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アームド・ブラッド―畏敬の赤―  作者: chiyo
第五章 破戒/再醒―Escalation―
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第12話 降魔―”Rumble”― 

♯12


※※※


 パキリ、と。


 地面を踏みしめた靴裏から、骨が砕けるような感触が伝った。


 焼け焦げた土の匂いが鼻をつき、血臭が肌を粟立てる。


 ”組織”が蹂躙した廃墟の中。


 麗句=メイリンは不意に、倒壊しかかった家屋の前で立ち止まる。


 申し訳程度に形を成していた扉を押し、内部へ入ると、破損した天井から差し込む月明りが、内部の惨憺たる情景を浮かび上がらせる。


(教会、か……)


 祭壇と天井近くに飾られた十字架を確認し、麗句は呟く。


 先程まで行われていた”奪還戦”の壮絶さを示すように、人々が腰掛け、祈りを捧げていたと思しき椅子は大半が黒く炭化し、原型を留めてはいなかった。


 ここに逃げ込んだ人々のものと思しき、血痕も多く残されていた。


 己の”罪”を認識しながら、麗句は高く掲げられた十字架を睨む――。


「”神”はやはり、何の救いにも――」

「されど、お前もここに”救い”を求めたか、”女王クイーン”――」


 ”……!”


 予期せず届いた、抑揚のない、”打字タイピングされたが如き”声音に、麗句の美貌に驚きが閃く。


 そこに居たのは、”信仰なき男フェイスレス”。


 ”同胞”の中で、この場所が、最も”似つかわしくない”男である。

  

「……妙な場所で会うものだな。例によってこの場所で、”この二人”か――」

「…………」


 麗句の言葉に、フェイスレスは応えず、その虚無を湛えた両眼で、麗句と同じ様に掲げられた十字架を眺めていた。


 奇妙な光景だった。


 ”神なき世界で神である為に”。


 元来そう語り、”神殺し”を謳う組織に君臨する男とは思えぬ有様であった。


 仰々しい両肩の装束とマントを除装はずしているからか、その体躯も一回り小さく感じられる――。


 疲労に肩を落とすようにして、崩れかけの椅子に腰を下ろす彼の姿が、あの不遜な男と同一であるとは、にわかには信じ難かった。


 その様はまるで――”受難"に疲れ果てた”聖人”の御姿すがたではないか。


 己を縛り痛めるように、いばらの如き”スパイク”の意匠に覆われた黒衣のせいだろうか。麗句の脳裏にそのような印象が過ぎる――。


「……確かに私の中の”小娘”はいまだに、このような場所に”救い”を求めているのかもしれんな。女々しい事だ」


 不思議だ、と麗句は思った。


 迂闊うかつにも、”聖人”の御姿すがたと重ねてしまったせいだろうか。


 麗句の唇から容易く”弱音”が漏れていた。


 本来であれば、最も心底を覗かせたくない、油断ならぬ相手に対し、僅かながら心の戸が開きかけているようだ。


 ”妙な術でも使われたか――”


 自嘲気味な呟きが、麗句の喉元で飲み込まれる。


「”救い”を求めぬ人間ものなどいない。求め、泣きわめくか。目を逸らし、フタをするか。その違いでしかない――」


 相変わらず抑揚のない、喉が文字を打つような声音が、言葉を繋いでゆく。


 ただ、その残響には、枯れ果てた"感情”のようなものが感じられた。


 底無しの”虚無”の中に、僅かな”感情”が揺らめいているように思えたのだ。


 そして、


「だが、”アレ”は果たしてどうであろうな――」

「……!」


 そう告げて、フェイスレスの五指が指示したのは、掲げられた十字架。


 いや、正確にはそこにはりつけにされた人物であった。

 

 そう認識した時、”それ”から目をらすように、麗句の瞳が僅かにくらく、伏せられる。


 それは、現在の彼女が”直視する価値”を持たず、同時に、彼女自身が”直視される資格”を持たぬものだった。 


 複雑に過ぎる感情が、麗句の胸を掻き乱す――。


「……すまない。今の私は、それを語る言葉を持っていない」


 艶やかな唇から零れた言葉に、取り繕う妖艶さは皆無だった。


 発している麗句自身が、それが自身の、内なる”魔女”の言葉であるのか、内なる”小娘”の言葉なのか、理解できていない。


 あの”悲劇”を起点に分断された、”彼女自身”と”かつての信仰”は、いまだ融け合わずに、彼女の内側で複雑に絡み合い、”麗句=メイリン”という器を形作っている。


 無意識に、この場所に足を踏み入れてしまった事も、その証明と言える。


 そのような、堕ちる事も、棄てる事も出来ぬ者に、”それ”を語る事など――、


 だが、


「……だからこそだ、”女王クイーン”。そんなお前の言葉が、私は”聞きたい”のだ」


 その男は――"信仰なき男”は問い、求める。


 虚無を湛え、瑪瑙めのうのように濁った目が、わらべのような無垢な眼差しで麗句を捉え、応えを待ち望んでいた。


 しかし、麗句の唇は重く、”応え”をすぐに紡ぎ出す事は出来なかった。


 己の軌跡を、これまでの後悔を、とがを指折り数えるような、長い沈黙の後。


 十字架から注ぐ聖者の視線から逃れるように立ち位置を変え、麗句はようやく唇を開く。


「……そうだな。この世全ての咎を背負い、死に逝く方の心底がどのようなものであったのか。知りたいという気持ちも、いまの私の内側には確かに潜んでいる」


 それは”小娘”であった、あの頃には抱かぬ想いであったかもしれない。


 あの頃は、聖者の御心を、御言葉を疑ってなどいなかった。


 だが、”聖処女”とまつり上げられ、”魔女”に堕ちたいまは違う――。


 その心底にどのような想いが渦巻いていたのか、”知りたい”、と彼女は感じていた。


「……しかし、”救い主”の御心がどのようなものであったのか、察する術はない。だが――その心が、現実には”救い”を求めていたとするならば、その挙句、”救われなかった”とするならば、これ程、残酷な事もあるまいな」


 この時代の、惑星の現状を見れば、その”磔刑”での死が報われたとは言い難いのではないか。


 まして、それが行われた”地球”はとうの昔に滅びているのだ。


 全てのとがを背負い、召された”価値”も喪失したと言えるのかもしれない。


 伏せられていた麗句の瞳が、その視界の端に十字架を捉える――。

 

「……ならば、その”死”を無駄にせず、真なる”救い”をもたらす事が、世界にあるべき”秩序”を正しい形へと導く事が、我等の成すべき事ではないか? この時代、この惑星では語る価値を失くした”教え”ではあるが、全てが間違いだったとは思わない。そして、”神”がこの世になく、”救い”の御手は人の祈りに届かないのだとしたら、所詮しょせん、人間は人間が救わねばならない――」


 ”教え”を届け、共有した家族は、仲間は全て喪ってしまった。


 だが、彼等が”救い”だと言ってくれた”教え”も、彼等の”死”も無駄にはしたくはなかった。出来なかった。


 だから、”魔女”として自分は歩み続けるのだ。


 二度とあのような景色を生まぬ”世界”を創り出す為に。


「それを成し遂げる事が、私の考える、その方への”救い”だ――」


 答えになっているかはわからんがな……。


 そう付け加えて、麗句は唇を結んだ。


 話し過ぎた、そんな感覚もあった。


 何故、ここまで話したのか――己を見る”信仰なき男”の包帯に覆われた異貌かおを見据えながら、麗句は思考する。


 この男の問いに、わずかではあるが”すがりつく"ような気配を感じたからだろうか。


 理解わからない。


 そして、


「――良く理解わかった。麗句=メイリン」


 伸ばされた五指が傍らに置かれていた自らの装束を掴み、”打字されたが如き”声音が告げる。

 

「その成果が、このラ=ヒルカでの”虐殺”ならば、いよいよもって救われんな、人間は――」

「……!」


 その一言を持って、男は立ち上がり、仰々しい両肩の装束とマントを再び纏う。


 疲れ果てたような、弱々しい印象は既にない。


(確かに、な……)


 ――返す言葉もなかった。


 ”創世石”を手に入れる、組織の言い方を真似れば、”奪還”するための戦闘。


 麗句自身も、”ラ=ヒルカ”が”物質としての神”を預かり得ぬ、護り得ぬ土地と認定して戦いに臨んだ。


 しかし、結果として、この土地で生きていた人々の生命を多く奪ったのだ。


 それは正しく、彼女が根絶しようとする”悲劇”そのものではなかったか――。


 その矛盾が、この場所へと麗句の足を運ばせた。


 ……運んでしまったのだ。


「……案ずるな、”女王クイーン”。”そこの男”も、お前も、すぐに救われる」

「何……?」


 不遜さを取り戻した男の、不遜な言葉に、葛藤に曇る麗句の表情に、怪訝な色が浮かぶ。


 そして――、


「もはや祈りも懺悔も、捧げる必要はない――」

「……!」


 驚愕が、鈍い金属音とともに、麗句の胸へと突き刺さる――。


 ”天”へとかざした五指が、握り締められると同時に、掲げられていた十字架は、そこにはりつけにされた人物の偶像ごと、粉々に砕け散っていた。


 自らの足元に転がり落ちたその破片を、さらに踏み砕くと、”信仰なき男”はマントをひるがえし、この教会の”形だけの”出口へと、足を向ける。


 高濃度の”畏敬の赤アームド・ブラッド”の粒子を纏い、もはや”畏敬”しか感じさせぬ、その”おそるべき男”は、両眼の”虚無”をさらに深め、立ち尽くす麗句の脇を、ゆっくりとすり抜けていく。


 去りゆくその背に麗句が抱く感情は、上手く言葉に出来ぬ、複雑なものだった。


 ただ、一つだけ確かな記憶がある。


 その時、麗句は確かに――”悲しかった”。


※※※


「なっ……」


 驚きに言葉を奪われるのは、この日、何度目だろうか。


 そこには、磔刑に処された”神”の姿があった。


 大樹の如き巨腕を、足を、”槍”のようなものが貫き、大地へと縫い付けていた。


 特に、脳幹と思しき位置を深々と串刺しにした一本は、ケロイド状の皮膚をめくるように貫き、大量の血液を地面へと滴らせていた。


それは、”絶命”を予感させるもの。


 ”生物としての神”の落日を直感させるものであった。


「”獣王キング”……」


 磔刑に動きを止めた同胞に、麗句の震えた声音が重なる。


 何が起きたのか――麗句達の”異能”を持ってしても、把握する事が出来ない。


 一瞬で”ああなって”いた。


 ”獣王キング”が優勢に戦闘を進めているように見えた。


 いや、事実、そうだった。


 それが一瞬で――。

 

「”堕骸の骨槍ルシファーズ・フレーム”……。純粋な戦闘でこれを使わせたのは、けいが初めてだぞ、”獣王キング”――」

「……!」


 そして、まるで”些末事”のように告げ、黒衣の砂埃を悠然と払うのは、フェイスレス。


 ――”信仰なき男”である。


 あの日、問答を交わした男は、全身からその高濃度さ故に、液状化した”畏敬の赤”をしたたらせながら、動かぬ”獣王キング”の頸部を撫でて見せる。


「”神の子アル・ホワイト”を介して、”創世石”の"加護"を受ける以前であれば、こう容易たやすくはいかなかったであろうな……」

(”加護”……)


 その言葉を口内で繰り返し、麗句は”惨状”を再度、見据える。


 ”堕骸の骨槍ルシファーズ・フレーム”――そう呼ばれた、人間の脊髄に似た形状を持つ”槍”は、微細に発光し、”獣王キング”の体内から何かを”吸い上げて”いるように見えた。


 それが更なる状況の悪化を呼ぶことは、想像に難くない――。


「おのれ……っ!」


 ”剣鬼ブレーダー”――シオンの若い感情が、鞘から刃を引き抜き、”獣王キング”の肉を貫く”堕骸の骨槍ルシファーズ・フレーム”へとその剣閃を浴びせる。


 だが、それは手応えなく”槍”をすり抜け、虚しく空を切っていた。


「―――っ!」


 ”やはり、か……”


 ”確信”とともに、”二撃目”を踏みとどまった軍靴が、砂利を跳ね上げる――。


 苛立ちの鍔鳴りとともに、剣は鞘へと戻され、シオンの眉間からは一筋の汗が伝っていた。


 恐らく、この”槍”は、”世界線移動ワールド・イズ・マイン”――そのフェイスレスの力によって、この”世界線”に投影されているが、この”世界線”にはないものである。


 そうだ。


 ”別世界から攻撃された”のであれば、例え”獣王キング”といえでも、”避ける”術は――、


 そう思い到った同胞を、”信仰なき男”の虚無に満ちた両眼が捉える。


「そう、無駄だ、”剣鬼ブレーダー”。ソレに触れられるのは、ソレと直接接触している”獣王キング”のみ。けいの剣も幻を断つ事は叶わぬ――」

「……そのようですね」


 憮然と応え、シオンは”赤い柱”となって、天へと”畏敬の赤”を注ぎ続ける”神の子アル・ホワイト”へとその目線を映す。


 フェイスレスのあの出鱈目でたらめな”力”の源が、この”神の子”である事は間違いない。


 彼は、これを手に入れる為に暗躍を続けてきた。


 同胞と呼んだ”軍医ドクトル”の命をも、躊躇ためらいなく犠牲として――。


 ならば。


 で、あるならば。


「ほう……恐ろしい男だな、シオン・リー・イスルギ。考えているな? ”斬れぬ”私を”斬る”手段を――」

「………」


 見透かしたような、フェイスレスの言葉に、シオンはその思考を絶えず深め、もう一つの”脅威”へと、その目線を僅かにずらす。


 ”信仰なき男”に、文字通り、”蚊でも払うように”退しりぞけられ、重い損傷ダメージうずくまる、その”天敵種”は、いまだ動けずにいるようだった。


 これは、シオンの考える”手段”が”正解”であるならば、僥倖ぎょうこうであると言える。


 ――それが、”正解”であるならば。


「きょ、響さん……! 大丈夫ですか!?」

「く……あ……」


 内臓は幾つか破裂し、折れた骨が何本か肺に突き刺さっている。


 ”大丈夫か?”と問われれば、笑える程、最悪の状態と言える。


 血溜まりの中で喘ぎながら、響はその”最悪の状態”を裏返す”手札”を切るべく、体内に蠢く”壊音”へと意識を集中する。


「響……さん?」


 己を心配する幼竜ガブリエルの声が優しく耳朶を撫でる。


 すぐに応えてやりたいが、肺や呼吸器官にまで及ぶ損傷ダメージは、それを許してはくれなかった。


(いけ……るか……?)


 ――ドクン、と。


 ”何か”が切り替わる感覚があった。


 まだ、”成功”かどうかはわからない。


 だが、それにより、僅かに可能となった発声で、響は自らに寄り添うガブリエルへと言葉を送る。


「アンタ……悪いが、頼みがある」

「は、はい……!」


 瀕死の容態に思える響の声を聴くために、ガブリエルはその身をより響へと近付ける。


 ”天敵種”である己に対してのその”献身”に、響は彼女の健やかな心根をる――。


「しばらく……俺の”目”になってくれ。”まだ”良く見えないんだ……」

「え……?」


 響は大量に失血している。


 そのせいだと、ガブリエルは思った。


 だが、”まだ”とは……?


「何が起きているか、誰がどの方向から来るかだけ伝えてくれればいい。後は、”慣れ”でどうにかする……」

「”慣れ”……? 響さん、いったい何を――」


 カッ――、と。


 ガブリエルが疑問を抱き、問いかけたその瞬間、蒼い光が視界の端で弾けた。


「………!」


 誰もが驚愕とともに、その光の”源”を見ていた。


 いや――”見惚みとれていた”と言ったほうが正確かもしれない。


 信じ難く、受け入れ難い。


 だが、ただ平伏し、認めざるを得ないような、圧倒的な”現実”がそこにはあった。


「ほう……”死”をも超越するか、同胞ともよ」

【…………】


 革手袋で太い弦を擦ったかのような”声”が響く。


 ”同胞”達は知っている。


 それが、”王”の声であると。


「”獣王キング”……」


 誰もが畏敬とともにその名を口にする。


 ”業煉衆”の長であり、”揮獣石”の適正者である、その”畏るべき者”は、磔刑の状態から平然と目を覚まし、己の脳幹を串刺しとする”堕骸の骨槍ルシファーズ・フレーム”を、その巨大な掌で鷲掴みとしていた。


 同時に、彼の巨腕を、足を貫いていた”堕骸の骨槍ルシファーズ・フレーム”は、蒼い火に包まれ、かれ、朽ち果てる。


 ”王”の胎内に燃ゆる業火は、”信仰なき男”がもたらした”奇蹟”さえ容易く塵芥へと還す――。


【これが”死”なら……お前に訪れるものはより無残で、呪わしき終焉ものとなるぞ。”壊す者”よ――」


 ”堕骸の骨槍ルシファーズ・フレーム”を引き抜き、折り砕くと、”獣王キング”は明瞭な人語でそう告げる。


 明らかに人間の、従来の生物の範疇にはない、その異貌すがたで――。


「あの位置を貫かれて脳に損傷がない訳がない……。”王”といえども生物なら殺せるはずだと考えていましたが――それも怪しくなりましたね」

「生物は生物でも、ヤツは我々の常識を遥かに超えた生物だ。我々の算盤そろばんなど、何の役にも立たんさ――」


 シオンの言葉に応えて、麗句は不意に、ラ=ヒルカでのフェイスレスとの問答を脳裏に過ぎらせる。


 ”救いを求めぬものなどいない”


 そうフェイスレスは言った。


 だが、目の前の”王”はどうだろうか――。


 彼の者が要する”救い”など――、


「ハッ……! あっちは中々盛り上がってるじゃねーか。なぁ、”天敵種”――」


 !?


 そして、あまりの情景に意識を奪われていたガブリエルと、響の耳に”毒蠍スコルピオ”……我羅ガラSSダブルエスの乾いた声音が届く。


 奇妙だった。


 あれ程の”異常”が、”状況”が、起きているにも関わらず、彼はただ一点を見ている。


 血溜まりの中で蹲る青年――響を。


「しかし、お前はひでぇ有様だな。……何で生きてんだ? お前」


 いや、ガブリエルは気付いている。


 ――”王”とフェイスレスが対峙した直後から、彼はずっと響だけを見ていた。

 

 舌舐めずりするような、獲物を睨む蛇のような眼差しで、彼はずっと響だけを見ていたのだ。


「響さん……!」

「大丈夫だ。知覚わかってる……」


 危険を伝えるガブリエルに応え、響は迫る足音へ意識を研ぎ澄ます。


「……危ない匂いがするぜ、お前。俺の嗅覚がよぉ、囁くんだよ。お前は一級品のトラブルだ。危険だ。”死”だ。俺の”大好物”だってナァ」


 我羅の両手を繋ぐ鎖が不穏な音を立てる。 


「何を”隠匿かく”してやがる、お前――」


 手を伸ばせば届く程の距離まで近付いた我羅の言葉に応える声はない。


 ガブリエルは歯牙を剥き、必死に我羅を威嚇するが、我羅は興味すら示さない。


 そして、


「響……さん?」


 響の手がガブリエルを自分の後方へと下がらせ、その脚が血溜まりの中からゆっくりと立ち上がっていた。


 ”大丈夫だ。アンタは目の役目だけでいい――”


 そんな響の声を、ガブリエルは確かに聞く。


 けど、いまの声は――、


「俺の嗅ぎ違いって事もある。だからこそ早いとこ見極めてぇのさ。何より今なら”独占タイマン”でれるしナァ――」


 立ち上がったものの、いまだフラつく響の身体に”隠匿かく”されたものを凝視するように、我羅はその顔面を近付け、告げる。


 その長い舌先が、響の鼻先にまで迫っていた。


 そして、


「……”隠匿かく”している訳じゃない。だが……」

「あ?」


 至近で睨み合うような、その距離で。


 血と泥にけがれた金色の髪の隙間で――閉じられていた響の瞳は開かれる。


「”戸惑って”る」

「な……!?」


 ――言葉にならない。


 その様に、我羅も、ガブリエルも等しく言葉を奪われ、絶句していた。


 あかく。


 開かれた響の瞳、その全体が朱く染まっていた。


 それも、ただの”あか”ではない――その瞳には神々しくも毒々しい”畏敬の赤アームド・ブラッド"が満たされていた。


 そうだ。ガブリエルの聴いた声も、概念的な、精神に直接響く、”醒石”同士の感応に近いものではなかったか――。


「……ハ、ハハハハッ! オイオイ、手前――まさか”畏敬の赤アームド・ブラッド"を”人体に直接”摂取しやがったのかよ!? ヤべぇ……ヤバ過ぎるだろ、オイ!」

「きょ、響さん――」


 我羅の言う通り、正気の沙汰ではない。


 そんな事をすれば、彼の身体は、その存在は――、


(概念的にも、人間――”人柱実験体”ですらなくなってしまう……!)


 けど、彼はそれを選んだ。


 アルを、彼女サファイアを救う為に。 


「ああ……”神”も”悪魔”も殺せる気分だ……」


 己の中に渦巻き、荒れ狂う”畏敬の赤”の衝動をそう言葉とし、響はその身から群青色に染まった”壊音”を溢れさせる。


 後戻りはできない。


 生まれた者は、果たして救いか、終焉か――。


 決着こたえは――闘争の中にだけある。


NEXT⇒第13話 悪食―”Abadon”―

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