第16話 覇竜-”Over Lord”-
♯16
(これは……)
靴裏で隆起する大地。
得も知れぬ生物の皮膚を間近にして、麗句の肌にビリビリと”危機感”が粟立つ。
巻貝のような灰褐色の甲殻で覆われた、無数の蛸の如き口と触腕を持つ”怪物"。
視界全体を覆いつつある――否、”空間そのもの”になりつつある、その”怪物”は視るだけで精神を蝕み、漂わせる瘴気と臭気で目に映る”世界”を暗黒に染め上げていた。
麗句は即座に飛び退くと、”麗鳳石”から”畏敬の赤”の粒子を球状に展開し、己を護る障壁として運用する。
(これは、”この世に存在を許される”ものではないぞ、フェイスレス……!)
此奴は、肉眼で視認する事すら”危険”だ。
迂闊に視覚した瞬間、僅かに”石化”していた皮手袋を破棄しながら、麗句は悪態を吐き、ここで『鎧醒』するべきか思案する。
恐らくは視覚を通じて、その姿を認識した瞬間、概念的に認識者は"意味を喪失”し”石化”する。
”畏敬の赤”の障壁で、直接的な視覚を遮断した事で、何とか全身の”石化”はまのがれたが、これが本格的に”活動”を開始すれば、どれ程の”被害”がこの世を蝕むか――想像するだにおぞましい。
だが、
(お前ならば……この”難物”も退けられるか……? ”獣王”)
怯んだ様子も退く事なく、直接、この怪物――確か名は”永劫より来たる大帝”だったか――と対峙する”王”の黒の巨鎧は、一部が”石化”し、さしもの”獣王”も、”この怪物の影響下”からは逃れられぬのだと、衆目へと明確に示していた。
【フン……】
しかし、麗句にはそれが”窮地”だとは思えなかった。
いま、まさに鉄の咢が”嗤って”見せたように、巨鎧に絡み付く触腕を”黒神巨槌”で引き剥がさんと、悠然と屹立する黒の巨鎧からは、不気味なまでの”余裕”が感じられた。
”『鎧醒』をして加勢”という選択肢も、麗句の中にはあったが、少なくとも彼がそれを必要としているとは到底思えなかった。
そもそも肉体も、鎧装も大きく消耗している自分の加勢が、どれ程の意味を持つのかも疑問だった。
”力”の使いどころを見誤れない麗句にとって、”静観”の選択は大きく意味を持つ。
そして、自分がこの状況を”静観”できるだけの”力”を、”獣王”は秘めていると、麗句は半ば確信していた。
それと同時に、純粋に興味を惹かれていた。
”獣王”という存在が秘めた、その異能に――。
【”黒門核”――二門解放】
「ぬう……?」
”王”が手にする”黒神巨槌”から響いた電子音声に、”怪物”を操作するフェイスレスの指先が僅かに、ピクリと動く。
触腕を剛力で引き剥がし、踏み潰すように蹴り飛ばした”王”は先端の突起、その”二門”を展開し、先端部へと膨大な量のエネルギーを蓄積した”黒神巨槌”を構えていた。
いまにも”暴発”しそうな程に、青白く発光する砲身を。
【”機神咆哮”――発動】
「………ッ!?」
響き渡る”電子音声”が”奇蹟”を召び起こす。
暗黒を引き裂くような閃光が迸り、引き剥がした触腕の向こう側にある”本体”を直撃……! 膿のような黄色じみた体液を撒き散らしていた。
怪物の”苦悶”が地鳴りのように、灰褐色の甲殻を震わせる。
【※魏%瑚蛾蛾蛾……ッ!!?%!!!!】
だが、その一撃も”決着”という敵の心臓部へとは至らない。
身じろぎする怪物の巨躯が大地を鳴動させ、”王”の巨鎧を僅かに揺らしていた。
体表に無数に”生える”蛸の牙の如き口が、次々と咆哮を上げ、練り上げられた”畏敬の赤”――フェイスレスからの供物であるそれを、光弾として”王”へと撃ち放っていた。
怪物の触腕を直接足蹴にした影響か、脚部の鎧装が”石化”し始めている”王”に、それを避ける術はない。
だが――、
【囀るか……貴様の”鳴声”は勘に障るな……”旧き幻想”よ】
【………!】
その光弾が”王”を打ち砕く事はなかった。
怪物が撃ち放った光弾は、”王”の威光に屈したかのように、その鎧装内へと容易く”吸収"されていた。
同時に”王”の鎧装、その”石化した部分”が眩く輝き、”石化”を齎していた怪物の力は純然たるエネルギーへと変換されていた。そのエネルギーは総て、展開した”王”の胸部鎧装内部に秘匿されていた”球体”へと注ぎ込まれてゆく――。
そこから解き放たれる”秘儀”は。
【――”汝は己が咎に焼かれよ”――】
【※魏%瑚蛾蛾異異異異異……概!???】
響く電子音声とともに、”球体”が咆哮した光の渦は、灰褐色の甲殻を、襞と皺に覆われた怪物の皮膚を次々と焼き焦がし、朱々とした焔で包み込んでいた。
己を蝕む”奇蹟”や”呪い”を、総て破壊エネルギーへと変換し、焼き尽くす。
理不尽なまでの、”王”たる異能に、怪物の無数の口から呪詛と憎悪の唄が鳴り響く。
絶え間なく肥大化し、半ば”大地”と化していた焼け焦げた甲殻を踏み潰し、”石化”から解き放たれた、黒鋼の”王”は、”黒神巨塊”を長い尾のように引き摺りながら、怪物の”本体”――その”核”が収められていると思しき中心部へと、その重々しい足音を響かせていた。
だが、それを待ち受ける”信仰なき男”は、微塵も動揺を見せる事なく、”供物”である更なる”畏敬の赤”を、怪物へと注ぎ込む。
「……恐ろしい事だ、言わば”余力”と呼ぶべき異能でこの威力。同胞である事が頼もしく、対峙する事が真実、怖ろしい――」
虚無を湛えた両眼が細められ、フェイスレスの指が楽団の指揮者のように、優雅に闇を踊る。
「……だが、それは悪手であったぞ、”獣王”。卿は彼を追い詰めるどころか、”永劫より来たる大帝”の逆鱗に触れた――」
【……ヌゥ……?】
パチン、と。フェイスレスの指が不穏な音を響かせる。
――その時、”世界”が揺れた。
”王”の巨鎧が歩を踏み出すと同時に、無数の触腕が巨山のように隆起し、”王”の視界を、否――この山岳地帯全体を覆い尽くしていた。
まるで、巨大な掌に”世界”が、握り潰されるような”圧迫感”が、灰褐色の甲殻の上に立つ、それぞれの精神と五感を蝕む――。
「クッ……”剣鬼”! 蹴散らすぞ……!」
「……”止むを得ない”ようですね」
緊迫する状況に、麗句とシオンが”鎧装”を召還するべく、それぞれの”鎧醒器”へと手を伸ばす。
響と我羅は、灰褐色の甲殻の上で、おぞましいまでの”激闘”を続け、ガブリエルは”石化”を防ぐために大きな両翼で視界を塞ぎながら、響への接近を試みている。
澱み、震える大気――誰もが次の行動を迫る状況から求められ、強いられていた。
だが、
【――――――――――――――――――—―――――――――ッ‼‼‼‼】
「………!」
空気が、変わった。
鉄の咢、その内側から響き渡った”王”の咆哮に、今一度、その場に居る全員の意識が集中する。
全員の目線の先にある、黒鋼の巨鎧は、騒めき、浮足立つ”聴衆”を戒めるように、威風堂々と屹立し、黙して周囲を見回す。
【……煩いものだ、小狡い鼠に踊らされるでない……】
手にしていた”黒神巨槌”を、周囲の者どもへの"喝”を轟かせるように灰褐色の甲殻へと叩き付け、”王”は機械的な仮面、その眼部に黄金の光を満たす。
【……”天を往く者”よ……】
「……ぬぅ……?」
――”天を往く者”。
”王”が呟いた、その言葉が示す通りに、朱く染まりつつある大空から、突如として迸る”気配”に、フェイスレスの眼が、包帯に覆われた異貌が驚愕とともに天を仰いでいた。
空が、現実空間が硝子のように砕け散り、朱い空から、鋼の黒翼を羽搏かせる新たな鎧装が、主たる”獣王”、標的たるフェイスレスの居る地上へと急降下を開始する。
【※魏%瑚蛾蛾異蛾異蛾異蛾異蛾異……ッ‼‼‼‼】
無数の触腕が、古の巨鳥を思わせる形状を持つ、黒の鎧装を絡め取らんと蠢き、自らの巨躯で埋め尽くした大地をさらに鳴動させる。
だが、触腕の群れは、螺旋を描くように大空を舞う黒翼によって無残に斬り裂かれ、膿のような穢れた体液を撒き散らしていた。
同時に”天を往く者”の背部、その鎧装が展開・変形し、現出した”砲塔”――”双頭電磁殺獣砲”から閃光が迸り、その残骸を焼き払い、”浄化”する――。
そして、
【……”地を穿つ者”よ……】
「な……っ!?」
轟音が、それぞれの驚愕を飲み込む。
巨山の根幹たる岩盤を、大地を覆う灰褐色の甲殻を突き破り、出現した更なる鎧装。
言うなれば、それは”戦車”であった。
車輪と鎧装で構成された両脚を覆うキャタピラが砂利と甲殻の破片を巻き合げ、肩部から腕のように設えられた巨大な四つの旋回錐が、こびり付いた黄色の体液を旋回とともに振り飛ばす。
それは展開した胸部鎧装から乱舞するミサイルの群れで、殺到する触腕や、怪物の巨躯を吹き飛ばし、”蹂躙”していた。
同時に”天を往く者”が黒翼を羽搏かせ、主である”獣王”の傍らへと降下し、”地を穿つ者”も旋回錐とキャタピラ、爆撃によって強引に道を切り拓き、主の元へと馳せ参じる。
二つの鎧装の働きによって示されたもの。それは、触腕や甲殻を喪失し、剥き出しとなった怪物の”核”への道筋である――。
【――”黒門核”、六門解放】
【……終いだ、旧き”幻想”よ……】
”黒神巨槌”を構成する六つ突起――”黒門核”が総じて展開し、眩く蒼く、冷え冷えとした電光がその中央部へと、一つの”光球”を顕現させる。
【”封砕零獄”――発動】
「………ッッッ!!!?」
その”奇蹟”には、断末魔すら赦されなかった。
”光球”の着弾とともに、怪物の中心部で解放された”絶対零度”が、無数の蛸の牙の如き口を、襞と皺に覆われた巨躯を、灰褐色の甲殻を、一瞬で氷塊とし、大地を覆い尽くしていたその存在を、凍土へと変貌させていた。
巨鎧の脚部がその凍土を踏み締め、その巨腕が得物である”黒神巨槌”を持ち上げる――。
そして、
【……去ね】
決着。
轟音とともに叩き付けられた”黒神巨槌”によって、凍土は轟然と砕け散り、微細な氷の粒子となって、朱に支配された闇夜の中へと掻き消えていく。
宝石のように煌めく粒子の中に、威風堂々と立つ、黒鋼の巨鎧は勝鬨を上げるでもなく、吠えるでもなく、ただ当然の事を成したとでもいうように、黙して闇の中に掻き消えていく粒子を眺めていた。
圧倒的な”力”に、場の争乱と言葉が一挙に奪われ、静寂が戦場へと訪れる――。
氷の粒子の中に立つ”王”は、機械的な仮面、その鉄の咢から重々しい息を吐き出す。
【……”実在の貴様”であれば、我が身を阻む事も、脅かす事もあったのやもしれぬ……だが】
討ち果たした”幻想”に対し、手向けのように”王”は言葉を紡ぎ、その黄金の眼部を不遜に立つ”信仰なき男”へと向ける。
【……痴れ者が戯れに遊興ぶ”幻想”では、”我等の闘争の歴史”の集積たるこの”現実”を覆す事は出来ぬ。なぁ……】
”小さき者よ”。
周囲を見渡すようにして告げられたその言葉は、その場にいる者だけでなく、もっと大きな括りに対して、贈られたもののように感じられた。
(”闘争の歴史”の集積……)
その言葉に、麗句は”お前達の真似事をしてやろう”という”王”の発言を思い出す。
あの”お前達”とはどのような括りに対して贈られたものだったのか。
同胞である”畏敬の赤”の適正者達に対してか、あるいは――、
「フン……”地球で滅びた超技術”の再現。人類の業までも背負って立つという訳か。まさにその在り様は”王”。その器は身震いする程に底が見えぬ――」
【……戯言はそこまでだ、”壊す者”よ……】
フェイスレスの言葉を遮るように、”獣王”は黒の巨鎧を”信仰なき男”へと踏み出させ、下部である鎧装達へとその巨腕を掲げる。
【――”鎧醒連結”――】
「………!」
顕現する”奇蹟”に、その”現実”に、総ての視線が、意識が注がれる。
”王”の言霊の発声とともに、浮き上がった黒の巨鎧へと、部位ごとに分離された”地を穿つ者”の鎧装が接続・融合されていく。
その”合体”によって両腕と両脚はより”獣性を帯びた”巨大な鎧装へと連結・変貌し、背部に連結した”天を往く者”の黒翼と”双頭電磁殺獣砲”がその巨躯をより禍々しく雄々しく飾り立てていた。
そして、内部に”畏敬の赤”を満たした臓腑や血管を密集させた、蛇腹状の鎧装が、”王”の機械的な仮面に接続され、その頭頂部で折りたたまれたていた鋭角な多角形のプレートが、パズルを完成させるように、”王”の鎧装、その真なる異貌を完成させる。
同時に、”天を往く者”に接続された”黒神巨槌”は、”王”の巨大にして凶暴な尾のように轟音を立てて大地へと叩き付けられる――。
【自律制御システム――”機龍《MG》”起動 SIN・GIGANTIS 連結完了】
言うなれば、それは機械仕掛けの龍。
”畏敬の赤”を漂わせる、黒鋼の覇竜の異貌が其処に在った。
(これが……”獣王”の真なる『鎧醒』態――)
”生物としての神”が纏う”闘争の歴史の集積”が、”信仰なき男”の前に立ち、噛み砕かんとその咢を軋ませる。
息を呑む麗句は予感する。
”王”のこの”力”が更なる扉を開く。
世界そのものを揺るがす事態が、ここからまだ始まると――。
NEXT⇒第17話 小路―”botom”-