第24話 蒼く輝く―Safaia―
#24
荒涼とした岩肌に、蒼い光が降り注ぐ。
光を帯びた黒い鋼に、月光の花が咲く。
空間を支配する”朱”がわずかに霧散し、その間隙に蒼の光が拡がっていた。
その光の中で、黒い鎧装、その仮面の奥に灯る昏い光が少女を見る。
「届ける、か……」
口内で少女の言葉を反芻し、麗句は僅かに目を背ける。
目の前に立つ少女の御姿がただ、眩しかった。
両腕に十字を模った大型の盾。
鎧装の上に羽織られているのは、光を透過する素材で編まれた布状の装具、”蒼天の透衣”。
託された想いを、鎧として結実させた、アルファ・ノヴァの――サファイア・モルゲンの姿は陶然とする程に美しい。
――当然かもしれない。
そこにある輝きは、この少女の”心”そのものだ。
「――サファイア・モルゲン」
麗句=メイリンは、黒の鎧装を前進させ、その輝きをしばし凝視する――。
そして、
「フン……!」
「……!」
やがて、その鉄爪が己が鎧装を抉る程に固く握り締められ、その”拳”が、無造作に、十字型の盾を殴りつける――!
衝撃で後退した脚部鎧装が、砂埃を巻き上げていた。
「麗句……メイリン」
盾の”加護”によって損傷と呼べるものは、何一つなかったが、麗句の意志は伝わった。
戦う事しか知らぬ”心”の――麗句=メイリンなりの返答だった。
「大したものだ、私の友の声を聞き、その想いを鎧と成してみせる。それは……”畏敬の赤”とは関わりのない、お前だけの”奇蹟”」
見たところ、目の前の鎧装から感じる力に、”畏敬の赤”の要素はほとんど感じられない。
蒼の追加鎧装によって修繕・再醒した鎧装は蒼く輝き、その光で麗句を包み込む。
――温かい。
”畏敬の赤”の粒子には、覚えることのない感覚だ。
「麗句=メイリン……もし、"聞こえて"いるのなら」
優しい、悲しげな声が耳朶を打つ。
だが、その声に、麗句は機械的な仮面を横に振り、応える。
「”幸福”――それは、私が目指すものとは最もかけ離れた位置にある概念だ」
例え、創世石でもその概念に干渉する事はできない――。
固い意志が、機械的な仮面の奥に、緑色の光となって宿っていた。
”魔女の吐息”を発動させた時と同じように、麗句はその両腕を広げてみせる――。
「だが、お前のその"鎧醒"には応えよう」
「――!」
その瞬間、麗句の鎧装を覆う焔が、鎧装内部から噴き上がるように勢いを増していた。
残された力の、残り一粒まで搾り尽くすような”燃焼”を、サファイアはその姿から感知する。
同時に岩肌を蹴った、”断罪の麗鳳”の四肢は、一部鎧装を排除したことにより、起動した”戦騎”モードの美麗な造形とともに、超高速でサファイアへと迫る。
より騎士鎧然とした”戦騎”モードの造形の中で、より"異形"として際立つ鉄爪が、白銀の鎧装を鮮やかに――、
「む……?」
裂くことはなかった。
白銀の鎧装を、千々に裂いたかに見えた鉄爪は空を切り、麗句の視界の中で、白銀の鎧装が数体に”分身”していた。
光を透過する素材で編まれた布状の装具――”蒼天の透衣”が閃光を放ち、己の視覚に影響を与えている事を、鎧醒によって磨ぎ澄まされた、麗句の超感覚が感知する。
……どこまでも優しい娘だ。
この鎧は、”相手を傷つけぬ”事に特化している。
状況を理解した麗句の、次手の選択に迷いはない。
麗句の左腕部鎧装が剃刀が逆立つかのように展開し、毒々しい”畏敬の赤”の光が焔のように溢れだす――!
「”我異端にして神を穿つ朱”――!」
”畏敬の赤”の焔が渦を巻き、躍動した掌とともに岩盤を叩き割る。
同時に生じた地割れが、”蒼天の透衣”が生み出した”幻像”を次々と飲み込み、跳躍し、逃れた”本体”を、麗句の瞳が捉える。
すぐ様、新たな”幻惑”が麗句の視覚を襲うが、一度、標的を捉えた”鷹”の目を欺くことはできない――。
「舞え――”女王”!」
己の鎧装を鼓舞するように言葉を発し、麗句は標的へと弾丸のように飛翔する。
背部鎧装を吹き飛ばすようにして、迸る朱の粒子が、大仰な四枚羽を描き、禍々しくも美しく夜空を彩る。
標的への接近とともに、右腕部鎧装が朱く発光。”本命”と呼ぶべき一撃の発動を予告する。
「”今度”は耐えられるか――? 私の”全霊”をッ!」
「”耐える”! ”届ける”……!」
”我異端にして神を穿つ朱”――!
麗句の右腕部鎧装が、”錠”を解除されたかのように、無数の剃刀が逆立つかのように展開すると同時に、迸った”朱”の光を、十字を模った盾が受け止め、拮抗させる――!
「くうう……あああっ!」
”蒼醒の十字盾・極”の十字が展開し、その中央にある六角形のパーツが、蒼い光を放ち、周囲を染める”畏敬の赤”を、蒼く、青く塗り潰してゆく。
視界を白く染める程の光が溢れ、二人の思考は瞬時に――同時に飛翔した。
※※※
(こ…こは……)
気づいた時、サファイアは花咲く丘の上にいた。
覚えがある。
ここは、共繋の中で見た、最初の景色。
麗句が、かつてミザリーが失い、取り戻した”カウランの丘”の景色だ。
そして、これは幻。
この丘が最も美しかった頃の――”彼女”の記憶に鮮やかに咲く、過去の幻影だ。
「れい…く」
丘の頂上にいる彼女へと発した声は、自分が思っているより幼い声だった。
……そうか。
いまはサファイア自身も、幼い”あの日”の姿となっている。
あの男の子の手を離してしまった、自分にとっての”始まり”の日の。
恐らく、いま自分”達”は心の形、そのままの姿となっている。
その幼い少女が、丘の上に座り込んでいる、同じように幼い頃の姿をした彼女へと声をかける。
「麗句……ミザ、リー」
「私は死んだの、でもいなくならないの……」
そっと本来の名で呼んだサファイアに、麗句の幼い声が応える。
震え、弱々しく掠れた声音が、サファイアの耳朶を打つ――。
「父様も…母様も…みんなもいなくなっちゃったのに……私だけいなくならないの」
「………」
悲しげな声が、悲しい言葉を紡いでいた。
足元の花を踏まぬよう、気を付けながら、幼い麗句へと歩み寄り、サファイアは彼女へと言葉を贈る。
「麗句さん、あのね」
だが、
「黙れ……! 死にぞこないの乙女が」
「――!」
突然、幼い少女の手がサファイアの喉笛をとらえた。
涙に濡れ、震えていた可憐な花は、鋭利な刺を持つ薔薇へと変貌していた。
豹変したのは、”気配”だけではない。
幼い麗句の全身に、火傷の痕のような痣が浮かび上がっていた。
――そうか。
先程までの少女は、麗句の内に眠る”心”。いまここにあるのは、それを覆う現在の彼女――その心を、自ら火刑にくべた、”魔女”を名乗る麗句=メイリンだ。
「まったく……嫌になるよ、こいつは肝心な時にいつも騒ぎ出す。めそめそ、めそめそと――!」
”己”の声から耳を塞ぐように、麗句は怒鳴り、サファイアを睨み付ける。
――サファイアは理解する。彼女はこうして、己の声からも耳を塞ぎ、生きてきたのだと。
「……泣いたって、いいじゃないか。ううん、泣きたいのに、泣かないのは……一番、辛いことだよ」
自らの咽元を掴む麗句の手に、そっと指を添え、サファイアは告げる。
「泣いてることに気付けなくなっちゃう……心が、壊れちゃうよ――」
「……」
指先から伝わる温かさに、喉元を掴む力が弛む。
”共繋”にも似た、この現象によって”心”と”心”が直接、触れあっているに等しいこの状況では、心を偽ることは難しい。
これも、あの”鎧”の力なのか――。
少女の心が、その声が、”魔女”の心を揺らす。
「ああ……壊れている。いや、壊れなくてはいけないんだ、私は――」
「麗句……さん」
麗句の手が、少女の咽から離れ、その足はゆっくりと膝を折り、地面へと座り込む。
その彼女の瞳に、自分が起こした”暴力”によって、踏み散らされた花々の姿が映る――。
「この丘を見ろ、この美しい丘が……”あのような結末”を迎えてしまう。父と母が、血を流し、手にした平穏も、結局――新たな流血で散らされてしまった。私が起こした”解放戦線”の戦もまた然りだ」
そう語る麗句の瞳に、悲しみが凝固したかのような陰りが満ちていた。
幼い瞳を黒く染めるそれは、涙を零せぬ程に昏く、冷たく、彼女の瞳を凍り付かせているように見えた。
「”煌都”の取り繕う美辞麗句では、どうしようもない程、世界は乱れている。……いや、奴等が取繕おうとする度に、世界はまた軋み、歪み、あるべき姿から遠ざかってゆく」
その一端があの”悲劇”。
恐らく、あのような”悲劇”がいまも、世界のあちこちで頻発している――。
覆い隠され、”何もなかった”事にされている、多くの”悲劇”が。
その事が人の心を乱し、世界を病ませてゆく。
それは、長い旅路の中で、サファイアも認識していた事だ。
「――劇薬ではあるが、偽りの”秩序”を壊し、”混沌”から世界を組み直すのも、確かに一つの”正義”。文字通り、”血”を”血”で贖う、鬼畜の所業よ。”鎧纏う血液”……確かに我等には相応しい名だ」
ほぼ同様の内容を喜々として語った、”軍医”とは異なり、麗句の言葉には、声には苦渋が満ちていた。
それが、彼女の選択だった。
”魔女”となり、”外道”に堕ちても、世界を変える――あの日、彼女はそう”選択”したのだ。
「でも、本当のあなたはそれができる人じゃない。心が悲鳴を上げているのに無理をして――本当のあなたは誰よりも優しいのに」
これまでの交錯の中――幾度となく感じた、その”答え”をサファイアは告げる。
だが、麗句はあくまで首を横に振り、瞳を閉じる。
「だからこそ、私は”壊れ”なくてはならないんだ。この”容れ物”に心はいらない。私は世界を正すための”剣”であればいい。一個の”駒”であればいい。――そうでなくてはならないんだ」
「……」
”駒”という言葉に、サファイアは直感する。
恐らくは、彼女の”女王”という称号は、チェスの駒からとられている。
”王”を勝利へと導き、玉座に就かせるための最強の”駒”。
それが”組織”が彼女に求める役割。
しかし――それをあえて演じる彼女が認識する”王”が、”組織”だとは限らない。
世界が正された後、”組織”がその玉座に座る価値を持たなかったのなら、彼女はきっと――、
「止まれ、ないんだね」
実感とともに、言葉が少女の咽から零れた。
そうだ。
麗句=メイリンの内に宿る”修羅”は、言葉で容易く浄せるようなものではない。
それは、彼女が歩んできた軌跡の集積であり、生きている事の”理由”そのものだ。
「ああ……歩み続けるしかない。それが、私の贖罪だ」
それが、私の……、
そう続ける言葉には、傷口から溢れる血液で描いた文字のような痛切さがあった。
だから、
だからこそ――少女は”馬鹿な真似”をした。
「え……?」
何が起きたのか、わからなかった。
何かを言いかけた麗句の唇を、あたたかな感触が塞いでいた。
触れたのは唇と唇。
キョトンとした幼い麗句の瞳に、無邪気な少女の笑みが映る。
「お返しだよ、あの時の!」
唇を合わせ、そう告げた少女の手が、呆気にとられる麗句の手に、踏み散らされてしまっていた、花の一輪を握らせていた。
他愛のない悪戯が、童心を擽る。
花の茎は折れていたが、花びらは散ることなく、麗句の手の内で健気に咲いていた。
その花びらから朝露が涙のように零れ落ちる――。
「どんなに荒れても、踏み躙られても、あなたの心にはこんなに綺麗な花が咲いている。ボクは、それを守りたい。ボクに願いを託してくれたみんなのためにも――」
少女の温かな指が、花を握る麗句の手に添えられ、そっと握り締められる。
不意に覗き込んだ少女の笑顔は、日差しを吸い込んだ青い瞳が青空みたいにキラキラしてて――太陽みたいに眩しかった。
「止まれないなら、ボクが前に立つよ。何度でも、何度でも、ボクがあなたの前に立つから」
それは、麗句の”選択”に対する、少女の”選択”だった。
心からの、言葉だった。
「あなたの贖罪には、みんなの願いが、ボクの気持ちが寄り添うから。あなたが進む道の先には、ボクがいる――あなたは一人なんかじゃない」
「あ……あ……」
麗句の手から、その頬から、首筋から、火傷の痕が消えてゆく。
”魔女”から”少女”に戻った、麗句の咽から、幼い、嗚咽にも似た声音が漏れる。
「私は……一人じゃないの?」
「うん、ボクが――傍にいるよ」
力強い、お姉ちゃんの声が、泣きじゃくる幼い少女にそう告げていた。
※※※
「だから――いまは止めるよ! ミザリー!」
”共繋”に似た現象の終了とともに、十字の盾は二つとも砕け、爆散していた。
盾を失い、”蒼天の透衣”を排除したアルファノヴァは、天高く跳躍し、その腰部のバックル――”ヘヴンズ・ゲイト”から朱い光を迸らせる――。
それは、発動と同時に必中を確約された”奇蹟”の一撃。
「おおおおおおおおおおおお!」
対する麗句も、彼女の想いに応えるかのように、蹴撃を放たんとするサファイアへと飛翔する。
展開した両腕の鎧装から噴き出す焔は、翼のように、罅割れ、砕けかけた鎧装を彩る――。
「姉ちゃん!」
戦闘を注視する少年の声が響く中、全てが朱く染まる。
夜明けまで後数時間というこの瞬間に、”決着”は訪れた。
最後に立っているのは果たして――、
NEXT⇒第25話 涙。