第08話 稀人―"Victim”―
#8
「遊ばせろ……その”黒いの”……俺と遊ばせろぉおおおおおおおおッ!」
「ク……嗚呼ッ!」
”人柱実験体”の腕力を持ってしても、千切れぬ鉄鎖がより喉へと喰い込み、響の全身から”戦闘の悦び”に惹かれたかのように、タガが外れたかのように、”壊音”が溢れ出す。
響と我羅。
”毒蛇”、”毒蠍”の称号を持つ男と、”猛毒”の名を持つ保安組織を束ねる男が、この局面で対峙し――、
「―――!?」
その”予期せぬ事”は起こる。
それは、例えるならば、岩で作られた鞭。
鞭のようにしなりながら、その実、巨岩、鉄塊に等しいその”尾”が、響と我羅の立つ岩盤を激しく打ち砕く。
”獣王”の巨鎧を弾き飛ばすようにして、出現したその尾は、目視できぬ速度と、看過できぬ破壊力で大地を砕き、響と我羅、二人の肉体を宙へと舞い上がらせていた。
「くっ……!?」
衝撃を利用して鉄鎖から逃れ、空中で体を捻るようにして、体勢を立て直す響と、”尾”が掠ったと思しき腹を擦りながら、難なく着地してみせる我羅。
靴底が岩肌を踏みしめるのと同時に、両者の目線が、尾の主である”獣王”へと注がれる――。
(なんて……奴だ)
有無を言わせずに示された、圧倒的な”力”。
それに萎縮し、体内へと収縮する”壊音”を認識し、響は額に浮かぶ脂汗を拭う。
山のような巨躯が、巨鎧が”沈黙”を己が言葉として、其処に立っていた。
揺らめく”尾”とともに奏でられる、その”沈黙”は雄弁なる威嚇であり、”警告”であった。
――”動くな”。
白目のない”王”の両眼はそう語っているかのようだった。
「ハッ……! 相変わらず、とんでもねえ”尾っぽ”じゃねぇか。”獣王”のおっさん。内臓の位置がズレちまったかと思ったぜ……」
そして、その”警告”に動じる様子もなく、我羅は純金製の首輪に組み込まれた空のアンプルを、満タンのそれに交換しながら、不遜に言葉を並べ立てる――。
「”俺等”みたいな牢にぶち込まれるような生き物はよぉ、どうしても頂上を目指しちまう――。上に、上にってのが俺等の流儀で性って訳だ」
【……………】
相変わらず、応える言葉はない。
だが、それでも”獣王”は間違いなく、我羅の言葉を聞き、我羅の姿を視ていた。
「だが、アンタは違う。”獣爾宮”なんて『塔』の最下層にいながら、アンタは紛れもなく”王”様だ。アンタは何も目指す必要がねえ。アンタは何処に居ようが、ただ、そのままで、何一つ非の打ちどころがねえ、完璧な”頂上”なんだからなァ――」
”生物としての頂点”。”神の名を冠する獣”。”獣王”の異能の一端を知る者であれば、我羅の認識に異を唱えはしないだろう。
「そんな”王”と徹底的に闘る……それも悪くねェ」
鉄鎖に繋がれた我羅の手が、懐からバックル型の”鎧醒器”を取り出し、構える。
”蛇蠍錠”なる名を持つそれは、我羅の昂りに呼応するように、毒々しい”畏敬の赤”の粒子を中央に設えられた鍵穴から撒き散らしていた。
そして――、
「そろそろ”本番”といこうぜ……糞ど――」
「……そうはいきませんよ、”毒蠍”」
「ア……?」
間髪入れず、その”介入”は続いた。
”風”が我羅の頬を撫でていた。
――『鎧醒』。
軍靴を一歩踏み出し、我羅がその”言霊”を奏でんとしたその瞬間、その鋭い”風”は我羅の頬を撫でた。
同時に、花開くような、鮮やかな閃きとともに、周囲の岩肌に”斬撃”による裂傷が次々と疾走ってゆく――。
「ほう……?」
裂けた頬から溢れた血が滴り、鋭利な痛覚が、我羅の脳に更なるアドレナリンを噴き出させる。
”斬”られたか。”斬”りやがったな――?
我羅の昂揚に血走った眼が捉えるのは、愛刀――穿醒剣“冥魏怒”の柄に指を絡ませる”剣鬼”、シオン・李・イスルギ。
彼はその柔和な顔立ちに、磨ぎ澄まされた剣の如き、鋭い殺気を満たして我羅の目線を受け止めていた。
「……酔った者を切り伏せる事は容易い。この間合いであれば、貴方達は私の”剣の結界”の中にいる――そう理解していただきたい」
己の脳から絶えず分泌されるアドレナリンに酔い狂ったような我羅へと、シオンは厚い氷を浸した冷水のような声音で言葉を投げかける。
刀剣は鞘へと既に収められているが、”居合”の態勢で立つシオンがどれほどの速度で”斬撃”を繰り出せるのか――。
それは既に、岩肌に刻まれた”斬撃”による亀裂が雄弁に物語っている。
「”一切の手出しはならん”……という訳か。お前も、”獣王”も、随分と引いた物腰ではないか」
そして、その”剣鬼”の言葉に最初に応えたのは、僅かな苛立ちに語尾を震わせた麗句の声音であった。
挑発の意図はなかったにも関わらず、言葉が尖る程、”感情的”になっている自分を、彼女自身が認識していた。
シオンもそれを察しながら、言葉を鞘から引き抜いてゆく――。
「……ええ、”女王”。私はこの場が混乱する事を良しとしない。”アレら”の戦闘が、どのような規模まで拡がり、この”世界”にどのような影響を与え得るのか――。我々は注視する必要がある」
シオンがそう話す最中も、”神の子”と”信仰なき男”の戦闘の余波たる衝撃波が周囲を踊り、目に映っていた情景を木端と砕いてゆく。
常軌を逸した”奇蹟”の激流は、”現実”を容赦なく浸食し、虚ろな”穴”をあちこちに生み出していた。
それは文字通りの世界の”破壊”である。
「……勝ったほうが、恐らく”人類最大の敵”となる。私にはそう思えてならない」
「…………」
その言葉に反論できる者はいない。
大きすぎる力には善も悪もない。
”創世石”の依代となったアルと、”何かを謀み、それと互角に渡り合う”フェイスレスは、純粋な”脅威”だ。
このままアルを元に戻せず、フェイスレスの謀みが成った場合、世界がどのような”結末”を迎えるのか。
……多分、その最後のページに”幸福”という文字が記されていない事だけは確かだ。
(故に状況を見極める。”相討ち”となれば、”幸い”か――?)
己に問い掛けるように、シオンは胸の内で呟く。
果たして”斬る”べき存在はどちらなのか。
シオンの脳内で問答が絶え間なく繰り返される――。
そして、
「フン……”巨人”を持ち出そうが、所詮は力を託されただけの”傀儡”! 戦闘の相手としては物足りぬな、”創世石”――」
シオンの、響達の目線の先で、”稀人”達の戦闘は収束の気配をみせず、なをも継続していた。
”異能”と”異能”。”奇蹟”と”奇蹟”。
度を越えたそれらの衝突は、世界を歪め軋ませる。
「………」
少年の指が標的を指し示すと同時に、”巨人”の山をも握り潰すような巨大な掌が持ち上がり、それは"因果廻す紋章輪”が絶え間なく射出する、必中の”因果”を込められた魔槍の群れを撃墜しながら、轟然と突き進む……!
だが、腕を組み、その身を当然のように”宙へと浮かばせる”フェイスレスは、児戯を蔑するかのような不遜さで、その虚無を湛えた両眼を、地上に散らばる”何か”へと向けていた。
「ならば、私も手ごろな”傀儡”を作るとしよう――。”軍医”……!」
「ハ、ハイ……!?」
己が知識欲を満たす、常軌を逸した”奇蹟”の乱舞を恍惚と見つめていたドクトル・サウザンドは、予期せず呼ばれた己の称号に、素っ頓狂な声を漏らしていた。
同時に、操り人形の糸を繰るようなフェイスレスの指の動きとともに、黒い”塵”が宙へと舞い上がり、一つのカタチへと固まってゆく――。
その塵の集合体たる”塊”は、迫り来る”巨人”の掌の前に立ち塞がり、その”単眼”を輝かせていた。
「おおっ!? あ、アレは私の……!」
”単眼巨人”。
ドクトル・サウザンドの”切り札”として用意されていながら、麗句=メイリンの介入によって、一瞬で灰塵と帰した彼の”作品”が、フェイスレスの手によって復元・再生。
”傀儡”となって、迫る”巨人”の掌を、その鋭い爪を持つ両掌から発生させた”障壁”で受け止めていた。
”神幻金属”で編まれた骨格を人口筋肉と黒の鎧装で覆い、開閉する口顎から不気味な電子音声を漏らすそれは、”切り札”たる迫力を確かに有している。
「……”死に到る欲望”……」
「……!」
そして、フェイスレスが腕を翳すと同時に、湖面に走る波紋のように波打った空間から射出された”逆十字”型の金属片が、”単眼巨人”へと殺到。次々と突き刺さる……!
「チッ……”変生”か……!」
麗句の眉間に”不快感”が皺となって表れていた。
”変生”――それはフェイスレスの持つ”異能”の中で最も名を知られた”異能”。
最も”おぞましい”異能だ。
フェイスレスが”観念世界”より召還する金属片、”死に到る欲望”を撃ち込まれた対象は、生者、死者、無機物、有機物を問わず”それまでとは異なるモノ”に変質する。
……己が意志を失い、フェイスレスの意のままとなる”ナニカ”へと変わるのだ。
【ク@……#%%……】
「な……!」
それは、”進化”には程遠い”変貌”であった。
”単眼巨人”の口顎から奇妙な電子音声が鳴り響くと同時に、その首が攻撃的な突起を生やしながら不自然なまでの長さに伸び、それと共に拡張された人工筋肉が、新たな黒の巨鎧に覆われてゆく。
さらに肩部鎧装は翼のように後方へと向けて大きく増量され、逆に腕部の骨格と人工筋肉は萎んだように小型化。鋭利な爪をより強調する形状へと変貌する。
(コレは……)
骨格を捻じ曲げながら変貌を続ける”単眼巨人”に尾が生え、巨大なそれが麗句達の頭上を揺らめく。
脚部は”骨格が折れ歪む”耳障りな音とともに逆間接型へと変貌を遂げ、背部には一列に並ぶ鋭利な刀剣のような武装が形成されていた。
”畏敬の赤”の粒子を循環させる血管を思わせる器官が黒の鎧装に上に脈打ち、それが”生物”であるかのような印象を対峙する者達へと与える――。
正しく”変生”を遂げた、怪物の異貌がそこにあった。
「”完成”だ。疾く遊興ぼうぞ、”創世石”……」
フェイスレスの指が新たな”傀儡”の手応えを確かめるようにパキリと鳴らされ、その虚無を湛えた両眼のギラつきと連動するように、”単眼巨人”の眼が過剰な輝きを宿す。
古の”竜”を想起させる形状へと変貌した”単眼巨人”は、”信仰なき男”の”傀儡”としてのその猛威を――、
「じゃ、じゃすとあもーめんと! ぷりーず!」
「……!」
――その真価を発揮するよりも速く、その”生首”は荘厳な響きを持ちながら、どこか下劣な残響を持つ声を響かせながら、高く飛翔していた。
興奮に唾と涎を吐き散らすその”生首”は、ドクトル・サウザンド。
”単眼巨人”の真なる”創造主”である。
「”千点頭脳”……装填!」
”創造主”の呼び声に応えるように、”単眼巨人”の胸部鎧装が展開し、ドクトル・サウザンドの生首を胎内へと招き入れる。
――己が”脳”となる存在を。
「オオ……オオオッ!」
”軍医”の生首から伸びる触手が、”単眼巨人”内部の器官と結合し、”結合”と同時に迸る脳内物質とともに、ドクトル・サウザンドの喉が悦びの咆哮を奏でる――。
「イイイイイイッツ・ストロンゲストオオオオッ!」」
「……!」
弾ける絶叫とともに、”単眼巨人”の背部から無数の”熱線”が迸る。
標的を定めず、感情の赴くままに放射された”熱線”は、無軌道に、無遠慮に大地を抉り、同じ”逆十字”を背負う同胞達をも危険に晒す――!
「くっ……!」
「わわっ……!?」
響はガブリエルの首を掴み、跳躍。
より”危険性”を増した”流れ弾”に意識を尖らせる。
(アル……!)
目に虚ろな蒼を湛えて、あまりの高濃度に固形化した”畏敬の赤”の光を纏う弟。
その変わり果てた姿となった弟へと、いかに接近するか――。
”熱線”を潜り抜けながら、響は絶えず思考する。
「何というパワー! 何というエヴォリューション! ”変生”――興味深い異能でしたが、我が身で味わえば、何と頼モシイ! 超キモチイイ!」
”単眼巨人”に内蔵された音響装置から、ドクトル・サウザンドの悦楽に咽ぶような絶叫が鳴り響いていた。
背部に一列に並ぶ刀剣状の武装が、放電を開始し、発生した”力場”が瓦礫を、粉塵を巻き上げる……!
「下がっていなさい、フェイスレス。”神の子”は……”創世石”はこの”軍医”が手に入れます……!」
”狂気”に澱んだ”軍医”の眼が”信仰なき男”を一瞥し、己が新たな”器”の単眼をギラつかせる――。
”単眼巨人”の”制御を、ドクトル・サウザンドが完全に掌握した事を示すように。
「今度こそ我が物としてみせますよ……”創世石”ッ!」
「………」
そして、その狂乱に眉一つ動かさずに、”神の子”は、その小さな指を”標的”へと指示し、”巨人”の腕を轟然と持ち上げる。
同時に大地は砕け、”現実”が撓み、揺れる――!
些細な”奇蹟”など、文字通り握り潰すように突進する”巨人”の掌。それが厚顔不遜たる”単眼巨人”の巨躯へと――、
「そぉいッ!」
「――!」
――届く事はなかった。
展開した”単眼巨人”の口顎から迸った極太の”熱線”が、”巨人”の腕、その輪郭を破壊し、その残骸が幻のように周囲へと四散・霧散する。
”熱線”は”巨人”の質量と相殺され、”神の子”までは届かなかったが、多くの粉塵と焔を周囲へと撒き散らしていた。その状況に、響を冷静にさせていた脳内の回路は、確実にその電源を落とした。
「アル……ッ!」
「邪魔はさせませんよッ! ”天敵種”ッ!」
”…………!”
閃くように疾る熱が、響の肌を焦がす。
アルの身を案じ、熱線の軌跡を追うように駆け出した響の存在を察知した、”単眼巨人”の背部から、弾頭に”畏敬の赤”の粒子を込めた無数のミサイルが放射されていた。
”南無三……!” 不用意な疾走は”軍医”にとっては格好の”獲物”である。
響は”壊音”を展開し、”畏敬の赤”の”捕食”を試みる……!
(ダメ……か……!?)
焔と赤い色彩が響の瞳に溢れ、乱れ咲く。
”壊音”の捕食対象ではない、焔と衝撃が轟音とともに、響へと押し寄せていた。
混沌は更なる生贄を求め、次なる事態を招く。
また、血が流れる――。
NEXT⇒第09話 稀人―”decision”―