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アームド・ブラッド―畏敬の赤―  作者: chiyo
第五章 破戒/再醒―Escalation―
83/172

第06話 真実―”Next phase”―

#6


 虚栄きょえい虚偽きょぎ傲慢ごうまん猜疑さいぎ。様々な感情が満ち、固く強張る。


 ――全て”貴方が用意したもの”なのでしょう?


 ドクトル・サウザンドの発した、その”確信”に満ちた一言は、”信仰なき男フェイスレス"が発した”歓喜の笑い”は、場の空気をより不穏なものへと変えていた。


 そして、その”自らの存在そのもの”を圧するような空気の中で、響は軍医ドクトルが”フェイスレス”と呼んだ、その男から目線を外せずにいた。


 己の五感が、本能が叫ぶ。


 彼こそが”敵”。


 彼こそが”たおすべきもの”。


 ”人柱実験体”として改造された肉体が咆哮し、たぎっている。


 今にも駆け出しそうな、その肉体を、”理性”という手綱を握り、締め上げる事で制御し、響はこの場での最優先事項であるアルの安全の確保へと、その意識の先端を向ける。


 そうだ。”アル”を救い、”彼女サファイア”を取り戻す。己が造られた理由は何であれ、”やるべき事”は決まっている――。そして、


「……しばらく顔を見せなかったと思えば、随分と”訳知り顔な”物言いだな、”軍医ドクトル”」

「”女王クイーン”――」


 不穏に淀む空気へと斬り込んだ、麗句のあでやかな声音に、ドクトル・サウザンドの喉から吐き出された、憎々し気な声音が応える。


「……貴女が”魔女の吐息ジャンヌ・ダーク”を発動させたせいで、”概念干渉”とこの”千点サウザンド頭脳”が生み出した”緊急生命維持装置しょくしゅとぞうもつてきななにか”無しでは生きられぬ私は、十度程、カロンの渡し守の顔を拝み(なかなかの眉目秀麗でした)、三度程、三途の川を渡りかけましたよ……。まったく、酷いひとだ――」

「フン……計十三度、”殺し損ねた”という訳か。確かに我ながら酷い”失態”だ」


 麗句ぅメェイリイイイン……ッ!


 ドクトル・サウザンドの激昂する声が響き、麗句に同調するような”溜息”が各自の口内から漏れる。


 それは正しく”殺しても死にそうにない”を体現する、軍医ドクトルへの称賛であったかもしれない。


 そして、


「……話してください、”軍医ドクトル”。我々も彼――フェイスレスには多くの”疑念”を抱いている。”現地”でアナタが掴んだ情報があるなら、此処ここでそれを繋ぎ合わせたい……」

「シオン・リー・イスルギ……」


 ”疑念”という言葉は、”畏怖”という言葉に置き換えられるかもしれない。

 

 奥底に刃を隠した、柔和な、若々しい声音を感知し、ドクトル・サウザンドの赤色光を放つ機械の眼が、”剣鬼ブレーダー”――シオン・李・イスルギを補足する。


「”剣鬼ブレーダー”……貴方もこの作戦に自らの間諜スパイを忍ばせ、”それなりに”暗躍していたようですネェ。”女王クイーン”がそれをご存知かはわかりませんが……」


 皮肉をたっぷりと込めて、そう告げて、サウザンドは生身の目でジロリと、麗句を凝視していた。


 すぐにその”解答”に思い至ったのか、麗句は淡い息を唇から漏らし、額を掌で抑える――。


「”あの”達か……。”情に厚すぎる”部下というのも考えものだな」


 過去の”悲劇”故か、専属の部下を持とうとしない麗句に対し、組織主導であつらわれた”女性のみで構成された”戦闘部隊、”麗鳳衆”。そこには、シオンからの推薦で彼の”手駒”から多くの者が参加している。


 彼女達の胸にあるのは、シオンへの忠儀と麗句への献身。


 シオンとの繋がりは残しながらも、麗句を想い、慕う一騎当千の戦乙女ヴァルキュリア


 それが”麗鳳衆”の主たる構成員である。


 ”戦闘員・フラウ”として今作戦に帯同した彼女達が、麗句の為にシオンの命に従う事は充分に考えられた。


「”女王クイーン”……彼女達にとがはありません。全ては私が謀り、託した事です。咎ならば私一人が――」

「当然だ。”アレ”の謀に巻き込まれて、あの娘達の内、一人でも命を奪われるような事があれば、お前の腕一本程度では済まぬかもしれんぞ、”剣鬼ブレーダー”……」


 自らに詫びの言葉を向ける”剣鬼シオン”ではなく、眼前に不敵に立ち、わらう、フェイスレスを凝視して麗句は告げていた。

 

 持ってしまえば、得難い、失い難い部下達である。それが、このような得も知れぬ男の策謀に絡めとられて、命という花を散らすような事は、断じて認めるわけにはいかなかった。


 ドクトル・サウザンドやフェイスレスの跳梁を憂い、現地でそのような妖怪どもと対峙する麗句じぶんの身を案じた、シオンの生真面目で不器用な策略。


 それに感謝と腹立たしさを感じながら、麗句はこの場の支配者であるかのような”信仰なき男フェイスレス”と対峙する。


「……いかに隠匿かくそうとも、お前の肌を粟立たせるような気配と、精神を掻き乱すそのはかりごとの匂いは、私の五感を絶えずさいなんでいたぞ、フェイスレス――」

「……”負け惜しみ”には聞こえぬのが恐ろしいな、”女王クイーン”――」


 麗句の言葉に応えたのは、黙々と打字するような、無機質な音声こえではなく、確かな肉感を持った”肉声こえ”だった。


 機械が受肉したかのような、不気味さがそこにはある。


 そして、


「……ジャック・ブローズ」

「何……?」


 不意に”軍医ドクトル”が呟いたその名に、”その男”が所属する”業煉衆”の長である”獣王キングと、”その男”を打ち倒した男である響の視線が、”軍医ドクトル”の機械仕掛けの異貌カオを捉える。


 麗句、シオンの目は”信仰なき男フェイスレス”を見据えたままであり、我羅は絶えぬ”弁舌”によって遅滞する状況に、苛立たし気に手鎖を鳴らしていた。  


 だが、それぞれの”耳”は間違いなく”軍医ドクトル”の弁舌に吸い寄せられ、その”続き”を強請ねだっていた。


「彼が手にしていた情報――特に”適正者”周辺の情報は、私のそれを上回っていました。流石に、誰が”適正者”で”天敵種”であるかは把握していなかったようですが、彼が所持していた”特定の人物達の人間関係”などの情報は、明らかに組織の事前調査では”得られていない”ものです」

「…………」


 確かに、な。


 ドクトル・サウザンドの言葉に、響は内心、相槌を打つ。


 その点は響も”気になって”いた。街の内部に侵入できたのが、擬態能力ゆえだったとしても、その擬態した人物達の情報はいつどこで得たのか、サファイアやアルに擬態していたが、その”関係性”を利用して、響の精神を嬲れるだけの情報はどのようにして得たのか――考えても明確な回答は得られなかった。


 驕るわけではないが、日夜、自分達、保安組織ヴェノムによって防護され、ミリィの”絶対監視”もある中でそれは、限りなく不可能に近い”難事”に思えた。


「”サファイア・モルゲン”。そこでうずくまっている少年、”アル・ホワイト”。そして、其処に立っている”天敵種”である”響=ムラサメ”。それらに関する情報だけがやけに色濃く、私が命じた”外交官夫妻の排除”以外にも、”別の方”からの指令で細々と動いていたような形跡もありました。

 ――つまり、事前に”誰が適正者である”かを知っていた人物が、適正者周辺の人物の情報をジャック・ブローズに与え、動かしていた可能性が高い。私はそう考えます」


 ”俺はあの方の……!”


 そんなジャックの最期の言葉を、響も記憶している。


 そして、いま視界の端に立つ”その男”は、その言葉に似つかわしく、”符号する”存在のように思える――。


「――フェイスレス。私の推測が、仮定が正しければ、貴方にはそれが出来たはずです。”多元世界”を観測し、”往き来すら可能とする”貴方であれば――ね」

「多元、世界だと……?」


 ”軍医ドクトル”の発言した突拍子もない言葉に、麗句の眉間に皺が寄る。


 数多の”奇蹟”を手にするその身なれど、”軍医ドクトル”の言葉はあまりに突飛で、滑稽なまでに耳に馴染まなかった。


 ……しかし、”移動要塞ディアヴォロ”で、”破壊者リ・イマジネイター”――フェイスレスと交戦したシオン達は違った。あの戦闘で”多元世界”なるものの一端を、彼等は垣間見ている。


「フ……流石はこの惑星の”知識の集積”たる”賢我石”に選ばれし者。私の力に関しても、っていたか――」

「確証は得られませんでしたが、”状況証拠”は色々揃いましたからねぇ。”剣鬼ブレーダー”の表情から見るに、ここまでの過程で更に、”証拠”は固まったとみて良いですかね」


 シオンは特に表情を崩していない。だが、”軍医ドクトル”の機械の眼は、彼の肉体の体温の変化、分泌物質の分析を行い、彼の感情の動きまで察知していた。


 意識すれば、制御コントロールする事もできるが、やはり、それを忘れる程度の驚愕と動揺はシオンの内にあった。


 そして、フェイスレスと言葉を交わす、ドクトル・サウザンドの表情は、どことなく恍惚としているように見えた。彼の思考の源泉である”知識”への探求心が、その脳細胞の一つ一つを滾らせ、愉悦に浸らせているのだろうか――。 


 眼前にる、”未知に過ぎる”存在を思えば、無理からぬことなのかもしれない――。


「……さっきから何を喋っている。お前たちの面妖な会話は頭を痛めてかなわん……」

「”女王クイーン”――不勉強な方とは思っていましたが、これは”無教養”と認識し直さなければならないのかもしれませんねぇ」


 麗句の言葉に対し、これみよがしな溜息とともに吐き出された”軍医ドクトル”の暴言に、麗句の頬がヒクヒクと不穏に引き攣り、その唇は背筋が凍りつくような笑みを浮かべ始めていた。


 ……これは明らかに”別に”ではないな。響は一人苦笑し、額に浮いた汗を拭う。


「”多元世界”……多元宇宙とは、宇宙は単一ではなく、物事の結果・可能性とともに無数に分岐し、それらが同時に存在しているという考え方です。サイコロの目で言えば、振った時点で出た目それぞれの結果に対応した宇宙が分岐・生まれるという事になります。そして、恐らくフェイスレスは、その分岐した世界全ての”結果”を観測でき、任意の”結果”へと己をも転移させる事が出来る――信じ難い事ですが」

「………」


 故に、彼は知る事が出来た。”適正者”が誰なのかも。”天敵種”が誰なのかも。そして、それらがどのように結びついているのかも――。


 ”世界線移動ワールド・イズ・マイン”。


 フェイスレスがそう呼び、己の”十本尻尾テイル・ワイヤー”から逃れた異能ちからを、シオンは記憶から呼び起こす。


 アレが『”十本尻尾テイル・ワイヤー”が直撃しない”結果”へと己を転移させた』という事なのだとすれば、シオンは”軍医ドクトル”の言葉を”実体験”とともに認めざるを得なかった。


 破壊痕とは裏腹に”景色の変わらぬ室内”も、『破壊されない/フェイスレスに攻撃が届かない”結果”』をその場に投影させていると仮定すれば、合点がいかなくもない――。


 ……そんな異能ちからを持つ者が、人間の容貌カタチをしてこの世にある事だけが信じ難い。


 馬鹿げた話だとは思うが、そんな馬鹿げた領域が、シオンの生きる戦場ばしょであった。


 通常のことわりなど、何の尺度にもなりはしない。 


「そして、恐らく、この”現在地”がフェイスレスが選び続けた”結果”の終着点。貴方が選び続けた”結果”の収束する”最終地点”なのではないですか――?」


 ”ここに到る為に必要な事象を、貴方はジャック・ブローズなどを暗躍させる事によって成させ、補完したのではないですか?”


 興奮とともに矢継ぎ早に紡がれる”軍医ドクトル”の言葉に、シオンは己の持つ情報を繋ぎ合わせ、解答パズルを紐解く。


「……戦闘員シャグラット達にも彼の”死に到る欲望デッドリー・グリード”によって”変生”させられていたものが多くいたのでしょう。それらも恐らく、ジャックとともに暗躍し、”女王クイーン”の”魔女の吐息ジャンヌ・ダーク”の発動とともに、醜悪な”変生”後の異貌すがたを晒した。現在は、現地の”強化兵士カスタム・ヒューマン”達と交戦中のようですが……」

「現地の……? ジェイク達か……!?」


 シオンの口からもたらされた情報に、響の声がわずかに上ずる。


 駆け付けてやりたい衝動に駆られるが、いまは彼等を信じる事しかできなかった。


 無様でいい、姑息でいい、ただ生きろと――自分は信じ、命じたのだから。


 だから――、


「案ずるな、響=ムラサメ。彼等が死ぬる”因果”はここにはない――」

「――!」


 不意に射された言葉に、響の目が泳ぐ。


 得も知れぬ感覚だった。


 心臓が止まるような”驚愕”――いや”安堵”が響の胸ぐらを掴んでいた。


 響の心中を覗き見たかのような、フェイスレスの言葉が、まるでそれが”確定事項”であるかのように、響の胸へと響く。


 この男が、その”結果”を知っているから――そういう事なのか?


 疑問が、困惑が響の脳裏に満ちる。


「だが、お前の行動一つでその”因果”が歪み、変わる可能性はある。”此処ここ”に至るために、卿らの言うところの”暗躍”が――因果の調律が必要だったように、世界線の分岐は繊細で、時に不条理だ」

「なん……だと……?」


 まるでピアノでも弾くかのように、因果の糸を結び合わせるように、優雅に指先を動かしながら、惑う響へとフェイスレスは告げる。


「私とてその総てを観測し、我が物と出来るわけではない。しかし、この世界線においては私の意図通りに”因果”は収束し、新たな道を、”救済”へと至る”新世界”を生み出さんとしている。その調整はいまや、最終段階だ」


 語るフェイスレスの声音には隠し切れぬ高揚と歓喜の響きがあった。


 虚無に満ちた瞳に、僅かに感情めいた光が揺らめく。 


「その過程で、世界に点在する”因果”に大きく影響を及ぼす者達、他の世界線で大きな影響を及ぼした者達の排除も試みたが、彼等を存在させる”因果”もまた強く、複雑らしい。煌都のレイ・アルフォンスとリオン・マクスウェル。彼らはその筆頭だ。”あんなモノ”が彼らを護るように煌都へ帰属するなど、他の世界線ではありえぬ事だった……」


 ”煌都”にて、二体の”超醒獣兵ギガ・インベイド”が、煌都の象徴たる『タワー』を密かに襲撃した事は、此処にいるフェイスレス以外の誰もが知らぬ事である。


 それらが響と同じ”人柱実験体”である男に葬られた事も同様だ。


 そして、その二体ともが”強化兵士カスタム・ヒューマン”を素体とする”超醒獣兵ギガ・インベイド”であり、それは『”強化兵士カスタム・ヒューマン”を素体とした事例』が数時間前に製錬された”銀鴉ジャック”を初とする『この世界線』では、そもそも存在しないはずの”怪物モンスター”であった。


 すなわち――それらは、フェイスレスの手によって他の世界線から呼び寄せられた可能性が高い。


 レイとリオンを葬るために、この時間軸には存在しない強力な個体を差し向けたとう事なのかもしれない。 


 ……だが、それは誰も知らぬ事。


 響達には決して知り得ぬ事。状況としては、響達は”置き去り”にされているに等しかった。


 フェイスレスが語れば語るほど、迷路に迷い込むような感覚が、響達の思考をさいなむ。


 ただ、冷えた感覚が、ただ、認めたくはない感覚が、背筋を伝っていた。


 ――”自分達は、この男の掌の上で踊らされている道化に過ぎないのではないか?”


 そう考えてしまう程に、フェイスレスの声は、その言葉は、聞くものの精神の奥底にまで入り込み、その構造さえも組み替えてしまう様な”深淵”をその残響の中に秘めていた。


 しかし、


「フン……よくも長々と喋るものだな。”ご高説”もその冗長さでは右から左だ」


 唯一人――麗句=メイリンだけは思考を蝕む、その残響を振り払い、凛とした”女王クイーン”としての声音を響かせていた。


 ここであった”戦い”へと土足で踏み入る彼への”怒り”と、”矜持”を秘めた黒い瞳は、臆することなく眼前の”信仰なき男”を射抜く――。


「嬉々としてはしゃぐ、その様は拍子抜けするほど滑稽でもあるぞ、”顔なしフェイスレス”――。お前が何を謀ろうと、何を望もうと、私が”創世石”を奪取し、所持した”事実”に変わりはない」


 ”わざわざ現地ここに来たという事は、お前の仰々しい目的の成就には、”創世石アレ”が必用不可欠なのだろう――?”


 麗句はそう続け、虚無に満ちた”信仰なき男フェイスレス”の両眼を見据える。


 ”彼女サファイア”に語って聞かせたように、麗句が”創世石”を奪取する目的の一つには、”創世石”なる”物質としての神”を、彼等の、”組織アルゲム”の好きにさせない為、悪用を阻む為という部分が大きくある。


 それをらせる為に、サファイアに己の過去を見せたのだ。


 そして――その事で、彼女に”心”を救われた。


 だから、だからこそだ。


 その彼女の”想い”まで、眼前の男が弄する”策謀”の上で踊らさせるわけにはいかなかった。


 ”神幻金属オリハルコン”で編まれた鎧装よりも強固な、”女王クイーン”の鉄の意志が、退くことも、折れることもなく、眼前の”畏るべき者”達と対峙していた。


「……詰めが甘かったな、同胞ともよ。この場は私と”彼女”の勝利かちだ」


 フェイスレスだけでなく、他の同胞へも向けてそう告げると、麗句は短刀型の”鎧醒器アームド・デバイス”を構え、”一戦も辞さぬ”己が意志を”畏るべき者”達へと突き立てる。


 周囲の”現実”が歪み、この世の理を越えた鎧装を召還するべく、”鎧醒器”に組み込まれた”麗鳳石”が朱々あかあかとした光を放っていた。


 だが、


「フフ……ククク……クハハハ……ハーハッハッハ!」

「……?」


 耳障りな嗤いが耳朶を撫でた。


 麗句の言葉と意志に応じたのは、あの肌を粟立てる”歓喜の笑い”であった。


 目的が阻まれたような気配は、其処にはない。


「何が……可笑しい」


 語気に怒りを滲ませた麗句の眼差しが、剣の如く、不遜なる”破壊者リ・イマジネイター”を貫く。  

 

 しかし、当のフェイスレスには当惑する様子も、気圧される気配もなく、彼はただ歓喜に震える両腕を拡げ、その咽頭から”嗤い”を吐き出していた。


 気が触れたように文字通り、”笑い狂う”フェイスレスの狂態は、怖気とともに対峙する者達の精神を凍り付かせる。 


 同時に、火を噴くような煮え滾る”怒り”が麗句の中から噴き出し、それは怒声となってフェイスレスの嗤い声を引き裂いていた。


「何が可笑しいと聞いているのだ、フェイスレスッ!」

「フ……クク……それがいい、それがいいのだ、麗句=メイリン。卿が勝利した事により、私の計画は、因果の調律は最終段階を迎えたのだ。覚醒した"天敵種”から彼女を護るために、”創世石”をこの場から離してくれた卿の行為が――最高に”素晴らしい”のだ」


 その続きを、聞いてはならない。


 そんな予感が、響の肉の中に蠢いた。


 ”見れない”のだ。


 本来であれば、最も注視すべきその場所が、肉体に満ちる予感と緊張によって、”見ることができない”のだ。


 荒く乱れる呼吸を感じながら、響は虚無に淀むフェイスレスの両眼を見据える。


「そう……真の”適正者”と”創世石”を”分断してくれた”卿の働きがな――!」

「な……?」


 カッ、と。


 麗句がその言葉の意味を理解するよりも早く、ひらめいたあかい光が”信仰なき男”の黒衣を貫き、鮮血を――否、その内部に満ちていた”光の羽根”を散らしていた。


 しかし、尋常の濃度ではない。


 閃いた朱は、麗句が全霊で編むそれの数十倍の濃度を持っているように見えた。


 あまりの”高濃度”に固形化して見えたほどだ。

 

(馬鹿な――)

 

 ……そして、それがほとばしった方向を、麗句も響同様、”見ること”が出来なかった。


 何故、気付かなかった?


 何故――気付こうとしなかった?


 振り返れず、脂汗に塗れながら、麗句は己にそう問いかける。


 そんな事があり得るのか、と。


「そ……んな……」


 そして、”その”傍らにいたガブリエルも、状況を解せず、その場に座り込んでいた。  


 何故? どうして……?


 全ての疑問を、目の前の”超常”が覆い尽くし、応え、塗り潰す。


「ア……ル……」


 ガブリエルの震える声が、その名を紡ぐ。


 かざされた少年の掌から放たれたのは、紛れもない”畏敬の赤”であった。


 栗色の髪は赤く染まり、腰まで長く伸びている――。


 優しい輝きを秘めていた少年の瞳は、青い虚無に染まっていた。


「ア、ル……」


 多くの”事実”を乗り越え、覚悟を決していた響も、認識が追い付かず、ただ立ち尽くすしかなかった。


 先程まで、力なくうずくまっていたはずの少年。

 

 実の弟のように想い、愛している少年。


 その彼がいま、尋常ならざる濃度の”畏敬の赤”をその全身に纏わせ、そこに立っている。


 あの優しく、健やかだった少年の面影はすでにない――。


 ”明けの明星”の如く眩い光を帯びて立つ、”神の子”の異貌すがただけがそこにった。


「遅い覚醒おめざめであったな、”創世石ジュダ”――」

「…………」


 そして、”それ”と対峙するは、心臓部を撃ち抜かれながらも難なく立ち上がる、”信仰なき男”。


 彼が編んだ因果は、物語を次なる段階フェーズへと移行させ、その場にいる者達の宿命を新たに描き出さんとしていた。


 そう、いよいよ始まる。


 この惑星の”破戒”と”再醒”が、いま始まろうとしていた――。


NEXT⇒第07話 稀人-Threat-


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