晩餐-"Something You Don’t See Everyday"-
この幕間は、本編開始前の時系列に位置する番外編です。本編は、この『晩餐―前・後編―』の後、第五章より再開します。
#EX
「アル達が紅茶を……?」
「うん、誕生日――ボクがこの街に来た記念日のプレゼントだって。ケーキは自分で作らされちゃったんだけど」
非番という事もあり、珍しく家に帰ってきた響の元へ飲み物を運びながら、サファイアは嬉しそうに、その”出来事”を語っていた。
たぶん、棚の上に大事そうに置かれている缶がそれなのだろう。
包み紙と、缶に結ばれていたと思しきリボンも綺麗に畳まれて、缶のすぐ側に置かれている。
彼女の喜び、感激の度合は推測するまでもなかった。
「でも何だか勿体なくて……封を開けられないんだ。何か特別な事があった日に、大事に、一つ一つ飲んでいこうかなって」
「そうか……」
アル達の気持ちそのものを愛おしむような、彼女の感性が胸に心地良かった。
身を預ける椅子とテーブルの木材の香りが、鼻腔を擽る。
”安らぐ”。例え、僅かな時間でも、”休息”が五体を揉み解し、安堵させていた。
普段、自分が激務に身を置く理由がここにあると感じる。
皆が持つ、このような安らぎを護るために、自分は日々奔走しているのだと。
”猛毒”の名とともに、この街に居るのだと。
そうだ、護らなくてはならない。
――この”自分”からも。
「だーかーら」
「!」
そして、そんな響の前に、コトリと飲み物を置き、サファイアは青い瞳をじっと、響の目に合わせた。
「だから、響が珍しく、珍しーく帰ってきた今日のお夕飯の後に開封して、二人で飲もうかなって」
「は、はは……」
ホントニ カエッテコナイモンナー。
やや棒読み気味の言葉とともに、青い瞳が、じーっと響の顔を見ていた。
にこやかな表情の中に、普段滅多に帰ってこない同居人への不満が渦巻いていた。
響としては、苦笑してやり過ごす他ない状況である。
「……なので、紅茶はお預けにして、3時のおやつのお供は――」
「――あの黒くて無意味に苦い液体か。利尿作用も高いから水分補給にもならない。無駄な消費だ。改めた方が良い」
「は、はは……」
”コーヒーだよ”。
そう伝える前に、切り捨てられた自分の言葉に、今度はサファイアが苦笑する番だった。
世界中の子供達に見せてあげたいくらい、好き嫌いなく、何でも食べる響ではあるが、コーヒーにだけは、”敵愾心”にも似た感情を保ち続けている。
飲食は”栄養”を摂取するためのものという信念を持つ彼にとって、糧に成らぬもので無駄に水や物資を消費する事は許されざる行為なのだろう。
その理屈はわからないでもないが。
「ま…まぁまぁ、美味しい牛乳と蜂蜜が手に入ったからさ、ボク特製のカフェオレにしてみたんだ! これはきっと気に入ると思うんだよネ」
「う……む」
チラっと、上目で響を見て告げると、響の腕がおずおずとコップを手にとっていた。
牛乳と蜂蜜はこの上ない”栄養”なので、彼の食指も動くだろうと踏んでいたが、今のところは計画通り進んでいるようだ。
サファイア自身、この蜂蜜で作る特製カフェオレは、”大好物”と言えるものだ。
蜂蜜が手に入る機会は少ないので、滅多に作れない、貴重な贅沢品と言える。
だからこそ彼とも分かち合いという気持ちが強かった。
彼には世界の”甘美”な部分を、もっと、もっと知って欲しかった。
グラスが口元に運ばれ、胡桃色の液体がその喉へ――、
「……!」
(……飲んだ!)
喉へと注がれた瞬間、わずかに響の頬が紅潮したのがわかった。
そうだろう。そうだろう。
甘党の響が、芳醇な甘美の中に、仄かな苦味を宿す、この液体に抗えるはずがない。
”勝利”の確信と、安堵に少女の頬がホッと緩む。
だが、
(あれ……?)
戦況はいまだ”五分”だった。
響の反応は、少女の推測とはやや離れたところにあった。
半分程、中身を喉に注ぎ込まれたグラスは、静かにテーブルへと置かれ、響は何かを思案するように、眉間に皺を寄せていた。
果たして、どのような想いがほとばしったのか――。
重い沈黙とともに、その拳はワナワナと震えていた。
示されているその感情は――、
「お前は……」
(……?)
やがて、そのカフェオレに濡れた唇が、震える声音とともに開かれる。
「珈琲は……この味を手にするのに、いったいどれだけの牛乳と蜂蜜を犠牲にした……?」
(は、はい……?)
珈琲にくれてやる慈悲などない。
そんな表情だった。
まるで、長年の友を殺めた敵を見据えるかのような表情で、響はカフェオレの中に潜むコーヒーを睨み付けていた。
彼の栄養摂取に対する目線はなかなかに厳しい。
その目線を、直接ジャムを食する”密かな愉しみ”へも向けてもらえればよいのだが――。
(あ、はは……)
響と珈琲。
両者が和解する日はまだ遠い――。
そんな実感を抱きつつ、響と3時のお茶をしばし楽しむと、サファイアは夕飯の準備に取り掛かるべく、椅子から腰を上げた。
今宵の晩餐を、より彩りに満ちた、甘美な思い出とするために。
彼に、新たな食の喜びを知ってもらうために。
そんな気持ちとともに、少女は下ごしらえをしておいた食材を冷蔵庫から取り出す。
そして、その同時刻――。
もう一つの”晩餐”の準備は、遠い虚空の果てで着々と進みつつあった。
※※※
(……成程。”噂”と”実物”では大違い、という訳か)
足を踏み出せば、大理石やコンクリートではなく、ヌメリとした”生”の感触が靴裏を撫でた。
まるで”胃壁”のような、その”通路”の装いに、彼女は――麗句=メイリンはしばし、その歩を止めていた。
虚空を泳ぐ、大型の蟲を想起させる形状を持つ巨塊。
全長2km長の巨躯を誇る”移動要塞”。
いま、麗句=メイリンが立つのは、その要塞の腹部に建造された”塔”状の居住区――其処のほぼ最深部に位置する”獣爾宮” 。
その入口へと続く”通路”である。
だが、通路と呼ぶにはあまりに生臭く、生き物のように脈打つその”床”は、麗句の興味を擽ると同時に、強い”警戒心”を湧きあがらせていた。
例えではなく、この通路は巨大な胃袋へと続く”食道”であるように思える。
――この”獣爾宮”の”主”の事を考えれば尚更に。
そして、
「此度のご足労、感謝する――”女王”」
「……!」
歩みを止め、入口付近の情景を目で愛でていると、奥から低く厚みのある声音とともに、”金”と”銀”の影が現れ、彼女を出迎えた。
閻王と甲王。
黄金の鎧と鉄仮面で身を覆う閻王と、銀の鎧と鉄仮面で身を覆う甲王。
この”獣爾宮”を本拠とする”業煉衆”の精鋭にして、統率者と呼べる二人である。
閻王の腰には、金の鎧装に覆われた細い尾があり、甲王の巨腕は、禍々しい刺を備えた鉄球の如き盾を、手鎖とともに抱えていた。
麗句にとって実力は未知数だが、”業煉衆”の長――あの”獣王”の両腕と目される二人である。
只の”人間”であるはずがない。
「フッ……あの”獣王”が私を、”人”を招くというのだ。こんな機会を逃しては、私の人生に”後悔”を残すことになるだろうからな」
己の案内のために現れた二人に告げ、麗句は脳裏に蘇りかけた己の”後悔”から目を伏せる。
だが、美貌の中に繕われた”女王”の仮面は崩れず、彼女の足は、悠然と二人の後に続いていた。
「……先の我等の失態。”女王”には多大な迷惑をかけ、その上で事態の収拾という恩恵を受けた。感謝という言葉では簡単すぎるが、改めて我等から礼を言いたい」
通路の半ばで、閻王は歩を止め、頭を垂れる。
所作、言動ともに、紳士的な男である。
”怪物の群れ”とも揶揄される強化兵士を中心とした”業煉衆”ではあるが、このように姿でなく行動で人間性を感じさせてくれる男がいるとなれば見方も変わる。
最も、閻王の語る、麗句に降りかかった”迷惑”は、思い出すと同時に、その評価をごみ箱に投げ捨てさせるようなものだったのだが。
「決して死ぬことのない不死身の心臓……だったか。いまだに信じられんが、”あんなもの”の取り扱いは組織として禁じてもらいたいものだな」
俗称”不死者の心臓”。
”業煉衆”が要塞内に持ち込んだそれが、”人間の形に”自己修復し、”逃走”。やがて五メートルを超える人喰いの”巨人”となって要塞内で暴れだしたのを駆逐したのが、”女王”――麗句=メイリンだった。
斬ろうが、突こうが、無限に再生する”巨人”の処理は、全霊に近い戦力の投入を、彼女に課す難事であった。
あのようなものをどう使おうとしていたのか――。
”軍医”の醜悪な研究程ではないが、それは麗句にとって看過できる”企み”ではなかった。
「ジャガーの野郎には充分に”説教”しておいた。あの道化師はちと電子頭脳が”イカれて”やがるからな」
甲王は、閻王とは対照的に粗野な口調で吐き捨てると、鎧装の隙間からわずかに覗く首筋をボリボリと掻く。
その首筋に、麗句は確かに”鱗”のようなものを視認した。
(”針の王"甲王に、”道化師”ジャガーか……)
やはり……人ならざる者達の集団。
その様に、麗句は確信を深める。
”感銘”と言い換えてもよいかもしれない。
甲王が”説教”したという、”先の事件”の原因とされる”道化師”ジャガーは、”業煉衆”の参謀格とされる男だ。
飽くまで噂だが、かつての人類の故郷――”地球”から持ち込まれた”電子頭脳”を、”遺跡技術”で修復・改良した、”機械”である、らしい。
馬鹿げた話だ。
馬鹿げた話だが、眼前に居る閻王と甲王の出自にまつわる”噂”を含め、”業煉衆”を構成する者達の個人情報は、にわかには信じ難い、おとぎ話としか思えぬ情報の羅列ばかりだった。
理解しようとすれば、確実に迷宮へと迷い込む。
まるで”神話”や”寓話”の類だ。
(……化かしている狐がいるのなら、早く出てきてもらいたものだな)
胸の中で呟き、麗句は”生物”としか思えぬ壁面へと手を伸ばす。
それが、”現実”であるかを確かめるように。
だが、
「……!」
触れようとしたその瞬間、麗句の美貌は引き攣り、その身は固まっていた。
彼女のしなやかな指先が、ピンク色の肉壁に触れかけたその一瞬に、壁面に魚のような”目”が顕れ、彼女を視ていた。
嫌な汗が、麗句の背に滲んでいた。
感情のない、ただ”生きている”としか言えぬ”目”に、麗句の肌は粟立つ――。
「……あまり触れないほうが良い」
「!」
そう”珍しくない”現象なのだろうか。
固まっている麗句に、閻王は慣れた様子で声を掛ける。
「これは元々、”崩壊と再生を繰り返し進化する”類の生物……であったらしい。それを要塞に組み込むことで、”崩壊”を防ぎ、”進化”を抑制していると聞く。そんな生物だ。どのような刺激で、また”進化”を始めるか、見当もつかぬ」
閻王は言葉を区切ると、麗句の腕をとり、丁重に、優しく下ろさせる。
鉄仮面に覆われているが、彼が笑んだのがわかった。
「特に、”女王”の美しい指先の接触は、生物にとってもだいぶ刺激的だろう」
「からかうな……」
憮然と応え、麗句は”とんでもない処に来た”と悪態を吐いてみせる。
だが、それと同時に”女王”としてではない、くだけた笑みを浮かべた彼女に、閻王も甲王も、纏う空気をわずかに緩めたように感じた。
下手にかしこまらない――このような肩の凝らないやり取りは、麗句の好みに合っていたと言える。
(さて……)
だが、この先に待つ者は果たしてどうだろうか――。
”獣爾宮”へと続くこの道に入り、およそ五分が経過している。
そこにあるのは魔境か、あるいは楽園か。
今宵の晩餐の主催者である”獣王”の待つ区域は、もう目前へと迫っていた――。
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