第20話 麗鳳―”Phoenix”―
#20
「……私の聞き間違いか? ”剣鬼”」
美貌から吐き出される声は、鞘から引き抜かれた剣のように固く鋭かった。
”あの少年を、斬ります”。
”己が解答”を露わとしたシオン・李・イスルギと対峙する麗句=メイリンは、その怒りで美の概念そのものと呼べる容貌に、触れれば肌を裂くような鋭利な棘を浮かべていた。
猛る黒い瞳は、憤怒の中に”悲しみ”さえ滲ませているように見える。
「あの子供を斬るだと……? 最善だと……? 吐き違えるな、”シオン坊や”……!」
ズカズカと乱暴に間合いを詰め、襟首を掴んだ麗句の瞳が、シオンの凍り付いたような瞳を見据える。
だが、まるで鉄の鎖を足首に巻き付けられたかのように、重々しい”殺気”を帯びた空気が、麗句の歩みを重くしていた。
……振り切れぬ何かが、”迷い”が、彼女の中に確かにあった。
「……貴女も理解しているはずです、”女王”。”創世石”の加護を遮断しない限り、フェイスレスの異能には底がない。”獣王”ですら勝利を得られるかどうか――その”確実性は薄い”」
「………ッ!」
冷徹にして怜悧な”剣鬼”の言葉。
それが理屈ではなく、”感情”で動いた麗句の胸を抉る。
「な、ならば我等が”獣王”に加勢し、奴を討滅すればいい……! 我等が三騎がかりで挑めば、あの男も……!」
「我々が三騎で挑み、敗れた場合……それこそ取返しのつかない事となる。その目的はまだ読み切れませんが、フェイスレスの存在はもはや世界に対する”脅威”です。”畏敬の赤”を総べる我等が敗れれば、彼を止められる者は皆無です。”天敵種”にその役目を譲るのは、あまりに分の悪い”賭け”だ――」
だからこそ、貴女も今まで動けなかったのではないですか……?
シオンから告げられた言葉に、返せる言葉はなかった。
”図星”だ。
シオンが言った事は、そのまま麗句の思考であった。
「いま、”獣王”が十全な戦力を保持し、フェイスレスを食い止めている現在なら、あの”赤い柱”を、その核たる少年を斬る事が出来る。”創世石”の加護を断つ事が出来る。我等が勝利するには、”世界を救う”には、それが最も”確実性が高い”道筋です」
麗句自身、既に理解っている事を、理路整然とシオンは並べていく。
彼女を追い詰めるように、説き伏せるように。
だからこそ、麗句は己が感情でその口舌を動かす――。
「……だが、あの子供は何も知らない、ただの子供として生きてきた無垢な少年だ! それをお前は……」
「しかし、”創世石”に選ばれる程の少年です。いまは無くとも、この先に在る未来に、適正に相応しい”業”を背負わぬとは限りません。……否、背負うのでしょう。ならば今――」
言葉が理屈で砕かれ、無残に喉奥へと呑まれていく。
現状に対する認識は一致していても、シオンの選んだ”解答”に対する二人の見解は、割れた杯のように別たれていた。
「貴女もこの”世界を変え、正す”為に黒を纏い、己自身を何色にも染まらぬ黒に塗り潰したはずです。何を躊躇い、何を迷うのです? 我等が目指すものへ辿り着くには、この程度の穢れ、覚悟していないとは言わせない――」
「…………」
彼は、”同胞”として正しい事を言っている。
麗句はそう感じた。
確かにそうだ。
美辞麗句に覆われた腐食を正し、焼き払う”魔女”として、自分は充分に穢れてきた。
あの少年だけを例外にしていい理由などない。
だが――、
「なぁ、シオン。私達はこの世界でこれ以上、何を失い、何を賭ける……?」
「………?」
突然の投げかけに、シオンの凍り付いた瞳に僅かに人間的な色彩が戻る。
周囲では、再び”天を往く者”、”地を穿つ者”と連結し、”機械仕掛けの覇竜”となった”獣王”の鎧装が、”死邪骸装”と本格的に戦闘を開始していた。
”天敵種”の青年と、”毒蠍”もいまだ醜悪なまでの”死闘”を継続している。
行動を起こすには、絶好の頃合と言えた。
しかし、
「……私は一番に護りたかったものも、両親から与えられた誇らしい名前も、総て、尽く失ってしまった。賭けてきたはずの命も、溜まっていく穢れの中で、いつしか当然のように意味を失っていく。理想に到達する為の機械として、”我等は死んでいるように生きていく”」
「…………」
シオンは麗句の言葉から意識を外せなかった。
彼女は”同胞”として正しい事を言っている。
そう、感じた。
「だが、それを望んだはずだ。貴女も、私も」
シオンの五指が、腰に帯びた剣の柄に絡む。
「……そうだ。そう生きていければいいと考えていた。そうする事が私の贖罪なのだと思っていた」
しかし、な。
麗句の口元に僅かに苦い、そして穏やかな笑みが浮かんでいた。
「一人の馬鹿な少女がそれでは駄目だと――愚かにもこの”魔女”に言ってくれた。失ったと思っていたものに束の間でも逢わせてくれた」
”幸福になれ、ミザリー”。
彼女が届けてくれた、たった一つの願いがいま、麗句の胸に響いていた。
「……失うばかりのこの世界で、”友”として私の前に立ち続けると、そう言ってくれたのだ」
「……………」
あの”仮初の適正者”であった少女の事か。
シオンは”移動要塞”の水晶越しにしかその存在を確認していない。
しかし、麗句の声音からシオンはその存在の大きさを察知した。
「そんな少女の可愛い弟を見殺しにしたのでは――彼女にも、向こうで私を持つ”弟”にも申し訳が立たないよ、シオン」
それは、麗句が内面で殺し続けてきた”内なる少女”の声だった。
……誰にも出来る事ではない。
”女王”の心の錠を解き、”救った”その存在をシオンは確かに認識した。
「……退くつもりはないのですね」
「ああ、すまんな――」
麗句が手にした”鎧醒器”から噴出す”畏敬の赤”の粒子がその濃度を増し、巨鳥が羽搏いたが如き暴風が、シオンの脚を下がらせる程に、彼を”威嚇”する――。
――”死ぬ”つもりなのだ。彼女は。
シオンはそう認識し、柄に”鬼哭石”を埋め込んだ小剣の如き、自らの”鎧醒石”をその手に構える。
「……ハッキリ言いますが、消耗しきった貴女に勝ち目はない。”女王”足る者が無駄死になど、貴女の物語の結末としては三流以下です」
「……かもしれんな。しかし」
麗句の手に握られた”醒石”が、怯え、麗句に縋っていた”醒石”が、彼女の想いに共鳴するように、眩く輝く――。
「抗う術も、”彼女”は教えてくれた……!」
「……!?」
顕現し、重なる”奇蹟”。
”醒石”から爆発的に光が溢れ、吹き荒れる”朱”の嵐の中、シオンは確かに麗句が背負う想いを、赤い髪に青い瞳を持つ少女の想いを幻視する――。
これは、
「「『双醒』……!」」
「な……!?」
耳朶を撫でる”二つ”の声を、シオンは確かに幻聴いた。
”現実空間”を叩き割り、現世に顕現した黒の鎧装を銀の光が包み、新たな容貌へと”再醒”させてゆく。
破損した鎧装は修繕され、麗句に縋り、共鳴した”醒石”は銀の補助鎧装となって、新たな輝きを”断罪の麗鳳”の黒の”神幻金属”に満たしていた。
そうだ、自分が”救われた”意味はここにある。
彼女の想いも、麗鳳石に宿る皆の想いも背負い、私は此処に立ち、生き抜く。
私は此の想いに生き――此の想いに死ぬ。
「ここから先は通さんぞ、”剣鬼”――」
己が心を灼いた火刑台の焔の中から、麗鳳は再び舞い上がる――。
その翼は、”悲劇”を越えて。
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