第06話 降り立つは”逆十字”
#8
「……興味深い、実に興味深い」
その男の容貌は奇異であり、常軌を逸していた。
銀の髪に、赤の瞳。彫りの深い舞台役者のような顔立ちではあるが、左半分はヒューズ等が束になって構築されている。それは銀色の筋肉、体組織が露出しているかのようなグロテスクな印象を見るものに与える奇怪な造形だ。
そのヒューズ、コード類の隙間からは黄金の爪のようなパーツが飛び出しており、赤色光を放つ機械の目とともなって、対峙する者を威圧しているようでもあった。
その身を包むのは黒衣。背からは顔に在るものと同様の爪状のパーツが飛び出ている。左半身は完全に機械化されているらしく、黒々とした鋭利な爪を持つ鋼鉄の左手が、男の気分の高揚と相まってカチャカチャと音を立てていた。
その左半身には加虐性と被虐性が同居しているかのような奇妙さがあった。他者を威圧しているようでいて、自らを痛めつけているようでもあるのだ。
それでいて右半身は容姿端麗……と表現してもよいほどに整っている。歪な壮麗さとでも言うのだろうか、愉悦に歪むその口の端が“貴公子”と呼称されてもよい容姿を“狂人”へと堕としめている。
――もっとも当の本人にとっては、それこそが在るべき己の姿なのかもしれないが。
「あの奪還戦の後、あらゆる反応、痕跡を消しておきながら、こんな辺鄙な、辺境中の辺境でふたたび、覚醒の兆候を示すとは手間をかけさせてくれます。それも名がナザレスとは――飽くまで“救世主”を気取りますか。さて……」
そして、男はこの建造物の主であった者――ナザレスの少年たちをたぶらかし、近隣を荒らしまわっていた野盗の頭領へと視線を移していた。頭領の周囲にはかつて部下だった者たちのパーツが散らばっている。それが生まれる過程を目撃した瞳が恐怖で見開かれ、その脚はせわしなくガタガタと震えている。
「なかなかの拾い物です。キミの骨格、胴よりはるかに短い足など、私が現在、設計している機械人形の素体にピッタリです。さらに、盗賊なんていう辺境らしいレアな職業も素晴らしい。その粗野で、下劣な精神はさぞ上質な、“インベ≒イド”を生んでくれるでしょう……」
「た、助けてくれっ、欲しいものはなんでも――」
「私の千点頭脳がそう告げるのです。キミのすべてが欲しい、と」
その刹那、男の背中の爪が伸び、レーザーメスの如く光を閃かせたかと思うと、頭領の表皮が裂け、まるで不要なものが剥がれ落ちるように地面へと落下する。
激痛と恐怖がもたらす阿鼻叫喚の声を男が懐から取り出した石が感知、吸い出すように輝き、背中の爪と左手の黒々(くろぐろ)とした鉄爪がめまぐるしく躍動する。
恐るべき解体術であった。ほんの数秒で野党の頭領だったものの身体は、骨とそれ以外の残骸に綺麗にわけられていた。
野盗一党ぶんの血の海となった室内を特に気にすることもなく、男は――異能結社アルゲムの幹部の一人、ドクトル・サウザンドは背に逆十字を刻んだ黒衣を翻し、石のテーブルの上に設置したPCに向かう。
そのディスプレイに映し出される異形の設計書の数々を完全に理解できるのはこの男、唯一人と言えるかもしれない。
「サウザンド様」
そして、そのサウザンドへと一つ眼の仮面を身につけた黒衣の部下――組織内で戦闘員と呼称される者たち――が部屋の入り口から声を掛ける。このような状況は見慣れているのか、彼等にも特に動じた様子はない。
「麗句=メイリン様、お見えになられました」
「……女王。やれやれ、“選定されし六人の断罪者 (ジャッジメント・シックス)”が二人も出迎えに参上とは、“救世主”も幸せ者ですね」
呟き、サウザンドは建物の外へと向かう。組織からの使者を、共に任務に当たることとなるパートナーを迎え撃つために。
太陽は沈み、夜の帳が自治区を囲うように存在する山々の岩肌を覆う。
その中腹に位置する自治区の物資を狙う盗賊のアジトだった場所は現在、突如、この地に現れた集団の手によって、前線基地兼、ヘリポートとされていた。
そして、それぞれが纏う黒衣と同様に”逆十字”の紋章を刻んだヘリから降り立った存在は、艶やかな黒髪を風になびかせながら瞳を閉じ、憮然とその長身を闇のなかに浮かび上がらせていた。美の彫像と化した己の姿に周囲が息を飲んでいることなど、意に介することもない。
彼女の傍らには青い髪と青の瞳を持ち、青いレザースーツ(”キモノ”と呼ばれる衣服のデザインにも似ている)を身に纏った青年と、白と黒のストライプの衣服を纏ったボブカットの青年――幼い顔立ちと背丈のせいか、少年にも見える――が立っている。
“女王の誇り”。それは異能結社アルゲムの最高幹部、
“選定されし六人の断罪者 (ジャッジメント・シックス)”の一人、麗句=メイリン直属の戦士に与えられる称号。二人の青年はその称号の保持者であり、組織の煌都での第一次作戦“清き憎しみの花々”における欠員、二名を除けば、唯一、その栄誉を預かった選ばれし者たちである。
名をブルー=ネイルと、シャピロ・ギニアス。共に強化兵士である二人を付き従える麗句=メイリンという存在。……“女王の誇り”は彼女が持つ“力”の強大さと、彼等を心酔させるだけの人格の裏づけと呼べるかもしれない。
「ようこそ、女王。……“王者の石”探索、奪還の任の為とはいえ、直々のご足労、痛み入りますよ」
「……貴様は遊んでいるように見えるがな、軍医」
麗句の耳を撫でる、どこか芝居がかった声音。
慇懃無礼な挨拶で出迎える自らと同じ“選定されし六人の断罪者 (ジャッジメント・シックス)”の権限を持つ男、ドクトル・サウザンドを一瞥し、麗句=メイリンはその足を彼へと一歩、近付ける。
その瞳に込められた“殺気”の凄まじさに周囲の空気が凍りつく。
彼女が持つ女王の異名は飾りではない。
「遊んでいる? 心外ですね、貴女の来る前に仕事を――」
サウザンドの口元に嘲りにも似た笑みが浮かんだ瞬間、その首筋に冷えた刃の感触が伝った。麗句の黒衣の袖口から伸びる黒々(くろぐろ)とした刃は月光を吸い込み、妖艶に煌く。
タールの海のような漆黒のエネルギー体が彼女の皮膚を覆い、硬質化している……そんな印象を覚えさせる刃だった。それを軍医の首筋に押し当てる麗句の瞳が冷ややかに輝く――。
「……血の匂いがするぞ、ドクトル・サウザンド。貴様の仕事は疫病の如く馬鹿騒ぎを広げるだけか?」
肌を切るような麗句の眼光に、ああ、とサウザンドは呟く。――取るに足らぬ感傷だ、と言わんばかりに。
「辺境とはいえ、煌都とのラインを持っているような自治区なのですよ? ならば、そのラインは断つべき、と、考えますが」
サウザンドは眼前の女王の”潔癖”に辟易したといった様子だった。しかし、麗句にしてみれば、サウザンドの生命を弄ぶような”悪癖”にこそ辟易しているのである。
「貴様の言うところの辺境で煌都を恐れるか。……まるで鼠だな。こそこそと暗闇を這いずり回り、脅えるあまり誰彼かまわず噛み付いてしまうような――。貴様も愛らしいところがあるじゃないか」
「フ…鼠ですか」
麗句の挑発にサウザンドは唇に指を乗せて、小さく笑う。品のある仕草であるはずなのにどこか下卑た印象を受けるのは、麗句の肢体を舐めまわすように観察する視線の存在ゆえか。
――そうだ。この男にとって、全ての生命、存在は自らの好奇心を満たすための観察対象でしかない。全ての人間が自らの設計し、開発する“作品”の素体であり、材料に過ぎないのだ。
麗句にとって許容できる点があるとすれば、サウザンド自身もその対象である、という点のみであろうか。機械化されたサウザンドの半身は彼にとって至高の作品であり、自らを検体とした実験の結果なのだろう。
自らの半身を失った際、彼は狂喜したという。“これで研究の成果を試せる“、と。
「鼠よりは優雅な鳥や、勇敢な獅子でありたいものですねぇ。……いや、それはまさに貴女のための比喩か。その美貌で優雅に戦場を舞い、獅子の如く敵兵を噛み殺した辺境のジャンヌダルク、火刑台の上から生還した貴女にこそ、この比喩は相応しい。そんな貴女を解体したい。ふむ……ここで、その欲求を満たすのも悪くないかもしれません」
「穢れた舌で私を語るな」
一触即発。
組織の幹部であり、最上級の戦士である“選定されし六人の断罪者 (ジャッジメント・シックス)”、その二人の対峙に戦闘員たちは息を飲み、背筋を凍らせる。
麗句に退く気配はない。女王の鉄の意志は彼女以外の意志によって折れることは決してない。
しかし、サウザンドはやれやれと嘆息し、降参とでもいうように両手を挙げてみせた。こちらは勝負事に価値を見出すタイプではないようだ。――そもそも勝負しているつもりなど初めからないのかもしれないが。
「やめましょう。確かに我々、ジャッジメント・シックスには組織における全権、反逆の権利すら与えられています。ここで私を殺めても貴女が罰せられることはない。しかし、つまらないでしょう。此処は貴女にとって心躍る戦場ではないはずだ」
「……そうだな、貴様を殺すなら戦場のなかこそが相応しい。いや、人が他者の手により死すべき場所は戦場のみであるべきだ。いかな職にある者であっても、な」
――こいつとは噛み合わない。急速に冷める自らを認識しながら、麗句は袖口から伸びる刃、その武装を“解除”する。瞬時に黒い粒子に戻ったそれは闇のなかに掻き消える。自らのあるべき場所に還るように。
(……“王者の石”。思えば、奴も気紛れなものだ。自らを護りし者の最期に何の兆候もみせずに、こんな場所で――)
おかげで余計な犠牲を生む破目となった。
麗句には、その身勝手さが人に理不尽な運命を強いる神のようにも思える。神の如き“力”、世界を改変し、世界を創造する力。あるいは世界を破壊する力――“救世主”、その呼び名に値する者にしか与えられぬ、究極の力。
幻想のなかにしか存在できぬような、いや、まるで妄想にしか思えない力。
詳細を調べれば調べるほど、彼等が、組織が求め続けているそれの正体は不可解であり、馬鹿げた代物であった。――だが、麗句には確信がある。
(そうだ、あの夢の如き認識――)
奪還戦の折、己が“戦友”たる“石”を媒介として感知した超然とした感覚。あの戦場で、瓦礫の上で、その気配の片鱗を、天使の羽の如き光の断片を舞い散らせる、幻想の甲を意識のなかに感じた彼女には、その存在を肌で認識できる気すらした。
「……友よ、我等は勝てるか? “救世主”とやらに」
応えるように、彼女の黒衣のなかで何かが光る。
その輝きとともに、麗句の影が一瞬、異形のものへと変わっていた。
先ほどの刃と同じく月光を妖艶に反射させる黒の鎧装。
それは天使と呼ぶにはあまりに禍々(まがまが)しく、悪魔と呼ぶにはあまりに美しい、漆黒の堕天使――鷹を模したと思しき仮面の赤々とした眼が夜の闇に女王の意志を浮かび上がらせる。
(立ち塞がるなら、斬り砕くのみ。神も悪魔も降りぬ大地を制すのは――)
その大地を切り拓く、揺るがぬ己が意志のみ。
“救世主”など必要ない。人を救うのは結局、人でしかない。
秘められし力が害悪にしか過ぎないのなら、この手で倒すのみだ。
惑星に選ばれし者の一人として――。
辺境の自治区に似つかわしくない策謀と意志が、いま、動き出そうとしていた。
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