第05話 真実―”Open Your Eyes”―
#5
”彼等”の着地とともに、”朱”の衝撃が大地を駆け巡る。
場に残されていた、塩の塊は全て砕け散り、虚空から舞い降りた”彼等”によって、荒れ果てた大地に、”朱”の粒子が敷き詰められる。
「なっ……」
あまりの驚愕に、響は言葉を失っていた。
現れた”来訪者”は四名。
そのいずれもが、この世の理を歪め乱す、”麗句=メイリン”と同種の存在である事を、”天敵種”である己が本能が読み取っていた。
彼等もまた、”畏敬の赤"の所持者――”物質としての神”に連なり、それを脅かす”力”を持つ者達だ。
詳細はわからずとも、”恐ろしさ”は理解できる。これまで対峙してきた、”超醒獣兵”や”人柱実験体”とは別次元の脅威がそこにはあった。
「目的は果たしたようだな、”女王”」
「……!」
そして、感情の欠片すら宿さぬ、打字されたが如き声音が響の、麗句=メイリンの鼓膜を震わせる。
実弟の抑えられた無感情な声音とは違う、掛け値なしの”虚無”が、その男の声にはあった。
フェイスレス。
”顔のない男”、”信仰なき男”――と、幾つかの意味を持つ綽名のような名を持つ男は、その声音同様、底知れぬ虚無を湛えた両眼を、麗句=メイリンへと向け、塩と朱の粒子が敷き詰められた大地を踏みしめる。
両肩の鎧装から伸びる、山羊のそれの如き大仰な角。
茨の如き棘の意匠を施された、拘束服を想起させる黒衣。
両眼以外の顔面を、白く覆い尽くす包帯――。
一見して理解る稀人であった。
その彼の足がまた一歩、麗句と響へと近付く。
だが、
「……雁首揃えて、今更何のつもりだ? 匹夫ども……!」
その稀人を前にしても、麗句は動じることなく、他の三名に対しても、その鋭き舌鋒を向ける。
「この”創世石”奪取の任は、この"女王”と”軍医”に一任されている。貴様らの出る幕はない! まして、作戦が成功し、”終了”したこの現状ではな……!」
黒衣のマントを翻し、麗句は断じる。四名の同胞を等しく貫き、断罪するかのように彼等へと指し示された指先に、気高き”剣”を響は幻視する。
もしかしたら、四名の”来訪者”も、同じ剣を視ていたかもしれない。
いや、視たのだろう。
僅かに気圧されるような気配が、黒衣の”来訪者”達から感じられた。
満身創痍の”女王”ではあるが、その気力はいまもなお、他四名に後れを取るものではなかった。対峙し、拮抗させるだけの矜持と胆力は、いまも彼女の内に漲っていた。
「……貴女の戦いを、勝利を穢すつもりはありません、”女王”」
「……!」
そして、”女王”が抜いた剣に鞘を被せるように、あどけない程に若い顔立ちをした青年が言葉を投げる。
”剣鬼”――シオン・李・イスルギ。
”武”を極め、”奇蹟”に到らんとする”百騎《鬼》衆”の長である彼は、各部に強固な鎧装を組み入れた、黒の戦装束を纏い、そこに立っていた。
彼の喉が奏でたのは、穏やかな、柔和な印象さえ抱かせる声音であったが、彼の纏う気配は鋭く、触れれば裂けるような”剣気”が、腰に差した刀剣の柄に添えられた指からも滲み出ている。
「”我々”は、元老院の……”組織”の意に背き、”創世石”へと手を伸ばした”裏切者”を誅するために、此処にいるのです」
「”我々”ぇ……?」
”苛立ち”を示すように、パキッ、と指が鳴らされる。
暗に”共謀関係”を匂わせるシオンの言葉に、毒々しく染められた金髪をオールバックにした、長身の男が内から溢れ出すものに喘ぐような、鼓膜に刃で斬りつけるような――不穏に乾いた声音を響かせる。
その身が纏う黒衣も、とても”正装”と呼べるようなものではなく、”特攻服”を思わせる傾いた出で立ちであった。
その背に刻まれた”逆十字”の紋章を彩るように、筆文字のような荒々しい刺繍で描かれた文字は、”邪道”。
そして、その紋章の下部に、描かれているもう一つの文字が、”Strayed”。
”道に迷った者”を意味するその言葉が、男の容姿とともに、響の脳裏に焼き付く。
複数のアンプルを組み込んだ純金製の首輪と、両腕を繋ぐ手鎖。
想起するものは”囚人”――あるいは、もっと凶暴な”何か”だ。
「俺は闘りたいように闘るために、此処にいるだけだ。場合によっちゃお前とガチで闘り合うのも悪くねぇなぁ、シオン。以前闘った時の決着も付いてなかったしナァ」
「……話が拗れます。黙っていてもらえますか」
獣のように発達した犬歯と、蛇のように長い舌を見せながら嗤う同胞に、シオンは心底呆れた声音で応え、軽く額を抑える。
――我羅・SS。
”毒蠍”と”毒蛇”の称号を持ち、地上に生きる場所を失くした、犯罪者達を束ねた、”羅獄衆”を統率する男は、奔放に、強欲に、戦場を闊歩していた。
これが初の邂逅ではあるが、その”縛られぬ”性質は、響にも良く理解できた。
「……納得だな」
「……?」
響の口内から漏れた言葉に、直近に立つ麗句の耳朶が反応する。
「こんな連中に、”創世石”は渡せない――」
「……同感だな」
響の呟きに、麗句は独り言のように、そう返答した。
その返答に、響は理解する。
麗句=メイリンがサファイアの”回収”を急いていたように見えたのは、自分のような”天敵種”の到着と、”彼等”の来訪を予感し、恐れていたからなのかもしれない。
事実、いま此処にサファイアの身体と”創世石”があったかと思うとゾッとする。
この”畏るべき”者達が彼女に対し、どのような”暴挙”に出たか想像もつかない――。
(万事、休すか……)
そう理解すると同時に、響の心に焦りが噴き出す。
響の視覚は、蹲るアルと、その不調を察し、駆け寄る幼竜の姿を捉えている。
”こんな連中”の気配だけでも、普通の少年であるアルには大きな負担だろう。現実を歪める”畏敬の赤”の性質を考えれば、その身体に実害を及ぼす可能性すらある。
一刻も早く、この場から遠ざけねばならない――。
そう決断するも、それは容易く成せる事ではなかった。アルが動けない以上、自分が運ぶ以外に選択肢はない。しかし、”彼等”がそれを――、
【……忙しいな、”喰らう者”よ……】
「………!?」
それを”赦す”はずがない。
自分の身体を、影だけですっぽり覆ってしまうような巨体が、響の真横に立ち、その巨体が纏う黒の巨鎧が軋むような、鈍く、重い音を立てていた。
ズン――と、地盤そのものが揺れるような足音が、響の身体の芯まで轟き、響の瞳はその足音の主を、その容貌を捉える。
(なっ……?)
目視した瞬間、呼吸が詰まった。
何故、気付かなかった? こんな存在がここまで接近していたにも関わらず、何故、”気付こうとしなかった”?
”獣王”の称号を持つ――『G』という名とも、記号ともつかぬ呼称を有するその男は、ほぼ密着しているに等しい距離で、響を”観察”、”凝視”していた。
兜から除く口は、耳まで裂けた爬虫類のそれを想起させ、剥き出しとなった歯は肉食獣の“牙”としか形容できないものである。
背中に在る、鎧の内部から突き出ているような刃状の突起も、彼の非人間的な特徴をより際立たせている。
というより、明らかに”人間”ではない。その遥かな高みに位置する存在であると、全身の細胞が、本能が叫んでいた。
(そう、か……)
響は己の失態を理解する。
恐らくは”恐ろしかった”のだ。己の本能が彼を恐れ、”見ない振り”をしていた。四人いる事を知覚しながらも、彼へと意識を向けようとしていなかった。
脂汗が滝のように滲み、心臓の鼓動が皮膚を突き破らんばかりに暴れ出す。
体内で”壊音”が蠢き、響の体内から逃げ出そうとするかのように、のたうち回っていた。
”壊音”もまた、彼を恐れているのか――。
【……下手に動くな、”喰らう者”よ。動かぬのなら、滅さぬ……】
牙に満たされた咢が開かれ、その奥に、青白い光が明滅する。
そこにあるのはもはや、”危機”などというものではなかった。
その咢の奥底にあるのは、具現化された、圧倒的なまでの”死”である。
だが、
「くっ……あっ……」
【……?】
だが、それでも――あそこで蹲る弟の命を諦めるわけにはいかない。
たった一つ、それだけの想いが、本能から湧き上がる恐怖によって、金縛りにあったように麻痺した四肢を震わせ、前へと進めようとする。
それが叶う”道理”も”策”もない。
だが、”人間”を思う”人間”だからこそ、響は己が肉体を動かし、眼前の絶対的な”怪物”へと抗おうとした。
その様に、”獣王”の目が興味深そうに、僅かに細められる――。
【……時折、身の丈に合わぬ”大きさ”を見せるものだな。”小さき者”よ……】
「な、何……?」
”獣王”が語った言葉の意味を拾いきれず、響は惑う。
少なくともそれは、響個人ではなく、もっと大きな括りに対して贈られた言葉のように感じられた。
そして、
(ようやく……”役者”が揃いましたね、同胞)
「……!?」
その刹那、重厚で荘厳な美声で紡がれたようでいて、どこか下卑た残響を持つ独特な声音が、響の、その場に立つ全員の鼓膜を揺り動かす。
響は、その男の声に”聴き覚え”があった。
「飛羽……ッ!」
【悪魔之蛸足起動――】
そのような電子音声とともに、岩肌の陰から飛び出し、響の足元へと転がる”物”が一つ。
一瞬、響はそれを”生物”だとは認識しなかった。
蛸足のような機械の触手を蠢かせ、地面を這いずる、半分機械のそれが”人間の生首”だとは、思いもしなかったのだ。
「何だか随分と久しぶりな感じがしますねぇ。”選定されし六人の断罪者”のお歴々――」
(こ、こいつは……)
ドクトル・サウザンド。
忘れもしない。この男は、銀鴉との戦闘の直後、サファイアを差し出せと脳内に直接、映像を、”脅迫”を送信してきた男だ。
”この街の平穏を奪い、アルの両親の殺害を指示した男”を前に、村雨の柄を自然と強く握り締めた響は、不意に、直近に立つ麗句の表情の変化に気付く。
「アンタ……露骨に嫌そうだな」
「別に」
「顔が引き攣ってるぞ」
「別に」
麗句の口はへの字に曲がり、その瞳には、死体に湧いた蛆の群れでも見るかのような”嫌悪”が満ちていた。
……その顔で本当に”別に”なら大したものだと、苦い笑いを噛み殺しながら、響は新たに現れた”軍医”を含む、黒衣の六人の異貌を見回す。
そうだ。麗句の表情や、六人の間にある、とても”共謀関係”にあるとは思えぬ、張り詰めた空気を考慮すれば、彼等が”一枚岩”であるとは考え難い。
お互いの隙を窺うような、この状況であれば、”天敵種”としての特性を持つ自分が、その壁に孔を穿てる可能性は、微々たるものだったとしても――零ではないはずだ。
どう動く。どう――動けばいい?
身体を逸らせる焦燥を、思考で解体し、響は岩肌をジリ、と踏み締める。
そして、その響の動きを、ドクトル・サウザンドの赤色光を放つ機械化された眼が捉えていた。
続いて、”正面”へと眼を向けたサウザンドの口元に、怪しげな笑みが浮かぶ。
「六人の断罪者。天敵種。舞台の上に役者が揃ったのであれば、そろそろ主催者の口上をいただきたいところですねぇ――フェイスレス」
「………」
軍医の眼がいま凝視するのは、両眼以外の顔面を包帯で覆った、その男。
――”信仰なき男”である。
彼もまた、ドクトル・サウザンドが何かを掴んでいる事を悟ったか、その虚無に満ちた両眼を、機械仕掛けの生首へと向けていた。
その様に、響の背にゾクリと走る”悪寒”があった。
何かが起きようとしている。
何かが。
呼吸の乱れが、”壊音”のザワつきが、響の精神を掻き乱し、軍医の声が楔のように、不穏に歪む場の空気へと打ち込まれる。それは、
「この状況も全て、”貴方が用意したもの”なのでしょう……?」
思考を覆う黒い霧を晴らすような、”確信”を秘めた一言であった。
軍医の舌が囀り、フェイスレスの右手がゆっくりと自らの口元を覆う。
その場にいる全員の目が、この”顔のない男”の包帯に覆われた顔を凝視していた。
そして、
「フッ……ククク……クハハハハハ……」
「……!」
その時、一同は、信じ難いものを聞いた。
”あるはずのない”音だった。
フェイスレスの咽頭に埋め込まれた発声機器から漏れ出したのは紛れもなく。
紛れもなく――歓喜の感情に咽ぶ、笑い声だった。
「……”救済の時は来たれり”、だ。諸君……」
(なっ……?)
そして、ドクッ……と、その言葉を聞いた刹那、響は体内で”壊音”が、”創世石”や”獣王”に対するものとは異なる反応を示している事を認識する。
それは、相容れぬものへの”憤り”。
それは、相容れぬものへの”嫌悪”。
それは、相容れぬものへの”殺意”。
様々な、だが一方向へと収束する多くの感情が”壊音”の中で蠢き、響という器を満たしてゆく。
(ああ……そう、か……)
肉体に満ち、己の内からも湧き上がる”それ”に、響は己が性を、宿命を理解する。
我は”人柱実験体”。
人という種を越え、人を支配し蹂躙する神をも喰らう、真の規格外品。
俺は――”この男”を斃すために、ここにいるのかもしれないと。
NEXT⇒真実―”Next phase”―