第11話 合流―”people”-
#11
この日、何度目の”疲労困憊”だろうか。
呼吸する事さえも面倒に感じる程、あらゆる筋肉が、神経が、内臓がこれまで味わったことのないような”疲労”に喘いでいた。
逆立てていた自慢の赤毛も汗でぐっしょりと濡れ、額にペッタリと張り付いてしまっている。
”色男が、台無しじゃねぇか……”
図太く呟こうとしたが、肺と喉は咽せ返り、咳を吐き散らしただけだった。
数秒の休息の後、彼はようやく背筋に力を込め、大の字に寝ていたその半身を起こす。
(”寝てる”場合じゃ、ないってのに――)
ジェイク・D・リー。
”緊急事態”を乗り切った保安組織の副隊長は、霞む目を擦りながら周囲を見渡し、改めて状況の把握に努めようとしていた。
皮膚を突き破り、起動したままになっていた”骨刀”を体内に戻し、彼は額に張り付いた赤毛を、うるさそうに掻き上げる。
「ポマードでも持ってくるか? 自称”色男”さん」
「……いらねぇよ」
耳朶を叩く馴染みの声に、疲労に憔悴したジェイクの表情が僅かに緩む。
負傷し、身を横たえる”戦闘員・F”の介抱をしている同僚からの言葉に、ジェイクはぶっきらぼうに応え、立ち上がろうと足腰にグッと力を込める。――見事に転ぶ。
(まだ……歩けもしねぇか)
強打した腰を擦り、泥を払い、自嘲とともに苦笑したジェイクの目に映るのは、凄絶に過ぎた”祭り”の痕跡である。
優良な材質で作られていたとは言えず、くたびれ薄汚れていたが、和やかで穏やかだった街並みはもはやなく、砕け、抉れた街路と、崩れた建造物の瓦礫と焼け焦げた木材の残骸だけが視界を彩っている。
ほんの数分前まで行われていた”戦闘”の生々しい残滓がそこに在る。
「まぁ……”生きてる”事自体が不思議な騒ぎだったからな」
「同感だな――」
ジェイクの言葉に頷き、ミリィは”戦闘員・F”の腕に包帯を巻きつける。
あの街路に湧き出した”怪物”との戦闘は長時間に渡った。
その場にいる者を無差別に狙い蠢く”怪物”達の掃討戦は、”怪物”が建造物の屋上で待機・監視していた”戦闘員・F”達にも襲い掛かった事により、大規模なものとなって街路を、街並みを蹂躙した。
その当事者たる彼女等を見据えながら、ジェイクはその口を開く――。
「アンタ等も災難だったな――」
「…………」
ジェイクの言葉に、割れた仮面の下から覗く若い顔が口惜しさを滲ませる。
少女と呼べるような年齢の者も少なくない様子だった。
彼女達はこの街の住民を護るために派遣されたと、あのシャピロとかいう男は言っていた。
あの”怪物”の目的はわからないが、彼女達は予期せぬ巻き添えにあったとみていいだろう。
……ある意味では、その”任務”を果たしたと言える。
アレは”逆十字”の組織に属するものでもないのかもしれない。あるいは、属しながらその思惑を越え始めたものなのか――。
ミリィは思考を重ねながら、”知覚強化端子”が不意に感知した感情へと、自らの言葉を贈る。
「貴女達がいてくれて私達は助かった。――少なくとも、私達が戦った男の”戦闘員”よりも強かったわよ、貴女達」
「………!」
”だから、そんなに落ち込まないで”
ミリィは自らが介抱する”戦闘員・F”達に告げ、左の眼窩に埋め込まれた”知覚強化端子”で彼女達が重傷を負っていないか一人一人、確認する。
全身を蝕む疲労と、”怪物”に及ばなかった自分達の”未熟”に憔悴する彼女達はミリィが周辺から掻き集めた包帯や薬で応急処置を受け、忸怩たる思いと、主である”女王”が対峙する者達。その仲間達の”大きさ”を噛み締めていた。
”敵”ではあるが、彼等もまた、”強い”――と。
「……おい、ガルド。それどっから持ってきた」
「………?」
そして、そんな彼女達の傍らへ、色取り取りの飲料を納めた瓶を大量に抱えた巨漢がその姿を現していた。その背後にも飲み物や食料品が入っていると思しき箱が積まれており、この”休息”の合間も彼が休みなく動いてくれていた事を物語っていた。
「食料品店の瓦礫の下に無事なケースが二、三箱あった。安心しろ、しっかり代金は計算してある」
岩のような顔をした巨漢は真面目に応えて、オレンジジュースやソーダの瓶を同僚達に手渡し、街路に腰を下ろしている”戦闘員・F”達へも飲み物を配ってゆく。
「アンタ達も飲んでくれ。”敵の敵は味方”――だっただけかもしれんが、恩義は恩義だ」
「…………」
ガルドが告げ、瓶を差し出した相手は、無言のまま、差し出された瓶とガルドの顔を凝視していた。
――ラズフリート。
原始の恐竜の骨格に似た鎧装と異貌を持つ、”超醒獣兵・五獣将”の長は、槍の如き先端を持つ、多くの”怪物”を屠った長い尾を揺らめかせながら、ユラリとその巨躯をガルドへと向き合わせていた。
その周囲には、彼の手によって”掃討”された怪物の残骸が積み上がっている。
この場にいる者の中でも、彼の”実力”は別格と言えた。
「”敵”の差し出した物を、素直に口に運ぶ程、我等は素人ではない。だが――」
ガチリと、ラズフリートの掌を覆う鎧装が、咢を開くように音を立て、ガルドが差し出した瓶へと、その五指を伸ばす。
「共に戦線を張った者としての”信頼”を肴に、この”厚意”は飲み干すとしよう」
「フッ……」
元来は子供用の飲料が、酷く不似合な、”獣醒”状態の鎧装に握られる。
隊長……響の元へ向かう障害であったはずの男。その武骨な、だが、真摯な言葉は、ガルドの岩のような表情を僅かにほころばせていた。
「わーい、ジュースジュース! 寄越せオラぁっ!( ゜Д゜)」
「有り難く頂くぜ……」
そして、”ボス”であるラズフリートと異なり、既に”獣醒”を解除していた四人の部下達は、ガルドの腕が抱えている飲み物の数々をひったくるように受け取り、長時間の戦闘で乾ききった喉を潤すように一気に流し込んでいく。
”怪物”の掃討戦の中、恐ろしくもありながら、頼もしさも感じさせた四人の戦騎達。
アーロウ。ザンカール。ティターン。ヴェガン。
”獣醒”した戦闘形態の状態では気付かなかったが、彼等もまた、充分に”若者”と呼べる風体の男女であった。
同時に戦闘を”職業”とする自らを示すように、ラバースーツのような共通の衣服越しに、彼等の鍛え抜かれた胸筋や腹筋が自己主張していた。
そして、
「ちょっと、そこの貴女……!」
「にゅ?(゜Д゜)」
”ゲェ――ッ!? これお茶ぁっ!? 苦ゲス……(ノД`)・゜・。”などと騒いでいた”五獣将”の紅一点、アーロウは、同じく保安組織の紅一点、ミリィによって呼び止められ、哀れ飲み物の瓶を取り上げられていた。
ミリィは深く溜息を吐くと、”内側”から穢れている彼女の衣服を見据える。
「貴女、怪我してるでしょ? 手当してあげる。ジュースならその後で甘いのを用意してあげるから」
「け、怪我なんかしてねーし! これ心の汗だし! 汁だし!(; ・`д・´)」
衣服を捲ろうとするミリィに、アーロウはジタバタと抵抗を示し、男達は自然と目線を他所に向ける。
彼女達が”身を隠せる”――更衣室の代替になるような建物は、既に周辺にはなかった。
「……強がらなくてもいいよ、貴女が私達を庇っていてくれた事、ちゃんとわかってるんだから」
「……庇ってなんかねーし」
口を尖らせたアーロウの横顔は、年相応な少女の容貌をしていた。
それは、両肩に球状の砲門を武装した、あの紅紫色の”超醒獣兵”であったとは思えないような、まだ幼さの残る未成熟な、若者の横顔だった。
愛らしいと、ミリィは素直に思った。
「”敵の敵”でも……味方が死ぬのは嫌なんだよ」
「そっか……」
ミリィに包帯を巻かれながら、アーロウが零した言葉に、ミリィは知った。
それは自分達と同様に、”失い続けてきた者”の言葉だった。
だからこそ、もう二度と失えないと心に誓った者の言葉だった。
彼女を、彼等を理解するのに、これ以上の言葉は必要ないとすら思えた。
立ち位置は違うが、自分達は”同じ道”を歩いているのだと、五獣将と保安組織の面々は、心の何処かで理解していた。そして――、
「ア……アンタ達、ここにいたのかい!」
「……!」
その休息の最中に、ジェイク達の耳に馴染み深い、だが、この局面では”聞こえるはずのない”声が届いていた。
驚きに保安組織の面々が、その方向へ顔を向けると、そこには――予想外の人々の姿があった。
避難しているはずの街の住民たち。その見間違いようのない姿が其処にはあった。
「お、女将さん……?」
「お嬢さんは、アル坊はここにいるのかい!? 響の……響の奴の姿も見えないじゃないか! ずっと、皆で探してるのに、見つからないんだよ……!」
ズンズンと距離を詰め、掴みかからんばかりの勢いで尋ねる彼女の名は、カミラ・ポートレイ。
街一番の食堂の経営者であり、保安組織の後見人の一人でもある彼女の表情は、”探し人”が見つからぬ焦りと不安に歪み、グシャグシャになってしまっていた。
もしかしたら、自分も同じ表情をしているのかもしれないと、ジェイクは思った。
「さ、探してたって正気かよ!? そんな出歩けるような状態じゃなかったぜ、こっちは!」
「はっ! 年中無茶の連続で正気を疑うような連中に言われたかないよ! あの半分機械みたいな野郎が、お嬢さんを差し出せなんて言うから、あの娘が行かないように、探してたんじゃないか! あの娘が……行かないように」
涙声のカミラの両手が、ジェイクの制服の襟をギュっと握り締める。
彼女の――ここまで来た皆の気持ちは、ジェイク達も苦しい程にわかった。
「でも、どうやっても、同じ場所をグルグル回っちまってね。何か不思議な力が働いちまってるのか、私達がおかしくなっちまってるのか……困ってたんだよ」
「不思議な、力……」
――そうか。
”創世石”。彼女が手に入れたとされる、その”物質としての神”ならば、その程度の芸当は、造作もないのかもしれない。
それに、全部一人で背負い込んで、周囲を巻き込まないようにする、その”やり方”は、彼女らしい処置であるように思える。
(まったく……恋人同士であの二人は)
背負い込み過ぎだ。
二人を良く知るが故に、ジェイクは悪態を吐き、二人の安否を想い、熱くなる五体を感じていた。
"放っておけない”、と。
「でも……アンタ達が無事で良かった。それだけでも、本当に良かったよ」
「女将さん……」
そして、その熱くなった五体に、カミラの手が触れ、無事を確かめるように肩を握られた時、不意に目頭まで熱くなった。
見れば、共に銀鴉と対峙した自警団員達も、彼女の後方で彼等の無事を祝うように笑んでいた。
――気持ちは同じである。
ここまで来てはしまったが、この人が無事で、本当に良かった。
この人達が無事で、本当に良かった。
だが、
「――手遅れ、かもしれんな」
「……あん?」
そのような感傷も、歓喜も、”状況”は許してはくれなかった。
その”熱”を冷ますような、硬質な声が耳朶を叩き、ジェイクの喉が荒れた声音を吐き出す。
振り返れば、そこにラズフリートが揺らめかせる長い尾があった。
睨み殺してやろうかとも思った。
だが、言葉の続きを吐き出そうとするラズフリートの顔を、ジェイクは見る事が出来なかった。
聞きたく、なかったのだ。
自分も”心の何処かで直感している”、その言葉を。
「……その者達が此処に来たという事は、この区画に施されていた”干渉”が絶たれたという事を意味している。つまり――それを成していた”適正者”の意志が絶たれたという事だ」
「………ッ!」
手足が冷え、脳髄が白濁とするような熱が、目を晦ませる。
「その”彼女”は……”諦めた”ほうが賢明だ」
――言葉が、胸を抉り取っていた。
どう反応すべきだっただろうか。
”ふざけるな”と怒鳴り散らすべきだっただろうか。
”馬鹿言ってるんじゃねえ”と顎が外れる程、バカ笑いしてやるべきだっただろうか。
だが、出来ない。
そのどちらも出来なかった。
……ラズフリートが語った通りだ。自分も、心の何処かでそれに”気付いて”しまったから、言葉を投げ返す事も、ラズフリートに掴み掛る事も出来なかった。
――情けない話だ。ジェイクは自嘲し、拳を固く握り締める。
俺は、あの人の相棒を気取ってるってのに――。
「あーあ、ボス……直球過ぎ(;´・ω・)」
「………そう、だね」
アーロウの唇から漏れた、どこか不満げな声に、ミリィは頷く。
アーロウの感想はそのままミリィの感想でもあった、
そして、同時に、彼がそれを言わねばならない理由も理解できていた。
僅かな”希望”はそこにあるが故に、人々を仄かな灯りで”危険”へと駆り立てる。
それは往々にして人を不幸にする泥沼である事を、保安組織の面々は良く理解していた。
同時に、”希望”を絶たれ、”失意”とともに避難施設へ戻る事が、彼等を無事、生存させる唯一にして、確実な手段である事も、保安組織の面々は理解していた。
――だからこそ、それは本来ならば、自分達が言わなければならない言葉だったのかもしれない。
”嫌われ者”の”強化兵士”が成すべき、重要な任務であったのかもしれない。
だけど、
「そんな事、絶対……」
”絶対に言えない……!”
そうミリィが吐露すると同時に、どうしようもなく複雑な感情が胸を引き裂いて――、
「フン……!」
「イイッ!?」
――”度肝”を抜いた。
誰もが目を見開き、口をあんぐりと開けていた。
……無理もない。
”街一番の食堂の女主人”の鉄拳が、”超醒獣兵・五獣将”のボスの頬を撃ち抜いていたのだから。
「お、女将さん……! 何やっ……ぶべらっ!」
カミラを止めようと飛び出したジェイクの鼻先を、素早く繰り出されたデコピンが叩く。
”ふーふー”と肩で息をする彼女の目は涙で濡れ、真っ赤に充血したそれはラズフリートの異貌を真っ直ぐに見据えていた。
憤りが、固く握られた拳を震わせる――。
「何なんだい……。何でアンタは、そんな神妙な顔をして、そんな酷い事が言えるんだい……? あの子を”諦めろ”なんて……そんな酷い事が何で言えるんだい!」
「…………」
沈黙するラズフリートの聴覚に、頬を涙で覆ったに等しいカミラの声が轟く。
「あの子は勢い余ってドジもするし、しっかり者のようで天然なところもあるけれど、いつも他人のために心から笑えるような、優しい子なんだよ……」
”いったい、どんな苦労をしてきたらあんな風になっちまうんだろうね……”
誰に対しても優しく、自分の不幸に対しても強く微笑む事が出来る、娘程の年齢の少女を胸に抱きしめるように、カミラはその手を胸の前で組み合わせる。
「だから、私はいつか、あの子が”自分のために”幸せになる日を楽しみにしてたんだよ。……祈ってたんだ」
その祈りとともに、想いとともに、カミラの足がラズフリートへと一歩、踏み出される。
何としても――何をしても、”それ”を彼女は認めるわけにはいかなかった。
「だから私は……例え言葉でも、あの子を”死なせる”訳にはいかないんだよ……!」
ゴッ!と、涙とともに思い切り振り抜いた拳にゴツゴツとした骨の感触が伝わった。
”あっ…”とまたも全員が言葉を失う。
――彼女の想いへの”応え”がそこにあった。
「……それ以上はよせ。貴女の拳が痛む」
「あ……」
戸惑いの吐息がカミラの唇から漏れ出ていた。
拳を受けたのは、”超醒獣兵”ラズフリートではなかった。
”獣醒”を解除した、顔面に大きな傷痕を持つ精悍な顔立ちが、カミラの拳をその頬に受け、また、その拳が痛まぬよう、大きな掌が彼女の手首を掴み、その勢いを緩めていた。
カミラの拳は赤く腫れ、裂けた皮膚から赤い血を流していた。
あのまま”獣醒”した状態の鎧装を殴り続けていたら、完全に壊れてしまっていたかもしれない。
「……非礼は詫びよう。確かにあなた方の立場に立った言葉ではなかった。ミリィ=フラッド……!」
「え……?」
「俺の部下は大丈夫だ。彼女の拳を見てやってくれ」
「あ、ああ……」
突然のラズフリートの言葉に戸惑いながらも、ミリィはアーロウに”ごめんね”と告げ、カミラの元へと向かう。
ラズフリート。
年齢とともに重ねた、長年の苦悩を皺として刻んだ、彼の”大人”の顔が、真摯な表情で対峙するカミラを、街の住民達を見ていた。
その表情に、皆も悟る。
彼が、単純に”敵”の概念で括れる男ではない事を。
そして、
「な、なぁ……」
「ウ、ウム……」
「ウ、ウゴゴ……!」
一連の出来事を見守っていた、三名の”五獣将”の男達は何やら騒めきながら、カミラ・ポートレイの横顔を陶然と見ていた。
彼等は、彼女の容貌に見覚えがあった。
至福と言ってよかった。
酷い火傷を負っているが、その美貌は――、
「……ってオイ! テメーら、こんな状況で何”デカく”してやがる……」
「……う、うおッ!?」
「きゃあっ! 変態ッ!」
ジェイクの指摘に、屈強なる”五獣将”の男達は前屈みになって、己の”不覚”を隠していた。
思わず目撃してしまったミリィも、爛々と輝く”知覚強化端子”を両手で覆い隠す。
ガルドは状況が掴めず、ただただ苦笑するしかない――。
「あーはっは! 説明しよーう! そこな野郎どもはそのおばちゃんが昔出演たビデオの大ファンなのだー! 基地に置いてあったポルノなんてその一本しかなかったからねー(≧▽≦)」
「ファンんん!?」
アーロウの解説に、ジェイク達の喉が素っ頓狂な声を漏らす。
カミラが昔、著名なポルノ女優であった事は街の住民達も良く知っている。
”戦場”を生きてきた彼等の傍らにその出演作品があったという事だろうか。
彼女の名は”煌都”でも通じるという噂もあるため、不思議な話でもないのかもしれない。
「……すまんな。何せ潤いのない”戦場”が青春だった連中だ。許してやって欲しい」
「ふふっ……思い出してもらえたんなら、私もまだまだ現役てるって事かね。別に構わないよ」
むず痒いような表情で応え、カミラは胸元から取り出した煙草に火を点ける。
「不思議なもんだね、この時代、赤の他人のように思えても……私達の傷跡はどっかで繋がってる。因果なもんだよ」
脳裏に蘇り、胸に堆積した想いを煙とともに吐き出し、カミラは微笑む。
彼女もまた失い続け、この街で得た”大切なもの”を失くすまいと足掻く人間だった。
「私こそ殴って悪かったね。アンタは話をしようとしてくれてたのに」
「フ……」
緊迫した空気は既にそこにはなかった。
”敵”と”味方”でなく、”人”と”人”が対話する空気が、荒れ果ててしまった街路の上に確かに形成されていた。
「くぅ……そんなピッチリクッキリスーツで”忍ぶどころか本能覚醒”とは恐れ入ったぜ。流石は”五獣将”……」
「ジェイク・D・リー」
「……!」
そして、しきりに感心し、ミリィに裸締めの制裁を受けていたジェイクは、不意にかけられたラズフリートからの言葉に顔を上げる。
己を直視する”五獣将”の長の目は、澱みなく、どこまでも誠実だった。
「――頼む。この人達を安全な場所まで退がらせてくれ」
「あぁ?」
力を緩めたミリィの腕をほどき、ジェイクはその”誠実”へと睨みを効かせる。
街の皆を護る事に異論はない。
それが自らの職務だからだ。
だが、ラズフリートが告げた言葉には、もう一つの意味がある。
それは、
「ここから先は、我等”五獣将”でも手に余る領域だ。……お前達、”強化兵士”には万に一つの”希望”もない」
突き付けられたのは、”戦力外通告”。
ジェイク達にとっての”屈辱”という名の”現実”である。
”ここから先に自分達の出番はない”と、彼は告げている。
行けば、必ず”死ぬ”、と。
「”創世石”の回収が完了すれば、”彼女”はこの街へと返還す。お前達が無駄に”命を払う”必要はない――」
「帰れって言うのかよ。全部、アンタ達に任せて」
食い下がるジェイクへと、ラズフリートは無情にも頷く。
鉄で出来た大樹のような”揺らがぬ”意志がそこに立ち塞がっていた。
「俺の“禁断の匣”が複数体の”畏敬の赤”を感知している。……考え得る限り、最悪の状況だ。彼等の”暴走”を阻む為に派遣された我々は、すぐにでも向わなければならない」
“禁断の匣”。”獣醒”状態のラズフリートの両肩に設えられた大型の部位が脳裏に蘇る。彼が”獣醒”を維持していたのは、絶え間なく変動する状況を観測・注視していたからなのかもしれない。
そして、“禁断の匣”が観測したものは、それだけではない――。
「それに、お前達の”隊長”は、あの場所で”彼女”の”天敵種”として覚醒を果たしている」
”覚悟する事だ”。
ラズフリートの厚い唇から冷酷な言葉が、告げられる。
「行けば、”見たくないものを見る”事になる――」
「………」
酷い話だと思った。
脳裏に”赤い”情景が弾け、吐気を催すような”想像”が、ジェイクの四肢を指の先まで震わせていた。
ミリィも表情に色を失くし、ガルドは噴き上がるものを噛み殺すように、口を真一文字に結んでいた。
そして、
「おい……! 誰かポマード持ってねぇか」
「………?」
予期せぬ言葉が、ジェイクの口内から吐き出され、多くの者が怪訝な表情を浮かべる。
頭をリーゼントに固めた自警団員からポマードを受け取り、ジェイクはラズフリートへとその足を一歩、踏み出していた。
何処か晴れ晴れとした、”吹っ切った”表情とともに。
「”厚意”は有り難くいただくぜ、ラズフリートのおっさん」
「………」
”おっさん”という言葉に眉をピクリと動かしたラズフリートに、口元を緩め、ジェイクは言葉を続ける。
もしかしたら、見た目よりも若い男なのかもしれない。
だが、それを感じさせぬような”経験”と”傷跡”が彼の肉体と精神には堆積しているのだろう。
その彼の厚意、無為にするのは気が引けるが――、
「けどよ……腹は決まった。馬鹿で無茶な行為だとは思うんだがよ、俺は女将さん達が来てくれて、”嬉しかった”。……”嬉しかった”んだよ」
油を指に絡め、背後の人々を振り返ったジェイクは、己の気持ちを確認するように、一つ一つ大事に言葉を紡いでいた。
そのジェイクへと、”覚悟”を決めた男へと、ラズフリートもその巨体を一歩、近付ける。
「どういう意味だ……?」
「確かに”見たくないもの”を見ちまうかもしれねえ。何の役にも立たねえかもしれねえ。でも、それは……俺達の都合だ」
――もしかしたら、立ち止まれた方が楽なのかもしれない。
だが、ここで立ち止まれる程、薄情な”繋がり”は持ち合わせていなかった。
「あの人の力になりてぇ。あの子を助けてやりてぇ。ほんの少しでも、あの人らの心に”救い”が生まれるなら、あの仏頂面がほんの少しでも笑えるなら意味はある。それに、”見たくないもの”をそのまま眺めてられる程、俺らは往生際が良くはねえんだ」
自慢の赤毛をビシッと逆立て、ジェイクは突き立てる。
己の、意志を。
「舐めんなよ。そんな景色は俺等が止めて、塗り替えてやるよ。それが……”仲間”ってもんだろ」
「………」
”沈黙”があった。
思考を深める渋面がラズフリートの精悍な顔立ちに満ちていた。
だが、それは”重い”ものではなかった。
ラズフリートの深い蒼を沈めた目が、静かに自分の部下達を捉える。
(確かに……そういうものかもしれんな)
彼の胸の内で呟かれた言葉は、恐らく彼一人のものではない。
”五人”の代表として、ラズフリートは部下へと言葉を投げる。
「ザンカール。例の”試作兵装”、お前に預けていたな」
「フッ……やるのかよ、そいつ等に」
”決断”は早かった。
ザンカールはラズフリートの意図を察し、腰に括りつけられていた三つの装具をジェイク達へと放り投げていた。
中心に”水晶”を埋め込んだ、”三角形”状のそれは僅かな戸惑いとともに、ジェイク達の手に握られる。
「これは……?」
「”組織”の”隠し玉”だ。現地に向かうのであれば、”役に立つ”だろう」
「……!」
その言葉の意味するところは、あえて問うまでもなかった。
彼等は”認めた”のだ。
ジェイク達が其処へ行く事を。
「ラズフリート……」
「……誓え、ジェイク・D・リー。お前達は、この人達を”あの場所”で護り抜くと。それが、お前達を帯同させる”条件”だ」
ラズフリートはカミラを始めとする街の人々、一人一人の顔を見据えながら告げると、その古傷に覆われた大きな手の平を差し出す。
「この我等とて、あの場所で十分な”戦力”足り得るとは言い難いだろう――。そして、そんな場所で”望み”に成り得るのは”力”ではなく、お前が言うような”不確かなもの”――」
お前達を繋ぐ”何か”なのかもしれん――。
もしかしたら、そう語られた言葉は、彼が観測した、”あの場所”で繰り広げられる”地獄”に対する抵抗であったのかもしれない。
人間としての足掻きであったかもしれない。
人ならざる”奇蹟”が跋扈する、この状況への足掻きとして、
「俺達は――”それ”に賭けよう」
「……上等だぜ」
それぞれの”意志”が、”願い”が繋がれる。
ジェイクの手がガッチリとラズフリートの手を握り返し、ここに一つの”同盟”が誕生した。
”組織”の精鋭と、街の保安組織の”熱”が結びつき、”決戦の地”へと歩み出す。
それはこの状況下では、僅かな、微かな”光”。だが、同時に暗闇を照らす尊い”光”でもあった。
そして、
(身体機能の回復はまだ30%程度……だが……)
”兄”との”決闘”。その決着の地となった廃墟の中で、僅かに肉体を動かせる程度の”治癒”を確認した、蒼の青年は、地面を這うようにして、その体を前へ、前へと進めていた。
――予感があったのだ。
あの場所で、主に、兄に”危機”が訪れている。
いまここで見逃せば、取返しのつかぬような、”危機”が。
ボロボロの肉体が震え、心が騒めく。
それは、自分の手で引き裂かねばならぬものだ。
自分が救わねばならぬものだ、と。
その彼の意志に呼応するように、体内から滲み出たゲル状の半身、”似て非なる蒼”が、青年の四肢を覆っていく――。
そして、その様は、”繭”の中で戦支度を整える彼の”相棒”にも、”知覚強化端子”を通して伝わり、その”心”を強く鼓舞していた。
これが――”希望”の全てである。
この戦いの中で紡がれた”繋がり”が、全て”決戦の地”へと収束しようとしている。
そうだ。
――一縷の望みは、そこにある。
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