第15話 覇竜-”Gigantis”-
♯15
※※※
その咆哮に天は慟哭し、その足音は恐怖を響かせる。
――2054年。
”彼”は、人類の前に姿を現した。
黒々としたケロイド状の皮膚に覆われ、阿修羅の如き形相を浮かべた百数十メートルの巨躯が、人類が”無機物で固め塗り潰した”灰色の大地を踏み砕いた瞬間、人類は自らがこの惑星の盟主ではない事を知った。
人類の英知が生み出した、”原水爆”という罪色の果実。
それによって、楔より解き放たれた、”彼”……その怪奇なる巨獣は、東洋の島国に上陸。
初めてその存在を人類に確認された。
”彼”は、最初の目撃地点となった島に伝わる伝説にちなみ、” ”(※)と呼称され、畏れられた。
(※この名は人類史から削除され、現存していない。断片的な伝承が残るのみである)
”神”を意味する言葉を自らの名に冠する、その怪奇なる巨獣は自らを焼いた”人類の業”への怒りを示すように、高層ビルと呼ばれる灰色の大樹が乱立する都市部を蹂躙。
その咢から解き放たれた焔で、虚飾の繁栄を焼き尽くした。
――その後、百年。一世紀にも渡る人類と”彼”との闘争の歴史はそこから始まった。
人類はその歴史の中、最も恐れ憎み崇めた”彼”の事をこうも呼んだ。
”彼”こそが、”あの日”を境に世界各地で出現し猛威を振るう、”人類の持つ常識とそれまでの生物学ではとても計れぬ”怪奇なる巨獣どもの”王”――。
”怪獣王”であると。
※※※
「ハーハッハッ! すげえ……すげえぜ、”獣王”のおっさん!」
興奮にザラついた声音が、機械的な仮面越しに我羅の口舌から零れ落ちる。
彼の身を覆う特攻服に繋がれた鎖と、黒の鎧装がジャラリと音を立て、辮髪のように鉄兜から伸びる、蠍の尾の如き蛇腹状の武装は、はしゃぐように蠢いていた。
彼の昂ぶりを、示すように。
そして、
(このような……事が……)
”その様”を目撃した麗句も、戦慄と感嘆を、その美貌の上に浮かべていた。
度を越した”奇蹟”と”力”が、麗句の背筋に怖気を走らせる。
目まぐるしく変わる”戦況”と”状況”の注視は、それを追いかけるだけで体力と精神を著しく消耗する、”持久戦”の様相を呈し始めていた。
(あれが……”獣王”の『鎧醒』態、か……?)
”獣王”が常に『鎧醒』状態にあり、晩餐に招かれた際に目撃したように、”獣繭宮”に”謎の生物”を封印する程の”余力”を秘めている事は認識していた。
だが、それにしてもこれは――、
「成程……な」
これは、”異常”だ。
顔面を覆う包帯の下で、フェイスレスの口舌が不穏な音色を奏で、舌舐めずる。
”合点がいった”とでも言うように、”汚泥の中に片膝を落とした”フェイスレスは嗤い、己が左腕――その”損傷箇所”を撫でていた。
”ただの一撃で”消し飛ばされたその箇所を。
「これが、卿の……揺るがぬ”王”の”格”という訳だ」
ユラリと立ち上がったフェイスレスの声には、微かな”焦燥"があった。
――信じ難い”醜態”と言えた。
フェイスレスの虚無を湛えた両眼がいま、凝視するのは、己が負った予期せぬ”損傷”。
”傲慢”が”奇蹟”に綻びを呼んだのであろうか――”創世石”の”加護”を得ながら、フェイスレスの左腕は、その肘から先を一瞬で喪失していた。
そして、
【……………】
ズン……!と。
尋常ならざる重量を誇る巨鎧が大地を踏み砕き、完全なる『鎧醒』を果たした”王”の異貌を一同の前へと晒す。
それはまさに、視覚に叩き付けられる”暴力”だった。
黒と紅の”神幻金属”によって編まれた黒の巨鎧は、”獣王”の全身を余さず覆い、尋常ではない濃度の”畏敬の赤”の粒子をその全身から撒き散らしていた。
円盤状の肩部鎧装が重々しい金属音を鳴らし、機械的な仮面が、眼部に黄金の光を灯す。
巨腕が掲げる、巨大に過ぎる機械的な”得物”は、”力”を解放した”獣王”の背鰭に似た六つの突起――”黒門核”を持ち、”ただの一振り”でフェイスレスの左腕を”損壊”させていた。
”黒神巨槌”。
そのような名称を持つ得物は、”畏敬の赤”混じりの青白い光でその機械的な巨槌を覆い、排熱のため、展開した空隙から吼えるように蒸気を噴き出す――。
【……腕を吹き飛ばす”幸運”がどうのと言っていたな、”壊す者”よ……】
相手を噛み砕くかのような”畏ろしい”音声だった。
機械的な仮面が、嘲るように、明瞭な人語で告げる。
【ならば、その様……実に”不幸”だ】
「フン……」
”黒神巨槌”を鼻先に突き付けられながらも、フェイスレスの顔面を覆う包帯の下で愉し気な嗤い声が零れる――。
呪詛の塊の如き泥とともに、事もなく左腕を復元し、黒衣のマントを翻す”信仰なき男”の態度は僅かに焦燥を滲ませながらも、いまだ、”不遜の極み”であった。
まるで児戯に興じるような”無垢”すら、その両眼の”虚無”には漂っている。
「よもや卿が”意趣返し”とはな……。それも『鎧醒』によって”揮獣石”に与えられた”知性”が前面に出た影響か……? ”王”よ」
【…………】
”信仰なき男”の言葉に、”王”は顔面を覆う機械的な仮面、その口顎を僅かに揺らした。
――嗤った、のかもしれない。
【……言ったはずだ、”お前達の真似事”をしてやる、と……】
「……!?」
防御する暇すらなかった。
剛撃一閃……!
加えられた”衝撃”に、フェイスレスの視界は瞬く間に、”旋回”していた。
予備動作すら感知させぬ速度で躍動した、”黒神巨槌”が、フェイスレスが足場にしていた岩盤ごと、彼の華奢な身体を”叩き潰して”いた。
「なっ……」
一同がそれに息を呑んだ瞬間、”王”の左腕部鎧装が回転し、鋼の五指、その先端に”錐状の弾丸”を装填する……!
何が起きるかは誰もが想定できた。これは――”不味い”。
【砕け散るまで……足掻いてみせよ】
”標的”を定めた五指が火を噴く……!
そこからは、轟音と爆砕された岩塵の饗宴だった。
自らが弾き飛ばし、叩き潰したフェイスレスへと向け、一斉に発射された”回転高振動ミサイル”は、左腕部鎧装の回転とともに次々と装填され、連続発射されていく。
着弾とともに、大地が内部から破裂したかのような粉塵と爆炎が噴き上がり、巻き上げられた土砂が周囲の者達へ散弾のように降り注ぐ――。
誰もが”決着”を疑った。
それ程までに容赦のない追撃だった。
舞い上がる粉塵で、飛び散ったであろうフェイスレスの五体――いや、肉片すら視認する事が出来ない。
これでも生きているというのなら、本当に――、
そして、
(……いま、か……?)
群青色の鎧装がもたらす”暴食”の衝動と、己が肉を”捕食”される激痛を噛み殺しながら、響はこの状況下で、群青色の鎧装を何処へ向かわせるべきか、独り思案していた。
幸いというべきか、『鎧醒』を完了した”獣王”がもたらした衝撃は大きく、この場にある全ての「目」を釘付けにしてくれている。
いまならば、”赤い柱”とされている”神の子”へと接近する事も出来るかもしれない――。
そして、己の”天敵種”としての特性を利用すれば、あの”赤い柱”の中から弟を救う事も出来るかもしれない。
己の命の燃やしどころがあるとするならば、そこだ。
響は己が精神を研ぎ澄まし、鎧の制御へと全霊を傾ける。
だが、
「ヴゥオイィィッ!」
「――ッ!?」
響が”骸鬼・悪喰”の異貌を、”赤い柱”へと向けたその瞬間、”暴力そのもの”と呼べる凶暴な蹴撃が、咄嗟に身を躱した群青色の仮面を僅かに削り取っていた。
掠っただけで脳を揺らし、鎧装を抉り取るその一撃は、直撃すれば”首を刈り取る”程度の芸当は、容易いものであった。
響の背筋を改めて凍らせたその凶漢は、機械的な仮面の下で、発達した犬歯を見せつけるようにして嗤っていた。
「余所見か? 余所見かお前!? 駄目だぜぇ、俺とお前は”決闘”の真っ最中なんだからよぉ……」
「貴様……」
我羅・SS。
”死と戯れる毒蠍”の黒き鎧装を纏うその男は、片膝を落とした標的を愉し気に見下ろし、己の鎧装と鎧装を繋ぐ鉄鎖をジャラリ、と不穏に鳴らしていた。
そうだ。
”王”の異様と力に興味を示しながらも、この男は本命たる響から目を離してなどいなかった。
「例えるなら……”ベッドの上で互いに裸になってんのに、違う相手の事を考える”ような最低ぶりだぜ、お前――」
まぁ”罪人”が言えた義理じゃねぇが……。
我羅はそう告げて、乾いた嗤いを響かせる。
響の聴覚は、それを自らを威嚇する咆哮のように捉えた。
そして、
(響さん……何で……)
響を見守るガブリエルは、その状況に、一つの疑問に、思考を占拠されていた。
”解決できる”はずだ。
響のその窮地はすぐに”解決できる”はずだった。
自分が言った、”あの方法”を使えば――、
(何で……私が伝えた通りにしてくれないんですか……)
「おうらあああああああああああああああああああああっ!」
「グッ――!?」
粉塵巻き上げ、飛翔した我羅の膝蹴りが、響の群青色の鎧装を軋ませ、”骸鬼・悪喰”の異貌を、ガブリエルの眼前まで弾き飛ばしていた。
同時に、額の球状の精神感応物質――”制御霊鋼”が輝き、視認した”餌”に騒めく、群青色の鎧装を制御・抑制する。
我羅との”戦闘”の開始とともに、”壊音”は自らを増強するべく、”餌”を、”捕食対象”を求め、絶えず荒ぶっていた。
その制御の負荷は、響の精神と体力を蝕み、著しく消耗させる――。
いまやガブリエルへの接近は、響にとって"禁忌”となりつつあった。
だが、
「響さん……! 何で……!」
”何で私が伝えた方法を、使ってくれないんです!?”
だからこそ、
だからこそ、響が”それをしない”事が理解できず、ガブリエルは叫んでいた。
あの手段をとってくれれば、その選択肢を選んでくれれば、こんな窮地など、簡単に脱する事が出来る――。”あの時の”アルファノヴァのように、きっと。
必死だった。”それ”を成させる事が、この状況においての、彼女自身の”闘い”だった。
そして、
「……君の、名は」
「……!」
その彼女へと、呻くような微かな声が、群青色の仮面から零れていた。
そう言えば、混沌とした状況に流されるままで、名乗る余裕すらなかった。
気持を伝え、伝えてもらうには確かに必要な事だ。
「ガブリエル……ガブリエルです」
「……ガブリエル」
告げられた言葉を、響の口舌が口の中で反芻する。
良い名だと思った。
その言葉の意味はわからないが、彼女の無垢と清廉さを良く表しているように思えた。
だが、だからこそ、
我羅の次なる攻撃への迎撃を、全身の鎧装と筋肉に命じながら、響は、ガブリエルへと己が意志を伝える。
あえて、”突き放す”ように。
「ガブリエル――”二度と言うな”」
「……っ!」
明確な”拒絶”がそこにあった。
その”選択肢”を選ぶわけにはいかなかった。
”俺が俺である限り”は。
躊躇いすらなく、響は決断し、我羅との”決闘”へとその意識を集中させる。
そうだ。
まずは、この凶漢を排除しない限り、何も成し遂げられない――。
この障害を排除しない限り、弟を、彼女を救い出す事など出来はしないのだ。
群青色の鎧装に、狂気じみた”食欲”が満ち、はち切れんばかりの”破壊衝動”が響の脳内で爆ぜる。
意識を、完全に”戦闘”へと傾けた、群青色の悪魔の猛威が――、
(……”異端”に、”神の名を冠する”最大の強敵。”救済”への道は、やはり艱難に満ちた、”茨の”道か……)
「……!?」
――猛威が弾け、響が我羅へと挑みかかると同時に、粉塵の中から、虚無に満ちた音声が響いた。
砕け散り、塵と化した”五体”が再び”輪郭”を描き、”信仰なき男”の、不遜にして不穏な”謀略”を、その肉体の復元とともに、”朱”を浸した闇の中に浮かび上がらせる――。
「”王”には”王”――幻想の極致、”旧き支配者”をぶつけるとしよう……」
【……ヌゥ……ッ!?】
”幻想召還”。
足元に顕れた”海面”から、這い出した巨大な触腕が、”獣王”の鎧装に絡み付き、襞と鱗と皺に覆われたおぞましい巨躯が、それぞれの足場を浸食するようにして、”現実”へと隆起する……!
麗句とシオンの靴裏にもその”感触”は伝わり、場に漂う”瘴気”に、それぞれの”醒石”が主へとその”危険性”を訴えかける――。
そうだ。
この”召還”は、”獣王”を標的としているが、その”危害”がそれにとどまらず、ここに居る全てのものへと及ぶ事は想像に難くない。
さらに言えば、それは”世界”にまで――、
「”永劫より来たる大帝”……。卿の"真似事”がどこまで通じるか、試してみるがいい――」
フェイスレスの虚無を湛えた両眼が輝き、その五指が奏でる圧倒的な”幻想”と”奇蹟”が、”獣王”の黒の鎧装をギシギシと軋ませる。
誰もが、”王”の危機を認識していた。
だが、機械的な仮面の眼部は黄金の光を灯し、その口顎は”また”僅かに動いていた。
”王”は――その時、確かに”嗤って”いた。
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