第19話 決断―”fatal”—
#19
「やはり……濃縮された”概念”とはいえ、”死”と戯れるのは、あまり良い気分ではないな」
黒衣に絡む白骨の如き内装具が、ギチギチと音を立て、左右非対称の醜悪な仮面が、不穏な声音を吐き出していた。
煌々と輝く橙色の右眼とは対照的に、左の眼窩は底無しの闇を湛え、橙色と唐紅が混じったかのような液体を循環する複数のチューブがその脇に露出。
完成された鎧装とは言い難い、残骸の如き”不完全”さが、この鎧装にはあった。
(……”死邪骸装”、だと……?)
鉛に沈めた無数の髑髏を削り、組み合わせて鋳造したかのような不気味な機械的な仮面。
両肩・胸部・両膝の鎧装に蠢く、世に満ちる総ての怨念と呪詛を凝固させたかのような怨嗟の顔。
”信仰なき男”が『鎧醒』した、その新たな鎧装は、その外見だけでも十分に対峙する者の肌を粟立て、戦慄させるに足る”醜悪”さに満ちていた。
……”死”の概念が容貌となってそこに在る。
”信仰なき男”の言葉通り、それが麗句=メイリンとシオン・李・イスルギが、この”死邪骸装”に抱いた共通の認識であった。
そして、
(……解せん、な……)
共通の認識はそれだけではなかった。
この”死邪鎧装”には、見過ごせぬ”要素”が、”謎”があった。
彼等、”選定されし六人の断罪者”には、見過ごせぬ”要素”が。
(鎧装が”黒化”していない、だと……?)
それは当然であり、拭えぬ疑問。
彼等、”選定されし六人の断罪者”は等しく、”神”への”世界”への拭えぬ絶望を抱き、堕ちた”負の感情”で自らの”神幻金属”を黒く塗り潰している。
麗句=メイリンが、ミザリー・L・アルメイアであった頃に味わった”悲劇”が、その最たる例であろう。
だが、フェイスレスの鎧装は”黒化”していない。
在り得ない事だ。
ならば、この男は――”絶望を抱いていない”というのか?
鎧を黒で染め上げる程の絶望を知らないとでもいうのか……?
あのような”地獄”を識らぬとでもいうのか。
疑念が麗句達の眼差しを、自然と鋭い形相へと変えていく。
「……そうだな、卿らの”疑問”は最もだ。……”女王”、”剣鬼”」
「……!」
そして、その彼等の疑念を見透かしたかのように、”死邪骸装”の橙色の眼が二人を見据え、その喉に埋め込まれた発声機器が言葉を紡ぐ。
”死”の概念に満ちた機械的な仮面から漏れ零れる声は、死霊の呻きの如く歪み、聴く者の知覚と精神を不穏に震わせる――。
「この”鎧装”は本来の私の鎧装ではない。故に、私の黒々とした感情には侵されず、清廉なままだ。……最も、この鎧にこびり付いた穢れと呪いは、”黒化”に決して劣るものではないがな――」
「本来のものではない……だと……?」
麗句の驚愕に、橙色の光の向こう側にある虚無に満ちた瞳が嗤う。
「私の『鎧醒』はこの”世界”に大きく負担をかけ、私自身を著しく”消耗”させる。故に――他の世界線で私が適正者となったこの”醒石”を使わせてもらう。私が持つ13の予備石の中でもコイツは強力で、悪辣だぞ――”王”よ」
地獄の底から噴出し、自らの鎧装をも焦がし溶かす”紫煙の咎焔”を四肢に帯びる”死邪骸装”の異形が、舞台役者のような大仰な動きとともに語り、謳っていた。
対峙する”王”は、黒鋼の巨鎧を重々しく前進させ、得物である”黒神巨槌”を大地に叩き付けると同時に咆哮する。
――言わば、それが”開戦の狼煙”だった。
【—————————————-—————ッ‼‼‼‼‼‼‼‼】
「我が”死”と踊るがいい――”生物としての神”よ」
下方から薙ぐように振り上げられた”黒神巨槌”を、”死邪骸装”の五指を覆う鋭利な爪が迎撃し、火花を散らす。
”王”の剛力を受け止め得る程、”死邪骸装”のパワーは高く、己を砕かんとする巨槌に身を滑らせるようにして、放たれた浴びせ蹴りが、黒鋼の巨鎧を後退させていた。
「kaAHH……」
機械的な仮面から漏れ零れた、歪な呼吸音とともに、咽かえるような”死臭”が周囲に拡がる。
一瞬の攻防ではあるが、麗句達は充分に理解した。
フェイスレスが”予備”と謳った、この”死邪骸装”が自分達の鎧装と比較して、全く遜色のない異能を持つ事を。
『鎧醒』した”獣王”と互角に闘い得る事を。
そして、
(む……?)
麗句は足元に輝く一つの”異変”に気付く。
足元で何かが輝き、鳴動していた。
それは、麗句達が良く識るものであり、また”使い捨てていた”ものでもあった。
それは、
(これは……”醒獣兵”に成り損ねた、”醒石”……か?)
”怯えているのか……”。
明滅する”醒石"が漂わせる、まるで自分に縋り付くような気配に、麗句は呟き、その怯える”醒石”を白くしなやかな五指で拾い上げる。
(……”怪物”に成り果てるために発掘され、助けを請い願える相手もこの”魔女”のみとは。お前も余程、運のない”醒石”のようだな……)
慈しむように”醒石”を胸に抱き、呟いた麗句は、その口元に僅かに苦笑を浮かべていた。
”あの少女であれば、適任であったろうにな……”
護り、遠ざける為に”観念世界”へと漂流させた少女が残した”想い”が、胸の奥を擽る。
……彼女が、自分を”救った”のは、こんなところで躓く、蹲る為ではないはずだ。
”麗鳳石”が熱く昂っているのを感じる。
胸に抱いた”醒石”を包み込み、庇護するように、”麗鳳石”は裂け折れた翼を拡げるが如くに、己が”赤”を羽搏かせていた。
本来、”麗鳳石”は”創世石”の護り石だ。
その慈愛で多くのものを、自分を、幾重もの”奇蹟”とともに護り続けてきた。
あの日散った、仲間達の”魂”とともに。
(”麗鳳石”も……報いたいのだな、彼女に)
そして、この”醒石”が怯えるのも必定であるこの”現状”をどう斬り裂くか――。
麗句は思考を深め、中々進まぬ己が肉体の治癒に歯噛みする。
”救済”を謳うあの”信仰なき男”が『鎧醒』したあの予備鎧装は、明らかに”畏敬の赤”級に匹敵し、”赤い柱”となってしまったアル・ホワイトから注ぎ込まれる”創世石”の加護で、無尽蔵の”奇蹟”すら、その身に蓄えている。
あの常軌を逸した”獣王”の”機械仕掛けの覇竜”なる鎧装でも、万が一の”敗北”は在り得るだろう。……第一、本来の”獣王”の”力”は封じられているに等しい。
極端な”概念干渉”による争い。持久戦となれば、やはり危うい。
その上、読めないのが”彼”だ。
”天敵種”である青年――響=ムラサメ。
”畏敬の赤”を体内に取り込んだ、”醒石”を喰らう生物である性を、あの青年が克服できるか否か――それで状況は大きく変わる。
体内の”天敵種”から伝播される獰猛な”飢え”と、群青色の鎧装と成したそれに己が肉を食まれる”激痛”。
それに耐えながら、どれだけ”人間”としての自我を保てるというのか。
どのようにして、この局面を乗り切るというのか――。
だが……あの少女が愛する青年だ。信じたくもなる。
そして、
「………………」
麗句が思考するその間近で、同様にこの状況の打破へと思考を巡らせる者の姿があった。
”剣鬼”――シオン・李・イスルギ。
彼は、フェイスレスが新たに『鎧醒』した”死邪骸装”、我羅と血みどろの死闘を続ける”天敵種”、眩暈を催すような異能を持つ巨鎧、”機械仕掛けの覇竜”を交互に見据えながら、その表情を、眼差しを険しいものへと変えていた。
……何度も考えた。
だが、結論は変わらなかった。
出来るのか、この状況で。
出来るのか、この自分で。
(……この”手段”は、なるべく取りたくはありませんでしたが……)
何かを逡巡するような僅かな沈黙の後、彼の腕が、腰に帯びた”奇醒剣・氣雌羅”を鞘ごと手に取り、目の前に掲げるように両の手で構える。
己の迷いを断ち切るかのような、その動作はまるで何かの儀式のように流麗で、荘厳だった。
それ故に、彼の動きは麗句の思考を中断させ、彼女の目を半ば釘付けにさせる――。
「”剣鬼”……?」
「…………………………」
言葉は聞こえない。
だが、シオンの整った唇が何事かを絶えず呟いていた。
”唱えて”いた。
僅かに抜かれた白刃が帯びるのは、空間に漂う”畏敬の赤”を吸い上げた妖艶なる光。
その”赤”に映る己が容貌を見据え、シオンはその腹腔へと大きく息を吸い込む。
やがて、
「――唖ッ‼‼‼‼‼――」
「……!」
散る火花。
シオンの喉が発した、裂帛の気合いとともに、白刃は鞘へと戻され、激しい鍔鳴りが鼓膜を劈いてゆく……!
その鍔鳴りと連動するように、彼の両耳の耳飾りが振動し、揺れる。
「……”女王”」
―—何かが変わっていた。
僅かな沈黙の後、麗句へと向き直った青年は、その整った容貌に、氷塊の如き”冷徹”を纏い、そこに立っていた。
その瞳は麗句の美貌から、天へと噴き上がり、”信仰なき男”へと絶えず力を注ぎ続ける”赤い柱”へと目線を移し、その内部に囚われる少年の姿を捉える。
あらゆる”感情”を排した、その”凝視”が、麗句の背筋に得も知れぬ”悪寒”を走らせていた。
そして、
「……貴女もわかっているのでしょう? ”女王”」
「な、に……?」
何が正しいのかは。
何が最善なのかは。
青年の言葉の切っ先が、麗句の喉笛へと突き立てられ、”女王”の言葉を根こそぎ奪っていた。
青年という鞘から、”剣鬼”という本質がいま引き抜かれ――、
「私は、あの少年を――斬ります」
「……ッ!?」
”剣鬼”の若々しく怜悧な声が、最悪の解答を結実させる。
”赤い柱”の内部に囚われた”神の子”を凝視するシオンの眼差しは昏く、鋭く、澱みない”殺意”に満ちていた。
斬るべき相手を決断した剣が、希望を斬り裂き、絶望を齎す――。
抗う術は既に。
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