュウが跨りゴーグルを装着する。
生憎と、総悟は免許がないので帰りもシュウの厄介になることが決まっている。早いこと免許を習得して、自分で運転できるようになろうと一人意気込む。
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