第21話 血戦の虚空―そら―Ⅰ
#21
――繭があった。
旧き時代の遺物にして残骸。
倒壊し、朽ちた高層ビルの成れの果てが散乱するこの場所――”栄華此処に眠る”の瓦礫と瓦礫の隙間に、その繭はあった。
(ブルーの足が、止まった……?)
その繭の中に、人柱実験体にして、麗句=メイリンの直属の部下である、シャピロ・ギニアスはいた。
彼は額と、胸部に埋めこまれた”知覚強化端子”を励起させ、状況の推移を油断なく、観測していた。
ブルーと響の決着。
主である”女王”による”禁忌”の発動。
どれ一つとっても、ここでのんびり静観をきめられるような事態ではない。
ブルー曰く”楽観の天才”であるシャピロをしても、自分の腹の底で這いずり回る焦りを認識せずにはいられなかった。
――先程の戦闘で得た、”五獣将”の情報を分析・解析し、結合。
それを受け容れる障害となる、体内に蓄積された情報の取捨選択・消去。
経過している時間を度外視すれば、”自己精錬”は、順調に進んでいるといえた。
だが、流石に”五獣将”の情報は規格外にして膨大。
身体への負荷、作業に要する精錬時間は、シャピロが想定していたものの四倍に相当していた。
(この性能……元老院が切り札とするだけの事はある。まったく――これは”寿命”に影響するかもね……)
これも、”相性”を利用して勝利を拾った自分への罰なのかもしれない。
己の身体を書き換える激痛を、シャピロはそう受け止める。
(”彼等”がここに来る……。もう、時間が、ない)
内臓を掻き回され、骨を捻じ切られるような痛みに、意識を呑まれそうになりながらも、シャピロは己が知覚強化端子を虚空を悠々と航行する移動要塞へと向ける。
気が狂うほどに濃い”朱”が夜の闇に染み出してゆくのを、シャピロの脳髄は確かに知覚していた。
※※※
「……成程。畏れを感じる程に美しい太刀筋だな、シオン・李・イスルギ」
包帯で己が表情を覆い尽くした”顔のない男”の喉に埋め込まれた機器が、打字されたが如き、抑揚のない、だが、確かな”感嘆”を滲ませた声音を響かせる。
(……浅い、か)
僅かに。
僅かにフェイスレスの顔を覆う包帯が裂かれ、解れていた。
”剣鬼”の称号を持つシオンは自嘲とともに、剣を鞘へと戻し、飛び退く。
床や壁面には、フェイスレスの異能によって齎されたと思しき茨が這い回っている。
その浸食とともに、彼の領域が拡げられていることを、”緊迫”に磨ぎ澄まされた五感が訴えていた。
――”触れ得ざる者"。
そう畏れられる男に対し、微かに触れ、裂いた”技術”は、”獣王”・”毒蠍”の称号を持つ、他の2名にとっても驚嘆に値するものといえた。
何の”奇蹟”も、”加護”も借りず、ただ、億もの、兆もの修練、鍛錬の果てに得た”剣技”のみで、あらゆる事象、概念をも歪める異能をも斬って捨てる。
――”剣鬼”。
成程。
そう呼ばれるに値する”業”を、この青年は確かに持っていた。
【………】
”壊す者”と己が評する"畏るべき者”に対し、涼やかなまでに堂々と自らの技量を魅せた若者に、ひとまず事態を預けたのか、”獣王”は己が腕を肥大化した状態から通常の状態へと戻し、状況を監視する。
シオンの軍靴が、踵を鳴らすと同時に、再び剣閃が疾走り、幾つもの、わずかな裂傷が、拘束服にも似た、”破壊者”――フェイスレスの黒衣に刻まれる。
――それは、まるで舞踏だった。
緩慢なまでに優雅な、流麗な動きとともに閃く剣は、招かれるように相手の間合いへと侵入し、凶刃を舞わせる。
幾つもの拘束具を繋ぎ合わせて誂えたかのような、フェイスレスの黒衣は、裂傷によって拘束を解かれ、わずかに撓み、歪んだように見えた。
「概念干渉で――”畏敬の赤”の加護で護られた”私の世界”に剣を届かせ、結果をこの身に刻ませる。畏るべき男だ。流石は、武を極め、奇蹟に至らんとする百騎《鬼》の将。同胞として誇らしいぞ、”剣鬼”」
「その言葉……この”結果”では、私には恥辱です」
「……!」
――”十本尻尾”。そのような忌み名を持つ鋼糸の束が、シオンの籠手から射出され、幾重もの不可視の乱撃となってフェイスレスへと挑みかかる。
柱を、壁面を、床を、螺旋を描くように舞い踊る鋼糸達が、容赦なく斬り砕き、大理石の粉塵を周囲に鮮やかに飛び散らせる。
先程までの”剣技”とは異なり、”畏敬の赤”の光を帯びた鋼糸の群れは、フェイスレスの歪めた概念を矯正し、確実に彼を捉え、その五体をバラバラに薙いだかのように思われた。だが――、
【ほう……】
粉塵が晴れ、視界が鮮明となった時、”獣王”の噛み合わせた牙と牙の隙間から、”感嘆とともに苦虫を噛み潰したかのような”吐息が漏れていた。
そこには奇妙な光景があった。
”十本尻尾”によって切断された、柱や壁面の残骸が散乱しているにも関わらず、柱も、床も、壁面も以前と変わらず、そこに存在し続けている。
まるで、鋼糸の乱舞による破壊が幻想であったかのように、その痕跡を残しながらも、現実はその結果を、”剣鬼”と”獣王”の前に示していなかった。
そして、鋼糸による破壊の中心に在りながらも、彼は――フェイスレスは悠然と、”無傷”のまま、そこに立っていた。
「――”世界線移動”。よもや生身の人間相手にこの力を使う日が来るとはな。その技量、既に人間の領域を逸脱してきているのではないか……?」
「……言ったはずです。”神仏を断ち、悪鬼を祓う”百騎《鬼》の剣にとって、相手を討ち果たせぬ結果など恥辱」
例え、それがどのような相手であったとしても。
”神に逢うては神を斬り、仏に逢うては仏を斬る”。
瑞々しい程の若い顔立ちが、悪鬼羅刹をも喰らうような修羅を宿す。
この青年もまた、”全能なる神を殺す異能の機関”の六凶の一角。
心の奥底に世界への、神への絶望を孕み、それを己が剣へと宿した”剣鬼”なのだ。
【………】
そして、その隣で、”獣王”の黒の鎧装、その一部が弾け飛び、彼の黒々としたケロイド状の皮膚が露わとなる。『鎧醒』から解放された巨大な尾が床を叩き、蜥蜴の如く耳まで裂けた口が凶暴な牙を剥き出しにする。
弦楽器を皮手袋で擦ったかのような低音の唸り声とともに、”獣王”の黒目のない白い眼が朱々とした”畏敬の赤”の光を宿す。
「……そうかァ、よくやった、白髏。ククク……こいつはマジ最高だ……ククク……」
――だが、この状況で最も高揚し、騒々しかった男は、”毒蠍”・”毒蛇”という二つの称号を持つ男、我羅・SSは自らが破壊した機器の残骸に腰を掛け、ピアスに仕込まれた通信機器へと耳を傾けていた。
その良く発達した犬歯を覗かせる口が、興奮に満ちた声音を唾とともに零していた。
最も暴れ、最も制御不能かと思われた男が、戦闘に参加することなく、ただ座し、通信機器に耳を傾けている。
これは、彼にとって、この戦闘よりも愉しい報告が、届けられたことを意味していた。
それもまた一つの収束。
最終局面の幕開けたる、一つの事態がいま、始まろうとしていた。
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